前回の続きです。
白竜の遺志に憑かれたオスロエス。その血より次代へと継承された「月」の力がロスリック天使信仰の切欠となったのではないか、というのが前回のお話。
では具体的に「月」がどのように作用して「天使」なる異形を造ったのかというのが、今回のお話です。
結論から言うと、本当は天使なんて存在しなかったんじゃないか、そう思っています。
奇跡とは「物語」なのだそうです。
- 回復
- 奇跡とは、神々の物語を学び その恩恵を祈り受ける業である
- 雷の杭
- この物語は忘れられた竜狩りの姿を伝えている
- 竜のウロコを貫くのなら、雷を投げてはならぬ
- その手で直接、竜に杭を突き立てるのだと
- 大魔力防護
- それは「岩のような」ハベルの物語であるという
- 白竜シースの敵対者であったハベルは 魔術を嫌い、それに対する手段も怠らなかった
要するに古き神の行い、または偉大な英雄が成し遂げたとされる伝承や寓話、それら語り継がれる「物語」が奇跡という現象の大元だと。
- 深みの加護
- 深みの聖堂の主教たちが その任に就くとき授かる奇跡
- 深みは本来、静謐にして神聖であり 故におぞましいものたちの寝床となる
- それを祀る者たちもまた同様であり 深い海の物語は、彼らに加護を与えるのだ
- 蝕み
- 深みの聖堂に伝わる暗い奇跡
- 蟲の群れを召喚し、敵を蝕む
- 深みに潜む蟲たちは、小さな顎に牙を持ち 瞬く間に皮膚を裂き、肉に潜り込む
- それは激しい出血を伴うという
同時に、語り継がれるのは英傑たちの偉業のみならず、一般的には邪教と類されるもの、おぞましいものに対しても同様なようです。正邪に関わらず、ただ強い信心さえあれば世界は感応し力を降ろす。「奇跡」とはそういった仕組みの下に成り立っているのですね。
では天使信仰とは。
- 天使の光柱
- 王妃の聖女であったゲルトルードは 彼女のいう天使に見え、その物語を知ったという
- 彼女は光と声を失い、だが物語を記し続けた
- 常人には理解できぬ、破綻した書付の由が ロスリック天使信仰の源流となったのだ
後述しますが、どうも本編中に天使は登場しません。奇跡や降り積もる羽など、その痕跡こそあれど吹き溜まりで見た白い姿はどこにもない。信心無きプレイヤーには認識できなかったのかもしれませんが、もしかすればまだ存在していないと考えてみてもいいかもしれません。
DLC 2 の舞台「吹き溜まり」は、恐らく本編の未来に位置します。或いは本編が過去なのか。どちらにせよ、前項で述べたように「巡礼の蝶」が「巡礼の蛹」となることでようやく天使が見出されるのなら、一つ逆の発想をしてみようではありませんか。物語が奇跡を産むのなら、つまり天使もまた物語が産んだある種の奇跡であると。
天使などいはしなかった。しかし破綻した物語の中にしか存在しなかった天使への信仰が、それでも信仰を感応し続け時代を重ねた結果、未来に具象化した。空っぽの信仰(物語)が形を得たもの、それが天使の正体なのではないでしょうか。
ゲルトルードに着想を与えたものが、ただ彼女の気の狂い故なのか、または何らかの外的要因なのかは不明です。ですが『ダークソウル』の世界は元より時空のあやふやな世界だと言います。白霊・闇霊などの霊体は次元の壁を越え、現に劇中では篝火の力により時間さえ行き来している。つまりこの先確かに訪れる未来、そこに漂う天使の実在が何かの形でゲルトルードに刺激を与え、彼女に天使を信仰させたのかもしれない。ゲルトルードが見えた信仰とは、ある意味で予言とも呼べるもので、ならばそれは「未来の物語」と言っていいでしょう。
本来であれば存在しなかった天使が、信仰によって実体を得たという仮説でしたが、では実際にどういう手順を経たのかという部分に繋げていきます。
「巡礼の蛹」が「巡礼の蝶」から成ったというなら、そのベースは何か。「巡礼者」です。
巡礼の蛹と呼ばれる人に似た生き物。蓋かぶりの巡礼者、その死体を苗床に生じ、赤い空に天使を見出すという
蛹になってしまいます
そして『3』のプロローグ。
そこはロスリック
火を継いだ、薪の王たちの故郷が、流れ着く場所
巡礼者たちは、皆北に向かい そして、予言の意味を知る
「火は陰り、王たちに玉座なし」
継ぎ火が絶えるとき、鐘が響き渡り 古い薪の王たちが、棺より呼び起されるだろう
「火は陰り、王たちに玉座なし」。本作のキャッチコピーでもある訳ですが、これが予言ということで宜しいのでしょうか。この予言を元に、なぜ巡礼者たちはロスリックに集ったのでしょうか。火継ぎと巡礼者たちって、何か強い結びつきがありましたっけ。
亡者の国ロンドールははじまりの火の簒奪を企てていました。劇中登場する巡礼者のヨエルなどはロンドール勢だったようですが、巡礼者たちを全てロンドールの一員と見ていいものかは判断に困るところ。そうではないとするのなら、火の簒奪とは別に巡礼者たちがロスリックに集った理由があると考えてみましょう。
ロスリックには天使信仰が蔓延し、そしてやがて蛹となる巡礼者たちは、予言に誘われロスリックへと集った。ならば「火は陰り、王たちに玉座なし」とは、巡礼者たちにとってすれば火の衰勢とは別の事象を指していたのかもしれません。そしてそれはむしろ、火が絶えた後だからこそ辿り着ける巡礼の果てに、「天使」へと触れる為なのだと。
火の最後を知るには、まず火の最初を知らねばなりません。
古い時代。世界はまだ分かたれず、霧に覆われ灰色の岩と大樹と、朽ちぬ古竜ばかりがあった。だが、いつかはじめての火がおこり火と共に差異がもたらされた。熱と冷たさと、生と死と、そして光と闇と。
愛しさと切なさと心強さと。
さて全ての始まりを告げる『1』の序文ですが、ともかく全て一纏まりの灰であった世界に火が生じ、物事には「違い」が生まれました。色々なものが分かたれた中、光と闇もまた分離したようです。ならば「光」と「闇」は元々、特に強く結びついていたのかもしれません。
- 闇の貴石
- 楔石が変質化したという貴石
- 主なき人間性に生じるもの
- 武器の変質強化に使用され 闇の武器を作る
- 闇の武器は闇攻撃力を持ち 信仰による補正も高くなる
人間性とは「暗い魂(ダークソウル)」の欠片であり、人の内に澱む「闇」でした。そして闇は信仰補正を得るようです。それも当然、光と闇は元々同じものだったので、光がそうであるように、闇もまた「信仰に感応する」んですね。
これは何も『3』で後付けされた設定ではなく、『1』においてその片鱗はありました。かつて、聖職者こそ多くの人間性を宿していた事を思い出してください。これは「聖職者は欲深でうさんくさい」「つまり渇望こそ人間の本質である」というフレーバーのみに留まらず、人間の聖職がその信仰によって内なる人間性を刺激してしまった結果なんです。聖職の最大勢力が恐らく白教、つまり光の神々を崇めるものであるにも関わらず、人は人であるが故、祈りによって自身の闇を増幅させていたという皮肉。ダークリングが「黒い太陽」の如き造形であるのも、それを暗示するものなのでしょう。
そうした上で『3』の聖職者初期装備をご覧ください。
- 聖職者の青衣
- かつて、不死となった聖職者が身に付けたズ上衣
- 見間違えようもない鮮やかな青衣
- 青衣の旅人は使命を帯びたといわれ その不死が闇の苗床とならぬよう 背中に大きな蓋を背負っていたという
聖職者のみがこのように闇への対策を講じていたというのは、彼らの信仰が光のみならず闇とも切り離せないものだと知っていたからだと思われます。では幾ら「闇の苗床」とやらになるまいとしていても、その者の信仰が内なる闇(人間性)を育んでいた事には気づいていたのでしょうか。
で、「蓋」ですよ。
聖職者の「蓋」と巡礼者の「蓋」
聖職者と巡礼者が共に被る「蓋」なるもの。関係ないと考えるのはちょっと難しい。思うに聖職者の蓋が「闇の苗床」とならない為のものであるなら、巡礼者のそれは「闇の苗床」たる自身を維持する為のものと考えてみるのはどうでしょう。では、その結果どうなるのか。信仰によって刺激された闇は、苗床たる巡礼者の中で「成熟」していくのではないでしょうか。まるで赤ん坊のように。だとすれば、防護の為に蓋を被った聖職者は、しかし憐れにもそれが自身の内から這い出て来るものだと気付いていなかった訳です。輪の都にいた青衣の蓋かぶり聖職者たちが哀れにも地に這いつくばり人を襲うのは、信仰を頼りに誰より人足らんとした彼らが、それ故に人から離れてしまった証なんじゃないでしょうか。
では、巡礼者の中、蓋の下で成熟した「闇」はどうなるのか。
おめでとう! 巡礼者は蝶 / 蛹にしんかした!
