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『小説ダークソウル 弁明の仮面劇』 レビュー

例えば。

『ダークソウル』の世界にはどんな食文化あるのか、なんて考えたことがありますか? どうやら野菜はある。少なくともタマネギはあるようです。ジャガイモはどうでしょうか。豚はいましたよね。茹でて潰したジャガイモに、みじん切りにしたタマネギと炒めたミンチを混ぜ、小麦粉・卵・パン粉をまぶして揚げればコロッケになるのでしょうか。キャベツはどうしたのでしょうか。

『DARK SOULS』とは「王」とそれを継ぐ者、そして新たな王により編成される新世界、それら「繰り返し」の物語でした。ですがそうした世界の真相から外れた場所にも、当たり前に文化や生活があり、はじまりの火だの深淵だのと関わりを持たない人々による各々の物語があったことでしょう。

「原作」ではスタートから世界が終りかけていることもあり、当然存在したであろう「営み」といったものは残り香程度にしか描かれてきませんでした。これは現行フロムの作風もあるのでしょうが、リソース的な制限の方がむしろ大きいかもしれない。

『小説ダークソウル』では、変わらず終わりかけた世界が舞台ではあるものの、そこにはゲームという制約下では描き切れなかった営みがあります。国もあれば民もいる。不死と脅威ばかりが配置されていた世界で、そこに住まう「人々」はどのようにして日々を暮らしていたのか、何に拘っていたのか、という部分が、ほんの少しだけ垣間見れるのが本書の楽しみの一つとなっております。

以下、具体的なネタバレは避けつつも触れはするので、未読の方はお気をつけください。

あらすじ

地下の墓所で、死んでいたはずの男が、暗闇の中目を覚まし次第に感覚を取り戻していく――。

男は名前を含め、記憶のほとんどを失っていた。

周囲の状況からすると、埋葬者たちは男の復活を予期し、この場に閉じ込めておこうとしたが、予期せぬ墓荒らしが入ったために、期せずして封印が解かれたようだ。

目の前に転がっている墓荒らしの死体が不意に動き出し、男に襲い掛かかる。

男は自分が魔術の使い手であることを思い出し、手のひらから放った魔法の光で墓荒らしを倒す。

すると、男の頭の中に墓荒らしの生前の記憶が流れ込んできた――。

墓所の外には夜の砂漠が広がり、星空の様子から、男は自分の死からはるかな時間が経過していることを知り、墓所の外壁に刻まれた文字「フェーラノス」を自分の名前に決めた。

眠りから覚め名を得た男が、墓荒らしの落とした短剣を手に、運命に導かれ壮大な冒険に旅立つ――。

KADOKAWA公式サイトより

『DARK SOULS』の新エピソード

というわけでオリジナルストーリーです。知らん時世、知らん場所のお話です。先に行っておきますが、『小説ダークソウル』を読むことで「原作」のあの謎が解けるだとか、語られず仕舞いだったあの時代のアレコレが明らかになるだとか、フレーバーテキストでちょっとだけ出てきたあのキャラクターが登場するとか、お宝があるぜと言われ穴を覗き込んだら背後から蹴り落してくるハゲだとか、そういった要素は一切ありません。これを読むことで本編の空白を埋めることにはならない。断言します。「無い」。

元来「ノベライズ」というものは、メディアミックスの名目で本編とがっつり相互リンクしているものと、全く本編には絡まらない、もしかするとこんなこともあったかもしれないけどこれはこれで違う味付けとして楽しんでねという作りに二分されるわけですが、『小説ダークソウル』は後者です。一応原作の要素である「篝火」は「焚火、霊の火」などと呼ばれ登場しますし、「エスト瓶」は「薬瓶」などと言った形で登場しますが、劇中でそれらの要素が不思議に思われることはあっても、あくまで旅の助け程度であり、その謎を追ったりはしない。全然主題ではない。

個人的には、だからこそワクワクしながら読み進めることが出来ました。

フロム・ソフトウェアの多くの製品が持つ遊び方に「考察」がありますが、これは万能の長所ではなく、人によっては「いや〜そこまでせんと話の筋すら分からん作りなの??」と受け止められてしまう面もまた確かに存在すると思うのですね。故に朗報。本書は単品のみで完結しますし、他シリーズに波及するものでもない。独立しているからこそ『DARK SOULS』三部作に並ぶ新エピソードとして楽しめるって寸法です。ずっと待っていたはずです。続編、或いは外伝を。これがそうです。おめでとう。

