以前、「輪の都」というタイトルは『ダークソウル』という世界の円環を示したものだと書いたんですが、言わばそれは裏テーマみたいなもので、素直に受け取るならアノール・ロンドとの対比だったよね、みたいな話をします。話をしますというか、もう言いたいことは言い終わってるんですが、まあ、あれですよ。ちょこちょこやりますか。
何だよこれ。特に構想も無く書き始めるとこれだよ。
まず輪の都は吹き溜まり、その最下層であるうろ底から向かう訳ですが、そのうろ底は初代「火継ぎの祭祀場」の成れの果てです。小環旗を掲げる岩壁に続く洞穴の入口は、かつてフラムトが顔を覗かせていた場所なので気づく方は多いと思われます。じゃあかつての祭祀場の真下辺りに輪の都はずっとあったのかというと、一概にそうも言えません。吹き溜まりはあらゆる時代の様々な土地が引き寄せられることで形成されました。ならば祭祀場もまた、もとあった場所から輪の都の直上へと誘因された、という可能性も考えられはするのですが、ただ初代の祭祀場の真下に最初の火の炉を含む広大な世界があったことですし、「実は火の炉の近くに小人の都があったんだ」という真実が明かされたのだとするとワクワクするので、個人的にはよりワクワクする説を支持したいところ。それに『3』で火を継いだ炉が、『1』と同じ場所なのだとすれば、距離的に近い気もしますしね。
さて『1』の OP を振り返ってみると、「火の時代の始まりだ」のくだりでロードランの俯瞰が映ります。初代祭祀場などから確認できるように、ロードラン、或いはその主要な場所というのは環状の壁に囲まれているんですね。そして中央にはセンの古城があり、そこからアノール・ロンドへと至ります。つまりロードランという場所は、中心にアノール・ロンドを据えた「輪の都」だった訳です(もっとも都と言えるのはアノール・ロンドだけでしょうが。あと今更ですけど、輪になって踊ることを「ロンド」と言いますね)。それは「輪」が太陽の示唆であり、また「白教」が「輪(太陽)」を信仰する団体である暗示にも繋がります。そしてグウィンは小人へと、神々が住まう場所と同じ作りの王都と、自らの愛娘を送りました。想像するにそれは「私たちと君たちは対等の存在だよ」と示すための行為だったのでしょう。無論、それは欺瞞です。神々は人という不死を、そこに宿るダークソウルを恐れていました。「火の時代」の永続のため、闇の祖たる小人たちを輪の都へと閉じ込め、そして末裔たる人間たちに「火の封」と「枷」を施します。全ては不死という暗部を火の時代から遠ざけるために。そして神による、人間統治の歴史が始まるのです。その後は皆さまご存じの通り。
- 勅使の小環旗
- 古く大王グウィンの勅使が用いた小環旗
- 輪の岩壁を臨み掲げれば、運び手がやってくる
で、こいつですね。センの古城からアノール・ロンドに向かう際、白い輪に触れたことでレッサー・デーモンたちが迎えに来てくれたように、そもそも小環旗(召喚旗)というのは古城の仕組みを模したものだと考えられます(もしかしたら逆かもしれませんが)。ロスリックはそれを知って流用したのでしょう。彼らはデーモンでありながらアノール・ロンドに住んでいたので、太陽(雷)の力を帯びていました。古竜であるミディールをそうしたように、神々はそれが他勢力であろうと、飼いならせるものは飼いならす性分のようです。さすが神様。そこにシビれる(雷だけに)。アノールに向かう小環は、元は太陽の徴。レッサー・デーモンたちは健気にも、太陽の旗へと導かれて、今日も掲げ手を運ぶのです。
ちなみに輪の都にやたら世界蛇の像が散見しましたが、あれは恐らくフラムトでしょう。フラムトは火の時代永続を望んでいたので、たぶん輪の都を建造してダークソウルを封印する計画に噛んでいます。むしろあれだけ自己アピールが激しいとすると、グウィンに提案した張本人だった可能性すらあります。どうしても連想してしまうのは、ロスリックにもあったフラムトと思わしき石像です。たぶん、そういうことなんでしょう。ダークソウルを封じ、火を絶えさせないために、フラムトは歴史の裏で暗躍を続けていたのです。