「闇の苗床」たるを維持し、大切に大切に育んでいった結果、それは遂に巡礼者たちを変身へと導きます。しかし吹き溜まりが未来だというのなら、やはり「蝶」は「蛹」へと至れなかった者の未熟な進化と言えそうです。奇妙な話ですが、蝶とは蛹の「なりそこない」なのだと考えられます。忍耐の大切さを教えてくれる RPG 『ダークソウル』シリーズ。是非プレイしてみてください。
巡礼者が一生懸命頑張れば、天使にだってメタモルフォーゼ。じゃあなんで闇を育めば人間が変身するのかって部分を考えていきます。
いずれ一つの記事として取り上げる予定なのに結構喋ってしまっていますが、再度ロザリアについて。彼女は「生まれ変わり」という能力を有し、プレイヤーに外見の変更やステータスの振り直しを許してくれるバブみの聖者です。注目したいのは、その周回で 5 回までしか生まれ変われず、それより先を望めば以下のテキストが表示されること。
これ以上生まれ変わることはできません。蛆になってしまいます
つまり彼女の周囲にいる蛆人たちは生まれ変わり過ぎてしまった成れの果てだったという顛末なのですが、では一体なぜ「人の蛆化」などという荒唐無稽な現象が起きるのか。そも生まれ変わりとは一体……?
この事を考える上で一つ仮定を置きます。「生まれ変われるのは人間だけである」。なぜか。それは人のみが持つ「ある特性」が、生まれ変わりの要であると考えるからです。その特性は人の本質、「人間性」と呼ばれます。
- 人間性
- 稀に死体に見られる小さな黒い精
- 使用により人間性1を得、HPを大きく回復する
- この黒い精もまた人間性と呼ばれるが 詳しいことは分かっていない
- ソウルが生命すべての源であるなら 人のみにある人間性とはなんなのか?
繰り返しになりますが、人間性とはダークソウルの欠片のようなものだと言います(ちなみにソースはラジオ出演した際の宮崎社長の言)。最初の火より分かたれた様々な差異の中、人の祖が「闇のソウル」を見出し、その子孫たる人類に細分化され受け継がれたと捉えているのですが、重要なのは闇が持つ「生命の種子」としての性質です。
そして、闇より生まれた幾匹かが 火に惹かれ、王のソウルを見出した(『1』OP より)
グウィンたち王らも、元々は闇から生まれたのだそうです。加えてもう一つ。
- 輪の騎士シリーズ
- 古い人の武器は、深淵によって鍛えられ 僅かにだが生を帯びる
- そしてそれ故に、持ち主たちと同様に 神々に火の封を施されたという
深淵が闇に属する領域だとして、それが「生」を付与するというのは、闇それ自体が生命力の源と成り得る一つの証左でしょう。太陽(光)の奇跡がそうであるように、対となる人間性(闇)の使用によって HP が回復するのはこの為です。
というのが「人間性(闇)」が持つベーシックな部分。しかしそんな人間性には、更に奇妙な性質があるようです。
- 花が咲く
- 虫が湧く
- 石になる
以上の 3 点でお送りしますが、まず花が咲く性質。これは実際に場所を挙げた方が早いかもしれません。「不死街」、特に「呪腹の大樹」周辺。そして「王者の墓」のボスエリア。「最初の火の炉」。極めつけは不死の国「輪の都」。これらのエリアには花々が咲き乱れている訳ですが、共通点を探すならば、多くの不死が死を重ねた場所であったろう事が見出せるでしょうか。
死の名産地
闇が生命を芽吹かせるなら、それは木や花の種子にも成り得るのかもしれません。桜の木や赤い花の下には死体が埋まっている、なんて文句もありますが、その辺のイメージでしょう。かねて不死人は死と共に血痕を落とし、そこにはソウルと人間性が宿りました。人間性とは特定の条件下、花へと「生まれ変わる」のかもしれません。
次。人間性は虫になります。ちょっと突飛なので段階を踏みましょう。まず人のソウルの「重さ」について。
- 人の澱み
- エルドリッチの神喰らいを待ち続ける
- 神喰らいの守り手たちが、その使命を果たした証
- 人の内にある最も重いもの。人の澱み
- それはどんな深みにも沈み 故にいつか、世界の枷になるという
海外版では「Human Dregs」。これはそのまま「人の澱み」とも訳せますし、または零れ落ちた「人のくず」とも。
「人の内にある最も重いもの。人の澱み」とは人間性と同じ、或いは限りなく近似のものだと思われます。思えば人間性を媒介にした闇の魔法は「重さ」を特徴としていました。
- 闇の飛沫
- 通常のソウルの魔術とは異なり 闇の魔術は重く、物理的なダメージを伴う
- 人のソウルは、人間性として より実態に近づくのだろうか
- 闇の球
- 闇術の祖とされるギリアが 古い魔術を元に生み出した闇術
- 重い闇の球を放つ
- 黒火球
- 覇王ウォルニールが深淵に落ちて後 墓守となった呪術師たちが見出した呪術
- 黒い炎は闇属性の攻撃力を持ち また重いため、対象に衝撃を与える
人間性は重く、故にどこまでも沈んでいくのだと言います。「人の澱み」とは「人間性が澱んだもの」と言い換えられるでしょう。では澱んだ先、人間性はどうなるのでしょうか。
- 深みの加護
- 深みの聖堂の主教たちが その任に就くとき授かる奇跡
- 深みは本来、静謐にして神聖であり 故におぞましいものたちの寝床となる
- 蝕み
- 深みに潜む蟲たちは、小さな顎に牙を持ち 瞬く間に皮膚を裂き、肉に潜り込む
要するに「深み」へ澱んだ人間性は、その場所を寝床として虫(おぞましいもの)に変わるのだと推測できます。
で、これも『3』で追加された設定ではなさそうです。
- 火防女の魂
- 火防女とは篝火の化身であり 捧げられた人間性の憑代である
- その魂は、無数の人間性に食い荒らされ 不死の宝、エスト瓶の力を高めるという
- 火防女の魂(混沌の娘)
- 火防女の魂は人間性の憑代であり それは彼女たちの体においても変わらない
- あらゆる皮膚の下に無数の人間性が蠢き その姿は、大抵おぞましいものとなる
- 彼女においてそれは、無数のたまごとして現れた
- あのたまごはすべて、人間性の揺り篭なのだ
- 追尾するソウルの塊(『3』)
- 探求者たるローガンの一端が見える魔術だが 生命に惹かれるその性質において 後の研究では、むしろ闇に近いとされている