火の時代(とすらも明言されていませんが)における長い歴史の中で、もしかすれば存在したかもしれない一つの冒険譚。読後の感想自体はもちろん自由ですが、どうか「考察に関係ないから」などと窮屈な選び方をせず、本書を手に取ってみて欲しい。我々は「フロム脳」の奴隷ではなく、我々こそが「フロム脳」という言葉の王なのですから。

『DARK SOULS』らしさ

とはいえ。全く関係ない世界で全く関係ないことをされても、それは『DARK SOULS』と呼べるのか……? という懸念も、その通り。個人的に本書をオススメしたい理由は、『DARK SOULS』要素を極力排しながら、これほどまでに『DARK SOULS』を描ききったマイケル・A・スタックポール氏の手腕に感銘を受けたからです。というのも、あらすじにある、敵を倒した直後に『男の頭の中に墓荒らしの生前の記憶が流れ込んできた』とは、つまり本編でいうところの「ソウル」を表現しています。これは公式から開示されているとは言えないのですが、元々あった読み解き方として、ボスソウルなどから武器や魔法を得る行為は、魂(ソウル)から記憶を掘り起こしている……と言えるわけです。であれば敵を倒すことで得られるソウルから記憶を得ても不自然ではないでしょう。そしてその要素は、ソウルを通して死した者の「遺志を継ぐ」ことを表現するものであり、これが本書の結末に繋がる超重要な要素になっています。加えて「原作」においての火継ぎという行為が、世界の在り方を、王の生き様を、倒してきたソウルの主たちの遺志を「継ぐ」行いだったことを考えると、この要素を軸にした『小説ダークソウル』とは、間違いなく『DARK SOULS』でした。ちなみにソウルもソウルとは明言されず、「相手の本質」というような言い回しに置き換えられています。うーん渋い。

あと原作では申し訳程度に存在していた、「冒険の舞台では時空が淀んでいて不安定」という設定は、本書においても(そのままの意味ではないかもしれませんが)顕在で、これまた超重要。むしろ原作より活用しているので、その点にも注目しておくと楽しめるかもしれません。あ、そうそう。「白竜の息」と思わしき魔術も登場しますよ。ここは所謂、「知っているとニヤリとできる部分」だと思います。

あえて細かいところを指摘するなら、冒頭でフェーラノスが触媒も持たずに魔法を放つ描写はツッコミどころと言えばツッコミどころです。原作でそんな芸当はできませんし、ラジオ番組『ゲームの大晩餐』で宮崎英高氏も「人は触媒無しで奇跡は起こせない」と仰っています。ただこれまた細かい指摘をすると、あくまで奇跡に対する言及だったと思うので、魔術に関しては事情が違うのかもしれない。まあ、何にせよここにツッコミを入れるのは野暮じゃないかな、と思っています。そこをこそ大事にしたい人には申し訳ないですが。

『DARK SOULS』とは何か。これはプレイヤーごとに解釈が異なるもので、異なるべきだとも思いますが、やはり「王」とそれを継ぐ者、そして新たな王により編成される新世界、それら「繰り返し」の物語だと認識しています。『小説ダークソウル』は個人的に思うそれら全てを抑えてくれていた。それも原作とは違う手法で。凄まじい手腕ですよ。不要な部分は仄めかす程度に抑え、原作には存在しなかった描写を重ねながらも本書が『DARK SOULS』に他ならないのは、この肝心なエッセンスを忘れなかったからでしょう。

そしてエッセンスだけを抽出して作ってあるということは、小説から入った人に「ゲーム版」をおすすめできるということでもあります。だいじょーぶだいじょーぶ。言われてるほど難しいゲームじゃないよ。敵の攻撃だって避ければ喰らわないんだから。

『小説ダークソウル 弁明の仮面劇』。間違いなく『DARK SOULS』でした。この調子で派生作品が増えていってくれることを、切に願う次第でございます。

余談

めちゃめちゃ余談も余談なんですが、本書には「サーコート」だとか「フレイル」だとかが登場します。『ELDEN RING』をやってると「オッ」となる要素なんですが、一般的なファンタジー作品や TRPG などでこれらの装備が登場するのってあるあるなんでしょうか。宮崎社長も TRPG 畑の人なので、スタッフがそちらから「あるある」を輸入したという線も当然ありますし、安易にセルフオマージュだとか言うつもりもないのですが、バンダイナムコエンターテインメントの監修もあったようなので、長い期間やりとりを重ねる中でちょっとした要素の被せ合いみたいな遊びが発生したのかな〜と少し想像しました。というわけで、終わり。

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