ACID BAKERY

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皆、元は源にいた

はじめに

『隻狼』とは「水」を主題とする物語でした。北国葦名を流れる水は特別な効能を持つようで、上質な作物を育て、そして生き物は大きく元気に育ちます。この土地の水にはどのような秘密があるのか、その源流には何が待つのか。

「種ならし」というアイテムがありました。ちなみにテキストにある通り正式には「紫華鬘(ムラサキケマン)」という植物で、実在します。ちゃんと音もなるそうですよ。

ムラサキケマン(動画)

さすがに現実のものはあのように鳴ってはくれません。ゲーム故の誇張表現というべきか、やはり葦名の水で育つと異常な成長を遂げるようです。

さてこの種ならしですが、貰ったり買ったりする以外でも原生するものを採取できます。ここ。

谷に生えてるらしい

白へびのところ

白へびの目を突いて逃げる谷間ですね。で、何気ないこの植物が結構興味深いことを教えてくれます。

淤加美門 神域

種ならしの源

源の宮、その入り口にも同じ植物が生えており、更に神域にまで遡ることが出来ました。これらのポイントから種ならしは採取できないのですが、源の宮とは葦名を流れる様々なものの、まさしく「源」。それは水であり、竜胤であり、そして植物の種までも、それらは流れによって運ばれ、時に希釈、変質し、葦名へと辿り着きます。種ならしの植物が源の宮に生えているのは、ここが原産地であるという示唆であり、そしてそれはそのまま竜胤という胤(たね)への言及であるわけです。

全てには「流れ」がある。流れ着いたものには、それを放った源がある。ならばルーツを辿ることができるはず。『隻狼』とは水を主題とする物語であり、すなわち「流れ」を追う物語でした。

輿入れリハーサル

まず最初に最後の話をしますが、不死断ちのため、狼は輿入れの後に源の宮に辿り着き、遂には竜胤の出処たる桜竜から拝涙を行いました。さてこの一連の流れ。既に予行演習が済んでいたことにお気づきでしょうか。というかもう上の方でちょっと言ってます。

白へび 桜竜

痛そう

白蛇イベントがそこに該当するんですね。「巨大な白蛇(竜)の目に剣を突き刺す」、そしてそこに至るまでに、ご丁寧にも「輿入れ」という要素すら重ねられている。

これはシナリオ上の前振りであると同時に、強い暗示を含む描写でもあります。そもそも白へびとは何か。しれっと流されていますが、なぜこのような怪物が存在するのか。その答えもまた竜胤にあったという示唆なのでしょう。白へびのぬしとは、桜竜から生まれた何か末裔のようなものだった。だからこそ同じ状況で同じメに合わされることになったわけです。白へびイベントとは、竜胤の謎を追うヒントであり、拝涙イベントのリハーサルでした。かわいそう。

伝承は水に溶けて

白へびと桜竜が共に目をブッ刺されたのは、その根源たる竜胤を暗示するためでもありました。種ならしがそうであるように竜胤という種もまた源流から葦名へと広がったのなら、きっと運命や信仰、伝承といった「形の無いもの」も同じだったのではないかと考えます。

例えば「蛇の目」とは女性であり、彼女たちは淤加美(オカミ)の末裔だといいます。

鉄砲砦の社の鍵
鉄砲砦の落ち谷衆は、異敵と見れば、撃ち殺す
中でも、蛇の目の石火矢は、恐ろしい
かの女衆は、いにしえの淤加美の一族の末裔
稀な目を持ち、遙か彼方を容易く射抜く
乾き蛇柿
落ち谷の衆は、ぬしの白蛇を崇め、乾いた蛇柿を御神体として祀ったという

