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熱くならずに、ひんやりいこうよ

おはようございます。寒いですね。というわけで今回は「冷たさ」について。

原始、世界は灰でした。

だが、いつかはじめての火がおこり 火と共に差異がもたらされた

熱と冷たさと、生と死と、そして光と闇と

「分かたれず、霧に覆われ 灰色の岩と大樹と、朽ちぬ古竜ばかりがあった」世界に、いつか火が熾り、以来万象は個性を、そして色鮮やかなソウルを帯びたのでした。

ソウルとは生命の源とされますが、あらゆるものが元を一つとし、分かたれたのなら、生のみならず死もまたソウルの一面であるはず。最も初めに死に触れた王、ニトはこれに全てを捧げ墓王として司ります。

生死はシーソーゲームのようなもの。生者は生を失うと同時に死というソウルを得るのです。しかしソウルはソウルでも、死のソウルは生命力に成り得ず、死者はこれを扱う術を持たないので、結果永劫に動けなくなる。これが死と死者の仕組みです。誰も逃れることはできない。

ただし 2 つばかり例外があります。その 1 つが屍術による駆動。死もソウルである以上、操る術があり、ソウルシリーズお決まりの骸骨たちはこいつを根拠に動いていたのでしょう。ネクロマンサーを倒すことで復活しなくなるのは術が機能しなくなったからですが、一部の骸骨は術者なしで動けるようでした。その特例の最たる者が墓王ニト。特殊な例として、自身の死を操作できるタイプの死者もいたのか、或いは死者の領域とはそれを可とする特性を帯びるのか、理由は色々考えられます。

そしてもう 1 つの例外が、「不死人」と呼ばれる存在でした。

暗い穴(『DARK SOULS 3』)
不死人の証にも似た暗い穴。
ぽっかりと体に開いている。
その暗い穴に底は無く、人間性の闇が徐々に漏れだし引き換えに呪いが溜まっていく。

厳密には異なるものですが、暗い穴とはダークリングに類するものと考えます。つまり「人間性の闇が徐々に漏れだし引き換えに呪いが溜まっていく」とは、従来の不死がそうであったように「死ねば死ぬほどに人間性を失う」ことの説明になっています。そしてただ一度きり、「生」と引き換えに得られるはずの掛け替えのない「死」を、なんと不死は肉体の内に際限なく溜め込めるんです。ただ人間のみに宿る人間性と引き換えに。

本来一度だけであるはずの死は、積み重なることで呪いと化します。だから死を重ね続けた人間は、生きながらにして死者へと近づき痩せさらばえ、最大 HP が減少しさえする(こう考えれば『2』の亡者描写が如何にこの原則に忠実だったか分かるというもの)。不死は死なないのではなく、厳密には死を蓄積することができるんですね。

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そして何なら強くなる。プレイヤーが何度も死に続けることで、歯が立たなかった強敵を終には倒すように。人のみに与えられたおぞましい特性に、神々はビビり散らかしたのでした。

と、まあここら辺の話は過去に何度もしてます。重要なのは、生者は生を根拠として動き、それを失えば死を得、死者となる。ただ失うばかりではなく、失うことは同時に別の何か、多くの場合は「対となるもの」を得る。何も失うことのない RPG 、『DARK SOULS』――好評発売中。

というわけでここからが本題。失うことと得ることはシーソーゲーム。『DARK SOULS 3』においては、生と死の他にもう一つこの原則が確認できました。「熱」と「冷たさ」です。火は陰り、世界から熱が失われていく。言い換えればあらゆるものが「冷たさ」を得る、そんな時代が始まろうとしていたのです。

ソウルシリーズを象徴する篝火とは熱の体現でした。不死は篝火からエストを補充し、生命を繋ぎます。熱が生命と密接に結び付いているなら、我々は喉を鳴らして熱そのものを飲み干していたわけです。奇跡「太陽の光の恵み」などは「熱」によって生を癒すものだったのでしょう。太陽とは雷の力と言われますが、ことはそう単純なものではなく、その恩恵は幅広い。

