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『ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン』第 38 話「ホワット・ア・ワンダフル・ワールド」

時を無限に加速させた先に待つものッ! それは世界の終焉と「はじまり」だった! 宇宙は二巡目に突入したのだッ! 一巡目、時の加速の中を生き残った者のみがそこへ辿り着き、そして恩恵として新たな特性を得ることになる。それは「一巡目を体感している」ということ。強くてニューゲームなどと上等なものではなく、ただ朧げに精神の片隅にあるだけ。ただそれだけのことで、そして運命を変えるなどと大層なものでもない。しかし「覚悟」できる。これからの世界を既に体験している者たちは、今後の歴史総てを「覚悟」できるのだ! 運命を変えることなどできない。だが「覚悟」があれば悲嘆にくれることもない! それはまさしく天国であろう。「変えられないこと」へ問い続けたプッチの、これが「天国へ行く方法」であるッ!

というわけで始まりました今週の、そして最後の『ストーンオーシャン』。期待通り OP も特別仕様だァ! 物語の開始点に戻ってきたエンポリオは、ジョリーンでも承太郎でもない親子を尻目にプッチ神父から逃げ惑います。しかし無駄。エンポリオがどこへ、どんな知恵を巡らせて逃げようとも総ては運命の枠組みの内側です。この運命的逃走経路の中、プッチだけは例外であるようです。エンポリオは一巡目の宇宙でプッチから辛くも逃げ切っている。それが運命だというのなら、時の加速以前であれば改変できる、そんなところでしょうか。

床に散らばった書類で足を滑らせて転ぶ看守。本人どころかみんながそれを予め体験している。全く未知のトラブルに見舞われるより、身構えているぶん理不尽には感じないのでしょう。これからの歴史において、世界人類どころか全生命体が「覚悟」という一点で繋がる世界。プッチが新たな世界に付け足したものはそういったものでした。なんという幸福。お前も幸福になれッ! プッチの一撃がエンポリオに打ち込まれ……そして「ウェザー・リポート」のDISCがその小さな体へと挿入されました。こんなことは一巡目には起きなかった。運命は変わったのです。他の誰でもないプッチ神父の手によって。

持ち主ではないエンポリオに「ウェザー・リポート」は操れない。そう高を括り時を再加速させるプッチでしたが、次の瞬間には血を吹き出して倒れていました。高濃度の酸素。それが汎用性 SS スタンド「ウェザー・リポート」の新手。そうつまりは毒。無敵を誇っていた「メイド・イン・ヘブン」でしたが、その実、その壮大さと速度を除けば凡庸なスタンドでしかない。だから回避しようの無い攻撃はあるし、案外こういう手段で倒せてしまうんですね。準備しておけば「パープル・ヘイズ」とかでも殺れそう。

そんなわけであらゆる「運命」に対し「覚悟」という解を出したプッチは、しかし自らの行為、断ち切ろうとしてきた因縁によって逆襲され、敗れ去りました。その後プッチの言葉を借りるなら運命は代わったのか、エンポリオはどこかも分からない道端に取り残されます。乗り損ねたバスから下車してきたのは……。そして続々と集う見覚えのある面々。「そのもの」ではない。しかし繋がっている。その場でエンポリオだけがそれを覚えている。車の事故から始まった物語は、車での旅立ちで幕を閉じ、そして『ジョジョ』という大いなる物語もまたこれにて終わ……らない! 第 6 部完!

最後に

2 シーズンに分けて放送された『ストーンオーシャン』も終わりましたね。当初想像していたほどの長さは感じず、結構あっという間だった気がしています。道中の分かりにくいところも整頓されていて、見やすくなっていたんじゃあないかなと感慨にふける次第。感慨と言えば実質 10 年以上かけて繰り広げられていたアニメプロジェクトもこれで完了でしょう。そう思えばラストの演出は本当に素晴らしかった。懐かしいよ。「この血の運命」を聴いて涙していた頃がさ。『SBR』? 『SBR』ねぇ。馬の作画が鬼門、とのことで元々七部のアニメ化は予定していないという旨の発言を読んだ覚えがありますが、観てみたい気持ちは当然あるので心の準備くらいはしておいていいかもしれない。昔と事情が変わっているかもしれませんし。

とまあ無難な感想だけに留めておいてもいいんですが、最後に一つ。アニメ版ではエンポリオの勝利演出として台詞が追加・改変されていました。全文どうこうという話ではないので気になったところだけ引用します。

「みんな未来なんか知らなくても覚悟があった! 覚悟ができていないのはお前だ、プッチ!」

どうですか。個人的にはあんまり好きじゃないです。だって反論になっていないから。「メイド・イン・ヘブン - 9」の解説に『運命を切り開くと言うが、もしかしたら切り開くことすら運命の中に組み込まれているのかもしれない』とありますが、これは思い返せばプッチ自身のことなんでしょう。運命に対する人類の意識を変えようとしたことそのものが運命の一部であり、故に「正しさ」という大きな運命の前に頓挫することもまた予め決まっていた。妹を失ったことも、意図せず弟と再会しその手にかけたことも、色々なものを巻き込んでまで目的を遂げようとした寸前、半ば自滅のような形で敗れたことも、全てが筋書き通りだったことになる。なのでこの最終バトルの肝は、運命を受け入れ、「変えられないこと」に寄り添ったプッチに対して、「全部最初から決まってるんだろ? じゃあお前がこうして負けたことも運命だよな」という無情を突きつける点であって、プッチが口にした「覚悟」や「幸福」が誤りであったとする場面ではないはず。プッチは運命の奴隷となるしかない大多数のため(もちろん願い下げではあるんですが)、彼なりに本気で人類を幸福に導こうとしていました。だからそんな彼に対して「未来くらい知らなくても覚悟はできる」と言ってみせても、そりゃお前らはそうだろうよと、原作通りの台詞ではあるものの「知った風な口をきくな」とプッチも叫びたくもなるでしょう。例えプッチが悪だとしても、彼自身が辿り着いた「覚悟」という解答自体を剥奪するような決め台詞の追加はちと過剰な演出だったんじゃないかなと思ったわけです。最後の最後に仲間の名前を出してやらないと締まらない、という都合はあったのかもしれませんけどね。少し気になったなというお話でした。

ところで最後にもう一つ蛇足なんですが、いま連載中の『The JOJOLands』って西暦何年設定なんですかね。確か『ジョジョリオン』のはじまりが 2011 年だったと思いますが、第一話の家系図を見るに同時期か少し前くらいでしょうか。いやね、『ストーンオーシャン』のラストが明確にいつだかは分かりませんが、一巡前と同じだとすると大体時期が被るんですよね。三作をこの年代に固めたということは、何かあるのかしら。

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