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絶望を焚べる者

ファーナム装備
フォローザ獅子騎士団の甲冑は 祖国が滅んだ後も失われず 幾つかの伝承にその姿が語られている
絶望を焚べる者の名と共に

主に『ダークソウル 2』の話をします。本作のキャッチコピーは「絶望を焚べよ」。ファーナムは『2』のアイコンなので、要するに「絶望を焚べる者」とは『2』の主人公を指している訳ですね。ひゅーかっこいい。コピーから生成するなら『1』の主人公なんて「人間性を捧げる者」ですよ。ただの外道じゃねーか!

今回お話は『2』のエンディングついてです。『2』は今でこそマルチエンドですが、初期は結末が一つしかありませんでした。選択の余地が無かったのです。『2』は諸々批判の的になりますけども『デモンズソウル』を含めマルチエンド形式だったソウルシリーズの在り方を崩してしまった点も非難の要因でした。しかし個人的には「なるほど」と頷かされる、十分に含意ある描写だと思っているので、今回はその点について手短にお話させて頂きます。

結末は一つ

『ダークソウル』シリーズは火継ぎの物語です。『1』が最初期の火継ぎを描くストーリーであったのなら、『2』とは言わば「火継ぎが当たり前になってしまった時代」のお話でした。火は陰り、しかし王を焚べることで再び継がれていく。そんなサイクルが理の一部となってしまった。『1』において英雄とは希少の存在であり、それは『2』においても同様ではあるけども、「そんなもの定期的に現れるし、何だったらお前じゃなくても良いんだよ」と断言されてしまった訳です。本来であれば資格者であったはずのヴァンクラッドが心折れ、しかし代わりの薪が用意されたように。言い換えれば我々が火継ぎを拒否しようとも、また別の人間が玉座に辿り着く。今までもこれからもずっとそうだよ、と。後述しますが『3』において「絶望を焚べる者」の名が残っているということは、この世界線の『2』主人公は玉座から背を向けているはず。にも関わらず火が存続しているということは、そういうことなのでしょう。

一つ主張しておきたいのは、ラストのいわゆる「ピザ窯エンド」においてすら、プレイヤーは「必ずしも火を継いだとは限らない」のではないかという点です。

「火は盛り、何れ消え行くが定め 汝、火を継ぐ者たらんとするか 全ては玉座にある者の意思」

「王の記憶」で佇むヴァンクラッドのセリフです。直前にこちらに対し「火を求める者」と断定してきますし、「玉座 = 薪の王」という『3』のイメージからもあのエンディングは強制的な火継ぎと見なすべきなのかもしれませんが、個人的な解釈として、あのピザ窯の中で玉座に腰を下ろした不死は、「薪の王」となるか「闇の王」となるかを選ぶことになったのではないかと。『1』においてグウィン打倒後に我々は同じ選択を迫られましたが、『2』ではまさにその直前に幕引きが成されたんじゃないかなと思うのです。

なぜ『2』のエンディングは一つしか無かったのか。それは主人公の決断に関係なく火は継がれていくからです。仮にピザ窯の中で闇を望んだとしても、どこからか訪れた不死が何らかの手段で薪の王になるのだと思います。今までも、これからもそうして世界は存続してきました。呪いのように。何を望もうが火は継がれ、やがては衰えていく。だから『2』のエンディングは一つだけだったのです。選択の先が同じ繰り返しに過ぎないなら、マルチエンドなんてあっても無くても同じなんじゃないの? という痛烈なメッセージだった訳ですね。エンディングに到達した際のトロフィーが「継ぐ者」であり、火とも闇とも明記されていないのはその為なのではないでしょうか。我々が継いだのはそのどちらでもなく、単なる歴史の必然なのでした。

結末に背を向けよ

しかしエンディングは追加されました。謎多きアンディールの実態とともに付け足されたその結末は、光でも闇でもない第三の……いえ、光か闇かの選択が同じ道筋に収束するなら、それは強固な運命へ抗う、本当の意味での「第二の選択」と言えるでしょう。

