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火と楔と血の話 03

はじめに

前回の続きです。この記事は『デモンズソウル』『ダークソウル』『ブラッドボーン』は全て同じ世界の物語である、という仮定に基づいた児戯幻想の類です。『デモンズ』の話なんか出てこないけど。必然、該当作品のネタバレを扱いますのでご了承ください。今回は悪夢と深海と不死、そして火防女と宇宙について。

奇跡も、魔法も、あったんだよ

驚かずに聞いて欲しいのですが、在りし日、世界には奇跡や魔法が存在しました。青白いビームを杖から放ち、炎や雷や糞を手づかみで放り投げるといった芸当をやってのけた者達がいたんです。いやほんとに。マジでマジで。しかしそれも「はじまりの火」が世界をソウルで満たしたればこそ。

歪んだ光壁
光を歪ませ、魔法を弾く
基本法則が一瞬に捻じ曲がるときすべての幻はその行き場を失うのだという。

全ては火が許した幻なのでした。奇跡も魔法も、そんなもの本当は無いんです。ファンタジーやメルヘンじゃあないんです。しかし本当にそうでしょうか。探せばまだどっかにあるかもしれない。例えば「深いところ」とか。

その先を目指したまえ

今では火もソウルも存在しないと申し上げましたが、まだ一つだけ残っているソウルがあります。「闇」です。

やがて火は消え、暗闇だけが残る

そして人間性(闇)は重く、どこまでも沈むといいます。かつて人の本質であったそれらは、人の手からすら離れて「深み」へ澱んでいるのでしょう。だったら単純な話。「深い場所」にはソウルが沈殿している理屈になります。時間を置いた味噌汁のように。例えそれが、火の通わぬ、ひたすらにおぞましいソウルであったとしても、神秘は神秘に違いない。

という訳で、まず神秘に触れる方法として挙げられるのが、地下遺跡の探索になります。「深み」は物理的な意味に留まらないとは申しましたが、それでもやはり深みは文字通り深い場所に形成されるようです。だって人間性は「重い」から。

なぜ聖杯ダンジョンが深度を増すごとに強力な敵を擁するようになるのかというと、単純な話、深ければ深いだけ澱みが濃密になるからです。ダンジョンの階層と難易度が比例するのは RPG においてお約束と言えますが、ことこの物語において「深度」とは、そのまま神秘の圧力を示す指針になりました。ここら辺、深みを増すほど水圧が高くなる海の世界になぞらえているのかもしれません。

漁村を思い出して頂きたいのですが、その最深部は海岸にありました。そこへの道中、見るからに目立つ灯台に意味はなく、しかも上に至る階段はわざわざ崩壊しています。灯台内部からエレベーターで地下へ降りることで、ようやく我々は真実へと辿り着くのです。ヤーナムの聖堂街上層などはもっと分かりやすい。「オドン教会を登れ」と言われるままに辿り着いた先で、やはり最終的に我々は地下へと向かわされました。そしてそのどちらにも上位者が待ち構えていたことから、これは共通のメッセージと解釈できます。「深みは地下にある」のだと。

ちなみに聖杯ダンジョンの劇中最高深度で手に入る血晶には「深淵」の銘がつきます。これは遺跡深層が、かつて深淵の名で呼ばれていた領域そのものであることの示唆でしょうか。

深淵血晶
「深淵」と呼ばれる、暗く輝く神秘の血晶は 地下遺跡の深部でのみ生じるという

ですが、まだ深淵程度です。深淵が「深みへの淵」であるなら、地下世界にはまだ続きがあることになります。もっと、もっと先を目指さなければ。ですがその先、更なる深みはどこへ繋がっているのでしょうか。或いは地下遺跡とは、「そこ」へ到達するために古代の人々が築き上げた、探求の痕跡であったのかもしれません。

深海への道

深い場所は、それだけで深みへ繋がっている。だから地下遺跡を降りた先で墓暴きたちは多くの神秘に見えた訳ですが、注目すべき点があります。

「悪夢の使徒」と呼ばれる蜘蛛型のクリーチャーが存在します。メンシスの悪夢に配置される大きな蜘蛛で、人によっては聖杯ダンジョンの赤い蜘蛛になじみがあるかもしれませんが、名が示す通りの存在であるなら、それは悪夢に由来する怪異なのでしょう。

では悪夢由来の蜘蛛が地下遺跡に存在した理由は何なのか。

悪夢の悪夢の使徒
地下遺跡の悪夢の使徒

悪夢の悪夢の使徒と、地下遺跡の悪夢の使徒

もう一つ。以下の巨大なノミを見た事があると思います。

悪夢の血舐め
地下遺跡の血舐め

悪夢の血舐めと、地下遺跡の血舐め

地下遺跡においてこのノミ(血舐め)の出現は内臓攻撃とセットです。なぜなら内臓攻撃によって多量の出血を強いた後に、その血を舐めに、或いはその血から沸くのだと思われます。しかし謎なのは、地上においてこんな現象は一切起きないという点。地下だけの怪奇現象です。なぜでしょうか。

この疑問にはシンプルな仮説が立ちます。地下遺跡は悪夢であり、また悪夢と繋がっている。

だから思うに狩人の悪夢、その血の河に繁殖している辺りこのノミもまた悪夢の使徒と同じく「悪夢にしか存在しない」生物なんじゃないかと思います。そして地下遺跡が悪夢と接続されているから、多量の血の跡に平気であんなノミが沸くんじゃないかと思うんですね。ただ、この仮説からするとカインハーストもまた悪夢に類する事になるのですが、運ばれた先で馬が既に死んでいた事といい、普通に悪霊が出現する事と言い、分かりやすくあそこは現実ではなかったんでしょう。

地下が「深み」であり、物理的深度を増すほどに「澱み」も色濃くなるなら、そこは文字通り「現実離れ」していく。「幻」が行き場を得るのです。

ならばと、ついでに「悪夢」についても朧げに理解が進みます。火のソウルが絶え、奇跡も魔法も遠い昔に絶えた世界を「現実」と呼ぶなら、「闇のソウル」が沈殿し充満した世界は、今もなお神秘と怪異が息づく「夢」の世界。つまり人々が「悪夢」と呼ぶ異空間こそ「深み」そのものであり、エルドリッチが予見した「深海」なのです。