元より人間性とはソウル(魂)へと惹かれ、果ては食い荒らすといった性質を持つようです。それは「闇」が「火(のソウル)」へ惹かれる事を根本とするようですが、闇魔法の追尾性能なんかはここから来てるようです。「蝕み」が人間性から発生した蟲ならそれも頷けるというもの。特に上述した「闇の霧」なんかは、人間性が時に人すらも蝕むという特性が顕著で、これが実体を得たものが奇跡「蝕み」となったのかもしれません。
そして混沌の娘、つまり蜘蛛姫さまですが、彼女が抱いていた多くの卵は「人間性の揺り籠」だそうです。
混沌じょのいこ
彼女の卵の中身がどうなっているのか、彼女は「孵化」を望んでいるのか。その辺は分かりませんが、『3』で「人間性が虫へ変化する」事から遡っていいのであれば、かつて混沌の従者たちが背負う卵の中身が虫であった事と結び付けられそうではありませんか。もしかすれば卵背負いたちのそれは、元々姫から何らかの形で頂戴したものなのかもしれません。幸い(?)にもその虫は寄生生物であるようですし、そう難しい事ではなかったのでしょう。
ちなみにですが、人間性のテキストに「黒い『精』」とあり、また蜘蛛姫の卵に関与していること、そして前述したように様々な生命の源となる事からも、人間性の根底には精子(種)としてのイメージがある事が分かります。『2』ではこの辺、とてもストレートに描写されていました。
「ソウルの共鳴」 / 「ソウルの大きな共鳴」 / 「絶頂」
人間性は「精子」。闇術は人間性に基づいた魔法なので、それが素直に顕れたものが上記の闇術なのでしょう。見方を変えれば人間性とはある種の「男性性」を強く表しているとも言えるのですが、その「精」に強く蝕まれた「女性」のみが火防女に至れるというのは、何とも暗示的ではありませんか。ともかく人間性と呼ばれる黒い「精」とは、それを育む苗床(深み、卵)の中で「おぞましい生き物」へと変態する性質を持つであろうことは、シリーズを通して示唆されてきたのだと解釈してよさそうです。
さて人間性が持つ特異な性質。最後にご紹介したいのは石になるというもの。これに関しては人間性が持つ生命力云々には関係なく、人間性含む「ソウル」というものが普遍的に持つ性質であるようです。白竜シースの「結晶」という業から確認できる事実ですが、ソウルは結晶(石)化する性質を持つため、闇に属するとは言えソウルの一種たる人間性もまた石になるんですね。だから「闇の貴石」は「主なき人間性に生じる」訳です。ソウルは石になる。よって人間性も石になる。
主なき人間性
ということで、人間性とは外界の環境を反映する形で様々な形態へ変化するのだという事をご理解頂けたでしょうか。
余談ですが輪の都の沼。あそこは闇の沼、または深淵の沼だそうです。
闇の沼に沈んだ、古い街並み。そこには、沢山のものが沈み、また湧くものもあるという
- 説教者の白面
- 深淵の沼に湧く白面の虫
あの沼で「擬態」を行うことで「人間性」へと変身できる事からも、あそこはまさしく人間性がその「重さ」に任せて澱んだ先です。いわば輪の都とは人間性のメッカ。それ故にあの街では 3 つの形態が揃います。
そうだ 輪の都、行こう
……と、以上を踏まえまして一つ想像してみて頂きたいことがあります。人間性が「石」「植物」「虫」という 3 パターンへと変質するならば、人という器の中でこれらの変質を迎えた場合、何が起こるのか。
その疑問の答えこそが、
石化(呪死)
我々を散々苦しめた「石化(呪死)」の正体であり、
「白木女」と「蛆人」
人が「木」や「蛆」へと変わる理由なのではないかと考えられます。「肉体」というものは、「人間性」の変質に引っ張られて如何様にも形を変えてしまう訳です。
つまりロザリアが行う「生まれ変わり」とは、人間性が持つこの特性を利用して器(肉体)を作り変える能力だったのですね。その「作り変え」が過ぎれば、器は原型を留められず「蛆になってしまう」のではないでしょうか。
- 聖騎士フォドリック
- 「神の枷は、存外と脆いものなのじゃよ…」
人間性こそ人の証明。故に人はその喪失により亡者となり、またその過多により人を超えるんです。この不定形さこそ「人らしさ」であるなら、神はそこに「枷」をはめたのかもしれません。しかしそれは存外に脆く、すぐに外れてしまう。その果て、予言という未来の物語を夢見て、巡礼者たちはロスリックへと集ったのではないでしょうか。自らを苗床として内なる人間性を育み、やがて人を超えた何かに「生まれ変わる」ために。
人間性は人を人たらしめる本質であり、それ故に人の在り方を際限なく拡張する。ならばその果てに天使がいてもおかしくはない。「天」使に「人」の字が含まれるのは、その示唆なのだ……という程度の話をする為に随分と長い尺を使ってしまいました。
しかし誰にでもその進化(?)が訪れる訳ではなく、一方で闇がもたらす変身は万人に平等と言えます。さながら太陽が万物を照らすが如く。
舞台をロスリックへと戻しますが、この国には天使信仰が蔓延しています。天使という物語への信仰。それは存在しない物語ではあっても、確かに信仰の精神であるが故に、必然的に人間性(闇)を刺激します。そしたらこんなんなっちゃった。
わたし、木になります
人が変わるのは虫ばかりではなく、やはり木にもなるようです。「天」を崇める上向きの意志が彼らを変えたのでしょうか。白教が世を席捲していた頃には見られなかった光景なので、やはり火の陰りがもたらしたものなのでしょう。でも考えてみると奇妙ですよね。太陽への信仰の方が人々を木々へと変えそうなものなのに。「光」を崇めさせるというのは、人間にかせられた枷を強める意味合いもあったのでしょうか。火無く腐りゆくアリアンデル絵画世界に「白木女」なる敵が配置されたのも、「火は陰り、人は木になる」という事実の示唆だったのかもしれません。
そしてこの木になる人々は、進化の途上にあるのだと思われます。
やがて木になり蝶になる。
巡礼の蝶の全身から伸びる触手のようなものは木の根に似ますが、よもや本当に根なのかもしれません。人は人間性によって虫になり、「蝶」もまたその一環であるように思えて、実のところ「全身から植物の根を伸ばし飛翔する人の形態」を蝶と呼んでいただけである可能性もありますね。或いは「木」や「虫」への進化は、一定のレベルで交わるのか。難しいところは分かりませんが、どちらにせよロスリックの天使信仰が人を「木」に変え、更にその先に「蝶」があるのだと考えています。
で、肝心な部分です。人の形態変化はロスリック随所で見られる現象ですが、もう一つ気に留めておかなければならない事があります。「人の膿」と呼ばれるものたちです。
