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獣の病、完全予防マニュアル

あなたは、けものがお好きですか?

みなさん、ごきげんいかがですか。『ブラッドボーン』に関しては色々ぐだぐだメニメニマニマニ言ってきましたが、本日は獣の病について一応の「結論」を出すつもりでやって参りました。なぜ、聖職者こそ恐ろしい獣になるのか。それは謎かけのようであって、実は病それ自体の真相を解き明かす鍵だったのです。この記事を読んでいただけば、もうあなたはこの獣臭ぇ流行り病とは無縁になるでしょう。

おさらい

ということで、今回は改めて獣の病についてのお話です。前々回の記事で結構掘り下げた気もしますが、あくまであれは「虫」の話のついでだったので、本当の部分は別個でやっておこうかなと思った次第です。ただ、偶然この記事にたどり着いた方には不親切だとも思いますので、まずは簡単なおさらいをします。これまでの記事を読んで頂いた方の中にも「意味わかんねー」と思われている方は当然おられると思うので、一度情報を整理したかったというのもあります。

獣の病はどこから来たの?

ヤーナムは医療の町。にも拘わらず、なぜ病が蔓延しているのか。それは、血の医療こそが獣の病の原因だからです。

その昔、ビルゲンワースという学校がありました。ざっくり言えば、そこは神秘について学ぶ場所だったのですが、同時に人間がその領域に接触するための研究機関でもありました(もとは考古学などの学校だったようですが)。そしてある日ビルゲンワースの墓暴きたちが、地下遺跡から古代文明の女王さまを見つけてしまいまして、更にはその女王が上位者との繋がりを宿してしまっていたものだから、ひょっとしたら彼女の血を拝領することで、自分たちも彼女たちのように神秘的なパワーを獲得し、更には上位者と通じ合えるんじゃないか、と一部の人間は考えたんですね。しかしビルゲンワースでは、学長ウィレームの意向により血を使った人体実験を禁止していたので、彼らは独立することに決めました。医療教会の始まりです。

予期していた通り女王ヤーナムの血は凄まじく、超人的な生命力を人に宿すことに成功しましたが、同時にこの医療の町では人間が獣に変態する奇病が流行り始めました。でもまあ騒ぐほどでもないか、とはいかず、医療教会は対処に乗り出すことになります。「なんでだろうね、不思議だね」と嘯きながら、狩人を組織し今日も明日も獣狩り。奇跡のような医療、そして謎の獣から市民を守る行動力。ここまでやったのですから、そりゃあ当時の医療教会はヒーロー扱いですよ。しかしその栄華は長く続きませんでした。狩っても狩っても獣は生まれ、根本的な治療法はいつまでも確立されない。そりゃそうです。なぜなら血の医療が獣化の原因なんですから。ヤーナムの住民もうっすらと気づき始めたんでしょう。次第に教会の求心力は失われていき、街もいつしか寂れてしまいました。それでも時折不治の病の回復を期待して外から人が訪れるみたいですが、その結果は大抵のところ、陰険なヤーナム野郎の一員となって生涯を過ごすか、獣になるか、狩人になって血に酔うかのどれかみたいです。

どうして女王の血が人を獣にするの? 女王も獣だったの?

いいえ、女王は獣ではありません。そういう前提に基づいてみると、血を受け入れた側に原因があることになります。ここで注目して欲しいのが、カインハーストの女王です。医療教会が生まれる以前、ビルゲンワースが所持していた禁断の血が、学舎に潜伏していた間者の手でカインハーストへと持ち帰られました。カインの貴族たちがかねてより血を嗜好していたから持ち帰らせたのか、「血族」となった後で生まれた習慣なのかは分かりませんが(ヤーナム市民が医療によって血に酔う習慣を得たと考えると、ヤーナムの前身として描かれているカインの貴族たちは、やはり禁断の血によって血を嗜好するようになったのだと思われる)、ともかく禁断の血によってカインハーストには女王が誕生し、また獣の病が蔓延します。ここで重要視したいのは、異なる血(異なる女王)の下で同様の病が広がったということ。この事実が示すのは、獣化の原因が女王の血であるという傍らで、「人に潜む共通の何か」が血によって引き出されたのではないかという懸念です。

獣の咆哮
つんざくその悲鳴は、しかし使用者の声帯が出しているものだ
人の内に、いったい何者が潜むのだろうか
獣になる人と、狩人になる人に分かれるのはなんで?