ちなみに前回の記事で、輪の都と狩人の悪夢における解呪の碑について語りましたが、思うにこんなところも似せています。

血舐め
白面の虫

河の血舐めと、沼の白面

ソウルの大澱
永い間、深みに沈み溜まった 暗いソウルの大澱を放つ魔術
深みから這い出る湿り人たちには 時に大澱が憑依しているという
それはとても、人に似ている

両者はとても人に似た虫です。それも当然、人の本質である人間性から生じたのですから、それらは人に似るのでしょう。また血の河に沸くノミと、輪の都の人間性の沼に沸く白面の虫。「血」と「沼」と、媒介の違いこそありますが、そこは人間性が澱む「水場」であるという点で一致している。そういった場所には、人に似た虫が湧くのだという描写なんじゃないかと思っています。付け加えるなら、輪の都はフィリアノールの目覚めと共に崩壊します。輪の都それ自体が、彼女の見ていた「夢」だったのだとすると、ノミと白面は共に「夢」の中でのみ湧く虫と言える訳です。

さて教会初期、上位者と海は紐づけされていたそうです。ゴースからの輸血を受けた患者たちが、暗い海の音を聞いたことからそのような発想に至ったのだと思われますが、海と上位者を結ぶ発想自体は正解に近いものとみていいでしょう。

「深い場所は、ただそれだけで『悪夢』と繋がっている」

このシンプルな原理が存在するからこそ、地下遺跡は悪夢と地続きであり、そして当たり前の話として海の深みもまた言葉以上に「深海」の世界であるはずなんです。人間性(ソウル)が血に溶けたように「水」にさえ溶け込むのなら、海の世界とはきっと、地下遺跡が及びもつかないような神秘の世界なのかもしれません。

「深海」
大量の水は、眠りを守る断絶であり、故に神秘の前触れである

だからこそ「呪いと海に底は無く、故にすべてがやってくる」のです。そしてまた、還る場所だとも。我々がゲームの中で探索した悪夢とは、まさしくそのように荒唐無稽な世界であったはずです。

しかし、だからこそ、現実離れした世界でしか成り立たないものがあります。多くの神秘は悪夢に帰依するものなので、その最たる存在である上位者などは、例外を除いて悪夢の中にしか生息していません。人が深海で生きられないのと同じく、悪夢由来の生物たちもまた、神秘希薄な地表では活動できない訳です。

現実と悪夢の間には大きな断絶が存在します。人知も祈りも届かぬ深み。故にその断絶を超える手段を探求者たちは求めました。その内の一つこそ地下探索であり、そして血の医療でした。特に血の探求は人々を熱狂させます。何せ断絶を超えて上位者と通じ、身籠りさえした人間が確かにいたのですから。深みに触れた女王の聖血を拝領し、触媒とすることで、現実に悪夢を顕現させようという試み。夢を叶える力。それが血の医療なんですね。

以下の引用は、教区長エミーリア及び、狩人の悪夢の二つ目の大聖堂で NPC が唱えていた文言(日本語吹き替え版)です。

聖血を得よ

祝福を望み、よく祈るのなら、拝領は与えられん

拝領は与えられん

密かなる聖血が、血の乾きだけが我らを満たし、また我らを鎮める

聖血を得よ

だが、人々は注意せよ

君たちは弱く、また幼い

冒涜の獣は蜜を囁き、深みから誘うだろう

だから、人々は注意せよ

君たちは弱く、また幼い

恐れを失くせば、誰一人君を嘆くことはない

闇が信仰に感応する事実を鑑みると「よく祈るのなら、拝領は与えられん」の一文が印象深くなります。教会は自分たちが向かおうとしている領域がどんな場所なのか、そして暗がりに何が潜むのかも、理解していたのでしょう。しかし終ぞ克服など叶わず、夢見るままに滅んだのです。

夢の中へ

さて深海へのアプローチと言えばこんな方法もあります。魔法や奇跡が夢物語であるなら、直接夢を探ればよい。地下も海も「深み」へ至る道筋でしかないなら、いっそのこと夢の世界へ身を投げてしまえばいいのです。という訳で血の功名か、探求者たちは確認できる限り五つの悪夢と関わっていました。

まず「狩人の悪夢」が挙げられます。ここは「狩人」を呪った上位者の遺志が苗床となり生まれた悪夢で、以降「祈り」を知らずただ血に酔った狩人は、この悪夢に永劫囚われることになります。しかし医療教会はこの悪夢に実験棟なぞを建造し、そうして繋がった先の別の悪夢からゴースの血を拝領しちゃいました。次に「メンシスの悪夢」です。医療教会の上位学派「メンシス」が辿り着いた悪夢で、ここで彼らは赤子の上位者メルゴーを使い他の上位者を誘因していました。二つの悪夢に共通しているのは、ともに教会にとって実験の場であったということ。前者はゴースの血の拝領と治験、そして後者は上位者との交信、及び動物の首を挿げ替えるなどの実験を行っていたことから、最終的には自らと上位者の首を挿げ替えるつもりでいたと考えられます。特にメンシスの悪夢の場合、ヤハグルからの入り口に大量の医療者の死体があったことから、メンシス学派は肉体を捨て魂(ソウル)だけの体になることで、悪夢へと到達したのではないでしょうか。悪夢が魂(ソウル)の世界と考えれば、前述したカインハーストとの類似性が浮かび上がります。

次に「悪夢の辺境」が挙がります。ここの意義はよく分かりませんが、辺境からメンシスの悪夢と漁村という異なる悪夢が確認できることから、中継地点のような場所だったと言えます。同じような場所に「教室棟」があります。ここはかつてビルゲンワースの一部だったようですが、今や悪夢の中に学徒たちごと漂っているようです。

