東京都墨田区錦糸町・オブ・ザ・デッドのハンバーガー 限界だ。 あまりの空腹に俺は今にも倒れそうだった。 なにせここ三日ほど何も口にしていないのだ。 体力も消耗している。喉だってからからだ。 道中ようやく見つけた飲食店はとっくに荒らされた後だし、よしんば何かを見つけても食えた状態じゃなかった。電気が止まってしまっているというのはあまりに痛い。現代人が文明を失うというのはこういうことなんだろう。 ああ……しかし腹がペコペコだ。 この際、多少腐っていても何か口に入れてしまおうか。 そう思っていた矢先、物陰から奴さんが大口を開けて飛びかかってきた。俺はそれを躱し、背後から奴さんの頭をしっかりと掴んで勢いよく反転させる。通常、人間のそれに対して行うような感触は無く、既に壊死してボロボロになっていた首筋はあっさりと千切れてしまった。 「うひぃー、こりゃたまらん。なんてモロさだ」 首の無い肉体は失われたパーツを探し求めるようにふらついている。俺はそっと首を地面に置いて両手を合わせた。 先を急ぐ。とにかく何か食べたい。何でもいいんだ。何か……。 「お……」 ハンバーガーショップを見つけた。 「ハンバーガーか……普段は目にもとめていないが……」 そういえば、こういうところのハンバーガーは何ヶ月も腐らないと聞いたことがある。保存料がどっぷりと入っているからだとか、塩分濃度がどうとか乾燥してしまうと菌が働けないからだとか色々聞くが、この空腹の前には些細な問題だ。そもそも普段人間が喰ってるものなんだ。 「どうか食えるものがありますように」 自動で開閉してくれるはずもないガラス戸を無理矢理こじ開けて入店する。 「……すみませーん! 誰かいますか?」 返事はない。中で何か動き回る気配もないし、大丈夫だろう。 「はは、誰もいないところですみませんってのも、なんだか恥ずかしいな」 じゃあ勝手に物色させて貰いますよっと。 「ほほう。こうなっているのか」 こんな事態でもなければ入れないところに入って、普段は食べないハンバーガーなんぞを必死に物色している。とことん世の中変わってしまったんだな。 「お、あったあった。チーズに……照り焼き……ポテトもある! なんだ、存外いいじゃないか。飲み物は……と。うーむ。こうなると久しぶりにシェイクでも飲みたいところだが、電気が止まってるから無理かぁ……。そっか。じゃあこのハンバーガーも冷たいまま食べなきゃいかんのか。うー、いかん。無い物ねだりはせずに、とっとと喰っちまおう」 【ハンバーガー】 普通のハンバーガーとチーズバーガーに照り焼きを一つずつ。パサついているが食べられそう 【フライドチキン】 骨なしと骨付きがあったので一つずつ。パサついているが食べられそう 【ポテト】 バター醤油味の粉末とケチャップとマスタードを持ってきた。欲張り過ぎか? パサついているが食べられそう 【ウーロン茶】 店員が飲み残したと思わしき市販のペットボトルが冷蔵庫に入っていたので頂戴した。当然ぬるい 「なんだかすごいことになっちゃったなぁ。しかし……ごくっ。いや、焦るな焦るな。食事くらいゆっくりと楽しみたい」 俺はまず、幸いにも店内に大量に残っていたウェットティッシュで手や顔を拭いた。何せ血糊がべったりだ。手づかみで食べなきゃいけないものを前にこんな有り様じゃあんまりってものだ。 「まあこんなもんか」 しかし見た目は綺麗になったが、細かい話、清潔には程遠いんだろうな。大丈夫かな。……感染したりしないだろうな。 いや! 駄目だ、我慢できん! 「いただきます。……うーん」 ハンバーガーにかぶりついた瞬間、凄まじい勢いで口の中の水分を持って行かれた。ただでさえ数日何も口にしていない所為で胃が弱っているのだ。慣れない内はウーロン茶でほぐしながら少しずつ食べていこう。 「うん、うん。いける」 渇いた体に染み渡っていくようだ。パサパサしたパンだろうが温い飲みかけのウーロン茶だろうが、美味いものは美味い。究極的には、俺達は食べられさえすれば何だっていいんだろうな。 店の外では死体が歩き回って、唸りながら食い物を探し回っている。そういえば、あいつらも腹を空かしているみたいなのに、人間しか食べないようだ。共食いってしないのかな。生き物は死ぬまで何かを食い続けるんだと思ってたが、まさか死んでからも飯を食わないといけないとは……。しかもえり好みしている分、なんだかあいつらの方が美食家みたいに思えてきたぞ。 「! そうだ。どうせだったら……」 俺はハンバーガーそれぞれを解体して中身を組み合わせてみた。 「この厚み! なんとも頼もしいじゃないか。あぐ、食べづらいし味も良く分からんが、なんだか楽しいぞ。チキンも……おっと、そういえば照り焼きとこのチキンで鳥が重なったな……。ポテトは……ほほお、バター醤油の粉末ってなんじゃらほいと思ったが、結構しっかりと味がするもんだ。おもしろい」 ここまで人目が無いと、まるで童心に戻ったような気分で食事が出来る。 「ふー、ちょっと食い過ぎたな。ハンバーガー一個分は余計だった」 俺は腹をさすりながら、店のロゴが入った紙袋に、詰め込めるだけのハンバーガーを詰め込んだ。これで暫くは保つはずだ。水分補給の面では不安が残るが、まあそっちはなんとかなるだろう。 その時、外をふらついていた奴さん達がガラス戸をぶち破って侵入してきた。 「おっとっと、ちょっとゆっくりしすぎたか」 俺は手元の椅子を持ち上げて奴さん達の頭に振り落とした。食欲が満たされた今となっては、こういう重労働もなんてことない。一人につき何発か入れてやると静かになった。 外に出てタバコに火を点けた。無人になってしまった町からは、タバコの補給だけは事欠かない。 と、目の前に夥しい数の死体がうろついていた。全員がこちらに気付いてのろのろと足を進めてくる。 「あちゃあ、腹一杯で走り回りたくはないんだが……」 ふと俺は電柱にぶつかってお釈迦になった軽自動車を目にした。事故車と化して新しいようで、ガソリンがぽたりぽたりと漏れ出している。吸っていたタバコをそのガソリン溜まりに投げつけてやると轟音とともに車は爆発し、死体の群れも一緒に吹き飛んだ。俺はもう一本、タバコに火を点けて、煙を深く吸い込んだ。 「ふー。美味い! この一服のために飯を食ってるという気さえする」 そういえばこうして街中をうろつきながらゆっくりタバコを吸うなんていつぶりだろう。俺は奇妙な開放感とともに足を進める。この先どうすればいいのかは分からんが、そう考えると悪いことばかりでもないのかもしれない。