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『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない』第 05 話「虹村兄弟 その 3」

親の介護に苦しむ息子たちのお話。

虹村兄弟の暗躍は全て、父親を死なせてやるための行動だった。どうやら「バッド・カンパニー」の攻撃力では足りず、「けずりとっても」と口にしていることから、恐らくは既に「ザ・ハンド」も試しているのだろう。自分達の能力で親殺しを行い、しかし出来なかったであろう背景を想像してみると、兄弟の苦しみが何となく理解できる気もする。形兆の歯止めが利かなくなったのは、恐らくこの辺りからなのではないだろうか。

実際、おやじさんの再生能力は大本の DIO を遥かに越えている。屋根裏部屋に天窓がついており、当然試したであろうことを考えると、恐らく日光にも耐性がある。再生能力だけみれば究極生命体に肉薄しよう。「肉の芽」それ自体は吸血鬼の細胞だから、波紋がよく効いた。なのに日光は大丈夫なのだろうか。それとも DIO の死による「暴走」が、「肉の芽」から「太陽で死ぬ機能」を奪ったとでも言うのだろうか。少し考えてみて、仮説に思い至った。

吸血鬼とは、石仮面によって脳を刺激され、生物としてのパワー(栄養価)が引き上げられた「人間」である。ならば吸血鬼が持つ不死性は、元来人間が潜在的に有しているものと考えていいだろう。だとすれば、虹村のおやじさんは「肉の芽」の暴走・融合によって半吸血鬼的な能力を「与えられた」のではなく、「肉の芽」の暴走が石仮面の骨針に似た役割を果たすことで、彼が人として元々持っていた不死性を無理やり引き出されてしまった……というのは如何か。きっと「吸血鬼に弱点は必要」なのだッ。太陽光を致死とする、紫外線によって傷を負う、それらの「不完全さ」はきっと、怪物の肉体に人間としての知性を留まらせる楔なのだ。だからこそ、おやじさんが獲得した吸血鬼をも超える究極生命力は、知性を代償にして得たものなのだ。

ああ、そんなことを考えている間に、虹村形兆が逝ってしまわれた。怪物と変わり果てた父の中に、自らへの情愛を見出した直後の出来事であった。父はどこまで理解しているのだろう。理解していなかったとして、それを救いと考えることは、或いは残酷なのだろうか。

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