前作をプレイしてから大分間が空きましたが、この度『ニューダンガンロンパ V3 みんなのコロシアイ新学期』をクリアしたのでちょっと感想なぞを書きます。もちろんネタバレしてます。シリーズは『リロード』以外はプレイ済みでアニメも全部観てます。漫画や小説までは追えてませんが、振り返ってみれば結構このシリーズのこと好きでしたね。感想としては、「いまいち」でした。
賛否両論だったらしい『V3』の評価の理由は恐らくラストのどんでん返し、「これまでのシリーズまるごとフィクションだった」の部分だと思うんですが、正直言ってそこは問題ではなく、というかむしろその手の梯子の外し方は好きなのに「いまいち」と感じたのは、梯子を外した後のフォロー、情動への働きかけがどうにも上手くなかったからではないかと考えております。個人的にしっくりこなかった、この所為で盛り下がったなと思うポイントは幾つかあるので、以下それを書いていきます。
まず「外の世界」の視聴者がコロシアイを楽しんでいる、というのはそのまま「現実」の『ダンガンロンパ』シリーズファンに向けた揶揄だとは思うんですが、さすがに我々の現実世界で実際に人が死ぬ興行など成り立たないだろうとマジレスせざるを得ず、イコールで結ぶものでは無いにしたって「外の世界」と「現実」のモラルが致命的にズレてしまっている時点で、最原たちの想いを「外の世界の視聴者」を通して「現実のプレイヤー」にも伝えたいという意図が破綻してしまっている。ここでもうノれない。
次に首謀者である白銀つむぎ。コスプレという一見して無害な才能をラスボスたる「格」にまで高めている、というのは結構好きな造形のキャラクターではあるんですが、それだけにもうちょっと上手く扱ってあげて欲しかった。原作至上主義でありコスプレ対象を完全再現すると謳っておきながら、苗木や日向に変身して首謀者然としたセリフ吐くのはどうなんですかね。「希望も絶望も選ばない」という最終決戦のテーマ上、それ故に敵が「希望にも絶望にもなる」というのは分かるんですが、それにしたって苗木も日向も「そんなこと言わない」でしょう。コロシアイのルールを都合よく捻じ曲げる不手際はまだ受け入れられても、白銀が白銀自身のアイデンティティとも言える「キャラクターへの理解」を疎かにしてしまうのは、キャラクターの格を著しく落とす行為だったと思います。ラスボスを白銀と見るか「外の世界」と見るかという話にもなるでしょうが、どちらにせよ最後の敵なのですからもっと強者の格というもので圧倒して欲しかった。ちなみにフィクション以外はコスプレできないと言いつつ、フィクションと言い放った赤松たちのコスプレをどうやら出来なかったのは、実際に目の前にいるかどうかの違いでしかないのかなと考えてますが、或いは白銀の中にも「フィクションとは何か」について割り切れない部分があったのなら、その点を最終戦の争点に出来たんじゃないかと思います。なぜ最後の敵がコスプレイヤーなのか。馬鹿馬鹿しい部分だからこそ、ここをもっと真面目に取り扱って欲しかった。
そして「お前らの人生は嘘である」と突きつける対象として最終戦の生き残りメンバーがちと弱かった、というのがもう一点。これは自分の才能や人生に対し大きなモチベーションを抱く人物ほど早期に退場しやすいと言える物語の構造上仕方がないかもしれませんが、やはりその所為でどんでん返しのテンションが突き抜けきれない印象が残りました。最原や春川は自分の才能(人生)をある種忌避すらしていて、それは学園生活を送る過程で上向きに改善はされていったかもしれませんが、それでも今後の人生を明るく前向きに拓いていこうといった強い気持ちを抱くまでには至っていないはず。唯一、秘密子は魔法使いとしてのプライドを持ち合わせ、仕事に対して少なからず心血を注いでいたようですし、転子とのこともありましたから、その全てを奪われた後の反応に期待できるかと思いきや、めそめそと泣くばかりで、まー盛り上がんなかった。この点、例えば百田や王馬というキャラクターは最後まで好きになれませんでしたが、あの二人の「宇宙飛行士」や「悪の総統」としてのモチベーションの高さは、最後に打ち砕かれる(或いは乗り越える)ことで、さぞかし強く輝いてくれたに違いありません。叶わぬ願いではありますが、人を殺してまで生き残ろうとしていた者たちこそ、その動機が作り物に過ぎなかった事実に対して味のある表情を見せてくれたのではないかと思えてならないのです。崩壊を描いた上で再起を成し遂げてこそ、本作のテーマたる「フィクション(嘘)」への痛烈な反証となったはず。
そこで「屍者の書」ですよ。結局なんだったのかわかりませんでしたが、あの世界では(恐らく)「記憶を植え付ける」ことが可能であり、ましてデータ化すら出来てしまうようなので、何らかの手段で、その器が無機物であっても人格を付与できる、つまり屍者が蘇ったかのように振る舞わせる類の仕掛けかなと推測してるんですが、意味ありげに登場させたこいつを使って犯人か犠牲者の誰でも蘇らせてしまえば、フィクション云々のくだりに対しより強い説得力を与えられたのではないかと思います。そして前述したように殺人を犯してまで脱出したがっていた者から、一度蘇生というチャンスを与えた上で、そもそもの動機を奪ってやることも可能だったんです。見てみたくないですか? やってほしかった。