最後に「狩人の夢」です。ここは医療教会に属さない特殊な狩人が見る夢だと考えています。恐らく主人公のように「青ざめた血」を求めた異邦人が、血の医療を受けることで月の魔物と感応し、その上で獣化を抑制した者に限りこの夢に導かれるようです。素質の無い異邦者の末路は、ギルバートのような矮小な獣なのでしょう。狩人の夢は月の魔物「青ざめた血」の領土。魔物が解放を許可しない限り、異邦の狩人の死は「すべて悪い夢だった」ことにされ、狩りを全うするまで明けない夜に縛り付けられることになります。さながら不死、火継ぎの英雄のように。

深海の不死
鴉羽の狩人アイリーン

「なあに、血は入れたんだ。ババアだって、なんとかなろうさ。…あたしはもう夢を見ない。死んだらそれきりだからね」

「あんた、まだ夢を見るんだろう? …人形のお嬢ちゃんに、ババアがよろしくってね…」

古狩人デュラ

「今は夢見ることもないが、私とて、かつては狩人だったのだ」

「夢見るは一夜だ。悔いのないようにな」

狩人は超人と言っていい存在です。パワー、精密さともに常人を上回っており、負傷さえも血があれば快復に至る。しかし「死なない」訳ではない。それはかつて火の時代を跋扈した「不死」に遠く及ぶものではありません。

が、そもそも「不死」とは何だったでしょうか。人のみが不死であり、人のみが持つ人間性がその秘密である、と見せかけて実はそれだけでは不十分でした。繰り返しになりますが、不死は「死なない」のではなく「何度も死ねる」存在です。「死」もまたソウルの一種であり、通常生者は死に至り「生」を手放す代わりに「死」を得る(死者と成る)訳ですが、それは自ら操る事ができる類の力ではない為に、スケルトンを代表とする「死者」はそれを操るものがいなければ活動できない。そんな感じでした。ただし人間(不死)は違います。「死」を溜め込んでおける。

少し話がそれますが、この人が持つ不死性は「火の力が弱まったが為に訪れる病」だと説明されてきました。よくもこんな堂々と嘘がつけるものです。

ヴァンクラッド(台詞)

「人は死から解き放たれ、永劫を得る。かつて闇を手に入れた、その姿のままに。偽りの物語は終わる…」

輪の騎士シリーズ
古い人の武器は、深淵によって鍛えられ 僅かにだが生を帯びる
そしてそれ故に、持ち主たちと同様に 神々に火の封を施されたという

不死とは呪いでも病でもなく、人本来の性質でした。「誰も知らぬ小人」がはじまりの火、その影よりダークソウルを見出した瞬間から全ては始まります。人が不死になるのではなく、その不死身の生き物たちを「人間」と呼んだ訳です。だから火によって不死性が影を潜めるはずがない。しかしこの奇妙な反比例関係を固着させたものが、上記の「火の封」なのだと思います。

持ち主、つまり輪の騎士ですが、彼らだけでなく「人類」にその封は施されていました。

ダークリング
暗い穴

ダークリングと暗い穴

画像から見て取れるように、恐らくダークリングとは「暗い穴」に火の封を施したものなのだと思います。何せ人間とは火の衰勢と関わりなく元気いっぱいでいられる怪物ですから、それを恐れた神々は、火の盛りと人の不死性が反比例するように画策した訳です。以来、不死性は人間から限定的に取り上げられました。ですがこの封印もまた最初の火の力ですから、火の陰りと共に人から封は取っ払われ、その本来の姿を取り戻します。取り戻したはずなんです。

ですが今や、不死などどこにいるのでしょう。『Bloodborne』が深海の時代の物語であり、火などとっくに消えているなら、火の封もまた絶え、人は「本来の」不死として生きているはず。

人血が鎮静剤となるのは、そこに宿る人間性が理性として作用するからだと前回申し上げました。そして「輸血液」が、例え通常の人血とは異なる組成だとしても、人に「生の力」を取り戻させるものであるなら、それはかつて我々不死が人間性を砕いて HP を回復させていたのと同様の原理が働いているものと思われます。遺志(人間性)は遠い昔と全く同様の在り方では無いにしても、やはり「生」を含むものと捉えて良さそうです。

なので、今の人々が不死ではない理由。それは恐らく「暗い穴」、つまり「死を溜め込む」力が失われたからなのだと考えられます。

理由は幾つかでっち上げられるのですが、個人的にはやはり闇がその重さ故に人々の中から離れて行ったからなのかなと思っています。

「やがて火は消え、暗闇だけが残る」

これが真実なのだとしても、やはり闇とは重く澱むのでしょう。人がその血に宿す僅かばかりのソウル(人間性)を残し、他は全て深みへ沈んでしまった。そして原始、小人がダークソウルを見出した瞬間、人間に「暗い穴」が穿たれたのだとして、今や闇を持たぬ人に「穴」は生まれないんです。人の本質が未だ不死なのだとしても、それをもたらす闇は、遠い。だからこそ深海の時代に不死は生まれ得ないのだと思っています。

だとして、では、逆を言うなら、闇さえあれば何とかなる気がしませんか。不死の成立に「暗い穴」が必須であるなら、何か「死を蓄積できる機能」の代用、或いは死そのものをどこかへ逸らすといった仕組みを用意してやれば、それは疑似的とは言え、不死を再現できたとは言えないものでしょうか。

今や闇が遠いといいました。しかし一方で「夢」こそが「深み」だとも言いました。悪夢が闇で構成されているのであれば、或いはこの空間と接続された時、人の中に眠る不死性は再燃するのかもしれません。「暗い穴」という、人が一人一人持つ「ある種の深淵」を、「悪夢」という「ある種の深淵」が代用する訳です。それは火の時代のそれとは厳密には異なる原理なのでしょう。ですが根底にあるものは変わらない。闇が持つ「生の力」と、「死に耐える為の仕組み」、この二つが揃った時、仮初とは言え不死は成るのです。そして元よりそれこそが。

我ら血によって人となり、人を超え、また人を失う

狩人とは、血を介して不死の夢を見る者。ですが何のことは無い、それは人が、失った本来の姿を断片とは言え「取り戻した」だけなのでした。しかし不死こそが人の本質であるなら、今や本質から離れた深海の時代の人類とは、或いは人とは呼べぬ存在なのかもしれません。