ヴァンクラッドは何に絶望したのか。それは人という存在そのものです。

「国は亡び、火は綻ぶ… 古のソウルが力を取り戻す… 闇は枷を離れ、呪いとなり…人は、そのあるべき形に…」

人の祖、誰も知らぬ小人が闇よりダークソウルを見出して以降、その子孫たる人間は不死という特性を得ました。火の陰りが人を不死にするのではありません。それは病ではない。人の正体こそ不死なのです。「克服」など見当違いもいいところ。どれほど火を識り強大なソウルを得ようとも、人と不死が不可分である以上全て無駄。そういった人の本質を目の当たりにし、ヴァンクラッドは心折れたのでした。

一方でアン・ディール。同じ理想を掲げ、しかし道を違えたヴァンクラッドの実兄です。「原罪の探求者」たる彼は果たして何を見据えていたのか。「原罪」とはかつて小人が闇からソウルを見出してしまったことを指すのでしょうか。それとも別の何かか。アン・ディールのもはや人とは呼べぬ姿かたちが、人の不死性の超克を目指した結果なのだとすれば、そこが兄弟の行末を分けたのかもしれません。

ともかく主人公の行く先にちょいちょい現れては謎の言葉を残し、時に笑いをもたらしてくれたアン・ディールは、玉座を去る主人公をこう語ります。

「道など、ありはしない

光すら届かず、闇さえも失われた先に何があるというのか

だが、それを求めることこそが 我らに課せられた試練…」

主人公のバックボーンが明確に語られない、或いは決められていないのがソウルシリーズの特徴ですが、『2』の主人公は恐らく不死の呪いを解くためにドラングレイグへと訪れました。しかし待ち受けていたのは、変えようのない火の運命です。光と闇、玉座の上でどちらを選ぼうとも同じこと。全 DLC クリアの報酬として主人公は不死の呪いに一応の解決をもたらした訳ですが、あくまでそれは唯一人のもの。世界の命運とは関係ありません。

火継ぎ自体が逃れようのない呪いであり、人に不死という哀しみをもたらすのなら、主人公が背を向けた玉座とは運命そのものでした。アン・ディールは主人公の選択に対し「それこそ『我ら』の試練」だと語ります。アップデートされたエンディング。それは主人公という新たな「原罪の探求者」が生まれた瞬間だったのでした。

『ダークソウル 2』は色々な面で過去作や新作と比べられ批評の的になります。それは別にプレイヤーの自由だと思うのです。しかし本作は少なくとも、『1』の主人公が選べなかった、光か闇かの結末の「先」に至ろうとする、正しく「続編」であったと思っています。

その後原罪の探求者、あるいは絶望を焚べる者と呼ばれた不死はどうなったのでしょうか。仮初とは言え不死でなくなったその者は、寿命ある人として生を全うしたのか。何もかも憶測しか出来ませんが、後世に名が残っているということは、薪の王とは別の形で何かを為したのでしょう。

火継ぎの懐疑者について

時は流れてロスリック。火継ぎが人の世の常となった時代の末路。もはや焚べるものが尽き、いよいよ火が真に陰りを迎えた終末の世界。陰りを良しとしなかった者たちが国を興し、その果てに最古の火継ぎの再現、はじまりの火の再生を目論見ました。それが『3』の舞台ロスリックですが、どうにも一枚岩では無かったようです。

ソウルの奔流
ロスリックと大書庫のはじまりにおいて 最初の賢者が伝えたとされる魔術
最初の賢者は火継ぎの懐疑者であり また密かに、王子の師でもあったという

なぜ火継ぎを悲願としたロスリックの興りにその懐疑者が関わっているのか。或いはロスリックとはそもそも火継ぎの為に生まれた国では無いのか。それは分かりませんが、注目して欲しいのは上記テキストが「ソウルの奔流」という魔術に記載されている点です。この魔術は『2』にも登場していました。

