ACID BAKERY

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『AC』を観る。

おはようございます。

あ、観ました?

シークレット・レベル - プライム・ビデオ

実物を目にしてもまだ信じられない……!

と言うのはさすがに嘘なんですが、信じてない時期がありました。「今年こそ TGS で『bloodborne 2』が発表される」レベルのフカシだろうと。極めつけに キアヌ・リーブスが乗ると聞かされた日には、さすがに話を盛り過ぎだろうと笑ってしまいましたよ。まったくインターネットの吹聴屋どもにも参ったもんだね。

ほんとに乗ってたよね。

想像に過ぎませんが、ソウルシリーズや『ELDEN RING』の映像化も絵図としてはあったと思うんですよ。それでも、何を置いてもまず、この『シークレット・レベル』というプロジェクトの一篇に『アーマード・コア』を組み込んでくれた。

「『AC』で行こう」「AC にキアヌを乗せよう」「AC に乗ったキアヌで AC をブッ壊そう」と提案してくれた大人たちがいたんですよ。嬉しすぎる。

ご存じの方も少なくないでしょうが、『AC(アーマード・コア)』は20 年ほど前に映像化しかけておりまして、しかし諸々の事情もあって頓挫したと伺っています。まあこれ自体は今回の映像化に関与しない事象ではあろうものの、折れた骨が、折れる前よりも強靭に接着してくれたような痛快さが在るじゃないですか。

なんの話だっけ? そうだ、感想を書くつもりでした。

以下、ネタバレあり。見事なロボットアニメでした。

おはなし

凍てつく辺境の世界で、伝説のパイロットは最新の任務が自身を何十年も悩ませてきた悪魔の正体を突き止める鍵となるかもしれないことを知る。

シークレット・レベル - プライム・ビデオ - 『アーマード・コア - アセット・マネジメント』)

AI が生成したようなログラインを読まされて不安になった方もおられるでしょうが、ご安心ください。とにかく、キアヌ・リーブス演じる強化人間が、脳内オペレーターをお供に AC に搭乗! 仕事! 破壊! 殺戮! 以上、それだけだぜ。難しいことは考えなくていいぜ。

今回の映像化に際して、たぶん一番言われたであろうことがパイロットの存在でしょう。『AC』シリーズはただ兵器を操り、時に人工知能に操られる人々の物語ですが、兵器の中身であるヒトのビジュアルに関しては徹底して排除してきたことでも知られています。もっとも幾つかの例外はあるんですが、原則的には会話や文面でのみヒトの存在が示される。『AC』を表す特性のひとつとして、「人間の外見が描写されない」、これがあるのは間違いない。

しかし此度の映像化で、その制約は景気よく取っ払われました。世界には「人々」がいて、キアヌがいる。酒を飲んだりタバコを吸ったりしている。泥水のようなフィーカだってあるでしょう。「AC」の地平、ここから広がる……。

主人公は伝説のパイロット。強化人間の最後の生き残りだと言います。しかしそんな背景とは裏腹に、今の彼はしょぼくれたキアヌ・リーブスでしかなく、脳内に埋め込まれた「放射性同位体」とやらの声に苛まれながら、今日も今日とてお仕事へ。

この AC 発進シークエンスがまた良いんだ。貴重な「人間がACに乗り込むシーン」から始まり、恐らく強化人間特有であろう、機体と自らをダイレクトに繋ぐ様は痛々しい。しかしここまでずっと死にそうな顔で、虫けらのように地を這っていた主人公は、狭いコックピットの中、むしろ活き活きと空を往くのです。なぜなら AC 乗りにとって、強化人間にとっては殊更に、AC とは拡充された自らの肉体なのだから。

「普通の人間がそのまま戻ってきたいなら、コックピットに入る前に自分の一部を置いてかなきゃならない。それがな、あいつの場合は逆なんだと。聞いたところによると、コックピットを出る時、何かを置いてくる」

