ACID BAKERY

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火継ぎの傍ら、世界を描く

DLC はサイドストーリーにあらず

おはようございます。DLC 2 弾、『THE RINGED CITY』は如何でしたか。面白かったですね。次の周回は「輪の騎士の直剣」を使っていこうかなと思っています。さて、此度の連作 DLC をもって『ダークソウル』シリーズは完結した訳ですが、大変素晴らしい内容でした。シリーズ完結に相応しい幕引きだったのではないでしょうか。しかしこんな声も目立ちます。「本編の内容に触れて欲しかった」「なぜラスボスがポッと出のゲールなのか」……今回の記事は、それらの声に「待った」をかけるものです。 DLC は「本編の内容に触れていた」し、「ラスボスはゲール爺でなければならなかった」のだと、そう主張する内容になっています。本作はシリーズ完結の物語であり、そしてまたシリーズ開闢の物語でもあったのです。

絵画は世界

DLC1『ASHES OF ARIANDEL』は主人公がゲールという老人によって、絵画世界へと飲み込まれるところから始まります。様相を見るにそこはかつての「エレーミアス絵画世界」のようですが、今そこは「アリアンデル絵画世界」と呼ばれています。絵画の修復を行った者の名がつけられる習わしなのでしょう。そして明らかになった事実として、絵画は血を顔料として描かれるということ。我々が死ぬことで血痕にソウルが宿るように、血は上質な触媒であるが故、用いる者によっては絵画の中へと世界を構築することが可能になるのです。しかしそんなものを顔料としている以上、やはりいずれ腐敗するようで、雪景色の絵画世界はところどころに「腐れ」が発生し、夥しき蛆と蠅によって無残な姿と化していました。ここで注目すべきは、顔料に用いられるのは「人間の血」であるということ。血にはソウルが宿り、人間性は虫になります。深淵に虫が湧くように、人の血液に宿った人間性が、「腐敗」という条件下で蠅という形を取って沸き出したのでしょう。

さて、アリアンデル絵画世界には「腐れ」に対する 2 つの思惑が交差していました。言うなれば「歓迎派」と「焼却派」です。そも絵画世界とは現実世界から追いやられた者たちが流れ着く場所です。彼らは「忌み人」と呼ばれ、絵画と関わるに連れ、次第に鴉のような容姿に変化していきます。『1』に出てきたハーピー(ベルカの鴉人)と『3』の鴉人は同種の存在ということでしょう。そして「腐れ」はそんな忌み者たちにとって心地よいものとして作用するようで、アリアンデル絵画世界の入口には主人公を誘うような鴉人さえいました。しかし全員がそういう訳でもなく、中には「腐っていくくらいならば焼かれて消え去ろう」という意思を示す者たちも存在します。しかし絵画世界の火元たる教父アリアンデルも、彼に付き従うフリーデも、腐れを受け入れる方針を崩しません。そこに現れたのが我々「灰」であり、幸か不幸か、最期にはアリアンデル達を討ち滅ぼします。「灰」とは火を求めるもの。或いは「灰」が火を誘うのか。どちらにせよ、火の無き絵画世界に火が生じることとなりました。

補足 : 復活の F

三連戦、びっくりしましたね。二回戦目の冒頭でフリーデがしなりと倒れるところは飛ばさずに何度も観ました(何度も死んだ)。ところで一連の戦いの理由というか、何が起こっていたのかをちょっと考えてみます。まず一戦目、これはごく普通にフリーデ個人との戦いになります。 HP バーの削り合いです。そして無事に勝利した訳ですが、二戦目、怒りかはたまた悲しみか、発狂したアリアンデルがもたらした炎に辺りは包まれ、フリーデは復活します。ここで、絵画世界において必死に封じられてきた「火」が起こってしまい、その「アリアンデルの火」によってフリーデという「灰」は復活を遂げる訳です。我々が「残り火」を使用した際に HP が充当されるのと同じ現象ですね。しかしここでの「火」は「残り火」とは異なり、アリアンデルから生じたものであるため、二戦目のアリアンデルとフリーデは HP を共有しているのです。そして三戦目。ここでようやく「アリアンデルの残り火」が生じる訳ですが、これが全てフリーデへと注がれます。つまりアリアンデルの生命力がフリーデへと譲渡されたのです。当然、フリーデは復活します。ただし今度は二戦目のように一つの生を二人で共有している訳ではありません。恐らく身を侵す「腐れ」によってフリーデは大幅に弱体化していたのでしょう。しかしそれも全て焼き払われ、彼女は全盛の能力を発揮し、「黒い炎のフリーデ」として完全復活を遂げたのです。安っぽいネーミングですが、ゴールデンフリーデとでも言っておきましょうか。やめましょうか。