膿汁ブシャー
『3』の強敵及び「こいつなんなの」枠の代表を担うクリーチャー。「人の膿」と言うそうです。
- 幽鬼のトーチ
- ファランの幽鬼たちが用いた戦松明
- 灯具であると共に、武器としても作られている
- ある種の深淵は、人中を膿で満たすという
- 炎は、古くそれに対する有効な手段であった
- 肥大した頭部
- 深淵の主マヌスの闇に飲まれ 人間性を暴走させたウーラシール民の頭部
深淵によって膿で満たされた人。『1』に登場する防具「肥大した頭部」のテキストを並べたのは「人間性を暴走させた」という部分に注目する為です。闇のソウルである人間性は、しかしより深い闇によって暴走する。それは澱んだ人間性が深淵を苗床におぞましい生き物に変態する様に通じます。闇は闇をも変えるのです。「人の膿」が獣の如き凶暴さで襲い来るのは、膿の正体が「暴走した人間性そのもの」であるからでしょうか。
膿からは色々読み解ける部分が多いのですが諸々後回しにしまして、面白いのが、この人の膿、「木になった人」の近くにいる事が目立つんですね。
どうもこんちは。人の膿です。
絶対にそうだという訳ではないのですが、膿の殆どがロスリックに配置されているのは、その存在が天使信仰と無関係ではないからだと考えています。天使がどうこうというより、太陽(白教)の力が失せかけ、向かう先の無い真摯な信仰は、内なる闇(人間性)によって強く拾われてしまうのでしょう。「幽鬼のトーチ」に「ある種の深淵」とある以上、何かきっかけとなる要因があるのかもしれませんが、とにかく「信仰」によって「膿」が生じたという解釈は悪くないのではないかと。
その結果、ロスリックには人の膿が跋扈するようになってしまった。そして推測するに、「木」から始まり「蝶」と「蛹」への進化は、この「膿」を切欠とするものなんじゃないでしょうか。
思い出して欲しいのが、かつて病み村で蜘蛛姫は「膿」を飲んだという事。エンジーがそう述べていましたが、その結果蜘蛛姫が「人間性の揺り籠」である卵を得たというのなら、ここで「膿」という符号が合致します。或いは病み村の「膿」は「人の膿」と類似のものであり、それは「闇」を根源として生じていたのかもしれません。膿が人間性を基に存在し、人間性が「精」であるとして、言い換えるなら蜘蛛姫は「膿」によって「受精」したのです。そして育まれた「膿(精)」は「虫」に。
虫が主で卵が俺で
思えば病み村やデーモン遺跡にいる卵背負いたちは一心不乱に蜘蛛姫へと祈っていました。闇が信仰から力を得るのならば、彼らの信心が膿を育み、そして虫の繁殖に一役買っていたとみていいでしょう。それは蜘蛛姫にとってほんの僅かでも助けになっていたのか、それとも彼女を苦しめていたのか。今となっては分かりません。
人の中に生じた膿は進化の種子と言えるものかもしれないという話でした。しかし劇中そうであったように、苗床として膿で満たされた亡者は、それを育んでおきながら、哀れにも中途半端な形で内より吹き出させてしまいます。言うなれば「早産」に過ぎた訳です。
じゃあどうしましょう。噴出するのがマズイなら、「蓋」をしたらいいんじゃないでしょうか。
という事で巡礼者は、己を満たす膿(闇)を蓋で封じながらロスリックを目指しました。それを唯の膿で終わらせないために。天使信仰と「月の力」が蔓延するロスリックは、きっと胎教には最適の地だったのだと思います。「膿」として溢れず、「木」で終わらない、更なる進化「蝶」は叶った訳です。ロスリック各所にある動かなくなった巡礼者の亡骸は、巡礼の蝶を産んだ後の「抜け殻」だったのでしょう。進化は成ったのでした。
と、言いたいところですが、巡礼の蝶はあくまで未完の変態でした。ようやっと前回の最後で触れた部分に戻ってきた訳ですが、「蝶」が「蛹」、つまり「天使」を仰ぐ段階で見逃せない変化が起きます。巡礼の蝶の放つ攻撃が闇属性であるのに対し、天使の放つ白色ビームは魔力属性。即ち属性が転換しているんです。
他に理由が思いつけないので仮説として断言してしまいますが、ここで「月」の力が働いているのだと考えられます。月とは「信仰を魔力へ変換する仕組み」だと前項で述べました。であるなら、天使がひたすらに手を合わせ祈りを捧げている様がここで浮き上がります。闇を育んだ先に生まれたはずのそれらが、祈り、そして予言に従いロスリックの「月」と結びついたことで、遂に闇は闇ではないものへと「生まれ変わった」のです。
しかし一つ疑問を呈するならば、「進化を蝶で終えてしまった者」と「蛹となって天使を見出すに至った者」の間には特筆すべき差異は何も無かったのかという点。ただ想いの強さや信仰の深さで片づけていいものなのか。もっと他に「進化するに相応しい素質」があったのではないか。そこで思い出して欲しいのが一つの事実です。一部を例外として、本来「月」とはその宿り先を厳密に選ぶものでした。その事実を元にシンプルな仮説を立てると、こうなります。
蛹(サナギ)に進化できたのは女性だけである。
劇中にサンプルが少なすぎるのですが、吹き溜まりの入口に座する巡礼者「蓋っかぶりの婆」。彼女はイベントが進むと事切れ、入れ替わりに上空には天使が出現します。つまりお婆さんが蛹になったと見るイベントなのでしょう。しかしお婆さんの遺体からは蛹は生じず、それ故に上空の天使も幾度となく出現します。これが特別なことなのか、唯のゲーム上の都合なのかは不明ですが、ともかくこの描写を「女性だけが蛹になる」説の材料とさせてください。納得するか否かは勿論お任せします。
そう考えてみると、闇(人間性)が「精」として描かれる傍ら、火防女、特に蜘蛛姫が人間性(精)を受けて揺り籠(卵)を成したというのは中々に象徴的です。女性というのは、それだけで人間性(精)から特別な刺激を受ける素質のようなものがある。加えて言えば人間性を「生まれ変わらせる」ロザリアも女性です。これは「精(闇)」を育むという行為が、女性だけが持つ「受精できる」能力と切り離せないものだと示す描写なのではないでしょうか。言い方は悪いですが生来、胎内に「苗床(子宮)」を持つ女性だけが闇(精)を受け入れ育むことを許されているんじゃないかなと思うんですね。「月」の力が本来女性の司るものであるとするなら、これもまたそこら辺に立脚しているのかもしれません。