(『アセット・マネジメント』 - オールド・ソルト)

むしろ AC のパイロットでいる時間こそが、彼本来の姿と言っていいのでしょう。

真の姿を取り戻したパイロットは、「標的」目掛けて飛んでいきます。ちなみに標的がなんなのか教えてもらってないんですって。こういう、「そんな仕事があるか」ってミッションが、実に『AC』っぽい。

そして一息に標的の元に辿り着けないのも『AC』。お楽しみの時間、AC 戦の始まりです。ここからは実際に見て、感じるままを受け取りましょう。シールド! ブレード! ショットガン! 重そうな四脚ゥ! そうそう、AC 戦とは機体を削りながら行うものなのだ。

ありがてえ……。こんなもんがお目にかかれるのかよ。

ちなみに本作がシリーズ中、どの時代の話「だったのか」は、オリジナルストーリーを書いたというピーター・ワッツ氏が自身のブログで言及なさっているので、副読本として枕元に置いておきましょう。踏まえ、VOBっぽい装備や「有澤重工」の名前といい、本作はあらゆる世界・時代を良い感じに取り込んだオリジナル世界……と思っておくのが穏当なところなんじゃないでしょうか。

そして物語は終盤。一気呵成に敵を仕留め、辿り着いた施設深部で「声」は言いました。ここは、かつて主人公が強化処置をされた場所に似ている。

そして目の前には一機の AC。コアをこじ開けると、中では一人の男が衰弱していました。彼は息も絶え絶えに、しかし血にまみれた腕を伸ばして乞います。「助けて」と。

依頼者の狙いは何だったのでしょう。強化人間同士をぶつけて処分したかったのでしょうか。どこかの企業、或いは更に上位の存在にとっての「資産管理(アセット・マネジメント)」に過ぎなかったのか。

兎にも角にも「声」いわく、敵 AC や目の前の強化人間に敵意は無かったそうです。彼らは、終に出会えた主人公の同胞だと。普通の人間に溶け込めずにいた主人公はそれを受け、「同胞」が差し出す手に応えるようにして、損傷しきった機体の、残った腕を伸ばしました。

交わされる視線。結ばれる手と手。そしてそのまま押し込まれていく AC の指先は、「同胞」の頭をあっさりと砕きました。

「俺に似てる? そんなやついねえ」

「『私たちに』……似てる奴はいない、でしょ?」

こうして「パイロット」と「声」は、いや、AC 名「シュリーカー」と呼ばれる一機の生き物は、眼光赤く闇に消えていきました。

総評として

総評 : いまいち

おっと「いまいち」が出てしまいましたねえ。鑑賞自体は割と熱っぽく行ったんですけども。

いえね、構成といい、ストーリーそのものは完璧だったと思います。

冒頭。多くの野郎どもが騒がしく飲み交わす場にわざわざ身を置いておきながら、「こいつら浮かれやがって」とごちるキアヌは、自らに不足するものを、それが出来ないと知りながら、それでも他者の存在で埋めようとしているように思える。喧嘩相手であるキッドが投げつけた「話したくないならバーに来るな」はその通り。家で鏡月でも飲んでろ!

彼は孤独に苦しんでいるように見えます。そして脳内の「声」は社交を促すわけです。「仲間よ。脅威じゃない」

これに対し主人公は「俺みたいな奴が一人もいない……」と返すのですが、この「俺みたいなやつはいない」というフレーズは、劇中で印象的に繰り返されます。一度目は酒場の外。二度目は AC戦 2 ラウンド目、敵機の連携に追い詰められた際、「(彼らは)あなたより強い」という「声」に対し。そして最後は、上述した通り、最後の最後に。

このフレーズは発せられるたびに色合いを変えます。一度目は「強化人間は自分しか残っていない」という意味で、二度目は「自分程のパイロットはいない」というプライドから。そして三度目は、どうしたことか、ようやく見つけた「同胞」たる強化人間を虫けらのように潰した後に、です。含意を変えて繰り返されたフレーズは、実のところ、総て同じ意味でした。