分かれているというのは正確ではありません。女王の血が入った人間は、一部例外はあるものの、漏れなく獣の病が潜伏している状態にあります。何度も引用している宮崎社長のインタビュー曰く、獣となり得る人間は、獣性と人間性による「内的衝突」を抱えていて、このせめぎあいが激しいほど強力な獣になるそうです。つまり患者はみな獣へなりかけているのであり、狩人はその「内的衝突」から力を引き出しているのではないかと以前考察しました。内臓攻撃の際に狩人の右腕が獣の如く変形することが確認されていますが、これは内に潜む獣の力に他なりません。よってこの衝突に敗れた狩人は即座に獣となり、或いは血に酔うのです。

「分かれている」というのなら、むしろこの「獣」か「血に酔うか」という二つの結末だと思います。血に酔った狩人は獣化の兆候が瞳に現れているようですが、しかし古くから悪夢に囚われた彼らは、いつまでも狩りを続けています。彼らはいつ、狩る者から狩られる者へと変わるのでしょう。もしも彼らが永遠に血に酔い続けるのだとしたら、それは何らかの理屈で獣化を免れていると言えるのではないでしょうか。

補足 : 狩人を捕えるもの

狩人が血に酔うとはどういうことなのか。その秘密は医療教会設立以前まで遡ることで判明します。もうずっとずっと昔、ビルゲンワースはとある漁村でやんちゃを働いたことがあり、その時に上位者の怒りを買ってしまいました。

シモンの台詞
「あんた、分かるかい? なぜ狩人が、この悪夢に囚われるのか この悪夢は、狩人の業(ごう)に芽生えているのさ」
「…この村こそ秘密。罪の跡… …そして狩人の悪夢は、それを苗床とした…」
冒涜の聖杯
呪いとは、上位者の怒りに触れた証であり、呪詛
狩人の徴
脳裏に刻まれた逆さ吊のルーン。狩人の徴
血に酔った狩人の瞳
血に酔った狩人の瞳。瞳孔が崩れ、蕩けており それは獣の病の特徴でもある
血に酔った狩人は、悪夢に囚われるという 悪夢の中を永遠に彷徨い、獣を狩り続ける ただ狩人であったが故に

漁村の入り口に村人が逆さ吊りにされていますが、あれが、あの所業こそが「狩人の業」、「罪の跡」であり、これ以降全ての狩人の脳裏には逆さ吊りが刻まれることになりました。これが「狩人の徴」の起源です。漁村蹂躙、これが上位者の呪いを招いたということなのでしょう。なぜビルゲンワースの行いが医療教会の狩人たちに関係するのかと思うかもしれません。しかし、まさしくそれこそ呪いなのです。医療教会が袂を分かったとはいえ、彼らがビルゲンワースの末裔であることに変わりはありません。遺志を継承するものには、呪いもまた継承されるのです。「赤子の赤子、そのずっと先の赤子まで」というのは、そういう意味です。シモンが自分たち狩人に降りかかる理不尽さを哀れみ嘆いたのは、このことを理解していたからなのでしょう。

そして狩人は呪いに囚われました。興味深いのは「剣の狩人証」を取得することで「狩人の確かな微」を買えるようになること。以前はこれを不思議に思っていて、自分の生死を夢としてやり直せるのは狩人の夢に所属する狩人だけだと思っていたんですが、もしかすれば教会の狩人も同じことが出来のでしょうか。では「狩人の徴」が刻まれてしまっていることが何なのかというと、それは狩りに怒った上位者による、「そんなに狩りたきゃ好きなだけやらせてやるよ」という呪詛を正体とするからです。何度でも目覚めを繰り返せるというのは、逆を言えばいつまでも夢が終わらないということ。そして終わらない狩りの中で、狩人は血に酔っていきます。終わらない夜の中、狩人は今度こそ悪夢に囚われて、永遠に狩りを続けていくことになるでしょう。「血に酔う」とは、聖血を拝領した者が迎える、獣化とは別の末路なのです。