火が陰った後、破綻した信仰と、闇と、巡礼と、そして女性(月)とが結びついた。そうして初めて「天使」という奇跡が成立しました。闇の苗床となった巡礼者、中でも女性だけがそれを育み、蛹となる。ならば彼女たちが空に幻視した「天使」とは、彼女達自身の進化というより、蛹(母)となった巡礼者たちが生んだ(膿んだ)、新時代の申し子と言えるのかもしれません。
ここまでの事を踏まえての補足事項として、ちょっと過去を振り返ってみます。『リマスタード』を思えば記憶に新しいかもしれませんが、墓王ニトとの戦闘エリア直前を思い出してください。
死者の祈祷と骨赤子
人間性マラソンの場として一世を風靡したニト前。スケルトンな赤ちゃんたちは無尽蔵に泉から湧き出し、そして人間性をドロップしました。この状況だけを見るなら、この赤ん坊たちは、かつて死んだ人間の赤子たちなのではないかと推測できるのですが、ここに来て異説を唱えてみます。恐らくこの赤ん坊たちは、この場で初めて生まれたんじゃないでしょうか。
- ソウルの大澱
- 深みから這い出る湿り人たちには 時に大澱が憑依しているという
- それはとても、人に似ている
人間性は人の本質。故にその澱みは人に似るようなのですが、例えば輪の都の沼に生息する白面たちは人に似た蟲でした。あれらが元々人だったということも考えられますが、個人的には「人間性を元に生まれた蟲ゆえ、人のような蟲に成った」のだと考えます。
状況としては同じなのです。生者から零れ落ちた人間性が澱む、言わばニト前のあの空間は一種の「深み」と化していた。そしてニトに対し、座して祈祷と「死」を捧げ、今や動かなくなった白骨死体たち。おさらいですが人間性(闇)は信仰に感応します。だからあの場において、水場に澱んだ人間性は「死者の祈り」に感応し、白骨(死者)の赤子を産み出したんです。
同じと言えば、蜘蛛姫に祈りを捧げる卵背負いたちとこの場所は非常に似通っています。「人間性」があり、そして「信仰」が存在していた。双方が結びつく事で、信仰(物語)を基にした赤ん坊(蛆)が生まれたんです。思えば赤子と蛆たちは「噛みついてくる」という一点で共通します。これは「蝕み」がそうであるように、そもそも人間性が持つ元来の性質なのです。骨の赤子は「深み」に生じるらしい「おぞましいものたち(おぞみ)」の一種と言えるでしょう。
ついでに言えば骨の赤子たちの噛みつきは「猛毒」を持ちます。この毒性もどうやら人間性が持つ性質の一つであるようです。
- 闇の霧
- 人間性に近しいはずの闇の霧は だが、人にとっては恐ろしい毒となる
- 多くの人が、よく人を蝕むがごとく
そういった人間性が元だから、赤子のアギトは毒を持つ。この毒性を意識してから「人の膿」に視点を戻すと、膿たちがたむろしていた「妖王の庭」が猛毒の沼に塗れていた事も、結構意味ありげに思えてきます。あそこは闇、或いは膿で出来た沼地であり、だからこそ人を猛毒で蝕むのではないでしょうか。ちなみにですが、あそこでは「闇の貴石」が拾えるのですが、あの毒沼が闇と関わりのあるものだと示唆するヒントだったのではないかと解釈しています。
つまり色々ひっくるめるなら、こういう言い方ができる訳です。
人間性は赤子に成る。
人が変態したものではない、ただ「人間性」という闇のソウルが形を成したもの。深みに生じる、新しく、おぞましい生命。そしてそれらが生まれる為には、上質な苗床が必要になるのです。
では本項の本題に入ります。よろしくお願いします。
人間性は植物や虫になり、時に石へと凝固する。そして精・種子でもあるそれは適切な「苗床」と結びつく事で、果ては「人に似た」何かおぞましいものへと変態する。天使とはそうした「人間性から生まれた怪異」の一種なんじゃないか、そういうお話でした。
そして取分け重要に思うのは、闇から生まれたはずの天使が闇属性ではなく、魔力属性を行使する点。そこに「月」が持つ「信仰から魔力を生む」力が関わっているのであれば、『3』最大と言える謎をひも解くヒントになるのではないかと考えました。
その前に、結局「深み」ってなんでしょう。改めて表記を変えるということは、シリーズでも馴染みのある「深淵」とは別種の何かなのでしょうか。以下のテキストが解釈の助けになるかもしれません。
- 闇の貴石
- 主なき人間性に生じるもの
- 闇の武器は闇攻撃力を持ち 信仰による補正も高くなる
- 深みの貴石
- 深みの聖堂、その澱みに生じるもの。
- 深みの武器は闇攻撃力を持つが能力補正は消失してしまう。
- そこは人智の届かぬ暗闇なのだ。
- ドーリスの蝕み
- 深みの縁に立つ者は、ときに足を滑らせる
- 彼女は肥え、きっと酔ってもいたのだろう
- 深みの加護
- 深みは本来、静謐にして神聖であり 故におぞましいものたちの寝床となる
- それを祀る者たちもまた同様であり 深い海の物語は、彼らに加護を与えるのだ
闇は人の祈りに感応するとは前述の通り。しかし深みにはそれすら届かないそうです。引用文を単純に捉えるのなら、「深み」とは我々が歩いた「深淵」よりも更に深い場所。深淵とは文字通り、「深みの淵(縁)」に過ぎなかったのだと受け取れます。一方で「蝕み」・「ドーリスの蝕み」など、深みに関わる奇跡があるのも事実。人智(祈り)、届いてんじゃんと言いたいところですが、深みにある闇から「信仰を感受する力」そのものが消えた訳ではない様子。よって深みで育つ「おぞましいものたち(おぞみ)」もまた同様の力を持つ為、何らかの経路で触れる事が叶った場合のみ、祈り願うという手段で浅瀬へ呼び出す事が出来るという理屈でしょうか。
ただしドーリスがそうであるように、人が深みへアクセスする際には、深淵から先へ身を堕とす事が必要であるようです。深みの聖堂、その信徒が、元は深みの封印者であったにも関わらず、今や深みに魅入られてしまったように。
- 強い深みのソウル
- 魔術師でもあった大主教マクダネルは 聖堂に澱むソウルに歓喜したという
- 素晴らしい、ここが世界の底であると
深み、これを言い換えての「世界の底」でしょうか。人間性が沈み澱んだ場所は、物理的深度に依らず「深み」と化す。そうして聖堂は「深み」に、そしてそこに生じた「おぞましいものたち(おぞみ)」に飲まれ、あろうことかそれらを育む寝床と成り果ててしまった。