ソウルの奔流
息絶えるまで敵を追い続けることを目的に編み出された、邪法ともいえるこの魔術は アン・ディールの遺産と伝えられる

「ソウルの奔流」はアン・ディールの魔術です。そして彼は火がもたらす人の本質に抗おうとした探求者でした。それを「火継ぎの懐疑者」と呼ぶならば、ロスリック最初の賢者とはアン・ディールのことだった……という考察を聞き及んだことがあります。この説、好きなんですよね。『2』のストーリーが好きなので『3』の根幹に前作の重要キャラが関わっていたというのは、単純に熱くなります。しかしあえて大穴を狙う訳でもありませんが、ソウルの奔流に関して別の解釈をしてみます。

「絶望を焚べる者」は玉座に背を向けた後どうなったのでしょうか。火も闇も継がず、新たな「原罪の探求者」となった不死は、言わばアン・ディールの「懐疑」を継いだと言えましょう。ならばロスリック最初の賢者とはアン・ディールのことではなく、懐疑者としての在り方を継承した「絶望を焚べる者」その人だったと考えてみるのは如何でしょうか。その不死の道程は分かりません。しかし『2』のラストでアン・ディールを倒したことを正史とし、仮に探求者の遺産を引き継いだのなら、ソウルの奔流が指す「賢者」が『2』の主人公であってもおかしくはないと考えます。

『1』で我々は世界を繋ぎ、『2』の決断によって後の舞台を用意した。考察と呼ぶにはあやふやですが、かつての選択が時代を動かしていく、そういう連なりにグッとくるんですね。

ですが古い時代、最初の不死の英雄は世界蛇フラムトに導かれて薪の王となりました。蛇の行末は分かりませんが、その後ロスリックにフラムトの影が見え隠れすることから、この国はもしかすれば当初の理想を蛇によって狂わされ、火継ぎという呪いの道へ踏み込まされた可能性があります。だとすれば最初の賢者の懐疑思想もまたフラムトによって阻まれた訳です。何たることでしょうか。我々不死は二代、または三代に渡り、フラムトの手でその運命を制御されてしまったことになります。許すまじ。

しかし最初の賢者の思想は肝心のロスリック王子に影響を与えていたようで、彼は火継ぎの資格を放棄するに至りました。

薪の王たるを拒否した二人の王子は 全てを遠ざけ、火の終わりを待っていた

これは蛇の思惑を師たる最初の賢者のそれが上回った、と見ていいのでしょうか。しかし王子の背後には天使信仰が垣間見え、それもまた正常な世界と呼ぶには程遠く……。結局、誰の願いも正しく完遂されなかったということなのかもしれません。

か細くて、きっとどこか間違っていて、それでも永い時を懸命に紡がれてきたはじまりの火。故に残すか、故に終わらせるか。あなたは玉座からどのような光景を望みましたか?

補足 : 絶望を食べる者

火継ぎに絶望した者は他にもいました。

人喰らいにより王の資格を得たエルドリッチは しかしその玉座に絶望し、神を喰らいはじめた

行動力の化身。彼がどんな希望を抱き絶望したのかは定かではないですが、絶望を焚べる者のそれとかけ離れたものではないと思うのです。先の無い火の時代そのものへ絶望した、エルドリッチもまた火継ぎの懐疑者だったのではないでしょうか。

人喰らいによりエルドリッチはどのような力を手にし、なぜあのような姿へと変態したのか。それは人が持つ人間性を取り込み続けたが故に神の枷を外し、その果てに不定形の流体へ成り果てたのだと考えます。人間性が闇であり、闇がエルドリッチを玉座へ押し上げたのなら、彼の在り方はむしろかつてカアスが唱えた「闇の王」に近い。そんな闇の王が火の先に見た深海とは、果たして。

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