この血脈ひとつに注目してみても、それは水の流れに似ています。

淤加美たちも謎が多いですが、彼女たちの名が古く葦名に存在していたと思わしき「オカミ信仰」に由来するものなら、淤加美たちはまさしくオカミ(竜)を神として祭り上げていたのでしょう。そして蛇の目が淤加美の末裔であるなら、或いは蛇の目たちと落ち谷衆の間にあった白へび信仰とは、彼女たち自身が知ってか知らずか、それを通して大本たるオカミ(竜)を崇めるものであった可能性もあります。淤加美から蛇の目へ、そしてオカミ信仰から白へび信仰へ。これもまた源流から水に溶けて、変質または希釈されながら葦名へと広まったものの一つなのでしょうね。

おとぎ話も水溶性で

水は形のないものですら運ぶ。ならば似た話題でもう一つ。

金剛山・仙峰寺。我々は小太郎から一つのお話を聞かされました。

「くるくる回る、赤白いお花」 「たった一輪、真白いお花」

赤白い風車
赤白の紙で作られた、小さな風車
金剛山の道半ばにあった
くるくる回る、赤白い風車たち
みなは、ここにいる
真白い風車
真白の紙で作られた、小さな風車
風に攫われたのか 金剛山の崖下にあった
たった一輪、真白い風車
この子だけ、ここにいる

赤白いお花と、たった一輪、真白いお花。蓋を開けてみれば風車のことだったわけですが、元来おとぎ話というのは、それ自体が暗示を含んでいたりします。この小太郎の言葉も同じだと思っていて、つまるところ、本当に示唆したいものはコイツなのでした。

真白いお花

たった一輪、真白いお花

たった一輪、真白いお花。それはきっとこの光景を指すものでした。変若水もまた竜胤が生んだ淀みの一つであり、馨し水蓮とはそれが特に濃く溜まった場所から芽吹きます。変若水研究のメッカたる仙峰寺が澱と水蓮について把握していないと考えるのも変な話で、むしろ信仰の対象としていた可能性すらあるんじゃないでしょうか。とすれば、それが何らかの形で伝わってもおかしくはない。希釈され、変質した。それこそがあれら風車であり、そして「赤と白の花の御話」だった、そんな想像は如何でしょうか。

白はそれでいいとして赤はなんだよ、とお思いかもしれませんが、たぶん紅葉ですかね。

紅葉

赤白いお花

変若水で染みっ染みだったであろう金剛山は「紅葉」で溢れかえっていました。つまり変若水の影響下にある土地を示す色彩ではないかと考えています。そう考えると、変若水探究の結実たる御子は、紅く染まった仙峰寺に咲く一輪の白い花だった……のかもしれませんね……へへ……へ……。

はい。ちなみに「紅葉」を変若水の示唆と捉えた上で風景を眺めるようにするとちょっと楽しい。野上のおばあちゃんがいるところ、たった一本の赤い葉の樹木。

たった一本の赤い葉の樹木

野上のおばあちゃんがいるところ

こんなところにある紅葉ですが、ここまでは辛うじて変若水が浸透してきている、といった意味に受け取れます。源へと近づくことで水が濃くなっていくのなら、裏を返せば遠ざかるほどに希釈されていく道理。竜信仰が白へび信仰として変質したことも、馨し水蓮が真白い風車として伝わったことも、ある種の希釈と言えるでしょうか。

そしてそれは変若水自体もまた同じ。寂しげに紅く色を付けた落葉樹は、変若水とてその性質が保てなくなる限界点があることを示すものであり、この場所が一つの境界であることを伝えているのでしょう。

付け加えると、その土地を流れる水の性質が、その土地の植物に顕れるという理屈であるなら、源の宮は満開の桜でした。

常桜

満開の常桜

しかしこの手前、破戒僧が守護る淤加美門の辺りは紅葉で満ちています。

おかみモン

桜と紅葉の境界

変若水については後述するのですが、ここには死なずの破戒僧がいました。源の水と変若水の境界の如き様相になっていたのは、この場所が蟲憑き(変若水)の破戒僧の領地であることを指しているのかな、と考えています。