顔料を求めて

絵画世界には火がもたらされ、やがて腐れは一掃されることでしょう。同時にそれは絵画世界の消失も意味するのかもしれませんが、住人達は不思議とそれを受け入れています。彼らは忌み嫌われて絵画へと流れ着いた者たちですが、忌み人には忌み人なりの矜持が存在するのでしょうね。一方、「お嬢様」は特別な火を見たことでようやく絵の構想を終えたようです。残るは絵を描くための顔料、人が持つ「暗い魂(ダークソウル)」を求めて、ゲール爺は旅立っていきました。働きもののおじいちゃん。

フリーデ戦跡から、或いは最初の火の炉から転送した先は「吹き溜まり」と呼ばれる場所でした。朽ち果てたロスリック城や竜狩りの鎧のテキストなどから、ここが未来の世界であろうことが分かります。ロードランとは元より時空の歪む土地。そして篝火はそこに僅かながら干渉する機能を持っているようです。空間を超えられるのならば、時間もまた同じことなのでしょう。そう考えると『ダークソウル 2』では結果的に失われてしまった「刻システム」の名残がここに来て回収されたのではないかと推測します。さて、どこか見覚えのある風景を横に流しながらたどり着いたのは、いよいよ輪の都です。

かつてもかつて、「最初の火」からそれぞれのソウルを見出した王たちがその業を継承したように、誰も知らぬ小人もまた自身が見出したダークソウルを継承していました。それが小人の王たちであり、ゲール爺は彼らを求めていました。一連の流れで分かるのが、ダークソウルと人間性というのは全く同一のものではなかったのだということです。マヌスが砕かれてデュナシャンドラたち闇の子へと分かたれたように、人間性もまた欠片であり、「そのもの」ではないということなのでしょう。ゲール爺が「人間性」ではなく、その澱みの根源を求めて輪の都へと旅立ったのはそういう訳なのです。

フィリアノールの眠りを覚ました先、そこではゲールが小人たちの王を文字通り喰らっていました。本来であれば彼らの血液を持ち帰れば済んだようなのですが、気が遠くなるほどの長い年月で小人の王たちの肉体からは血肉など失せていたようです。だからゲールは枯れ果てた肉体ごとその魂を喰らい、自身をソウルの器として「暗い魂の血」を作り出しました。『ダークソウル 3』は最古の火継ぎの再現として、「王のソウル」と「その器」を揃える物語でしたが、 DLC においてもその「なぞり」が行われた訳ですね。かくしてゲールの目的は果たされましたが、しかし体内で荒れ狂うダークソウルにより、彼の正気は失われていました。「暗い魂の血」のテキストを読む限り、こうなることは分かっていたようです。だから、主人公を輪の都まで導いたのは、自身という顔料を持ち帰らせるためだったのでしょうね。

余談ですが、ゲール戦の開始時に、ゲールは小人の死体をこちらへ投げ飛ばしてきます。随分と既視感があるというのは当たり前で、これは『ダークソウル 1』DLC でのアルトリウス戦ムービーになぞらえたものです。そしてゲールの戦い方はアルトリウスに似て、荒れ狂う様はどこかマヌスをも思わせます。恐らくダークソウルに侵されたものは、獣のような習性を獲得するという示唆ではないでしょうか。アルトリウスの戦い方は本来のものではなく、闇に染まったが故のものだったのだと、遡って描写されたのです。

最後の敵はおじいちゃん。それはソウルシリーズの伝統と言っていいものですが、無事にゲールを打ち倒し、そして彼自身の思惑通り、主人公は「暗い魂の血」を手に入れました。再び絵画世界へと戻り、顔料を「お嬢様」へと渡します。そして新たな絵画の完成を予感させたところで、全てのイベントが終了します。