我々は、とうの昔に「人を失っていた」のでしょうか。

深海の亡者

闇(人間性)が人から離れたが故に、人固有の能力であった「暗い穴(死の蓄積)」もまた失われ、人間は不便にも一度しか死ねなくなってしまった。死にゲーなのにそりゃないよ。だから深海の人々は「血」を介し太古の闇を呼び起こす方法に手を伸ばした訳です。

ですがどれほど血(人間性)で快復を試みようと、それは「死」を帳消しにできるものではない。かつての不死とて、死からは逃れられなかった。ただそれを蓄積できる器官を有していただけ。血の医療だろうと再び「暗い穴」を人に開ける事は叶わないようで、その機能を代替するものが「悪夢」でした。だから夢に囚われた経験がある狩人であろうが、解放されれば唯の超人。「死んだらそれきり」なんです。

しかし考えようによっては僥倖です。彼らは「死ねる」んです。使命さえ果たせば夢(不死)より解放され日常に戻れる。つまりソウルを求めて人を襲う亡者になる事もない。その点に関しては太古の不死より優れていると言えるでしょう……ほんとか? 或いはそんな例も在り得るかもしれませんが、どうもそう簡単には行きません。

血に酔った狩人の瞳
血に酔った狩人の瞳。瞳孔が崩れ、蕩けており それは獣の病の特徴でもある
血に酔った狩人は、悪夢に囚われるという
悪夢の中を永遠に彷徨い、獣を狩り続ける
ただ狩人であったが故に

過去記事で述べたように、獣化のトリガーはどうやら「祈り」。故に祈る神を持たない狩人は、或いは「狩り」の味を覚えたが故に祈りを忘れ、獣化とは異なる末路を遂げます。「血に酔う」のです。

さて血は触媒。故に遺志(ソウル)を宿します。ならば「血に酔う」とは、そのまま理性無くソウル(遺志)を求めた、在りし日の亡者そのものでしょう。血を介して不死の夢を見る狩人。しかしそう都合よく夢から覚めるばかりではなく、やはり不死の末路は、理性無き亡者こそ相応しい。そして悪夢(深み)が狩人へ不死性を与えるのなら、血に酔った狩人とは、火の時代の不死者の在り方に限りなく近い。冷めぬ悪夢の、永遠に続く狩りの中で、我々はようやく人の本質、その現実を取り戻したんです。

深海の死者

火が陰りゆく時、人間性もかつての姿ではいられません。と言ってもこれは既に申し上げており、「深み」に澱んだ人間性は、今や「おぞましい生き物(おぞみ)」に変わっていると。それは大抵「虫」の形を取り、しかし元の人間性の如き性質はそのまま引き継いでいて、人に宿りこそするものの、しかし変わってしまった人間性(おぞみ)は、人が生まれながら血に宿す微量なそれを除き、昔のような形で人と共に在ることは出来ないのでした。

以下をご覧ください。

蘇る死体

人に寄生する人間性(おぞみ)

深みの聖堂に配置されている「蘇る死体」です。文字通り死体が蘇ったのでしょう。ではなぜ蘇ったのか。

死者の活性
ロンドール黒教会の冒涜的奇跡
死骸を祝福し、闇の爆弾と化す
亡者の国ロンドールでは、不死こそが人であり 死骸など、所詮相容れぬ生者たちのなれの果て
祝福を躊躇う必要がどこにあろうか?

劇中、ロンドールにおいて「不死者」と「死者」は明確に区別されます。そして不死とは死なないのではなく、幾度も死ねるのだと前述しました。それは不死の根幹ですが、それでも度重なる「死」は呪いとなって溜まります。溜め続ければ必然、不死は生きながらにして死者に近づくのであり、それこそが亡者特有の痩せた肉体であり、やがては「死骸」として動かなくなる。或いは単純にダークリングが開かぬままに死亡した故に、死を一度きりのみの体験としたまま動けなくなったか。どちらにせよ「死体」と区分されている以上、深みの聖堂のあれらは「不死者」ではない。

より単純に区別するならば「人間性から『生』を得て活動する者が『不死』」であり「おぞみ(寄生虫)によって活動させられている者が『蘇る死体』」といったところでしょうか。不死人は「暗い穴」によって死を溜め込み、辛うじて理性の連続性を保ちますが、死者はとうに理性を手放しているが故に、寄生虫をこそ肉体の主としてしまっている訳です。そしてそれは純粋に「死」のソウルで動くスケルトンとも異なります。まさしく深海の時代の脅威なのでしょう。

そしてこの「蘇る死体」、ヤーナム市街でも確認できます。

腐乱死体

動く死体

彼らが水場にいる辺り、水を介して流れてきた寄生虫が遺体に取り付いて動きだしたのかもしれません。夢無くしては不死足り得ない深海の時代。しかし血の医療に侵された場においては、死者はおちおち死んでもいられないようです。

死に耐え、我がものとし、人間性こそを人の本質としてきた不死たちが、今や何と無様な変わりよう。ちなみに深みの聖堂とヤーナム市街(禁域の森)の「死体」は両者とも火に弱かったりします。「死体だから火に弱い」というのは理由になっていないので、分かりやすい話、彼らを動かす虫が火に弱いのでしょう。その弱点は獣化者と同じ。つまり死体も獣も、同じものに操縦されている訳です。

そう、獣です。以下をご覧頂きたい。

蘇る死体
蘇る死体蛆
死体蛆

おや!? 死体の様子が……。

「蘇る死体」は「蘇る死体蛆」となり、果ては「死体蛆」へと変態する模様。死体蛆の尾にまとわりつく何か殻のようなものは死体の残骸でしょうか。

それで、一体なんでしょうね、これ。蛆がおぞみ(人の澱み)である事は分かります。それがなぜ人の殻を突き破り、一塊の怪物として産まれてくるのか。推測するにこれ、「獣性」なんじゃないかなと思います。暴走した人間性が獣性へ変わるなら、遺体に残る血肉(人間性)から沸いた蛆は、行き場を無くした獣性に形を与えたのかもしれません。