輪の都はアノール・ロンドを意識した作りになっていました。それは上述したように辿り着くまでの流れからも見出せますが、深部へたどり着くことでも伺えます。クソキモイ人面虫と騎士たちの猛攻を掻き分けて辿り着いたのは教会です。そこで我々はフィリ「アノール」の眠りを守る番人と対峙する訳ですが、ここからの流れは、かつてアノール・ロンドで起こった出来事の写しです。番人が「教会の槍」と呼ばれているのは、アノールにおいてグウィネヴィアへの道を阻んで顕れた「竜狩りの槍」を意識してのものでしょう。そして「槍」を打倒したその奥で太陽の女神と見えるという流れも、アノールと輪の都の相似性を示すものです。もっともあのグウィネヴィアは本物ではなく、グウィンドリンが作り出した幻影だったようですが、その幻影に攻撃を加えることでアノールが夜闇に飲まれる辺りも、フィリアノールの目覚めにってもたらされる崩壊と酷似しています。神の都も小人の都も、実はとうの昔に朽ち果てていて、しかしそうと気づかれないために皆が夢を見せられていた訳です。
そしてグウィネヴィアと謁見することで不死は「王の器」を手にすることになります。ここからは器に王のソウルを注いで回る旅になる訳ですが、輪の都ではその旅路が省略された形で描き出されます。以前触れたことではあるのですが、ゲールは小人の王を取り込むことで、ダークソウルを自身へと宿しました。つまりゲールは自らを器とし、暗い王のソウルを注いだのです。これも以前申し上げたことではありますが、なぜ灰はロスリック王子まで殺害する必要があったのかという話で、それは王子が宿す文字通りの「王の器」が必要だったからだと述べました。王にも英雄にもなれない凡庸な不死が、その身に王のソウルを宿すとどうなるのか。奴隷騎士は身をもって証明してくれたのです。
DLC2 はサイドストーリーに非ず。それはこういったところからも伺えるんですね、というお話でした。
『ダークソウル』シリーズに限定すると『1』以外はやってる PvP ボスバトル。でも『2』と比べても圧倒的に既視感半端なかったですね。しかし疑問も。
- 古めかしい平服
- 遥か昔、ある使節団が輪の都を訪ねたとき 唯一人残った若者が 記録上最後の、教会の槍になったという
ハーフライトについては分かりやすい。時期は微妙なところですが、ウーラシールを蝕みつつあった深淵に対処するために輪の都を訪れたのか、或いは訪れたことがきっかけになってしまったのか、ともかく『1』DLC くらいの時期に使節団は訪れて、一人が教会の槍として残ったという経緯が読み取れます。深淵の恐ろしさを知ったからこそ、ハーフライトはダークソウルを封印するために一人残ったのかもしれません。
対して教会守りは何だったんでしょうね。って、なんで絵画守り君が!? 使いまわしと考えるのも寂しいので考えてみると、たぶん「絵画守り」というくくり自体が後付けで、あの白服連中というのは総じてアノール・ロンドの特殊警備隊だったのではないでしょうか。シークレット・サービスみたいな。一方で絵画防衛の任務に就く者もいれば、輪の都に派遣されて教会防衛の任務に就く者もいたということなのでしょう。
アノール・ロンドと輪の都の相似性は既に述べた通りですが、しかし明確に異なる部分が一つあります。それは生命の有無です。有機的か無機的かと言い換えてもいいでしょう。アノール・ロンドは圧倒されるほどに荘厳で神聖な場所でしたが、それだけに生命の痕跡を感じませんでした。主のいない城を守る騎士や絵画守りと巨人、あとはレッサー・デーモンやガーゴイルくらいでしょうか。しかし輪の都は違います。アノール・ロンドとは似ても似つかぬほど不浄に塗れながらも、所々に草木や花々が生い茂っていました。かつてあらゆる生命が闇から生じたように、闇こそが生命の苗床となるのです。似た構造でありながら、神の都には無かった命が輪の都に芽吹いていたのは、その示唆だと思われます。
混沌の武器はかつて人間性に威力を左右される特性を持っていました。それは最初の火を再現しようとして作り出された混沌の炎が、ダークソウルと何らかの関わりを持ってしまったが故に獲得した特性なのでしょう。神が持つ力の中で混沌だけが、デーモンという歪んだ形とはいえ生命を生む力を得たのも同じ理屈です。思い返してみれば『3』の火の炉にも不思議に花が咲いていました。あれは、あの場所に赴いた幾多の不死が散っていった証であり、闇を宿す血肉が生命を芽吹かせたという話なのだと考えられます。歴代の薪の王が、最初の一人を除いて皆人間であったというのは、火が勢いを取り戻すために必要なものが、ダークソウルに込められた「命を生む力」だったからなのかもしれません。
(追記 : 後で思い出しましたが、呪腹の大樹周辺やアリアンデル絵画世界の底、王者の墓守のエリアに花が咲き乱れていたのも同様の理由でしょうね。特に後者の咲き乱れ方は尋常ではなく、古の時代より不死は対人が大好きだったことの証左です)