『ダークソウル』、おしまい。

世界は絵画

本題に入ります。顔料を渡した際、「お嬢様」に名を尋ねられます。絵のタイトルにしてくれるそうです。もしかしたら人によっては「unko」とかになるかもしれません。 unko は嫌なので名前を教えないことにすると、彼女はこう答えます。

「…分かりました。貴方も同じなのですね。ではこの画には、灰の名を付けます」

以下の台詞は、名を教えても教えなくても同じです。

「ずっと寒くて、暗くて、とっても優しい画…。きっといつか、誰かの居場所になるような」

「…ゲール爺も、いつか帰ってくるのかしら。新しい画が、お爺ちゃんの居場所になるといいな…」

以上です。ヒントが出そろいました。凄い話なんです。

名を教えなかった場合、絵画には「灰」の名前が与えられます。言うまでもないことですが、主人公が灰であったことから「灰」の名は付けられました。そしてこれから描かれる絵画世界「灰」は、お嬢様曰く、とても優しい場所になるようです。「ずっと寒くて、暗くて、優しい場所」。それは一体どんな世界なのでしょう。絵画世界とは忌み人が集う場所。彼らにはきっと何かが欠けていて、劣っていた。優れたものたち、持てる者たちがいつの世も迫害を行うのでしょう。だから「灰」の絵画世界には、優劣なんてきっと無いのです。全てが均一で、分かたれていない。熱も冷たさもなく、生も死もなく、光と闇さえ存在しない。霧で覆われ、そこにあるのは灰色の岩と大樹と、朽ちぬ古竜ばかり……。灰の時代のはじまりです。

そう、つまりここで生み出されるのは、文字通りの新世界。「灰」と名付けられた絵画の中で、『ダークソウル』の物語が創世します。かねて語られてこなかった、最初の火が生じる以前の「灰の時代」、その始まりが、ついに明らかになるのです。我々が旅した『ダークソウル』の世界は、かつて「外側の世界」で描かれた、一枚の絵画の中の出来事だった、そういう訳なのですね。そしてまたその中ですら、新たな世界が描かれるのでしょう。そしてその中でもまた絵画は描かれ、そうして永遠に入れ子構造的ループは続いていくことになるのです。 DLC がサイドストーリーに終始してしまったというのは、とんだ誤解です。『3』は「火」を巡る一つの時代の終焉の物語でしたが、今回の DLC によって、『1』の世界へと至る「はじまり」の物語にもなった訳です。恐らく「輪の都」というタイトルは、この終わりと始まりを繋ぐ円環を意味してさえいたはずです。

更に言うのであれば、『ダークソウル』というタイトルは闇こそが人間の持つ本質的な部分であるという、皮肉の効いたタイトルとして機能していました。しかし絵画の顔料にダークソウルが用いられていたという事実が加わったことで、人のみに関わらず、「世界そのものが闇だった」という壮大な帰結を迎えることになったのです。ちなみに諸事情により失われましたが、このシリーズの原題は「ダークリング」だったそうです。「闇の円環」……全て織り込み済みだった気がしてきますね。

ところでお嬢様に名前を教えなかった場合の「貴方も同じなのですね」とはどういう意味なのでしょうね。彼女は母親から絵画の技術などを継承したようですが、もしかしたら彼女の母親が「今の世界」を描いたのかもしれません。そしてその時も、顔料を届けてくれた「灰」は自分の名を明かそうとしなかったのかもしれません。もしれかすれば「母親」とは、「外側の自分自身」だったりするのではないでしょうか。それと、ふと思ったんですが、「王達に玉座なし」や「いつか灰はふたつ」など、世界に伝わる予言の類が絵画の外、つまり「未来の世界」からもたらされたものだと考えるなら、それはもう予言ではなくネタバレですね。