おぞみは「祈り」と共に人を獣に変えると言いました。従って獣化という現象は宿主が生者である必要があるはず。同じ獣性の具現である獣化者と死体蛆の違いとは、シンプルに宿主の「生」なのかもしれませんね。

聖職者の青衣
青衣の旅人は使命を帯びたといわれ その不死が闇の苗床とならぬよう 背中に大きな蓋を背負っていたという

以前よりこの「闇の苗床」を、巡礼者が天使を見出す現象に対して使ってきましたが、恐らくこれら死体もまた、蛆の化け物が生じる為の「苗床」だったと思うのです。人間性(闇)は重く、今や世界の底に深く澱んでいます。読んで字のごとく「現実離れ」したそれらが悪夢(深海)から現実へと浮上する為には、恐らく「入口」が必要となる。それが「苗床」なんじゃないでしょうか。

深海の使者
暗い穴
その暗い穴に底は無く、人間性の闇が徐々に漏れだし引き換えに呪いが溜まっていく。

再三申し上げた通り、「死」は呪いとなって不死の「暗い穴」に溜まりました。深海の時代にはその機能が人から失われた為に、「悪夢」によって代用するのだと。だとすれば悪夢とはそれ自体が巨大な「暗い穴」と言え、ならばそこに「死(呪い)」は溜まるのでしょうか。恐らく「使者」こそがその答えではないかと思われます。

使者

小さな彼ら

人形は語ります。

「ああ、小さな彼らは、この夢の住人です。あなたのような狩人様を見つけ、慕い、従う…。言葉は分かりませんが、かわいらしいものですね」

なぜ使者が取り扱う商品は、死んだ狩人の名残ばかりなのか。簡単な話、使者とは死者なんじゃないかと思います。多くの狩人や人々が重ねてきた死が悪夢(暗い穴)に溜まった者が、小さく人の形を取ったもの。それが使者の正体なのではないかと。

暗い穴に死が溜まっていたのなら、なるほど、仮に内部へと身を投じる事が叶ったのなら、そこはある意味で「死後の世界」と言える訳です。こう考えていいのなら、メンシス学派が肉体を捨てて悪夢へ移行していた事とも接続できるのではないかと思うのですが、如何でしょう。悪夢とは暗いソウルの澱む深海であり、また死者の世界なのでした。

宇宙は空にある

さて、ここまで書いてきた内容としましては、火の時代の「人間」やその関連物が、深海の時代においてどう変化したかという意味合いだったと思います。では肝心要、深海の時代の骨子とも言える「上位者」とは、果たして火の時代の「何」だったのか。或いは深海の時代に初めて発生した全く新しい生命体なのか。これから先はその辺りに迫っていく訳ですが、本題は次に回すとして、本項の残りはその前振り・準備に努めようかなと思います。

ただ、まず一つ前提としまして、この「火と楔と血の話」に留まらず、『Bloodborne』の記事をお読みになって頂いた皆さまには、当サイトの主張がこんな風に伝わっているかもしれません。「『ブラッドボーン』はゴシック・ホラーの皮を被ったコズミック・ホラー、の皮を被っているだけで、上位者は別に地球外生命体でもなんでもないし、全部ソウルシリーズからの延長で、宇宙なんてこれっぽっちも関係なかったんだ」と。『ブラッドボーン』のアイデアの根幹に「クトゥルフ神話」を想い重ねてきた方々にとっては、もしかしたら大分退屈な文章だったでしょうか。

誤解です。断じてそんなことはありません。

灰の時代、火の時代と神話の直中を冒険してきた我々ですが、実際あの「世界」がどのような広がりを見せていたのかは全く分かっていません。あらゆる差異が無かったという灰の時代、大地は丸かったのでしょうか。火の時代、海も大陸も存在していたかのように思えたあの世界は、実は平面であり、或いは巨大な亀や蛇に支えられる形で展開されていたのかもしれない(最も『1』公爵の書庫に地球儀っぽいものはありましたが)。何せ神話、何でもありだ。しかし天空の彼方、その広がりへ思いを馳せるといった概念は、少なくとも『ダークソウル 2』の時代には存在していました。

星占いシリーズ
メルヴィアの占星術師の〇〇
星の動きには法則性があり その並びから魔力が得られると、彼らは考えている
メルヴィアの魔法院の叡智をもってしても 未だ空から魔術を得た者はいない
だがその過程で新たな魔法道具が作り出された

そして深海の時代、未だ人の文明領域を指して「地球」と呼んでいいのかは、劇中で名言されていない以上、不明です。しかし「夜空の瞳」を擦れば隕石が射出され、また仕掛け武器「葬送の刃」や「慈悲の刃」は隕鉄から作られており、故に神秘補正がかかるのなら、これだけは断言できるのではないでしょうか。「宇宙は空にある」のだと。そしてそこは神秘に満ち満ちた領域だと確信できる。

しかし火の時代には取り出せなかった暗い神秘が、なぜ後世の人間たちに観測できるのでしょう。思うにそれは火が消えたからこそなのだと、ここからはそんな話をしていきます。

盲目の聖女たち

カリムのイリーナという NPC がいました。

イリーナ

カリムのイリーナ

彼女は盲目の聖女であり、不死街の牢の中で自らを蝕む闇に苦しんでいます。

「暗く、何も見えず、闇が私を噛むのです。ずっと、ずっと、虫たちが、私を噛み苛むのです」

「虫」。そしてその後イリーナは主人公と出会い、自らを従者とするように願います。断るとそこでイベントは終わりなのですが、仕方がないので再度話しかけてあげると、こんなリアクションを取ります。

「ああ、英雄様。まだお声をかけて頂けるのですね。私は、大丈夫です。元よりこの闇は、私の使命なのですから」

闇が使命。というのも、彼女はカリムの聖女であり、火防女になるために旅を続けていたようなのですね。そして望みは叶わなかったようなのですが、それは彼女を苛んだという「虫」が招いた結果なのでしょうか。しかし彼女の口ぶりでは、闇に蝕まれることがそも彼女の使命だという風に受け取れます。ですがそれもそのはず。元より火防女の魂とは、人間性によって食い荒らされる宿命でした。

