おはようございます。朱い腐敗(花粉)が飛び交っていて室内ですら目が痒いことがありますが、よく眠れておられるでしょうか。
ようこそラバー・ソウル別館へ。本館とは別に、具体的に形にするのは時間がかかるからその前に気になる部分に言及だけしておこう的な記事、その 5 です。正直最近はこの備忘録すらもサボり出していたのですが、やー来ましたね、DLC。「Shadow of the Erdtree」ですって。狭間の地の言葉はよく分からないのですが、意訳すれば「おまえをころす」になるんでしょう。そんなわけでまだ何もわかっていないのに何を書くんだって話ですが、何もわかっていない段階だからこそ予想ってものが立てられるわけです。堂々と予想して、堂々と外そうじゃねえか。
まず DLC への想像力を働かせる前のおさらいですが、黄金樹とはある種の「ろ過装置」であり、黄金律とは生きとし生けるものの「ろ過」を繰り返すための循環システムでした。……という記事を以前書きました。
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そんなわけで、ろ過の過程で不純物は黄金律から排斥され、結果として「黄金」はその純度を上げていきます。
- オルドビスの大剣
- 原初の黄金は、より生命に近く 故に赤みを帯びていたという
余談ですが鍛冶仕事の工程に「折り返し(鍛錬)」というものがありますね。カンカンとハンマーを打ち付ける、鍛冶仕事においてもっともメジャーな光景かと思われます。あれ、要は叩きまくって金属内部の不純物を排出させ、強度を上昇させる意味があるらしいのですが(実は二回程度での折り返し作業で不純物は抜けきって強度は以降変わらなくなるらしい、とかの話はこの際置いておくとして)、この「黄金律による生命循環の繰り返しによって不純物が抜けていく」ことと「折り返しによる不純物排出」は重ねられているんじゃないかと見ています。
マリカ(ラダゴン)の武器が鍛冶仕事に馴染みの深い槌だったのはその為でしょうか。前述の過去記事で黄金律はある種の錬金術と書きましたが、どちらかと言えば鍛冶だったのかもしれない。もしかするとラダゴン戦のあの場所、もしくはマリカがエルデンリングを破壊した場所は、言ってみると神による鍛冶作業、その為の金床だったのかもしれませんね。それを踏まえると、ラスボス戦でラダゴンが剣と化したのはちょっと象徴的といえます。黄金律とは黄金の純度を高めるための鍛冶仕事。そしてそれを担う神すらも、より上位の存在にとっての道具に過ぎなかったという。
- 回帰性原理
- 原理主義は、黄金律を二つの力で説明する
- それ即ち回帰と因果であり、回帰とは 万物が不易に収斂しようとする、意味の引力である
- 因果性原理
- 原理主義は、黄金律を二つの力で説明する
- それ即ち回帰と因果であり、因果とは 万物を関係性の連環となす、意味間の引力である
- 忌み水子
- 呪われて生まれた赤子の像
- 忌み赤子は、その醜い角をすべて切られ 大抵はそのまま死んでしまう
- これは、その供養の像である
- どうか、私を恨み、呪わないでください
- しろがねの凝血
- しろがね人とは、人に創造された生命である
- それ故に、彼らは黄金樹に祝福されぬ 穢れた命であると考える人々がいる
- 翼の混種の遺灰
- 混種は、坩堝に触れた罰の存在であるとされ 生まれながらの奴隷、穢れ者である
- モーンの城 霊体 NPC
- 「…ああ、助けてくれ。俺は貴族なんだ。あいつらに、混ざり者どもに喰われたら、俺も永遠に… ああ、それだけは嫌だ、穢さないでくれ!」
延々と引用して申し訳ありませんが、黄金律を成すものが「意味」であるなら、同時に排斥されるものが「忌み」。「意味」と「忌み」での対比になっているわけですが、これは文字通りの忌み者のみならず、混種やしろがね人といった黄金律より拒絶された者どもの総称と考えていいかと思います。
回帰と因果の最中、ろ過された黄金から抜け出る不純物こそ即ち「忌み者」。意味の折り返しによって、黄金から忌みを追い出そうとしていると。しかし黄金律が不要とした忌み者たちとて生命には違いない。この行き場のない生命たちに意味を与え、新たな律として確立しようとしたのが神人ミケラでした。
- 神託の使者たちの遺灰