花より団子

伝承やおとぎ話には源泉(元ネタ)があり、流れを下ってくるほどに希釈される。その例としてもう一つ、「神食み」と「丸薬」があります。

丸薬
この地に古くより伝わる丸薬
いにしえの戦でも使われた記録があり 葦名の不倒を世に知らしめたという
神食み
葦名のひと際古い土地に生える草木には、名も無き小さな神々が寄っていたという。
これは、そうした草木を練り上げ作られる 神々を食み、ありがたく頂く秘薬である。
だが、神なる竜が根付いたのちは、そうした小さな神々は、姿を潜めてしまった…

葦名のひと際古い土地に住んだという小さな神々、これらが御宿りした素材を丸めてこね、神ごと効能を頂く。これが「神食み」であり、源の水を信仰していた葦名の古い民にはこの神懸かり的丸薬のことが伝わっていたのだと思います。当然、神宿る素材が万人の手に渡るわけもなく、しかし薄まっているとはいえ葦名の水は格別。故にこの土地で作られた変哲の無い丸薬ですら特別な効果をもたらし、葦名の兵を不倒の強者へと至らしめたのでした。

山あり谷あり変若あり

ということでそろそろ話を畳んでいきたいのですが、記事のオチとして変若水がどのようにして発生したかについてのお話をしましょう。繰り返しですが葦名の水には源泉が存在しました。では変若水にとっての源泉はどこなのか。変若水とはどこで生まれたのか。

え? 全て竜胤が生み出したものであるなら、変若水の源泉も「源」なんじゃないの? うん正解。その通り。

香花の手記
源より流れ出ずる水こそが、香気の鍵だ
源の水が濃く溜まった場所…
つまり変若水が溜まる場所ならば、あの白い、香気まとう花が咲いておるやも…

「源の水が濃く溜まった」。まあ答えは書いているように思えます。獅子猿戦エリアを省みても宮のぬしや建造物が流れ着いているので、源の水がここまでたどり着いていることが分かりますね。そしてその先に変若の澱が形成されていると。そのまま考えれば済む話なのかもしれません……が、ちょっと一考の余地があると思っているんですよね。エマ曰く「変若の澱とは変若水が特に濃く溜まったもの」、らしい。細かい部分かもしれませんが、いいですか、あくまで「変若水が濃く溜まったもの」なんです。逆ではない。澱から変若水が取り出されるわけではない。

何に引っかかってるか分かりますか。ちょっと自分の為にまとめてみますね。

なんか変じゃないですか。澱が変若水から出来ているというなら、当の変若水自体はどこからきたのよ? 源の水が落ち谷のあの場所に流れて溜まる、その過程で変若水へと変質しているように読めませんか、これ。再度、提起してみます。「変若水とはどこで生まれた」のか。先に結論を書いておきます。水生村です。ここで変若水は生まれたのだと考えています。

戦いの残滓・宮の破戒僧
破戒僧は、蟲憑きであり、また源の宮の門守である
宮を永く護るには、死なずが都合良いだろう
真の名を、八百比丘尼という

水生村の神主は源の水を飲んだ後に貴族へと変態しました。これを素直に受け取るなら、源の水、厳密に言うなら「京の水」が貴族を作るわけですよね。そしてテキストや劇中描写を思い返す限り、宮の貴族とは死なず(蟲憑き)ではなく、赤目ですら無さそう。つまり貴族の異形や特異性は変若水とは異なる理屈で成り立っているとみられ、言い換えれば源の水に赤目や虫憑きを産み出す力はない。神主が飲んでいた薄い水(酒)がどこで汲まれたものかは定かではないですが(たぶん水生村)、源の水は神主の手にある時点では希釈されたものが使用されているようです。