火防女の魂

闇が私を噛むのです。

火守女の魂
火防女とは篝火の化身であり 捧げられた人間性の憑代である
その魂は、無数の人間性に食い荒らされ 不死の宝、エスト瓶の力を高めるという
火防女の瞳
暗い一対の瞳
最初の火防女の瞳であるといわれる 後に全ての火防女が失う光そのもの
それは瞳無き火防女に 見るべきでないものを見せるという
火防女シリーズ
彼女たちは光を奪われ、魂を受け継ぐ
そして蝕み蠢く暗闇を愛した者ものだけが 火防女たる黒い装束を与えられるのだ

そして衝撃の事実。全ての火防女は盲目だったのです。一部の「火防女の機能を有した火防女でないもの(緑衣の巡礼)」は除外するとして、確かに否定できる材料はありません。……思えば、「楔」に囚われた彼女も。

ソウルシリーズの代名詞であり、長い付き合いとなった火防女ですが、我々は彼女たちに関して余りに無知です。しかし火防女が絶えず「人間性に蝕まれていた」ことと、改めて『3』で強調された「盲目」という設定は、「闇」という一点で結ぶことが可能です。篝火は人間性によってその勢いを増しました。そして火防女とは篝火の化身だと言います。故に彼女達自身もまた人間性(闇)を力の根拠とするのでしょう。

火防女(『3』)

「それでは、私の中の暗闇に触れてください」

だからこそ彼女たちは自らを食い荒らす内なる人間性の闇に通じ、それを愛しさえしなければならない。そしてイリーナには、少なくとも出会いの時点ではその資質に欠けていたようです。

そしてその後、イリーナの結末は 2 つに分岐します。盲目の聖女は点字聖書を読解し、その内容を伝授してくれるのですが、「ロスリックの点字聖書」と「カリムの点字聖書」を渡すことで、イリーナはめでたく火防女として昇格するのでした。物言わずレベルアップのみを行ってくれるようになった彼女ですが、それが望みだったとあれば、きっと良きことなのでしょう。

対して「深みの点字聖書」と「ロンドールの点字聖書」を渡した場合、イリーナの気は遂に狂い、最早外界を認識すらできず、内なる暗闇に蝕まれ続けることになります。渡した書、そこに記された記述が学びとなり、彼女の運命を二つに分けたのでしょうか。

ともかく彼女の「虫」という感覚が気になります。イリーナが火防女として完成しなかったのは、彼女を苛むものが人間性ではなくおぞみだったから、というオチでしょうか。ですが元より彼女はその感覚に襲われ、しかし与える書によっては、彼女は無事に火防女へと昇格しています。恐らくですが、彼女が感じた「虫」というものはある意味で幻覚ではあったのだと思います。しかし人間性とは元より虫の如く「食い荒らすもの」。イリーナは「火防女となったもの」の誰もが乗り越えてきた人間性の蠢きを恐れてしまったが故に、それを「虫」と幻視したのではないでしょうか。

そしてこの人間性を「虫」と捉える感覚は、遥か先、願う者だけが見出したという蠢きに似る訳です。

火防女の魂
虫

聖女を苛む「虫」、狩人が見た「虫」

連盟の狩人とイリーナは、闇(血)の中に同じものを見ました。個人的に連盟のそれも幻覚だと思っているのですが、しかし人間性(遺志)の先に確かにあるおぞましき可能性という意味で、真実に触れるものであった訳です。

ということで、輪の都に沸く白面の虫のありがたいお説教をどうぞ。

「女は恐れた。闇に潜み、噛み苛む虫たちを。けれど、どうだ! そんなものが、深淵のどこにいたろうか!」

お前が言うな。お前だよ。お前がそれなんだよ。

見えないものを見ようとして

輪の都と言えば、そこで手に入るアイテムで気になるものが二つあります。

輪の騎士のフード
彼らは、深淵に浸された黒布を被り またその目を幾重にも覆う
火の封がすべての見えざるものをかき消さぬよう それは、神々への小さな抵抗である
目隠しの仮面
由来の知れぬ目隠しの仮面
小さな割れ目で視線は確保されている
闇攻撃の威力を高めるが 闇によるダメージも大きくなってしまう
紫鉄のそれは、どこか火防女の頭冠に似ているが それは形ばかりのことだ

まず輪の騎士のフード。古く人に封が施されて以来、本来であれば火とと共にあった筈の不死人たちは、むしろ火の最盛の中で鳴りを潜める事となってしまいました。輪の都の騎士たちはその最初期の人間だったと思われますが、神の言うままに全てを手放すことを良しとせず、目を覆うことで少しでも内に闇を確保しようとした、そういう意味のテキストでしょう。

次に目隠しの仮面。輪の都で侵入してくる「呻きの騎士」がドロップします。これは『ダークソウル 2』にもあった装備で、その時は「黒魔女の仮面」と呼ばれていました。元は魔法攻撃全般へのブースト装備だったのですが、今作では闇に特化するものへと変質していました。新作でそう扱われていたということは、より真相に近い形に整えられたと見て構わないのではないでしょうか。

つまるところ「視界を遮る」という行為は、それ自体が闇に触れることを意味します。輪の騎士たちが行った行為に意味があったのかはともかく、同じ方法で闇に触れ、実際に力を取り出す者が存在していたのは確かなようです。火防女や魔女のように(そういえば、『ダークソウル 2』のミルファニトの目も閉ざされていました。彼女たちは死と闇を慰める歌い手でしたが……)。

特に『3』の OP では、火防女が身に着けようとする頭冠の内側に、何やら暗黒が渦巻いています。

火防女の頭冠

火防女の頭冠の中央、何やら暗黒が渦巻いているのだが、びっくりするほどわかり辛い

さながら渦巻く暗黒と自らの盲目を接続しているかのような。仮にそうだとして、それはどこへ繋がっているのでしょう。火防女が闇に通じ、闇を力の根拠とする存在であるのなら、盲目から先、そこには広大な深淵があるとでも言うのでしょうか。ということで、改めて時代を進めます。

目隠し帽子
医療教会の上層、「聖歌隊」の装束
「聖歌隊」は、医療教会の上位聖職者であると共にビルゲンワースから思索を引き継ぐ学術者でもある
帽子の目隠しは、彼らが学長ウィレームの直系である証である
たとえ、いまや道を違えたとしても