補足 : 人の頂

という訳で、また一つの疑問が氷解しました。朽ちぬ古竜の正体は、絵画の外側から渡ってきた「人間」です。

かねてより、人間が人間性の凝結という形で石化する一方で、古竜のウロコが硬い岩(故に岩の古竜とも呼ばれる)だったこと、そして両者ともに、火に依存しない不死であり、そして人ばかりが竜の姿に至ろうとする、これら人と竜の関連性に何となく触れてきました。まさか古竜が人の祖先だったのでは、などと考えていましたが、逆でしたね。お嬢様の願った通り、絵画の中へと居場所を求めた人間の成れの果て、最終進化形こそ古竜なのです。人間は元より何らかの要因で変態を遂げます。シースの人体改造や、ロザリアによる生まれ変わり、絵画世界での鴉化、挙句虫になったりと忙しい生き物です。エルドリッチなどは人喰いによりスライム化していました。これら変態能力は神々に見られない特徴であることから、やはりダークソウルの成せる現象なのでしょう。人間という生き物が、一番、人間から遠い。神々がそれを知り、恐れたが故に枷を設けたのだとするなら、これまた凄い話ではありませんか。

また、ヨルシカ曰く「最初の薪の王以来、人間が火を継いできた」とのことで、つまりそれはヨーム並びに「巨人」という存在もまた、ダークソウルの欠片を宿す人間の一種であるということが判明しました。『2』の巨人は種が異なるようですが、あれもまた人間なのだとして、確かアン・ディールは、巨人を材料に古竜を再現していたような……。そして巨人は樹へと姿を変えたような……。ならば灰の時代にあった「古竜」、そして「大樹」、或いは「灰色の岩」までも、その全てが「人間」という材料によって構成されていた、そんな考えが成り立ちます。それと忘れてはならないのが今作で登場した「巨人の法官」ですね。灰の時代には古竜ばかりがあったというのに、この灰色の巨人もまた同じ時代から存在していたのだといいます。巨人もまた人だというのなら、人が生まれる前に人の一種たる巨人がいたというのは……簡単な話ですね。彼らもまた「絵画の外」からやってきたのです。

(追記 : ……とは限りませんよね。最初の火が生じてから王たち並びに神や人が生まれ、古竜狩りというクッションを挟んで火の時代へと至っているので、法官が灰の時代に生まれたという運びでも全く不自然ではないはず。むしろこちらの方が自然でしょう。精神テンションがおかしなことになって、おかしなことを書いてしまいました。もちろん色々考えられるので自説を無暗に否定する訳でもないですが……。)(2018.6.7)

さて、吹き溜まりに見られた天使、その本体は「巡礼の蛹」というそうです。本編大書庫前でロスリック城の周囲を飛び回っていた枯れ木のような敵は「巡礼の蝶」。そしてロスリックを脅かしていた天使信仰。「蛹」が「蝶」になるのだとして、「蛹」はいずれ「蝶」の先、自身が至る似姿を「天使」として投影していたのかもしれません。そして蝶と天使の姿をよくみると、古竜との共通点が散見するんですね。両者とも翼と上体だけがあり、下半身は触手で構成されています。実のところ、末裔としての古竜たちには四肢が存在しますが、『1』のオープニングに登場する純粋な古竜たちにはそれが存在しません。これは同じ古竜シースの姿からも見て取れる事実です。天使それ自体は幻影のような存在でしたが、「蛹」が「蝶」を経て、やがて本当に「天使」になるのなら、彼らは「原型」であり、やがて進化の過程で人間性を石の鱗として纏う能力を獲得することで「朽ちぬ古竜」として完成するのではないでしょうか。こちらの記事で「石化とは人間を長期保存する、コールドスリープに似た手段である」というようなことを述べてますが、古竜がその石化性質の応用により、肉体の破壊耐性を極限まで高めた上で、意識と身体機能を保持できる存在になったのだと考えれば、彼らが生死を超越した存在と謳われていたことも、神々がまず彼らの鱗を砕こうとしたことにも納得できるというものです。シリーズ通して一部の人間は竜に成ることを目指していましたが、本能の部分で自分たちと竜が同質の存在であることを感じ取っていたのかもしれません。