とまあ、これらの指摘をすること自体が、まさしく劇中における「外の世界の視聴者たち」の如き振る舞いであり、最原たちはそういった嗜好をこそ弾劾し、ゲームを盛り下げる戦術を以て『ダンガンロンパ』を終わらせたのだ。と仮にそんな答えが返ってくるとすれば、「現実のプレイヤーまで盛り下げてどうする」と返さざるをえず、そんな事をするくらいなら、最原が宣言したところの「フィクションだって現実を変えられる」という意思のもと、キーボを通し、『ダンガンロンパ』を通して世界中に「本物の」希望が伝播していった、もうコロシアイは起きないだろう……というような「おとぎ話」として纏めた方がまだ痛快だったと思います。なんだったら苗木にコスプレしたつむぎがキャラクターに侵食されて段々と原作の苗木らしい言動になっていく、などというトンデモな方向でも良かったかもしれない。現にフィクションであるはずの江ノ島循子にあてられたように、「外の世界」に絶望を振りまこうとしていた素振りがあったので、全く荒唐無稽な展開でもない。やっぱり白銀の使い方次第だったのではあるまいか、この話。どのような形にしろ、プレイヤーがフィクションの力を信じられるような、これまでシリーズを追いかけてきてよかったと思える場所に着地させてくれれば良かったのですが、作為的な希望や絶望を否定するというオチにどうしても持っていきたかったのか、大がかりなどんでん返しを仕掛けたりキーボ周りのギミックに凝るだけで満足してしまったのか、何とも全体的にテンションの上がりきらない展開でまとめたなという感想です。
「好きな展開だったけど、もっと上手くやって欲しかった」。僭越ながら、以上が『ニューダンガンロンパ V3』に対する総評となります。
細かいところで首を傾げてしまう部分の多い作品ではありましたが、それは歴代シリーズも同じで、しかし作風と受け止めた上で「まあいいか」で済ませてきました。それで済まない部分を書き出したものが上の文章です。読みにくかったら申し訳ない。
というわけで好きなキャラクター 3 人挙げまーす。赤松、入間、白銀です。推しばかりが死んでいくのは、デスゲームの性質上大成功なんでしょう。赤松ちゃん、実のところ犯人だろうなという予想はついてて、それはそろそろ「探偵役が犯人」をやってくるんじゃないかとメタ読みしていたからで、トリックの予想もついたんですが、防御姿勢を取っていたにも関わらず、まんまと哀しかったですね。そしてそれ自体が 6 章で裏切られたのは掌で転がされてる感覚があってとても嬉しかったのですが、それだけに尻窄みになってしまった事が悔しくてなりません。後はまあ、彼女は普通に格調高く正統派のヒロインでした。紅鮭団などのモードで最原好き好きを一切隠さないのも、本当に虚しくて好きです。死んだ推しが、死んだ後で一層輝きだす。素晴らしいと思います。
そして入間は、そうですね、説明不要。分かりやすく可愛かった。自分の才能に絶対の自信を持つ彼女こそ 6 章で梯子を外されて欲しかったものですが、やはり今となっては叶わぬ夢。そういう意味ではアンジーも生きていて欲しかったですね。神に依存した彼女は、あの瞬間にどんな顔を見せてくれたのか。どっかのアホが二人も殺さなければ……。そして白銀は、前述したようにキャラクターとしての格がどうにも上がりきらなかったものの、依然として好感度は高い。紅鮭団の個別エンディングでふと見せた本性にはゾクッときました。
というキャラクター評と、上述した「生き残りがこいつらじゃ弱かった」などといった言葉と矛盾することを今から書きますが、実のところ最後にあの 3 人だけが「作られた世界から外に出ていく」というエンディング自体は結構好きだったりします。あの 3 人、全員が自分にとって一番大切と言える相手を喪っているんですよね。つまり言ってしまえば、仲間ではあっても「そこまでお互いに執着の無い者たち」の集まりであるわけです。しかも各々の人生は植え付けられたものでしかなく、その自覚もある。そんな何にも頼れず縋れない、言葉は悪いですが「空っぽな」 3 人だからこそ、一切のしがらみも無く全てを一から構築する意義に溢れている。その未来にある種の清々しさのようなものを感じるわけです。色々言ってはきましたが、ことあの 1 シーンに限れば好きな幕引きでした。
続き、欲しいですね。『ダンガンロンパ』はフィクションだったわけですが、この点どうとでもなると思います。白銀が「模倣犯」などと仄めかしていた辺り、実は『1』『2』の出来事はフィクションなどではなく、それをフィクションに貶めようと画策した「何者か」がいて、チームダンガンロンパや白銀はその手法を延々「模倣」していたのだ……とでも言っておけばいいんじゃないでしょうか。もしくは全く関係のない、「あの『ダンガンロンパ』の製作スタッフが送る!」新作でもいいので、劇中のあれこれを読み解いていくと実は『ダンガンロンパ』とその作品は世界が繋がっており、「チームダンガンロンパ」の真相が浮き上がってくる……なんて些細な繋がりでも一向に構いやしません。知るのが無粋なら、せめてもう一歩先の推測くらいはさせて欲しい。
全ては計算づくで、『V3』に対する賛否も何もかも想定の範囲内でした、この記事如きで指摘されたことなど最初から予想済みで、それに対する答えも用意してたんだよね、というような言い分も快く受け止めるくらいにはこのシリーズが好きなので、何食わぬ顔でしれっと戻ってきてくれたなら嬉しい。さよならは、また会うためのおまじない。