これは逆転現象と言えます。なぜなら従来「人間性」とは、得ることで人が正気を保つためのものであったはず。しかしながら、元が人間性であるそれが深みへ澱み、おぞましく変態した途端、人はそれを自分の力、理性の糧と出来なくなってしまっている。人間性の変態に、器である肉体が変化を強制されるように、人の本質は今や人を脅かすものとなってしまったのです。
かつて『1』で闇撫でのカアスは、不死の英雄に最初の火を消すことを要求してきました。その結果、世界には闇だけが残り人の時代が来ると。しかし『3』では一転します。カアスが興したと思わしきロンドールは「火の簒奪」を望んでいたのです。火継ぎのシステムを否定し、しかし火それ自体は人の手に渡るべきだと。闇は火に惹かれるもの。だから意見を変えた? 恐らく違います。変わってしまったのは闇の方なんです。
度重なる火継ぎの影響で想定を超えるほど闇が深まったからなのか、元来であれば人の力であったはずの「闇」が、人智の及ばぬ「おぞみ」と化してしまった。だから、もはや願っていたはずの「闇の時代」は来ないと知り、カアスは火の消失ではなく、簒奪を望んだ訳です。
「だが、やがて火は消え、暗闇だけが残る」
万象の根源である「火」。それが消えた後、しかし闇だけは残る。つまり火が消えた世界では闇から力(ソウル)を取り出さなければならない。本来であれば「闇の時代」と称されるべきそれは、人間性(闇のソウル)が「おぞみ」へと姿を変えた途端に別の名で呼ばれるようになりました。今や人にさえ牙を向くおぞましいものどもが、世界の深みで蠢いている。だから、誰かがそれを「深海の時代」と呼んだのです。
さて、吹き溜まりには天使だけでなくこのような奴らもウジャウジャしています。
フジツボ塗れの湿り人
- 湿った長杖
- 全体が黒く湿っており、闇の魔術に適する
- 深みから這い出る湿り人たちが その手に持つ、柄の長い杖
- ソウルの大澱
- 深みから這い出る湿り人たちには 時に大澱が憑依しているという
- それはとても、人に似ている
このフジツボだらけの方々は「湿り人」というそうです。テキストから見るに、元々人だったものたちが変異したのではなく、澱みが形作った「人に似た何か」といった存在なのでしょうか。
非常に気になるのはこちらの、以下のテキスト。
なお、湿り人の使う「深みのソウル」「ソウルの大澱(特攻)」はなぜか魔力属性。
一方で近接攻撃は闇属性であり、そのうえで深淵狩り判定や亡者判定のどちらもない。
つじつまを合わせてみます。深み(闇)に属するから闇属性の攻撃を持つのは見たまま。深淵狩りの判定が無いのは、「深み」が「深淵」の先にある場所だからでしょうか。そして亡者判定が無いのは、湿り人があくまで「人に似た何か」である証左であり、要するに人(亡者)ではないから、とそんな感じ。
しかしプレイヤーのものと異なり、湿り人が放つ魔法が闇でなく魔力属性なのはなぜか。「深みのソウル」と「ソウルの大澱」とは「深みに沈み溜まった暗いソウル」、つまり「人の澱み(人間性)」を放つものであるはず。だから闇属性でなければならないんです。なのになぜ深みから這い出てきた奴らの放つそれは闇じゃねーんだ舐めてんのか……はい、ここまで読んで頂いた方ならば、何が言いたいかご理解頂けると思われます。
恐らくここにも「月」が関わっている。
闇の苗床として成熟した巡礼者。巡礼の蝶は闇属性だったのに、更に成熟した彼女(?)たちは、天使を介して魔力属性を放ちました。闇から魔力への生まれ変わり。類似の現象でしょう。思えば「湿った長杖」に信仰補正が乗るのも、「月が信仰を魔力へ変える」部分に根付いたものに思えます。
で、ここまで散々闇だの魔力だの月だの言ってきましたが、これはあくまで「現象の説明」であって、本題への足掛けです。闇が月の力で魔力へと変換されているのだとして、「だから何なのか」。
天使も湿り人も深みに属する何かだとして、その上で彼らは共に「闇であること」を手放そうとしているように思えます。闇に意志に似たものが宿っているのだとして、彼らは何がしたいのでしょうか。誰か答えを知ってる人はいないのか……。
知ってそうな奴が一人いました。薪の王エルドリッチです。
エルドリッチとは何だったか。火継ぎの祭祀場にてホークウッドは語ってくれます。
「聖職者だった奴は、反吐がでるような人喰いを繰り返し 溺れた豚のように膨れ、蕩けた汚泥となり、深みの聖堂に幽閉された …そして、エルドリッチは薪の王となった。人品など関係ない、ただその力ゆえに」
「人間をいっぱい食べたら強くなった」そうです。好き嫌いせずなんでも食べれば、人は王様にだってなれると教えてくれる RPG『ダークソウル』。巨大なソウルを持てば、王のソウルが無くとも薪と成り得る。これは最初の四大ボスを倒さなくとも火継ぎが可能な『2』でも証明されている事です。しかし「それだけ」というには、エルドリッチという男は余りに異質でした。
暗いソウルこそグルメ
エルドリッチと戦った聖堂、そしてエルドリッチの首そのものが虫に塗れていました。ここでエルドリッチが人喰いを繰り返したという供述が効いて来ます。つまりこの蛆(?)は元々人間性であった訳です。人の血肉を取り込み、それが彼の中で変態したもの。即ちエルドリッチは「強大な闇の苗床」であり、彼そのものが「深み」と化していたと考えられるでしょう。その上でエルドリッチが「深みの聖者」と呼ばれていた事、そして聖堂が深みに飲まれた辺り、きっとエルドリッチの人喰いと、彼の中で育まれた人の澱み(おぞみ)こそが全ての根源だったのではないかと思っています。彼自身が聖職者であった事も影響しているんじゃないでしょうか。祈りは人間性を育てる。
余談ですが、火継ぎとは最古のそれを除き、代々人間が行ってきたようです。前述しましたが、不死が人間性を篝火にくべる行為は、「火継ぎの縮図」でもありました。闇のソウルは火を大きく育てる。ならば「おぞみ(人間性)」の群体であるエルドリッチが薪の燃料となるのは必然であったと。一方で闇撫でのカアスは人にダークハンドを渡し、吸精の果てに枷を外せと要求しました。エルドリッチの人喰いと、その果ての蕩けた、枷など微塵も残っていないだろう不定形は、まさにカアスの求めたもの。深みの聖者エルドリッチとは、薪の王でありながら、同時に闇の王でもあったのですね。
脱線終了。ということで在り方はともかく、膨大な人間性(闇のソウル)を取り込んだエルドリッチは薪となって火にくべられ、しかし蘇りました。そして今度は人ではなく、神を喰らい始めます。喰って寝て気楽なもんだな!