という仮定に基づくのであれば、また見えてくるものがあります。天使は古竜の原型だと述べましたが、むしろその白い姿に加え呪いを扱う様は、シースの方により近い。更に言えば、攻撃方法やフォルムから、シースの被造物たる月光蝶を連想させます。ですが何のことは無い、古竜が渡来者であるという仮説が正しいのだとすれば、シースもまた「絵画の外側を知る者」ということになります。故にシースは、やがて人間が至る天使の姿を模して、或いは人間の進化を探る過程の副産物として月光蝶を生み出していたのです。そのようにしてシースがしきりに人間を弄び、スキュラや獅子族などの亜人へと作り替えていたのは、人が進化の果てに鱗を獲得したプロセスを検証するためでしょう。シースの執念、結晶の研究とは、とどのつまり、人間性の結晶化によって作られる鱗の研究なのですから。そしてこれはシースこそが最も知りたがっていた謎なのかもしれませんが、シースとは何者だったのでしょう。差異が存在しないはずの灰の世界において、白竜はただ一体、古竜の要たる鱗を持たないという「劣性」を有して存在したのです。それがただの偶然に過ぎないのか、或いは何か別の要因があるのか……謎は尽きませんね。

補足の補足。『3』の OP から巡礼者は「北」を、ロスリックを目指しました。そして彼らは「火は陰り、王達に玉座なし」という予言の意味を知るのだと。しかし予言とは、「薪の王は再び火にくべられる」という最古の火継ぎの再現を指していたのであり、巡礼者たちの目的がそこにあるとは考えにくい。むしろ彼らはそれを知り、そして「その先」を目指したと考えてみます。公式サイトや『デザインワークス』を開くと、巡礼者の遺骸から「巡礼の蛹」が生まれているようです。「蝶」もまた同じでしょう。つまり巡礼者とは、新世界において古竜に至る存在なのです。であるなら、或いは彼らはそれをこそ目指したのかもしれません。ここで取り上げたいのが、巡礼者が背負っている「蓋」です。ラップも吹き溜まり入口の老婆を「蓋の婆さん」と呼んでいますね。また「聖職者の青衣」にも蓋が施されており、テキストにはこうあります。

不死が闇の苗床とならぬよう背中に大きな蓋を背負っていた

恐らく両者の「蓋」は同じものなのでしょう。それが一方は天使に至り、一方では特に大きな変化は見られませんでした。この違いはなんなのか。ここまで考えて思い出すのが、「人の膿」です。一部の亡者や「灰の審判者グンダ」から沸いて出た黒いアレです。「幽鬼のトーチ」にはこうあります。

ある種の深淵は、人中を膿で満たす

「人の膿」が「闇の苗床」と同義だとして、ここで発想を逆転させてみます。つまり巡礼者は聖職者とは対極に、自らの中に満ちた膿(闇)を外に出さないために蓋をしていたのではないでしょうか。輪の都において、フィリアノールの眠りが「蓋」であると述べた NPC がいましたが、それは王廟に眠るダークソウルと、人の中に満ちる暗い膿を重ねた言い回しだと解釈できます。では内を闇で満たし続けた結果どうなるのか。恐らく無為にそれを漏らしてしまった亡者が「人の膿」として発現し、対してある種の「成熟」を完了させたものが、人から蛹となり蝶となるのではないか、という推測ができます。未来である吹き溜まりに蝶が見られず、蛹と天使ばかりがいたことを考えると、或いは蝶もまた未成熟な進化であり、それを更に耐えたものこそが蛹に至るのかもしれません。ともかく、ロスリック城において人の膿が散見したこと、大量の巡礼者の死体に合わせるように巡礼の蝶がいたことは、きっと偶然ではないはずです。ならばその成熟の果てが天使であり、竜なのです。ついでに言うのであれば、ロスリック攻略の途中で出てきた飛竜から人の膿が漏れていたのは、「人=竜」を示唆するヒントになっている気がします。「火は陰り」、闇の力が世界と人を満たす。その先に訪れるものを求め、巡礼者たちは集ったのではないでしょうか。

唐突ですが、ここで『1』に遡ってみます。異端の魔女ビアトリスという NPC がいましたが、彼女は「魔女のとんがり帽子」曰く、「深淵に挑んだ」のだそうです。そんな彼女が月光蝶の前にサインを出していたのは、天使の似姿たる月光蝶に、深淵の匂いを嗅ぎ取ったから……というのは飛躍し過ぎでしょうか。

