2023 年は 8 月 25 日、ついに待望のシリーズ新作『ARMORED CORE VI FIRES OF RUBICON』が発売されます。この記事は新作発売前に、ある意味でシリーズを包括する記事でも書いておきたいなと思い出来上がったものです。なので歴代シリーズのネタバレというか要素を含むのでお気をつけ下さい、と思いつつも、シリーズを遊んでいる人には特に目新しくもない見解でしょうし、どちらかと言えば過去作を遊んでいない人に少しでも「『ARMORED CORE』シリーズ」が伝わってくれればいいなという、これは祝詞です。
とはいえそんな大層なものでもなく、「イレギュラー」という言葉についてちょっと思うところがありまして。
- イレギュラー [AC-]
- 世界の秩序を破壊するほどの力を持った存在。主に各作品の主人公が該当し、戦果を重ねていくうちに、社会に混乱をもたらす者と認識されることで、体制側から排除の対象となる。
これは最近発売されたゲームムック『ARMORED CORE VI FIRES OF RUBICON BRIEFING DOCUMENT』からの引用です。かの「AC 部」のインタビューも載ってて面白かった。おすすめですわよ。
さておきイレギュラーという存在についてですが、基本的にこの言葉は「最強」の意味で用いられることが殆どだと思います。それについて異論は無いです。無いのですが、最強というのは結果的にそうであるだけであって、その全てを「強さ」の一語に集約しようとするのはちょっと味気ないんじゃないか、今回はそんな話がしたい。
『アーマードコア』シリーズの人類には、大体のケースでそれを管理する者がいます。何故なら管理してやらんとどうしようもないのが人間ってやつであり、放っておけば争い合って自滅していく。ならばそのどうしようもない性根ごとコントロールしてやり、適度に闘争本能を満たしてやればマシに生き永らえられるだろうと、大体そんなようなことをどこかで誰かが考えたんでしょう。
管理された営み、統制された戦争。しかしそうした体制の中で発生してしまうのが「イレギュラー」――管理者の想定を超える存在でした。
代々イレギュラーと呼ばれる存在は、管理者の思惑や、人類に迫る危機、テロに至るまで、「誰かが物事を思うままに運ぼうとする」タイミングで、誰に仕組まれた訳でもなく現れます。管理だけが人間の宿痾である「どうしようもなさ」への対症療法であるのに、遂にはそれすらも嫌がって病室から飛び立とうとしてしまうのだから、神様も困惑ですよ。死にたいの? 助かりたくないわけ?
「あれこれ指図されたくない。それだけだろ」
そうかもね。
しかし、であれば、人の闘争本能は管理しきれるものではなく、人は人が望んだ闘争に耽溺し、やがて自らを滅ぼすしかない、イレギュラーの存在とはその示唆なのでしょうか。
どうもそういう事でもなさそうなんですよね。
『ACV』『ACVD』においてイレギュラーは「例外」「黒い鳥」、または「可能性」などと呼称されました。そして人類を嫌悪することに余念の無い「財団」は言ってのけます。「そんなものは無い」と。人間に闘争と自滅以外の結末などない、他の可能性など存在しないのだと。全てはそれを証明するための暗躍でした。
だから「イレギュラー」の本質とは、まさしく「例外」……「どうしようもない」という答えに対し、「必ずしもそうではない」という可能性を突きつける者でなければならない。
『AC3SL』に登場した、前作(『AC3』)で人類が過ごしたものとは異なるレイヤード(地下世界)。そこで管理されていたであろう人類は、既に滅び去っていました。きっと可能性を示すことができなかったのでしょう。管理しなくては死ぬ。しても、死ぬ。なんて飼いにくい生き物なんだ。
人の歴史も積み重なれば、例外もまた「前例」として蓄積されていくのでしょうか。誰かがイレギュラー要素を定量化しようと試みたもの、それが「ドミナント」だったのでしょう。
- ドミナント [ACLR]
