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『るろうに剣心 京都大火編』 -包帯を換えよう-

もう終わるというので駆け込み鑑賞してきたでござる。結構おもしろかったでござる。感想終わり。オロロ〜〜ン!

言いたいのはそんなことではなくてですね。要約すれば「志々雄の包帯が汚い」ということです。重要、だと思うんですよね。志々雄真実という男は腕っ節だけではなく頭も切れるというキャラクターでした。それは尊大な態度の傍らで発揮される鋭い戦術・戦略眼といった描写で表現されていたと思います。しかしながらあの外見もそのキャラクター性の演出に一役買っていたと思うのです。肉体は醜く焼けただれながらも、それを純白の包帯で覆い清潔さを保ち続ける。湯治に出向いていたことからも伺えますが、これは体調管理を軽んじていなかった証拠です。加えて志々雄は金を持っていた。ゆえに包帯の代金など惜しまなかったことでしょう。これはお高いスーツで身を固めるアメコミの知能系ヴィランが有する「インテリ感」にも繋がっていたように思います。自身の心地よさのため、或いは不快感を徹底して回避するために金、手段を使うことを躊躇わない……あの身綺麗さというのは、地獄の業火を内面に抱えつつもそれに囚われず、冷静な野心で自身をコントロールしきっていた「志々雄真実」という男のキャラクター性を強く象徴する、非常に効果的な小道具だったと思えるのです。……もしかすれば、包帯を汚すのが手間だった、というような当時の和月先生の都合に過ぎなかった可能性はありますが。ともかく、メディアの壁を越える際には、表現の仕方は常に考慮されなければならないのでしょう。プロがその点を考慮した結果「小汚くしよう」と思ったのであれば何も言えませんが、個人的にその点だけが気になったので記述しておくことにしました。

『伝説の最期編』は近々観る予定ですが、「閻魔相手に地獄の国盗り」のくだりはどうなるんでしょうね。今回の冒頭に回帰するのであれば、割と綺麗な気もします。

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