追記:書き忘れてましたが、「なぜ竜の鱗は太陽(雷)の力で貫けたのか」という疑問も、これで解けますね。鱗が人間性(闇)で出来ているから、雷(光)が良く通るんです。何事にも理由があるんだなあ。

追記(2018.09.02) : ここら辺、現在は少しだけ考えを改めています。天使と竜への進化には人の根源的な部分が関わっているという考えは変わっていませんが、両者は恐らく別種です。このことに関してはまたいずれ。

追記(2019.07.24) : 改めました。古竜についてまとめましたので、良ければどうぞ。

補足 : 人の道

インターネットというのはすごい場所で、こういった事実に気づく人というのがいるんですね。という訳で、パッチについて一考してみます。パッチというのは、「人間性」という言葉が巡る壮大な世界観の片隅で、一人同じ言葉に対して真摯に向き合い続けてきたキャラクターなのかもしれないなあと、今回の DLC で思いました。

「あそこに良いものがあるぜ」というのは彼の鉄板ネタですが、案外、パッチ自身はその「良いもの」に興味がない節があります。自分でも冗談めかして「無欲な俺には」なんて言ってますが、割と本音だったんじゃないでしょうか。「宝がある」という言葉につられて暗い穴をのぞき込めば、背後から飛んでくる彼の足蹴りによって、皆がその暗がりへと突き落とされていきました。そして彼はそんな欲にかられた人間の身ぐるみを剥ぐことによって、日々の食い扶持を稼いでいたようです。それはパッチにとって生きる術であり、そして相手の人間性を図る行為だったのでしょう。彼は聖職者を憎んでいたようです。何があったのかは不明で、というかその部分はきっとどうでも良くて、彼は聖職者だろうと欲はあって、そこに宝があれば意地汚くどこだろうと覗き込むのだと、証明してやりたかったのでしょうね。人間性とはダークソウル(闇の魂)の欠片であり、闇はソウルを求めるもの。つまり人間の本質とは「欲」なのです。

そして火の時代の終わり。不屈だった彼はついに亡者と化し、記憶すらも失いつつありました。ラップと名を変えた彼は一人の灰と出会い、友と呼び、そしてその助けを借りて、全て思い出します。自分が何者だったのか、自らのやってきたこと、本当の名前も。そして暗い穴を指し、友と呼んだ灰がそこをのぞき込んだのを確認すると、彼は馬脚を現しました。蹴り落とされ、膝をつく「友」を見下ろしながら、パッチはひとしきり笑って、しかしこう呟きます。

「…だが、それでこそ人の道なのかもな」

彼は「人間性」という言葉に誰よりも真摯に向き合ってきました。どのような人格者であろうとも、「本質は闇」であるのだと、得意の前蹴りによって証明し続けてきたのです。ですが、きっと彼自身が、最もそれを強く否定したがっていたのではないでしょうか。欲のまま穴を覗く人間を蹴り落とす傍ら、自分に背中を見せない人間を探し続けてきたのです。そして火の時代が終わっていく中、ついに彼は一つの結論を得ます。「それでこそ人だ」と。

『ダークソウル』とは、パッチという一人の男が、人が持つ「暗い魂」を受け入れるまでを描いた物語でもあったのです。ただそれだけのことに、これほどまで長い時間をかけるとは、何と不器用な男なのか。しかし、つまりそれは、彼は最後に「人間」を諦めたということなのでしょうか。それは分かりませんが、ラップのイベントをこなした後、「教会の槍、ハーフライト」のボスエリア前には、「不屈のパッチ」の白サインが浮かび上がることになります。或いは火が消えて闇ばかりが残る世界となった後で、彼はどのように生きていくのでしょうね。

