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『ジョジョの奇妙な冒険 スターダストクルセイダース』 第 32 話「『セト神』アレッシー その 1」

スタンドとは精神のビジョンである。その性質は即ち本体の性質であり、どんな人間か、何を願ったか、或いは隠された本性などを伺い知ることができるはずだ。例えばポルナレフは子供の頃から「戦車」が使えた。妹を守りたいという意志が発現に繋がったのかもしれない。アヴドゥルや承太郎は性格のまま、という感じがする。ジョセフや花京院はどうだろうか。能力が複雑であればあるほど想像の余地があって楽しい。だが今回のアレッシー! こいつほどスタンドの性質から本体の性格を察しやすい奴もいないだろうッ! なぜアレッシーに「セト神」が宿ったか! 「子供なら勝てるッ」! その邪悪な、あまつさえスタンドの発現に繋がるほどの強い魂! その禍々しさは『ジョジョ』中、パートを跨いだ中でも指折りだろう。アレッシーは例え相手が女性だろうと、大人である限りは強く出ようとしない。しかし自身の影が届く射程の内側であれば……。後にある者は言う。「恐怖を克服して安心を得る為に人間は生きる」。アレッシーの「セト神」は、「他人」という恐怖を克服する為に最もシンプルな手段を取ったスタンドの形なのだ。

つまるところポルナレフが子供にさせられてしまったのは必然と言える。大人の姿ならば勝てて当たり前なのだ。だからこそ「子供ならば勝てる」という邪悪さは、子供の姿で打ち破らなければならない。『ジョジョ』において常に敵が先手を打ち、主人公達が窮地に陥るのはこの為だ。「安心を勝ち取った相手に逆転せよ」。主人公が勝つというのは、そういうことなのだ。

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