赤子の上位者はこのように血に干渉する能力を持つようで、狩人の夢を住処とする「青ざめた血(月の魔物)」は、新人狩人を横からかっさらう形で自らの手駒として引き入れていました。そして狩人の夢に引き入れられるのは、ガスコインやアイリーンと、恐らくはヤーナムの外側からきた異邦人と決まっています。そこから更に「青ざめた血」を求めているか、または輸血後の獣の幻影を拒絶できたかでその後の命運が分岐するのだと思われますが、そう考えると、狩人である主人公と獣となったギルバートは、互いにあり得たかもしれない別の可能性として引き合った訳です。

人はなぜ獣になるのか

可能性の獣

本題に入ります。既に申し上げた通り、血に酔うことと獣になることは、等しく「内的衝突」に敗れた狩人の末路です。ならば二つの末路を分かつ、何らかの「条件」があるのではないでしょうか。これを突き止めることは、即ち獣化の原因を解明することに等しいと考えます。

人はなぜ獣になるのか。分かるはずもないので、実際に獣になった人たちに教えを請うことに致しましょう。

このリストには 2 つの意味がありまして、まずは「人間だった頃の正体が判明している獣」のリストと言えます。もうひとつは後述するとして、ところでこのリストのキャラクターたちには、やけに聖職者が多いと思いませんか。ギルバートはさておき、少なくとも彼以外は全て聖職者です。なぜか。それは聖職者ほど恐ろしい獣になるという設定上、ボス、中ボスとして配置しやすいからだと考えられます。加えて言えば、血の医療の当事者たちが獣になっていくという、末期的雰囲気を演出するためという見方も可能です。ではこのリストから一旦外れてみますが、血に渇いた獣はどうでしょう。旧市街のボスであるこの獣との戦闘エリアは教会でしたが、もう一体の死体が吊り下げられていた場所も教会でした。更には奴らの剥がれた皮は、聖職者のローブのようにも見え、生前の在り方を模したものではないかと考えられます。つまり血に乾いた獣もまた聖職者だったという推測が可能です。

何が言いたいのか。その前に、もう一度ギルバートに注目してみてください。ちなみに誰だっけという方の為に改めて説明させて頂きますと、市街に出て最初のランプの傍の NPC です。彼は病の治癒を期待してヤーナムへとやってきましたが、結局その恩恵は受けられず獣に成り果ててしまいます。なんてかわいそうなんでしょう。彼のことをずっと胸に刻み付けておくために、その最後のセリフをお聞きください。

「なんで、私だけが…こんな…神よ、あんまりではありませんか…助けて、ください…助けて…」

完全に祈ってますね。

という訳で、結論を言います。「祈った者が獣になる」のです。上記リストが示すもうひとつの意味は、「祈りを知る人間」なんですね。「内的衝突」を抑えきれなくなった者たちが、最後に縋るであろう「信仰」をスイッチとして、獣化という病は発症するのだとここに提唱します。この仮説を軸にすると色々なことが解決します。なぜ聖職者こそ恐ろしい獣になるのか。なぜボスとして登場する獣の殆どが聖職者なのか。それは彼らが絶えず、そして強く祈り続けたからでしょう。ソウルシリーズで例えれば「信仰」にステータスを振っている者たちが、それだけ強力な獣になる訳です。裏を返せば強い祈りを知らない人間は、強い獣になれないということ(ということは、まさか黒獣も……?)。悲痛な叫びの中で最期を遂げたギルバートが、しかしあのような mob 獣に成り果てたのは、彼の中に神に縋る気持ちはあれど、聖職者ではなかったからなのでしょう。凄い話じゃないですか。心折れ、最後の瞬間を神に委ねるしかなかった信仰者は、しかしそれ故に「狩られる者」として人生を閉じなければならない。何となく聖職者が不遇な扱いを受けている気がするのはソウルシリーズの伝統ですが、ここに来て極まれりといった感じですね。おお……アンバサ。