またも余談になりますが、パッチってもしかして「火の無い灰」じゃないんですかね。だとすると、『1』から続く火の歴史を、それが陰りを迎えるまで生き続けてきたことになります。そこら辺の神様よりよっぽど長生きですよ。神格化されて名前が残っていてもおかしくないくらいに。ここで重要なのは、長き時を生き続けた人間と言うのはそれだけで正常ではいられなくなり、その結果人の形を止めるのだということです。ある者は木のようになり、鴉になり、虫になり、天使になり、遂には古竜となります。それらが人として本来在るべき姿なのだと言われれば黙るしかありません。しかしながら、「人間性は闇である」という一つの真理を、長い時をかけて疑い続けたパッチという男は、最後まで、或いはそれから先も、人の形を保ち続けることになります。人間性とは一体なんなのでしょうか。

(追記 : 考えてみれば不死は火の陰りとともに現れるので、誰かが火を継いだ後にはしばしの間「不死が存在しない、できない時代」があったはずです。ということはその期間パッチもまた不死ではなくなっていた訳で、だとすればやはり彼は灰として蘇ったことになるのでしょう)

運命の奴隷

脱線しまくって自分で引いてますが、ここからが本題の本題です。発端はふとしたものなのですが、『デザインワークス』にはゲールが赤頭巾を取った姿が描かれています。皆さんは思いませんでしたか? 「……グウィンに似てね?」と。まさかと思い、ラップのような仕掛けを期待して調べてみましたが、恥ずかしながら知能の限界もあって、こっちの線では難しいようです。ただあえて言うなら、ここここを見るに、「グウィン(gwynn)」には類語が多数存在し、そこから「ゲール(gael)」に変形できる……? というもの。ただ調べている内に自分自身「付け焼刃だなあ」と感じてしまいましたし、二つの言葉を繋げたいという結論から逆算して過程を捻じ曲げている気になってしまったので、取り合えず「名前」というアプローチは諦めることにします。詳しい方がおられましたら、是非調べてみてください。しかし不完全であろうとも、思考のとっかかりがあれば、それを元手に考察は可能です。という訳で最後に「奴隷騎士ゲール」と「太陽の光の王グウィン」という男たちの関連性について考えてみましたので、もう少しだけお付き合いください。

まず奴隷騎士とは以下のような存在です。

かつて不死者だけが奴隷騎士として叙され あらゆる凄惨な戦いを強いられたという

老いさらばえ、皮膚が焼け爛れ 骨が歪み、正気などとうに失っても その戦いが終わることはなかった

その境遇から彼もまた忌み人であり、そして「お嬢様」はそんな彼らの居場所を作るために絵を描くことを心に決めていました。ゲール自身もう奴隷ではないでしょうに、それでもお嬢様のため、彼はより過酷な、それこそ上のテキストにあるような戦いに身を投じていきます。ゲールがどのような男だったかというのは、あまり明かされていません。そんなところも「ポッと出のボス」なんていう言い方をされてしまう理由の一つなのでしょうが、それでも幾らか分かっていることがあります。まず彼が白教の信徒であったこと。ゲールは DLC1 で初登場する際に、清拭の小教会で祈りを捧げています。そしてアイテムテキストを読む限りでは、深みの聖堂というのは、元々白教の聖堂だったようです。何よりゲールは「白教の輪」を使いますしね。ちなみに今さらの確認ですが、「グウィン(gwynn)」とはウェールズ語で「白」を意味するそうです。なので白教というのは、言わばグウィンを始め、太陽の光に属する神々を崇める宗教団体なのです。彼の信仰は本物だったと思います。ゲール戦第三形態、彼の中で荒れ狂うダークソウルは呪いの形を取り、放たれ、その着弾点に深淵のような暗い穴を穿ちます。そしてそこを照準とするように、天からは落雷が降り注ぐのです。闇の魔術や奇跡が存在するように、ゲールの取り込んだダークソウルがあのような形で奇跡を具象化したのでしょう。理性を喪失し、闇に食い荒らさて尚、ゲールの信仰は力として残ったのです。ゲールの人となりは推測するしかありませんが、その心には強烈な太陽賛美があったと理解して良いと思います。

そしてゲールが遺した「暗い魂の血」によって、新たな世界は描かれます。即ち『ダークソウル』の世界は、ゲールの血液から創世したということです。これがまた面白いのですが、『1』の OP にはこのような一節があります。

