ACID BAKERY

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東京都大田区下丸子喫茶店のカレーライス

「うーん」

数時間後に商談が控えているので、その前に何か腹に入れておきたいところだが、どうもピンと来る店がない。そこまで空腹を覚えている訳でもないので、本当に軽くつまむ程度でいいんだが。

コンビニでおにぎりでも買って車の中で食べてもいいが、時間が差し迫っているわけでもなし、せっかく知らない場所に来たってのにそれじゃ味気がなさ過ぎる。

「ん……」

ふと、喫茶店が目に入った。店名が気になったのだ。

「……この近くに海なんか無いはずだが」

まあ人様の考えたネーミングにいちいちケチをつけてたんじゃ、時間が幾らあっても足りない。

「喫茶店……そうだ。サンドイッチとコーヒーでいいじゃないか。うん、それでいこう」

だが入店してすぐに、俺は度肝を抜かれることになった。

「おかえりなさいませ、ご主人様」

な、なんだぁ!?

眼鏡をかけた、メイド服の少女に出迎えられたのだ。そして奥には店主と思わしき老婆がいて、彼女もまたメイド服に身を包んでいた。これは……メイド喫茶ってヤツか?

猛烈に引き返したくなったが、入店しておいて踵を返すのも失礼な話だ。しかしこんな店は秋葉原にしかないと思っていたが、俺が知らないだけで今はどこもこういった趣向を凝らしているのだろうか。……よし、何事も経験だ。とは言ったものの、この手の店は見てくれだけで味に気なんて使ってないから、まず期待はできないだろうな。下手したらコンビニで売ってるようなものをそのまま出すんじゃないか? あーあ……失敗したなぁ。そう思い、メニューを開く。

「メニューは……普通だな。値段も……」

なんだかイメージしていたものと違うが、それならそれで都合がいい。さっさと食べて出てしまおう。

「すみません。サンドイッチとコーヒーください」

だが注文を受けた眼鏡のメイドは困った顔をして店主を見た。店主が答える。

「お客さん、すみませんねえ。いまパンを切らしてて……買いに行かせてはいるんですが……。まったくあの子はどこでなにしてんだろうね!」

「お使いってことすら忘れてそう」

「ありえるね!」

困ったな……。いや、待て。だったらこのまま店を出てしまうのもありなんじゃないか。そう思って席を立とうとしたとき、店のドアが大きく開かれて、小柄なメイドが勢いよく入ってきた。

「ただいま!」

おいおい、まさかあの格好で外を出歩いていたのか? なんというか……。

「遅い!」

「どこで道草食ってたんだい! いま丁度注文が入ったよ!」

「それ丁度良かったってことじゃ…………へ? 注文に使うパンだったの?」

「さっさとよこしな!」。老婆はメイドからビニール袋を引ったくって、中を見て絶句した。「なんだいこりゃ」

「婆ちゃんお腹空いたのかと思って」

「やらかしてくれたよこの子は! 誰がメシ買ってこいっていったんだい!」

はぁ? ……そんな間違いありか? みたところ怒られているメイドは中学生くらいのようだが……「婆ちゃん」という呼び方から察するにあの老婆の孫か何かで、手伝いをさせられているのかもしれない。そう考えると不憫だ。

「申し訳ありません!」眼鏡のメイドが深々と頭を下げた。「いま急いでご用意いたしますので」

「あ、いや、もういいよ……。そこまで腹が減ってる訳でもないから。ほんと、気にしないで」

そう言って今度こそ席を立とうとした俺に、中学生のメイドが泣きついてきた。「ずびばぜーん! カレー! カレーがうちのおすすめです! 食べていってくださーい!」

「やめろボケ!」

眼鏡のメイドが中学生のメイドの頭をお盆で叩いた。凄いことをする。

「……カレーか」

そうか、カレー。喫茶店と言えばカレーだ。考えてみれば商談がどれくらい長引くか分からないんだし、ここは軽くと言わず、ちょっと早い夕飯のつもりで食べていくのもありっちゃありだ。

サンドイッチ……食べたかったんだけどな。

「じゃあカレー……と、コーヒー」

「カツカレー一丁! 大盛りで!」

「カツ? いや、普通で……」

「メイド長! カツカレー大盛り入りました!」

「はいよカツカレー大盛りィーッ!」

「……」

少し待って、大盛りカツカレーは出てきた。

カツカレーライス
メイド喫茶のイメージと違い、見た目は普通。
カツは大きめ。ルーは和風ベースで、昆布だし風味
コーヒー
飾り気のないアメリカンコーヒー

「うーん、うまい」

思った以上にちゃんと作り込んであるカレーだった。店の雰囲気とは相反して、地に足がついているというか……。この店、店員がこんな格好しなくてもこのカレーだけで十分客が呼べるんじゃないか? ひょっとして、このスタイルが逆に客を遠ざけてたりして。

「ふー……ごちそうさま。お勘定」

さて行きますか。俺は何事もなく食事を終えられたことに安堵しつつ会計を済ませる。眼鏡のメイドの方はしっかりしたものだ。

「お客さん!」

中学生のメイドがビニール袋をこちらに差し出していた。さっきこの子が間違って買ってきた……これを? 俺が呆気に取られていると、少女は無理矢理俺の手に袋を握らせてくる。

「せっかく買ったんで、お詫びのしるしに……」

「やめろボケ!」

眼鏡が中学生を叩いた。

「いや、いいよ。貰うよ。ありがとう」

「すみませんねえお客さん。ほら! 謝んな!」

「うぅ……なんでお詫びして謝る羽目になってるんだろうか」

そして俺は、今度こそ店を出た。

「めいどっ! ありがとうございまーす!」

「……はは」

なんだかどっと疲れた。だがカレーは文句なしに美味かった。すっかり満腹にさせられてしまった。当初の予定とはかけ離れてしまったものの……ま、良かったんじゃないか、たまには。こういうのも。

だが、あの店はこれからどうなるんだろうな。どこも不況だということを思い知らされるようで……いや、むしろあの歳になっても店を盛り立てようという意気込みに感じ入るべきなのだろうか。

「そうだ」

俺はあの少女に貰ったビニール袋を開いてみた。

「…………サンドイッチ」

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