思えば『ブラッドボーン』には、やたらと目を覆った人たちが散見しました。ウィレーム、聖歌隊、ガスコイン、シモンを含む身をやつした男、主人公に輸血を行った医師などもそうでした。本作では「瞳」という言葉がキーなので、肉体的な瞳ではなく、内なるそれこそが重要であると印象付けるための演出意図も、当然あるでしょう。しかしヒントを枠の外に求めることで、もう一歩ほど踏み込むことができます。

まず一つが、過去、大書庫の賢者たちがそうであったように、目を塞ぐことで呪い(気の狂い)を避けていたのではないか。もっともガスコインなどを見る限りこの方法に絶対的な効果は無かったようですが、しかしヴァルトールが被るバケツは片目が塞がっており、彼は「虫」というある種の啓蒙を得た上で、恐らくは正気を維持していました。包帯で片目を塞ぐ古狩人のデュラなども同様でしょう。そしてオドン教会の信徒なども盲目でしたが、彼は皆がまともで無くなっていく教会の中にあって、哀れにも最後まで正気であったように思えます。

盲目であること、そして視界を覆うという行為は、絶対ではないにせよ坑呪・鎮静の力を持つことの示唆でしょうか。盲目の闇に身を浸しながら、それを愛せなかったイリーナが気を狂わせたのなら、塞がれた視界から生まれた闇、それを己がものとして受け入れる度量こそが呪いや狂いを遠ざける権利へ繋がるのかもしれません。

そしてもう一つ。これはとても、とても単純な話です。灰の時代、最古の王達が世界の差異からソウルを見出し、そして闇もまた同様の性質を有するなら、目を閉じて生まれる闇はそれだけで神秘(ソウル)の源泉となる訳です。そしてこの理屈を進めるなら、暗い場所は、ただそれだけで深淵と地続きであるとも言えてしまう。きっと、だからこそ火防女たちは盲目だったのです。

無論、ウィレーム達が火の時代の業を知ることなどありえませんが、しかしそれでも気づいていたのです。瞳を閉じた先に広がる暗闇が、深み(神秘)へと繋がっていることを。盲(蒙)を拓(啓)くから「啓蒙」。探求者たちは闇の中でこそ拓く瞳を得るため、肉体的な瞳を覆い、深遠なる闇へのアクセスを試みたんじゃないでしょうか。そして奇しくもそれは、遠い昔の人間、輪の騎士たちが行った神への抵抗と、とても似る。今も昔も、闇の子たる人は、蒙の中へと闇を求めるのでした。

そして宇宙は

暗闇はそれだけで深み(悪夢)へ繋がっていることは何となくわかりました。しかし言葉を変えるなら、事はもっと大げさなスケールを描いているかもしれません。

先に言ってしまいますが、過去記事などにおいて上位者の考察を進めていくと、どうも大方の上位者たちの正体は元人間であるという仮説に至ってしまいました。もっともそこに分類できるものだけでもないのですが、『Bloodborne』にコズミック・ホラーを期待した方にとってはスケールの小さい話として纏めてしまったかもしれません。しかしながら、やはり「宇宙は空にある」のです。

火は陰り、今や唯一つ残った闇が、ただ暗がりというだけで神秘の源泉と成り得るなら、宇宙という広大な闇は、そりゃもうとんでもない世界と化している可能性が高い。そしてそれは遠い場所の出来事ではない。

星の瞳の狩人証
「聖歌隊」の気付きは、かつて突然に訪れたという
すなわち、地上にある我々のすぐ頭上にこそ まさに宇宙があるのではないか?

「宇宙は空にある」。ウィレーム師は血に依らぬ思索の先にある進化こそ求め、聖歌隊とはその思想を継いだといいます。故に彼らの語る宇宙とは、天空に広がる高次元暗黒そのものを指し、そしてそれは地下空間でも海中でもなく、案外とても近くに存在するのではないか、そんな意味の言葉だったのだと思います。そしてその直感は正しい。地下も海も同様に深み(悪夢)へ繋がっているのだとして、しかしそんな大げさな手順は必要ないんです。なぜならただ目を閉じた暗闇こそ、最も身近な宇宙への入口だからです。

上位者の叡智
かつてビルゲンワースのウィレームは喝破した
「我々は、思考の次元が低すぎる。もっと瞳が必要なのだ」

しかし分かってはいても、そう容易く辿り着ける場所ではないようでした。宇宙は空にありますが、空は高く、人の身には深すぎる。

今や地球など宇宙という深海に漂うちっぽけな石ころに過ぎません。もしかすれば舞台が地球であったからこそ、あの物語はあの程度で済んだんじゃないでしょうか。ならば宇宙ともなればどれほどの……。想像もできませんし、可能であれば想像する事すら止めておいた方がいいのかもしれません。目を閉じればそこは、ここではないどこかに繋がっているのですから。

補足 : 深海の先触れ

ということで不足していたコズミック・ホラー感を慌てて補ったところで、次回から上位者の正体に迫ろうと考えています。しかしその前に、火の陰りに起こりかけていた深海、その幾つかの先触れについて考えてみましょう。

うみのいきもの

小ネタで述べさせていただいたのですが、『ダークソウル 3』には蟹型の敵が登場します。しかし初登場ではありません。

ベイグラント
大蟹

蟹さん! と見せかけて……蟹さん!