- 神託の使者たちは、新しい神、あるいは時代の 予兆として現れ、神託の笛を吹き鳴らすという
黄金律の樹立が新たな時代の到来であったなら、ミケラの目指したものもまた一つの時代を築き得るものだったのでしょう。それも死に生きるものたちや糞喰いが目指したような、既存の律を改変するものではなく、全く別の新しい律です。神人ミケラ、得体が知れぬ。
しかし肝心のミケラくんは、破砕戦争のドサクサに紛れてモーグに誘拐されちゃったのでした。トホホ〜。
ということなんですが、そもそもなぜ生命が黄金樹によって循環を繰り返しているかと言うと、狭間の地には「死」が存在しないからです。黄金律は運命の死を取り除くことで始まり、故に世界からは「死」という仕組みそのものが排除されたそうで。
樹に還る
だから役目を終えた生命は「還樹」という形で黄金樹に戻り(恐らく地下墓で根に吸われる)、「ろ過」されてまた別の形で生まれてくると考えられますが、死という結末そのものが世界から取り除かれているのなら、忌み者たちとて「死なない」のは同じはず。忌み嫌われる彼らは、虐殺の対象となりますが、それでも「死ねない」。動かなくなるまで暴力を尽くされた後、どうなるのかは語られておりませんでした。
- 嵐の麓の地下墓の霊体
- 「正しい死とは、すなわち、
黄金郷黄金樹に還ることなり。待ちなさい。根が貴方を呼ぶ、その時まで…」注意 : 御指摘して頂き気づきましたが、ここの「黄金樹」をなぜか「黄金郷」と読み間違えていました。別の場所のセリフや記述をここのセリフと勘違いしている……という線でも無い限り、『ELDEN RING』に黄金郷という場所はないです。『メイド・イン・アビス』を読もう。
黄金郷という場所があるのだそうです。黄金郷なる場所は多分無いですが、死に代わる「還樹」の後、根に吸われた生命は黄金樹の中で混ざりあい、次の誕生に備えるのだと勝手に考えています。ならば同じく死ねず、しかし黄金樹から拒絶された忌み者たち、その魂はどこに辿り着けばいいのでしょう。もしかすると黄金樹ではない、忌み者たちにとっての「死に代わる場所」が存在するのではないか。そしてその場所こそが「黄金樹の影」の世界なのではないかと考えるわけです。
『ELDEN RING』のDLC「Shadow of the Erdtree」を開発中です。続報はまだ少し先になりますが、ご期待いただければ幸いです。 pic.twitter.com/g5UyUHg3iW
— FROMSOFTWARE (@fromsoftware_pr) February 28, 2023
そんなわけで DLC を過去編と見る向きもあるようですが個人的にはちょっと違うと思っていて、今まさに排除され、その結果澱み続けている忌み者たちの怨嗟、そして黄金律の輝きによって生まれる現在進行形の「影」……そういったものと対峙させられることになるのではないのかなと。
コンセプトアートを眺めると、黒い粒子のようなものが降り積もり、あるは舞い上がっているように見えます。黄金律がろ過と循環を繰り返し、古い黄金から分離させてきた「不純物(忌み)」が澱を為して構成する世界、そんな解釈はどうでしょう。故に「Shadow of the Erdtree(黄金樹の影)」。黄金の威光によって生まれた影なるものの郷里。うーむワクワクする。
コンセプトアートの中でも特に目を引くのはなんといっても黒い黄金樹です。忌みが黄金樹を模しているのでしょうか。そこが「黄金樹の影」の世界であるなら、あの黒い黄金樹こそ居場所の無い忌み者たちにとっての「影の黄金律」、そういったものの根幹かもしれません。
黒い黄金樹が抱きかかえる巨大なルーンのようなものはなんでしょう。予想するにエルデンリングの破片だと思いますが、劇中で想像できる大ルーンとは比較にならないほど大きい。これのせいで DLC エリアが生まれたと考えても面白いでしょう。そこが影の世界であるなら、強い光に間近で照らされることで、やはり色濃くなるのでしょうから。
死ねず、しかし黄金律から拒絶された者が行き着く世界、という理屈であれば気になるのはゴッドウィンの登場でしょう。彼の魂は「死んで」いるはずですが、黄金律によって死が否定された世界で、それでもなお死を与えられた者の魂がどういう扱いになるのかはちょっと分からない。完全なる消滅なのか、それとも何らかの形で忌み者として影の世界に押し込められているのか。