主人公は孤独に苦しんでいるように見えますが、或いは孤独をこそ欲していたのかもしれない。わざわざ自分以外に強化人間のいない場所で孤独に身を浸していたのは、自らのオンリー・ワンを確認する為ではなかったか。それはもしかすると、最強を証明する為に単騎戦闘へと身を投じた行為と同質のものではなかったのか。そしていざ「自分と同じ」強化人間を目の当たりにすれば、これを殺してしまう。「これでもう、俺と同じ奴はいない」と言わんばかりに。

強化された人間ゆえの破綻したメンタルなのか、主人公が生来持つ「この世界にただ一人の存在(ラスト・レイヴン)でありたい」という欲望に基づくのかは分かりませんが、孤独に苛まれていたかに見える主人公が、その実、自身の存在証明のために、より深く孤独に潜るために、「同じようなやつ」を殺しまくる怪物だった、というお話だったわけです。

しかしもう一段、忘れてはいけないのが、「俺みたいな奴は他にいない」というフレーズは、全てが「声」への応答でした。思い返してみれば、わざわざ主人公にそう言わせるために、「ただ一人になる」欲求を逆なでするようなことを「声」は囁き続けてきたように思います。冒頭、主人公に酒を執拗に勧めていたのは、酒でも飲んで気を紛らわせればいいという意味なのか。それとも、もしかすれば、自身の「声」をより深く、酩酊した主人公の中に浸透させるためではないのか。そういえば「同胞」殺しの際に、一切の動揺も見せなかったよね、きみ。

……とまで深読みしてみると、え? めっちゃおもしれーじゃん。

では、そこまで言っておいて何が「いまいち」なのか。これは簡単です。

この物語には「アセン」がないんです。

なになに、ゲームシステムが再現されてなかったことに文句言ってんの? と思われるでしょう。まあそうなんですけど、そう単純な話ではないつもりです。

これは大分『AC6』を経由して固まった「AC 観」にもなるんですが、「アーマード・コア」とは拡張された人体でした。すなわちアセンブリを行う、パーツを組み替えるという行為は、人型兵器に幅広い汎用性を付与するための機構であると同時に、「無限の選択と淘汰を繰り返すための形状」、人間が持つ「可能性」のメタファーでもあります。

『AC』は人のビジュアルを極力排した物語ですが、言い換えれば、AC という機体を使って人間を表現し続けてきた物語でもありました。だからアセンとは、人型兵器を以てヒトを表現する為の、まさしく欠かせない「コア」なんです。

一部の特注機などを除けば、パーツを入れ替えてしまえば全く別の機体に成り代わることが可能となる、ある意味で「唯一の機体が存在しない」AC という兵器と、「俺と似てる奴なんていない」というテーマがバチっと噛み合っていただけに、それを AC らしいシステムではなく、人間を使って、その口から語らせるというのは、少々、エレガントさに欠ける。もちろん AC という兵器を如何様に解釈するかは、受け取る側によって多岐に渡る筈ではありますが、本映像作品においては唯の「メチャかっこいい人型ロボット」の域に留まっていた感は否めない。それでは物足りない。

人間を出すな、とか言っているんじゃありませんよ。出すなら、出さずにいた意味を超えて欲しかったんです。

一人の強化人間と「声」が織りなす、苛烈にして仄暗い物語。これを実質 10分 という時間でよくぞ纏め上げたと賞賛する気持ちはあります。スピード感に溢れ、溺れるほど情報が詰め込まれた戦闘シーンも大満足の仕上がり。しかし一方で、この物語が『AC』である必然性に満ち溢れていたかと言うと……。

『アーマード・コア - アセット・マネジメント』。ロボットアニメとしては御見事でした。