たぶん、正体はこいつです。← が → になったものだと考えています。

左の蟹さんに関して説明させて頂くと、これは『ダークソウル』に登場する「ベイグラント」という特殊モンスターです。掻いつまむと、プレイヤーがロストした人間性が、他のプレイヤー世界へと移動し、モンスターに変異するのです。故に別名を「さまよう人間性の精霊」といいます。人間性の、「精霊」ですって。

精霊の抜け殻
上位者の先触れとして知られる軟体動物の抜け殻
軟体生物は多種存在し、医療教会は総じてこれを精霊と呼ぶ
夜空の瞳
精霊に祝福された軟らかな瞳

蟹とナメクジ。「精霊」という言葉を重ねたのは、何かを意図してのものでしょうか。蟹は軟体生物ではありません。しかしナメクジは貝類に属するようなので、「海」を想起させるという意味では同類と言えます。しかし共通点がもう一つ。恐らく「精霊」の本意とは、「人間性の運び手」なのです。

蟹は人間性を宿し、倒せばそれを落とす精霊(運び手)でしたが、軟体生物もまた人間性を宿しています。ただしおぞみ(寄生虫)という形で。となると、現実のナメクジなどがそうであるように、それらは寄生虫の媒介者として機能する訳です。「夜空の瞳」が受けた「祝福」とは、精霊からの「感染」だったというのが真相なのですね。

軟体生物にどのような意識が働いているかは測りかねますが、或いはそれらに意志などなく、身に宿すおぞましい意識に操られているだけなのかもしれません。それこそ上述した「蘇る死体」のように。完全な「虫」としての生態を手にした人間性は、媒介者の助力を得て感染し、生命を渡って増え広がることを欲しているのでしょうか。変わり果てて尚、人間性はソウル(生命)を求めるのです。

追う者たち
禁忌とされる闇の魔術
人間性の闇に仮そめの意思を与え放つもの
その意思は人への羨望、あるいは愛であり 人々は目標を執拗に追い続ける
その最後が小さな悲劇でしかありえないとしても

ベイグラントが変わり果てた姿になったのも、その身に宿す人間性が変質したことの影響でしょう。恐らく元々ベイグラントに実体など無かったのではないかと思います。しかし人間性が深みで虫という実体を得るのなら、それを宿す蟹も共に実体を得たのではないかと。ただし闇によって暴走させられたもの特有の「肥大化」や「狂暴化」という属性を付与されて。

そうしてベイグラントは実体を得て、子供さえ残すようになりました。周辺の子ガニは、そういうことなのでしょう。そしてそれは、「漁村」で卵を産み増えていた「ゴースの精霊」の在り方と似ます。人間性は苗床の助けを借りて、やはり増えるのです。

漁村の卵

軟体生物増殖中。恐らく一緒に、寄生虫も増殖中。

ちなみに完全に余談ですが、子ガニに関して言えば不思議なことが一つありました。カーサスの地下墓の中盤を越えたあたりでしょうか。転がってくる大玉骸骨、二つ目のそれが破壊されたとき、中からは子ガニが現れます。そして大玉は子ガニと共に闇の貴石を落とすのですが、闇の貴石は「主なき人間性」に生じるようです。つまりは蟹とベイグラントを関連付けるフレーバーだったのだと思われますが、肝心なのはなぜ大玉から蟹が現れたのかということ。

思うにウォルニールが闇に飲まれかけていたこと、そして配置された壺から「追う者たち」が飛び出してきたことなどから、地下墓自体が深淵へ通じていたことが窺えます。深淵の監視者たちがあの場に陣取っていたのもそのためでしょう。そしてウーラシールで見た光景ですが、深淵の間近には人間性が発生する訳です。

だから転がる白骨の大玉が帯びた「主なき人間性」は、内にベイグラントを生成したんじゃないかと考えています。しかし迫る深海の影響か、それは在りし日のベイグラントとしての姿ではなく……と、あの不思議な子ガニに理由をくっつけるならそんなとこでしょうか。また地下墓直下、燻りの湖に生息する大蟹たちは、地下墓で発生した子ガニ(ベイグラント)が落ちた後に成長した姿ではないか、という背景が見えてくる気がします。実体を得てしまった精霊は、独自に生態系すら作り上げるんじゃないかというお話でした

聖堂の暗示

次に聖堂に関連する誓約について。ネットでの考察記事などをお調べになられた方々は目にしたことがあるかもしれません。誓約「神喰らいの守り手」のシンボルが、カレル文字「深海」と似ているといった話です。

神喰らいの守り手
深海

「深海」の暗示

「神喰らいの守り手」のシンボルは聖堂に散見する燭台の形なので、おぞみに飲まれた後、信徒たちの手で深海信仰の象徴として作られたのでしょう。更にもう一点ご覧いただきたいものがあります。誓約「ロザリアの指」のシンボルとカレル文字「湖」です。ただしこちらは少し工夫が必要で、「ロザリアの指」、生まれ変わりの母のホーリーシンボルを左に 90 度回転させることで、「湖」は姿を現します。さながら倒れた器が、その中身を零し滴らせているような。

ロザリアの指
ロザリアの指、横倒し
湖

「湖」の暗示

「湖」 / 「深海」
大量の水は、眠りを守る断絶であり、故に神秘の前触れである
求める者よ、その先を目指したまえ

エルドリッチとロザリア。聖堂と深く関わる二人のシンボルは、間近に迫る次代のシンボルでもあったのです。

パラサイト・ウィレーム

そうでした。一つ忘れていたのでここに挟みますが、人気の無い学院で安楽椅子に揺られるウィレーム先生は、どうやらまともでは無かったようです。気になるのが、先生の首根っこから何やら触手のようなものが生えていること。恐らくビルゲンワースに集結していた眷属によるものだと思うのですが、これ、冬虫夏草(閲覧注意)と呼ばれる、寄生性のキノコに見えませんか。

おぞみは「虫」に限定されるものではなく、寄生生物全般の姿を取るのではないかと以前の記事で述べました。眷属が媒介者となり、ウィレームを操るためにナニカウエツケタのかもしれません。ロマを隠したというウィレームが、最期には湖を指し示してしまうのも、この寄生生物の働きでしょうか。

そこまで考えてみると、蟹(ベイグラント)の頭頂部から生えているものとの類似性に気づくんです。この「芽吹き」は、操られていたものの証だったのでしょうか。さまよう人間性の精霊に元より自由意志などなく、その身に宿す黒い精に支配されていたのかもしれません。ポケモンにそんなのいたよね。

ベイグラント
宿主ウィレーム

「生やすものよ。湿度と温度管理に気を付けたまえよ」

ちなみに同様にキノコを体から芽吹かせるキャラクターは他にもまだいます。それに関しては、別の機会に。

一旦のまとめ

続きます。

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