月が赤く染まり、人と獣の境界線が薄れて尚、あの街では獣と被害者に分かれました。つまり信仰を知る者が不信心者をぶち殺すという地獄絵図が描かれていた訳です。そしてこれで血に酔った狩人についても説明がつきます。一心に狩りを求めたものが悪夢に飲まれ、或いはアイリーンのように狩人狩に狂い、しかしその一方で、ガスコインは獣に成り果てます。彼らの末路は、「祈り」という一点で分かたれていたのです。

月に願いを

では肝心なところ、なぜ祈りが人を獣にするのでしょうか。以下のテキストも何度目かの引用になるのですが……。

悪夢の上位者とは、いわば感応する精神であり 故に呼ぶ者の声に応えることも多い

応えてくれちゃったんでしょうねー。あの世界に「本物の神」が実在するのかは分かりません。ガスコインなどは医療教会にとって異教の聖職者であったようですし、上位者の存在を知るエミーリアたちと、知るはずもない市民たちとでは、祈る対象は異なるでしょう。にも関わらず、一律して獣化している。これは、各々が祈りを捧げた対象に関わらず、「悪夢の上位者」と呼ばれるものたちが、人の祈り、つまり「呼ぶ声」に感応してしまったからだと考えられます。よってヤーナムの血の医療は、教会が目論んだ通り上位者に触れるための力として機能し、そしてそれ故に獣の病の原因となった訳です。

ではなぜ上位者に祈りが届くことでそのような結果になるのでしょうか。憶測ですが、案外上位者という奴は人間の祈りをきちんと叶えようとしてくれていたのではないでしょうか。死に瀕したり絶望に打ちひしがれた人間に対しては、具体性なく「力を与える」ことで応えようしていたんじゃないかなと思うのです。しかし無為に力を与えられたところで、人間という器には限界があります。キャパシティを越えた力に対する、人間なりの精一杯の反応、矮小な肉体で実現できる最大限の変態が「獣」なのでしょう。その直前に発生するのが「内的衝突」であり、これに耐えた者が強い狩人となる訳です。またそのような状況において例外的な素質(恐らくは特別な血、高い啓蒙、そして女性)を持つ者が、ロマやエーブリエタースといった、眷属上位者となるのだと思われます。

(追記 : 筆が走っておかしなこと言ってますが、上位者になれるのは上位者の血を使った者のみ、という自説を忘れていました。自らの進化に纏わる上位者を持つから「眷属」なのです。女王由来の血で至れるのは、どう頑張ってもトゥメルの古老などの超人くらいなんじゃないですかね。元が蛇などの軟体生物でもない限り。或いは不死の黒獣、または自我を残して人獣を行き来する「身をやつした男」などは、壁を突破した存在なのでしょうか)

(追記 2 : 忘れていました。カラスや豚は人の死体などから「血」を摂取し、体を肥大化させています。知性無き動物は血によって、ただ巨大化するばかりなのでしょう。それを踏まえると、聖堂街周辺にいる教会の大男(巨大な斧を携えた mob)は、獣にならず異様な巨体を得ていますよね。あれは「頭が麻痺」しているが故に「祈りを知らず」、人間でありながら動物のように肥大化してしまったということなのだと思います。逆を言えばやはり人間の理性が、獣化や肥大化に対するある種の抗生物質になっているようですね。人間性が獣を抑え、また獣を生む訳です。そして狩人の悪夢に出現する教会砲などを装備した大男は、顔から触手を伸ばすといった別種の変態を遂げていました。過去記事に書きましたが、実験棟で使用されていた血は、恐らくゴースのものなので、血の河などに交じった上位者の血によって、祈りを知らぬ大男たちは現実世界とは異なる変態を遂げたのではないかと推測できます。つまり、やはり女王由来の血と上位者由来の血では、辿り着く場所が違うのでしょう。全ては右回りか、左回りかの違いなのです)