想起されるのがゴッドウィンとラニです。彼らはそれぞれ「肉体」と「魂」が死んでいて、肉体の滅んだラニに至っては魂を「代わりの体」に移すことで活動していました。狭間の地のいたるところで霊魂のようなものを見かけましたが、(或いはデミゴッドのみに許された特異性だとしても)分離した魂は入れ物さえあれば活動できることが示唆されています。これ、逆はどうなのでしょうか。
- ソール城の霊体
- 「……。…おお太陽よ!ソールの冷たい太陽よ! どうか、蝕まれ給え。魂無き骸に再誕をっ…」
- 「……。…申し訳ありませぬ、ミケラ様。まだ、太陽は蝕まれませぬ。我らの祈りが弱いばかりに 貴方の友は、魂無きままなのです…。…もう、見ることは叶わないでしょう。貴方の聖樹を」
「魂無き骸」が指す候補は他にあるものの、ゴッドウィンの現状をそう捉えるなら、ミケラ、或いはその信徒は彼の再誕を目論んでいたことになります。入れ物さえ本人そのものであれば、中に何が入っていようと、それはゴッドウィンの再誕と呼べるでしょうか。
- 黄金の墓標
- 少年の静かな祈りが込められている
- 兄様、兄様、正しく死んで下さいな
魂だけが死んだゴッドウィンは、それだけなら尋常の死者と呼べるかもしれませんが、ご覧の通り異形になり果てていました。あれが「正しく死んでいない」故だとすれば、その原因を取り除き、クリーンな遺体(器)に戻すことが当面のミケラの目的かもしれません。再度の引用となりますが、地下墓の霊体曰く「正しい死とは、すなわち、黄金樹に還ること」。ミケラは兄の魂を黄金樹へと返してあげたがっているとも考えられますね。あるいは……もったいつけるようですが、これは後述。
コンセプトアートに描かれた後ろ姿がミケラだとして、謎多き神人との邂逅、そしてその意思を知ることも叶うのでしょうか。
また「死」といえば祖霊です。
- 祖霊の王の追憶
- 祖霊とは、黄金樹の外にある神秘である
- 死から芽吹く命、生から芽吹く命
- そうした、生命のあり様である
- 角飾りシリーズ
- それは、芽生えかけの角であるという
- 長く生きた獣は、角に新たな芽生えを迎え それを永遠に繰り返し、いつか祖霊となるのだと
祖霊とは黄金樹の外にある神秘であり、死より芽吹く生命であるらしいので、その謎に迫る機会もあるかもしれません。角持つ霊馬トレントは祖霊、ないしそこ繋がる獣だと解釈できますが、「そもそもトレントとは何か」への解答があるかもしれません。ちょうどコンセプトアートにトレント(に似た霊馬)も描かれていますしね。
また同じくコンセプトアートには半透明の墓がたくさん見受けられます。これら墓の群れが、生命が死なないはずの世界で、それでも生を奪われたものたちの「死後」を暗示するのだとすれば、もしかすると劇中倒れたものたちとの再会や再戦も叶うかもしれません。いわゆるボスラッシュモード……はちょっと怖すぎるか。
肝心の DLC エリアへの入口ですが、影がキーワードになるのであれば、影を生む強い光、つまり太陽などが怪しい。元々あの世界において太陽はあるのか無いのかよく分からないものだったりします。いや、あるんですが、月が目に見える形で意味を与えられているのに対し、どうも立ち位置がふわふわしている印象です。
- 太陽の都の盾
- 太陽を戴く都が描かれた、栄誉の盾
- だが、これはもうボロボロである
- そして、太陽の都もまた もはやどこにも、存在していない
他にも太陽の存在を示唆するテキストはありましたし、前述したようにソールの城砦においても「太陽」とはっきり口にされています。そもそも「ソール」とはソーラーに通じ、太陽を意味する言葉だと思われます。コンセプトアートにミケラと思われる人物が描かれ、彼と太陽の間に元々関連性がありそうなあたり、やはり DLC において太陽は重要なキーワードになりそう。狭間の地のちょうど真ん中に何かありそう、とは散々言われている気がしますが、ここがかつて「太陽の都」だったと考えても楽しいですね。
