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死にゲーとなってしまった『ACVI』

2023年 8 月 25 日、 10 年の沈黙を破り発売された『ARMORED CORE VI FIRES OF RUBICON(ファイアーズ・オブ・ルビコン)』。発売されてしまえば当然様々な批判が集まるわけで、その内の一つに「『AC』が死にゲーになってしまった」というものがあります。

なんてことでしょう、この言い草は。皆様、どう思いますか??

いや、まあ……「なってる」んじゃないですかね。

ここら辺、意見を聞いて回ったわけでもないんですが、そう思われる理由を探すとすれば、たぶん「チェックポイント」の採用が大きいと思っています。個人的に考える、これが過去作と『VI』の最大の差異だからです。

『AC』は原初よりミッション制が採用されてきましたが、ミッション自体が前後編と区切られたり、例外的に補給ポイントが設置されることがあっても、チェックポイント自体が大々的に導入されることはありませんでした。なので例えば探索パートとボス戦パートを同時に遂行しないといけない長期ミッションにおいて、ボス戦で負けるとまた最初から……というようなこともあったわけです。短期ミッションには短期ミッションの、長期ミッションには長期ミッション相応のアセンと覚悟が求められる。『AC』とはそういうシリーズでした。

そして此度『VI』でチェックポイント制が導入されたわけですが、これは単純にリトライの簡便化、そしてボスに挑む道中の省略、伴うストレスの軽減を期待できます。カジュアルという言葉を余り好まない層もいるようですが、新規層を取り込むためにも効果的な間口の広げ方だったことでしょう。

しかしながら一つ留意しなければならないことがあります。リトライの恩恵を得なかったゲーム上手の若君たちはともかく、殆どのプレイヤーはチェックポイントがあって良かったという実感があったはずです。そして裏を返せばそれは、ミッションやボス戦がチェックポイントありきの難易度に調整されていたことを意味します。

もちろん『AC』とは元から玄人好みの高難度ゲームとして知られていました。長期ミッションでなくとも、アリーナの強敵や複数 AC 戦などは何度も返り討ちにあったものですし、そういう意味では『AC』とは元々死にゲーだったと言えるでしょう。しかし大きな違いとして、ただ冷徹に「プレイヤーの未熟」と「高難度」という事実だけがそこに鎮座していた過去作に対して、『VI』はチェックポイント制の導入によって、「死ぬ」ことをお膳立てしてしまっている。「再トライし易くしておきましたよ。どうせ死ぬんで」と宣言してしまっているんです。この違いは大きい。

実は難易度がどうとか細かい仕様がどうこうではなく、このお膳立て、雰囲気づくりとさえ言える「文法」が肝だと考えていて、古くからシリーズを嗜んでいたはずの人たちが「死にゲー化」したと言っている(もっとも統計も何も取ってないのでどれほどの割合でこういう意見があるか知りませんが)のは、たぶんこの辺りに理由があるのでしょう。付け加えるならこのチェックポイント制、ボス手前でアセンブリを組み直せるのに、パーツショップに行くにはミッションを辞退する必要があるので、「ボスをやり直すか、欲しいパーツのために道中からやり直すか(篝火に触れるか触れないか)」で頭を悩ませないといけないのは、ソウルシリーズの「文法」です。

ゲームの面白さや難易度を構築する方法はたった一つではなく、ソウルシリーズ的文法は数多あるゲーム性の内のたった一種でしかない。それなのに『ACVI』は他作品の文法を引用することで、元々あった『AC』的文法を手放してしまった……という主張なのだと思います。簡単になったとか難しくなったとかの単純な二元論ではなく、ゲームとしての味が根本から変わってしまった、そう言っているのかなと。

つらつら書いている割に他人事なのは、これを書いている人間は『VI』の文脈がソウルシリーズに寄ったという実感があった上でちゃんと愉しめているからです。批判する人たちに同調は出来ませんが、彼らは残念ながら口に合わなかっただけで決して見当はずれの難癖をつけているわけではないと思うし、出されたものに文句言う権利くらいあるでしょう。そして上記の理由で死にゲーになってしまったと言っているのなら、まあ「なったよね」と答えはする、そんな感じ。

ちなみに個人的なことではあるんですが、先ほど友人から連絡があり、『ACVI』のトロコンを達成したとのこと(先越された)。トロコンは『隻狼』以来と言ってましたが、その友人、『AC』シリーズは殆どプレイ済みである一方、『ELDEN RING』は序盤で投げ出していたりします。結局、文法がどうたら言ってきましたが、『ACVI』とは全く以て「アーマード・コア」でしたし、その中にソウルシリーズ的文法を嗅ぎ取って批判する人もいれば、逆にそのおかげで取っつきやすくなった面もあったり、まったくそんな文法など無かったと主張する人だっているはず。

どういうゲームだったか。つくづく、自分でプレイしてみないと分からないことで、他人が決めていいことではございません。

尻込みする理由を探す前にまず触ってみて欲しい。当サイトが言えることは、ただのそれだけでございます。

余談

リペア・キット

エストと呼ばれてしまっていますが、まあエストですわな。ただこれをつけるくらいなら敵の火力を下げるか AP を初手から上げて置けばいいのでは、という意見には頷けないですね。まず敵の高火力でゴリッと AP が減らされる焦燥感が演出できなくなりますし、その上であくまで自分の判断で自分を苦境から救ったという「手触り」がゲームには必要だと思います。またどの時点でリペア・キットを幾つ使ったか、幾つ残せたかというのは、自分の立ち回りを確認する一つの指標になるでしょう。そして必要な場面で使わなかったせいで負けてしまった、そんな失敗はプレイヤーをリトライに奮起させる理由付けになったりもするはず。『AC』とは数字とゲージを管理するゲームと心得たし。

ただエストや輸血液などは使用する際に隙が生じたこともあり、タイミングが結構重要になりましたが、リペア・キットはノーモーションでした。そういう「駆け引きの無さ」が、単なる初心者向けの救済措置のように受け取られてしまった面はあるかもしれませんね。しかしメリット・デメリットの交換ばかりがゲーム性ではないと思いますし、上記した理由から、リペア・キットには意味があったと思います。

え? どういう理屈で機体を修復してるのかって……そりゃ……。

リトライの理由

ソウルボーンには主人公が何度死んでも起き上がる理由が設けられていたのに、『ACVI』にはそれが無かったという意見がありましたが、それは、だって、良くない?? あれは高難度、死にゲーというシステムにフレーバーを付け足したソウルボーンが「偉い」のであって、言ってみれば付加価値でしょう。『AC』でそれやったらいよいよソウル系じゃんと言われること請け合いですよ。

それともソウルシリーズを作った会社がよくあるチェックポイント制を導入しただけとはいえ、ソウルシリーズ的文法を持ち込んでしまった以上、『AC』であってもその責任を取らないといけない……そういうことなのか。ゲームを作るって難しいのね。

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