さてここで、流浪の狩人ヤマムラの言葉を思い出してください。

「…夜にありて迷わず、血に塗れて酔わず 名誉ある教会の狩人よ。 獣は呪い、呪いは軛。そして君たちは、教会の剣とならん」

獣は呪、呪は軛。これは気の触れたヤマムラが獄中でマジカル・バナナに興じていた訳ではなく、狩人たちに向けた、教会の秘した訓示のようなものではないかと思われます。軛とは大型の獣に取り付ける器具で、牛車などを引っ張る際に用います。転じて対象の束縛、支配などを意味するのですが、同時に取り付けた獣の力を正しく活用する手段とも言えます。なのでこの訓示の意味を雑に解釈するなら、「獣の病はもうどうしようもないけど、上手く使いこなして頑張ってくれよな」といった感じでしょうか。つまり教会は狩人たちに獣の病が潜伏していると理解していたことになります。当時、古い狩人は迷信に縋ってまで病を避けようとしていました。しかし狩人となった時点でもう遅いのです。当然こんな事実は露見できるはずもなく、教会は秘匿に努めたことでしょう。だから、自らの血に「淀み」を見てしまったヤマムラは、同時に血の医療のおぞましさを理解してしまい、それ故にあの場所へと幽閉されていたのです。

予防は治療に勝る

上位者が人の声に答えた結果が獣の病だというのなら、獣の出現、夜の到来には常に上位者が関わっていることになります。これも以前の記事で述べましたが、上位者とはそもそも悪夢に住んでいるので、彼らには赤子までとは言わずとも人間の声を聞き届ける力があるのでしょうか。或いは血に潜むおぞましい穢れそのものが、人の信仰を感受してしまうのか。ともかく、だからこそミコラーシュは試験終了チャイム直前まで問題を解いている受験生のような必死こいた気分でゴースに語り掛けていたのです。更にヤーナムにはメルゴーを始めとして、青ざめた血や、ひょっとしたらゴースの遺志も含めて三名の赤子がおり、そして上位者とは赤子に誘引されてくるもの。これが定期的に獣狩りの夜が訪れる理由なのだと思われます。そしてそのたびに青ざめた血は狩人をあつらえて上位者を狩らせているのでしょうね。ですが旧市街の惨劇、そしてゲーム本編の夜は、いつもの事例とは桁が違いました。儀式に使われたメルゴーが月の魔物であったこともあり、ヤーナムには久しぶりに赤い月が登ります。月が赤く染まることで獣化が促進されるのは、月自体が獣化に影響しているというより、祈りを聞き届ける上位者たちの干渉力が増大するからなのでしょうね。赤い月が登った後、オドンの子作りが促進されていたように。もしかして、上位者たちが赤子を求めるのは、現実世界に対する影響力を強めるためなのでしょうか。

ということで、本稿の結論を述べます。ここまでのことから、完璧な獣化予防策を割り出すことに成功しましたね。これでもう、上位者だろうが赤い月だろうが怖くありません。獣にならないための方法、それは「祈らない」ことです。信仰を持っているかどうかは多分関係ありません。ほんのちょっぴり、今際の際に心の中で神に縋っただけでも、上位者はその声に応え、あなたは獣の仲間入りを果たすことでしょう。あとはそうですね。ヤーナムになんて行かなきゃいいんじゃないですか。

補足 : 呪い避けの牢

獣の病を防ぐ方法がまだありました。祈りを絶やさない聖職者こそ、市民とは比較にならないほど獣化の危険性に晒されていたことは、もうご理解頂けたことと存じます。そして教区長であるローレンスもエミーリアも、その呪いからは逃れられませんでした。しかしそこはやはり、我らがミコラーシュ、並びにメンシス学派。華麗な方法でこれを回避していました。「メンシスの檻」です。

メンシスの檻
この檻は意志を律し、また俗世に対する客観を得る装置であり 同時に、夢の上位者と交信するための触覚でもある

何を言ってるのか全然分からないですが、要するにこれ、「内に潜む獣を閉じ込めておく為の檻」なんですよ。ミコラーシュは夢の中で直に上位者へ交信を試みるという、普通の祈りなど目じゃないほどの凶行に乗り出していた訳ですが、それでいて獣にはなっていませんでした。もっともゴースへの祈りの最中、獣のような咆哮を上げていましたが、幾ら獣化を逃れようと、その蛮行は獣に等しいという皮肉なのでしょう。しかしともかく、彼らがある意味で獣化を克服したことは事実。その秘訣こそが「檻」なのです。なんというマジェスティック。メンシスを異常者だなんだと嘲笑っていた人たちは、彼らに即刻謝罪すべきでしょう。

ごメンシス!

まとめ

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