なので DLC エリアへの入口を予想するならソールの城砦、中でも日蝕教会が非常に怪しいと見ています。となると DLC エリアはローデイルを越えた後ということに。最近のフロムゲーの DLC エリアは割と序盤ないし序盤を越えた後くらいに配置される印象なので、ローデイル後だとちと遠い気もしますが、ただでさえローデイル越えまでの選択肢がメチャメチャ多いゲームで、序盤に行ける場所を更に増やすことはしないかもしれない。ならば最低限必要な大ルーンを集め終わり、攻略順路がある程度整頓されたローデイル後がやはり妥当でしょうか。
あ、ちょっと待った! DLC エリア入口についてはまだ候補というか、言及しておきたいことがあります。『ELDEN RING』には「睡眠」というバッドステータスが存在しました。
ここで別作品のタイトルを出しますが『Bloodborne』では悪夢と呼ばれる非現実世界があり、そこにアクセスする幾つかの方法のうちの一つが「肉体を捨てる」ことでした。メンシス学派の末路がそれです。もっとも、肉体を捨てて悪夢に辿り着いたのか、悪夢で活動するうちに肉体が滅んだのかは断定できませんが、その方向で行けば悪夢とはある種の死後の世界と言えるのかもしれません。
なぜ別作品の名前を出したかというと、『ELDEN RING』が『Bloodborne』と同じ世界観だという意味に取ってもらっても構いませんし、フロム・ソフトウェアのお家芸であるセルフオマージュだと取ってもらっても構いませんが、要は『ELDEN RING』においても肉体を離れて、魂を夢の世界に解き放った存在がいたと思っているからです。その干からびたような有り様を観た時、咄嗟に『Bloodborne』を連想しました。
ミケラです。
スヤスヤ
ミケラとミコラーシュたち、合わせてミケラーシュは、共に肉体が干からびる形で眠り続けています(画像のミイラがミコラーシュだという仮定の上ですが)。つまりマレニアが身を寄せた聖樹が空っぽであったように、モーグの傍らにあった繭の中の肉体も、ある意味で空っぽであったのではないかという解釈です。
- 百智卿、ギデオン=オーフニール
- 「さて、どうしてくれようか。繭の内で、眠り続けるのであれば、それでよいが。あるいは、滅ぼすべきかもしれんな。…ミケラ、あればかりは得体が知れぬ…」
百智卿ですらビビるミケラですが、彼と聖女トリーナについては深い関連性が示唆されています。そして「眠り」に関わるアイテムを多く抱えるトリーナに対し、ミケラもまた「眠り」の中にいる。
- ファリスの製法書
- 聖女トリーナに心奪われた男の製法書
- 彼は眠りの中に、トリーナを探し続けた
『ELDEN RING』においても悪夢に類する世界が存在するのだとすれば、「眠り」とはその入口なのかもしれません。やや唐突に思えた「睡眠」という状態異常は、それを示唆するための実装だったと考える次第でございます。
またこれは幾つか想像している中の一つですが、ミケラが眠りによって肉体を離れたのだとして、或いはその後ラニのように自らの魂を移す依り代を求めているとすればどうでしょう。もしも魂無きゴッドウィンをその器と考えているなら、とんだ究極生命体の誕生を目の当たりにすることになるかもしれません。どうだろう、無いだろうか。
神人ミケラ、忌み者たちが帰る場所を作ろうとする傍らで、あらゆる者から愛される力を持っていたという不穏さをも兼ね備える存在。その本性は果たして。もしかすれば「ミケラ」と「トリーナ」の名のように幾つもの本性を内包させているのか、或いは一切が矛盾せず、全て一つに繋がっているのでしょうか。
ついでにもう一つ。眠りがキーワードになるのであれば、しろがねの彼女の行く末が気になるところでもあります。
ジャイアント・スヤスヤ
夢の中でこの大きな妹、フィリアの「中の人」と出会うこともあるでしょうか。
とまあ色々と言ってきましたが、こうして予想を立ててみると、DLC によって劇中の「あれなんだったの?」が諸々回収されることになるのですが、フロム・ソフトウェアがそこまで優しい会社だったかという疑問も生じます。
しかしながら答えが出ていないことを考えるのは、ただそれだけで楽しい。故になんでも良いのです。予想が的中するかどうかより、予想しているこの瞬間が何にも代えがたい。 DLC によって『ELDEN RING』の楽しさがより拡張されることを夢見て、とりあえず続報までおやすみなさい。
いや、眠りがキーワードになるかもしれないなら、 DLC 配信まで眠るべきではないのか。よっしゃ、今から絶対に寝るんじゃねーぞ。