- 王の薪(エルドリッチ)
- 人喰らいにより王の資格を得たエルドリッチは
- しかしその玉座に絶望し、神を喰らいはじめた
- エルドリッチのソウル
- 彼は陰った火の先に、深海の時代を見た
- 故に、それが遥か長い苦行と知ってなお 神を喰らいはじめたのだ
さて、正直いくらでも解釈ができる記述だとは思うのです。なぜ神喰らいをしたかと言えば、人に飽いた彼がもっと強い力を求めたとも言えますし、神が持つ火のソウルを深海の時代に持ち越すためだった、なんて事も推測できます。しかしちょっと思いついたことがあるので述べさせて頂きたい。
まずエルドリッチの足跡を辿りましょう。火継ぎを行い棺に入った彼は、火の陰りに呼応し、ロスリックの墓所にて再起動します。次にイルシールを経由して神を喰らう為にアノール・ロンドへ……と見せかけて、深みの聖堂にもちゃんと立ち寄っています。大主教マクダネルを始め同行する者達は多くいたので、彼は従僕を求めて聖堂に行ったのでしょうか。それもあるかもしれませんが、恐らくエルドリッチの目的は別にあります。
侵入者アリ
ロザリアの寝室前の様子ですが、内部へ至る扉はそもそも鉄格子で固められており、しかし無理やりこじ開けられたように見えます。更に周囲の壁は何かどろどろしたもので濡れ、ロザリアの子たる蛆人たちは壁に縫い付けられている。比較的最近と思われる、争いと押し入りの痕跡です。この鉄格子が何の為のものかは不明ですが、仮にロザリアが聖堂で庇護を受けていた、或いは監禁されていたのだとして、そこへエルドリッチが現れたのでしょう。
エルドリッチはロザリアを目当てにやってきた。何が目的かと言えば 2 つ思いつきます。シンプルにエルドリッチは「生まれ変わり」に来たんじゃないかと。ここで一つ思い返して頂きたいのは、前述した通りエルドリッチは、それ自体が「深み」であり「巨大な闇の苗床」と言えます。ならば同じ闇の苗床となった巡礼者たちが「蝶」の先、「蛹」を通して「天使」を見出したのだとするなら、エルドリッチは自身に蠢く「蛆」を、その先、「より上位のもの」に進めたかったんじゃないかなと思います。
生まれ変わりの母ロザリアとは、人間性を司ります。だから今や「おぞみ」と化して尚、人間性の群体である自身に更なる進化をもたらせると踏んだのかもしれません。しかし叶わなかった。なぜか。彼女の周囲にいるのが蛆人だから、そもそも「生まれ変わり」では一定以上の進化は不可能であるように出来ていると考えても面白い……のですが、前述した仮説を思い返すなら、蛹となり天使を見出した巡礼者とは、「月」を持つ「女性のみ」でした。人間性が、蛆の先、一定以上の進化を遂げる為には「月」が必要だと仮定するなら、こう言えます。
エルドリッチは男性であるが故に「月」を得られなかったのです。
それを踏まえてみると、ステータスの振り直しや、外見の変化でさえ行える「生まれ変わり」が性別の変換だけを不可能とすることに深い意味が生じてきます。如何にロザリアであろうと性別は変えられない。「月」を持たぬ者に「月」を付与することは出来ない。それは我々が思う以上に希少なものなんでしょう。
思えば『3』で登場する薪の王が全員男性でした。勿論ファラン不死隊に女性隊員がいた可能性もあるのでここら辺は憶測なのですが、人間性(精)がある意味で「男性性」を象徴するものなら、「火を育てる薪」には男性こそが向いているという一つの示唆だったのかもしれません。そしてこの男女の対比は、月の有無と、火と深海、新旧の時代の対比にもなっていたんじゃないでしょうか。
そしてエルドリッチがロザリアに求めたもの、その 2。彼女が抱く肉の塊の正体ですが、もしかしたらマクダネルらと並ぶ大主教クリムトなんじゃないかと、かつては思ってました。ロザリアに仕えたというクリムトは過度な生まれ変わりの果てに巨大な蛆になったのではないかと。
肉塊くん。
でもこれ、よく見ると蛆虫というよりは巨大な肉の塊に見えます。推測ですがエルドリッチはこの寝室に押入り、ロザリアと子を成そうとしたのではないでしょうか。ロザリアがロスリック王妃であれば、彼女は月を宿した子らを産んだ前例を持ちます。故にエルドリッチは彼女の寝室を冒した。……人間性が「精」を意味するとした上でエルドリッチという存在を考えてみると、中々に生々しい。彼は自身の人間性(精)をロザリアという「苗床」に注ぎ、月の力を宿した子を欲したんです。
しかし生まれたのは肉の塊。それは月を持たない失敗作だったんです。
結局のところ、エルドリッチが望んだものが自身の生まれ変わりだろうが子どもだろうが、求めたものは一つに収束すると考えます。それこそが「月」であり、そして得られなかった。ならばとエルドリッチは考えたのでしょう。月を宿せず、月を宿した子も成せないならば、宿した者を喰らおうと。
月を蝕むエルドリッチ (※ 衝撃的な光景である為、イメージ画像に差し替えさせて頂きます)
思うに「神喰らい」という呼称は一種のミスリードだったのだと思います。エルドリッチは神を喰らいたかったのではないのです。喰らった「月」が神だった、きっとそれだけなんです。エルドリッチの目的は、最初からグウィンドリンだった。もちろん「月」の力を持つ者はグウィンドリンだけではない様子。シーリスが仕えるという「名も無き神」なども彼の目的の内だったのでしょうか。ともかくエルドリッチは自らが持ちえない「月」を得る為に、暗月の神を求め、そして喰らい始めたという顛末なのでした。
ところでエルドリッチがロザリアとの間に「月の子」を成せたのなら、彼はそれすらも食べるつもりだったのでしょうか。やりたい放題だな。
闇を魔力へ転じる人々は天使や湿り人だけではなさそうです。例えば深淵の沼に沸く説教者(白面の虫)は、闇から生まれた癖に魔力属性の攻撃をしてきます。かつ、魔力エンチャントが可能な「青白い松脂」をドロップ。闇属性攻撃使えよと言いたいですが、何らかの理屈が働いて闇を元手に魔力を生成している様子。
極めつけは蛆人たちです。こいつらが所有する「蛆人の杖」が面白い。
- 蛆人の杖
- ロザリアの寝室を守る蛆人たちの杖
- 彼らのホーリーシンボルを先端に象ったもの
- 運の能力値を魔術威力に反映させる
さて「運」とは何か。あればあるだけアイテム発見率が高まり、亡者派生の武器を強化する、人間の本質的な力だというそれ。思い返せば「人間性」もまたアイテム発見率と武器の威力に影響を与えていました。なぜ両者の性質は似るのか。だって運と人間性は同じものだからです。
公式サイトを見ると「人間性」の欄にさりげに「人間性とは、人の本質、人らしさの象徴です」と記載されていたりします。そして「運」とは「人の本質的な力」……つまり「人間性」なんですね。
ということは「蛆人の杖」が持つ「運の能力値を魔術威力に反映させる」というのは、「人間性(闇)を魔力属性に変えている」とも言える訳です。ここでも属性の変換が行われていました。
ちなみになんですが、『DARK SOULS TRPG』の蛆人の項にはこんな記述があります。
ロザリアの寝室に通った女たちの成れの果て。魔術を使う。
