ACID BAKERY

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『チャッピー』

醜悪な物語だった。言い換える。「上質な SF だった」。

命は大切。取り替えが効かない。バックアップなんて以ての外だ。でも実際にそれが可能になってしまったら? 新しい技術によって一変する倫理を前に、旧時代の住人は常に眉を潜める。自分たちが後生大事にしていた「モラル」なんてものが、単に現行の技術不足を美化するためのお題目でしかないと突きつけられて憤慨する。だから本来であれば長い年月をかけて少しずつ体に慣れさせていかなければならない新時代の神秘を、「物語」というやつはものの数時間で啓蒙してしまう。「たかが創作」でしかないなら、鼻を鳴らせば事は済む。しかしその描写がリアリティを獲得し、来るべき未来を確かに予感させるべきものであった時、それは強い嫌悪感を喚起するのだ。

なぜ、あの結末に醜悪さを感じたか。チャッピー自身は良い。データとして作られ育ったのであれば、彼の生命は「意識. DAT」で間違いないのだろう。デオンは突出した科学者だ。意識の仕組みを知り、また創造せしめた者として、「精神とはソフトウェアである」という事実に納得できるのかもしれない。ではヨーランディは? ギャングの女とは言え、その感性は凡百のそれに違いない。あのラストの直後、自身の意識に拡張子がついたことを知った彼女は、機械化された脳で果たして何を思うのか。そのリアクションは、そのまま我々が感じ入る未来技術への「応え」になるのではないか。それを突きつけるまさに直前、本作の幕は降りる。何を感じた? 感じた何かが、明るい未来だと確信できなかったのだとしたら、それこそが『チャッピー』の醜悪さであり、同時に上質な SF であったことの証なのだ。

好みの話をするなら、あの役にヒュー・ジャックマンは勿体無かったのでは、と思ってしまった。物語というのは大抵悪役によって駆動するものだが、彼を「物語を駆動させる為だけに存在する程度の悪役」にするには惜しいと感じてしまう。ヒーローの印象が強くなった役者を悪役にするのであれば、もう少し思想や理念を感じ取れるキャラクターにして欲しかった。「アンチ・デオン」の立場なのだから、ほんの少しの工夫でもっと面白い人物になり得たはずだ。

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