そして、闇より生まれた幾匹かが 火に惹かれ、王のソウルを見出した

つまりニトやイザリスの魔女はともかく、グウィンでさえも、誰も知らぬ小人と同じく「闇」から生じたのです。正直、以前はこの設定に違和感があって「光から生まれた神々と、闇から生まれた存在の対立という方が分かりやすかったんじゃあないのぉ?」なんて生意気なことを考えてました。しかし今になって違和感は拭われました。なぜならこの世界がそも、一人の人間が持つ「闇を宿した血」から生み出されたのですから。深淵に沈んだ人間性が虫と成り得たように、光はそもそも何も生まず、闇こそが生命の苗床となるのです。そしてこの事実を転じるなら、神や人を含む全ての生物が、ゲールの血から生じた、いわば「ゲールの子」だったということになります。そう、グウィンもまた、ゲールの「血を引く」一人なのです。他の子らは、それぞれ炎の魔術や、死という概念を火より見出したようですが、グウィンはそこに太陽の光を見ました。容姿と能力が似通っているというただ二つばかりの根拠ですが、ゲールの血がグウィンという子へと最も色濃く継承された、いえ、もっと踏み込んで言うならば、「グウィンはゲールの生まれ変わりに近い存在」なのだという推察はできないものでしょうか。ゲールが放つ、闇を触媒とした落雷は、その暗示であるように思えてなりません。

そう考えると、非常に感慨深いのです。過酷に生きた奴隷騎士が、新たな世界においては太陽の神となり、しかし当の奴隷が信仰していた神は、遠い未来の自分自身だったのだと、ここでも円環が描かれることになります。そして対比構造がまた素晴らしい。片や光の王はダークソウルを恐れ、封じ、そして世界を存続させるために自らを火へと投じました。片や奴隷騎士はダークソウルを求め、自らが崇める神がかつて封じたものを暴きたて、新たな世界のために自らを暗い魂に捧げました。とんでもない話ではありませんか。闇を封じた者、そして暴いた者、両者は転生を跨いだ同一人物だったのですから。『ダークソウル』とは、真逆の立場にありながら、ともに世界のため自らを犠牲にして戦った、一人の男の物語だったのです。

薄弱な根拠からここまで考えてみましたが……如何でしたでしょうか。彼はこの事実を知らないが故に、これからも新たに描かれる世界の中で、永遠にこの円環を繋げ続けるのでしょう。「お嬢様」は、新しく出来上がる絵が、ゲール爺の新しい居場所になるようにと望んでいました。ある意味、叶ったのかもしれません。だからこそ、ゲールは「ポッと出のラスボス」などではないのです。むしろ『1』最後の敵がグウィンであったからこそ、シリーズ完結最後の敵はゲールでなければならない。「王たちの化身」と「奴隷騎士ゲール」は、グウィンという存在の上に成り立つ、表裏一体のラストボスだったのです。

まとめ

  • 「お嬢様」が描く絵画の中で『ダークソウル』ってゲームが始まるんだ。みんなプレイしよう。
  • 朽ちぬ古竜は、絵画の外からやってきた人間だよ
  • パッチは「人間性」というテーマを提示し続けた、真の主人公ってわけさ。あんたもそう思うだろう?
  • グウィンはゲールの生まれ変わり。ダークソウルを恐れ、求め、封じ、暴く。これからも。

終わりに

なっげえええええ。当初想定してた三倍くらいの量になって、途中から「ええ……えええ……」って言いながら書いてました。分割しようとも思ったんですが、まあ一つながりの考察なのでこんな風になったとさ。で、こんな結論になったんですが、 DLC はシリーズのまとめに相応しい内容ではありましたが、確かに『3』本編の要素をもっと拾って欲しかったという意見には、その通りだなと思う部分もあります。ルドレスとかね。『デザインワークス』を眺める限り、フィリアノールが抱いていたのは錬成炉に見えますし、それを小人のルドレスが扱っていたという部分に、何らかの繋がりがないと解釈する方が難しい。

まだまだ書きたいことは山積みです。「深海」の時代についてとか。まったく、汲めども汲めども尽きぬゲームよ。

あ、そうそう。補足記事書いたんですよ。(2017.08.11)

あ、そうそうそうそう。ちょっとした記事も書いたんですよ。ロイドの正体についてなんですけど。(2018.03.04)

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