さてここからは現実の知識からの推定になりますが、寄生虫に纏わるこんな話を御存じでしょうか。割と有名だと思っているのでたぶん皆さん知ってるんじゃないかな。

ハリガネムシは宿主カマキリを操り、水平偏光を目印に水に飛び込ませる

> 寄生生物の中には、宿主の形態や行動を変えてしまう種も多く、ハリガネムシは代表例とされる。水中で孵化(ふか)し、最初に寄生する水生昆虫が羽化して陸に移るとカマキリなどに食べられ、今度はその体内で成長。成虫になると宿主のカマキリを操って水に飛び込ませる。そして水中に戻り繁殖して一生を終える。一方、泳げないカマキリはどうにか陸に戻るものの、寄生により内臓が弱っておりほどなく死んでしまうという。

籠かぶりの正助 : 「神主さまが、ときどき、お酒をふるまってくださるんだ。ただなあ…お酒を飲むと、喉が渇いちまう。酒樽は、すぐ空になる。仕方なく、みな、池や川の水を啜るんだ。けどなあ、飲めば飲むほど、喉が渇く…」

本当に水を求めていたのは何者か。仮説としてはこうです。

京の水を飲んだ者は京人になる。それは水に宿る「何か」のせいだとしましょう。そして京の水に在って、水生村の酒(水)には足りないものがあるとしましょう。それを「濃度」としてみましょうか。

希釈されたとはいえ源の水を飲んだ村人たちは、しかし貴族に至ることもできず、やがて内に宿った「何か」に衝き動かされていく。水が欲しくて堪らない。濃さが足りないなら、量に頼むしかない。

そして池や川の水を啜り、最後には。

ミブ・ヴィレッジ・ピープル

仄暗い水生の底には

そして人を苗床とした「何か」は水中で繁殖するのでしょう。「ここ」です。これが変若水の始まりだと推測します。水生村の住人の中で、恐らく人を京人に変える「何か」は、その濃度の不足と宿主と環境の差異故に別種・亜種とも言えるものへと変質し、終には水生村の水へと放流され、村の水を汚染しました。これが変若水の正体であり、源流なんです。

水生の先触れ

水生のナメクジ魚

ちなみにナメクジと魚を合わせたような生き物は、何の先触れかは知りませんが、これらの役割としては村人たちと同様だと思っています。ナメクジとは多くの寄生虫を宿す生き物でもあります。水底に沈むのは、人もナメクジ魚も区別なく、全て「かつての宿主」だったわけですね。

というわけで、当然その後、この村の、今や京のそれとは呼べないほどに汚れた水を飲んだ者は「死ねなく」なりました。

エマ : 「変若水…そう呼ばれています。飲んだものは、生半には死なぬ…。いえ、死ねぬようになります」

水生村の供養衆「死者があるところ、また供養衆あり。死ねぬ者でも、おかまいなしじゃ」

本来であれば「何か」が最も欲するところは源の水なのでしょう。しかしそれは手に入らない。ならば希釈されているとはいえ、欲すべき水は水生村のそれになる。だから皆が引き寄せられる。だが足りないから飲み続けるしかない。首無し獅子猿が一度倒された後に水生村に近い水を飲んでいたのは、つまりそういうことなのだと思います。

また話が前後しますが、水生村には桜が枝垂れていましたね。水質が植物に顕れるなら、ここは変若水の源流であると同時に、やはり源の水が届く場所でもあったと解釈しています。淤加美門ではありませんが、丁度境界だったと言えるのかなと。

さて、かくして個人的にちょっと引っかかっていた箇所は解決してくれました。変若水もまた源の水の一種ではありますが、そこに宿る「何か」は水生村を経る中で「別の何か」へと変質していた。そして生まれた変若水は尚も流れ、落ち谷へと行きつき、濃く溜まり澱を為したんです。

『隻狼』とは「水」を主題とする物語でした。全ては竜胤による淀みであり、その源泉は源の神域にあり。しかし長い旅路の中で、如何に特別な水であろうとも希釈を免れることはなく、変質していく。中でも変若水とは、葦名の底の「水を生む村」にて作られた、源の水よりも濃く、しかし遠いものでした。

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