- 先天的に戦闘適正に優れた者のこと。かつて、科学者によってその存在が提唱された。ジャック・O が探し求める存在であり、またエヴァンジェはドミナントと自称している。
(『ARMORED CORE VI FIRES OF RUBICON BRIEFING DOCUMENT』より)
しかし『ACLR』でドミナントと目されたレイヴン、ジナイーダ自身は、この言葉に極めて懐疑的でした。
- ジナイーダ(メール)
- 『ドミナントなどという、ジャックの世迷い言に手を貸す気も無い』
興味を持っていなかったと言った方が正しいでしょうか。そもそも同一視されがちな「イレギュラー」と「ドミナント」ですが、恐らく両者は異なるもの、むしろ相反する存在とすら個人的には考えています。人類の中から自動的に発生するイレギュラー、これを理論化する試み自体は理解できるものですが、思うに定義しようと考えた時点でそれはイレギュラーから外れるのです。なぜなら定義とは管理する者の発想であり、イレギュラーとはその想定を超えるからこそイレギュラーなのですから。
- ジナイーダ
- 「私はただひたすらに強くあろうとした…。それが私の生きる理由であると信じていた…。やっと追い続けたものに手が届いた気がする…。レイヴン…その称号は お前にこそふさわしい」
ジナイーダは「ドミナント」という呼び名に終ぞ興味を示しませんでした。それは管理された力に過ぎないから。だからこそ彼女は自らを破り最強最後の一人となった主人公を、ただこう呼び表すのです。「レイヴン」と。
- レイヴン -
最強の人型兵器「アーマード・コア」を操り 多額の報酬と引き換えに依頼を遂行する傭兵
支配という名の権力が横行する世界において何にも与する事のない例外的な存在である
(『ACLR』)より
彼女はそれになりたかったのでしょうか。何者にも支配されない、そんなことが不可能である世界で、それを可とする「例外」。誰の思惑も関係なく、どこへだって飛んでいける自由きままなレイヴン(黒い鳥)に。ただの「AC パイロット」の総称であったはずの言葉が、「イレギュラー」とイコールで結ばれて以降、その言葉は気軽に使われなくなっていったように思います。
もちろん何物にも縛られない為には、誰よりも強くなければならないでしょう。だから前述したように、イレギュラーを指して「最強」と呼ぶことに異論はありません。しかし例外という在り方を戦闘能力のみで捉えようとした途端、イレギュラーは翼を失う気がしてならない。ドミナント(支配)という言葉に支配されず、如何なる定義からすらも自由だからこそ、それはきっと「例外」なのです。
ただし「自由」とは厄介なもので、そう都合のいいものでもありません。最も強い力は、時に人類を害する為に使われることもあるでしょう。「どうしようもない」という答えの反証たる一方、「こうあって欲しい」という願いにすら背を向ける。或いはイレギュラーの力が我々に向けられた時、そこには別の「例外」が立ち塞がってくれるでしょうか。
さてこれまでの話については気が済んだので、これからの話をします。
「識別名『レイヴン』。リスト上位、優先排除対象だ」
ストーリートレーラー中に登場するこのセリフが主人公に対するものかは不明です。しかし主人公(強化人間 C4-621)はルビコン 3 に密航する際、AC の残骸から他人の身分証を手に入れているようなので、それを「死肉を啄むカラス」に見立て名付けられたと思えば腑に落ちますね。
「見せてもらいましょう。借り物の翼で、どこまで飛べるか」
AC を操作する以外の全てを失い、名前すら自分のものではない。徹頭徹尾、「お前はどうしようもない」と突きつけてくるわけです。
燃える。これ以上の導入は無いでしょう。
2023 年 8 月 25 日、『ARMORED CORE VI FIRES OF RUBICON』発売。
シリーズ史上もっとも不自由に思えるレイヴンは、どのような自由を勝ち取り、何を証明するのでしょうか。