マジで? もっとも同著をどの程度まで「公式」としていいかは不明なので突っ込んで論拠とはしませんが、女性だけが扱える「月」の力の話をした後では感慨深いものがあります。また杖を持った蛆人が放つ魔術は、プレイヤーには扱えません。
蛆人だけが用いる魔術
また蛆人の魔術はヒットした後に天使の羽に似たものを散らせます。ロザリアがロスリックの「月」、ないし天使信仰に関わるというのなら、蛆人の魔術がプレイヤーに扱えない理由と、「天使の光柱」問題は根が同じなのかもしれません。そしてエルドリッチがロザリアを求めた理由とも重なってくれる気がします。
薪の王エルドリッチは月を求め、失敗し、故に月の神を蝕んだというお話でした。では「何のために?」という話題に移ります。ラスト・スパートなのでついてきてください。
では再度引用。
- 王の薪(エルドリッチ)
- 人喰らいにより王の資格を得たエルドリッチは
- しかしその玉座に絶望し、神を喰らいはじめた
- エルドリッチのソウル
- 彼は陰った火の先に、深海の時代を見た
- 故に、それが遥か長い苦行と知ってなお 神を喰らいはじめたのだ
こいつこの期に及んで被害者面ですよ。どこが顔だかも分からないくせによ。
しかしながら。
- 主教のスカート
- 深みの聖堂、その主教たちのスカート
- 深みの封印者であったはずの彼らは やがて皆、おぞみに飲まれた
- 信仰も灯火も、役には立たなかったのだ
深みの大聖堂は元を白教或いはそこに纏わる地とするようです。そしてかつて彼らが「深みの封印者」であったというなら、エルドリッチの人喰らいとは、上述したように多量の人間性を得、自身を上質の薪とすべく行われたという捉え方もできます。全ては火の時代を維持し、深みを封じるという大義の元行われたのかもしれません。
- エルドリッチの赤石(青石)
- おぞましい人喰いで知られるエルドリッチはきっと伝えたいのだろう。
- 悲鳴に浴し、生命の震えこそ喰らうやり方を。
……たぶん。で、ともかくそれを果たし、結果エルドリッチは絶望した訳です。「薪の王になんてなるつもりはなかった」というテキストには受け取れないので、どちらかと言えば「思ったものではなかった」というニュアンスでしょうか。そのまま読むなら、陰る火の予見が彼を絶望させたと。継いだところで、火は消える。ならば王たるにどれほどの意味があるというのか。
火継ぎの前後どちらかは不明ですが、絶望したエルドリッチはそれでも陰りの後に深海を見たようです。故に神を喰らい始めたと。何が「故に」だかさっぱり分からないのですが、またもやこの辺をでっちあげて本項の締めと致しましょう。
基本への立ち返りとして、闇とは生命に惹かれるものでした。理性を失った亡者が人を襲うのも、闇魔法が追尾性を持つのも根源は同じです。転じてこの闇は人の中で「欲」として現れ、それを指して人間性と呼ぶ皮肉。聖職者は信仰によって自己の人間性を刺激し、故に聖職者こそ多量の人間性(欲)を宿していたのは更なる皮肉。パッチの聖職者嫌いはこの辺に根差しているのでしょうか。『2』ではマヌスの欠片であるという「深淵の落とし子」が現れ、その一人であるデュナシャンドラは、人がそうであるように、最初の火を求めていました。彼女に「渇望」の二つ名が与えられていたのは、彼女が「人間性(欲)」の特性を色濃く表していたからでしょう。運と人間性が同じだと言いましたが、運によってアイテム発見率が高まるのは、「欲しい」という心、渇望(祈り)が世界へと影響を与えた結果なのかもしれません。
改めて、闇は生命に惹かれる。ソウルを求めてやまない闇は、それ故、最も偉大なソウルである最初の火を求めます。それは深みに澱もうが、おぞましく変態しようが絶対に変わらない。世界から火が絶え、深海の時代となったとしても、闇は火を諦められないんじゃないかと思うのです。
であるなら、こういう仮説は如何でしょうか。「魔力」が最初の火によって切り分けられた差異の一つであり、ソウルが持つベーシックな部分を示す属性だとして、天使のそれも、湿り人のそれも、「月」を媒介にして闇を魔力に転じているのだとするなら、それはこう言える訳です。闇から火を起こしていると。
「天使の光柱」を先駆けに、吹き溜まりに見られた天使や湿り人たちの奇妙な属性問題は、全てこの一点を示唆するためのものだったと考えています。黒い精たる自らを苗床へと注ぎ、火を生まんとする。それは闇が、火の消えた世界に、それでもなお火を灯そうとする足掻きなんじゃないでしょうか。考えてみれば『3』ではソウルで「運(人間性)」を上昇させられます。ここで火(魔力)を闇に転嫁しているとするなら、闇はその逆を行おうとしているのかもしれません。
無論、ソウル(魔力)属性とは「最初の火」そのもの足り得ません。ソウルを火と同一と考えていいのなら、イザリスは魔力属性だった炎の魔術で満足していたはず。それでも魔女が火を造り出そうとしたのは、魔力が火の一側面であっても、「そのもの」とは言えないからです。しかしそれでも闇は自己を材料に、断片でありながらも火を求めたのだと思うのですね。
ならばエルドリッチの神(月)喰らいにも同じことが言えるはずです。いずれ消える火に絶望した彼は、火継ぎというシステムそのものを捨て、自らが持てる闇全てを魔力(火)へ転じようとしたのかもしれません。「最初の火」は消えてしまった。しかし、それでも残った闇から僅かにでも産み出せるかもしれない。火継ぎに絶望した深みの聖者は、次の時代に新たな「火」をもたらそうとしていたのかもしれません。
もしもあの場に灰が現れなかったとするなら、グウィンドリン(月)を取り込んだ深みの聖者は、果たしてあの後にどんな姿を得て、何を産み落としていたのでしょうね。今はもう知る由もありませんが。
さて、どうでもいい話ではあるのですが、どこまでがエルドリッチの意志だったのでしょう。
これはエルドリッチか、虫なのか
エルドリッチがおぞみの苗床であったことを示す「王の薪」。しかしこれ、エルドリッチと呼べる部分はどこまで残っているんでしょう。苦行と知りながら月を喰らい、その先に火を求めたとして、それは果たして彼自身の意志だったのでしょうか。
それとも姿を変えたとは言え、この蛆が人間性であり、元より人がその器であったとするなら、「虫か人か」などという問題は、どちらでも同じ事なのかもしれません。
- 闇が月に着床することで魔力(火)が生まれる。
- エルドリッチは神ではなく「月」を喰らいたかった。
- 深みに蠢くおぞみ(闇のソウル)から力を取り出すのが「深海の時代」。
- それでも深海に火を灯す。火を育てる事こそが闇の使い途であるが故に。
『3』における特に大きな謎である「深海」というキーワード。どうでしょう、適当にでっちあげてみました。何か当面の答えを得たい方には勿論、そんな訳ねーだろと一笑に付される方にとっても、ほんのちょっぴりくらい刺激を与えられたら幸い。ともかくここまでお読み頂いてありがとうございました。
ということで長くなっちまいましたが、ひとまず終わり。本当はまだ語っていない部分があるのですが、番外的な要素が強いので次に回します。その時にまたお会いしましょう。