しかし「熱」が生をもたらすなら、「冷たさ」は? 生者にとって死が劇毒であるように、熱を原動力とする生者にとって、対となる冷たさとは、きっと生を脅かす「死に近いもの」のはず。『3』において冷たさとは、凍傷を患う「冷たい蝕み」でした。

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生者は暖かく死者が冷たいのは、そういうこと。

ですがその一方で、冷たさは脅威としてだけでなく FP という恩恵を与えるものでもありました。

エスト瓶
鈍い緑色のガラス瓶
不死人の宝
篝火でエストを溜め、飲んでHPを回復する
古くより、不死の旅は篝火を巡り エスト瓶はいつも旅と共にあった
エストの灰瓶
鈍い灰色のガラス瓶瓶
火の無い灰の宝
篝火の熱を、冷たく変える灰瓶は 火の無い灰にこそ相応しいだろう

また同時に、スタミナ回復スピードを向上させる「花付き緑花草」などは「冷たく、だが凍らぬ水辺」に咲くと言いますが、反面冷たさとはスタミナ回復を疎外する性質を持ちます。太陽の光が雷という武器ばかりでなく、時に他者を癒すように、そしておぞましい闇(人間性)が不死に生を与えるように、生命を脅かす力は時に反転し真逆の効能を持ち得るということなのだと思います。

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っていうか結局「火の無い灰」ってなんだよ。当たり前のように知らん言葉を使うのはいつものソウルシリーズなので、これを軽い気持ちで解釈するなら、不死が持っていてた僅かばかりの「火」、それすらも失った、より本質的に空っぽになった不死人こそが火の無い灰に区分されるのでしょう。だからこそ灰は熱に欠け、それ故に当たり前のように「冷たい」ソウルすらも受け入れてしまう。なので灰ではない通常の不死人が灰エストを飲むと、何らかの形で不調をきたすのではないかと想像しています。これは完全に憶測ですが。

さて、そんなわけで不死は持前のタフネスで「冷たさ」にすらも適応しそうな勢いですが、一方で冷気の悪い影響を思うさま受けてしまった哀れな種族がいました。

デーモンです。

かつてイザリスの魔女たちが生んだ混沌の炎、つまるところ溶岩から生まれた獣こそがデーモンでした。歪んでいたとはいえ、それは「熱」の申し子と言って差し支えないでしょう。しかし火は陰り、世界から熱は失われ、代わりに冷たさが充ちていく。そうして冷えた溶岩はどうなるか。そう、「岩」になるんです。

『3』においてはぐれデーモンなどはこれまでに無かった「岩」の力を放ちましたが、あれは生来持っていた機能ではなく、熱を失い、冷気という毒に蝕まれた無惨な姿なんですね。

岩吐き
燻りを失くした、はぐれデーモンの業
口から岩を吐き出す
その岩は重く、すぐに砕けてしまう

「その岩は重く、すぐに砕けてしまう」。これはデーモンという種そのものの行く末を示唆する一文でしょうか。

ただ補足しておくと、デーモンたちは軒並み冷気属性に対し耐性があったはず。凍傷状態が炎攻撃で解除できてしまうように、冷気とは熱には弱いもの。彼らを成立させる熱が失せ、入れ替えに世界を満たしていく冷たさにはどうしようもなく抗えないものの、それでもデーモンとは混沌の炎の獣です。その場限りのチャチな冷気攻撃など意に介さないのでしょう。

『DARK SOULS』。火の時代を舞台とした物語の終わりは、即ち冷たく暗い時代の幕開けを意味するのでしょう。そしてそれは熱と共に生まれたデーモンの始まりと終わりまでも見届ける旅路だったと言えます。

デーモンの大斧
混沌から生まれたデーモンたちは 皆炎を宿し、ひび割れ歪んでいる
生まれるべきではなかったのだ

生まれるべきではなかった異形たち。いつか冷え切って、崩れ去る運命であるとしても、しかし彼らは確かにそこにいた。もしかすると、そこらへんに転がる石ころなどが、かつてデーモンと呼ばれていたモノたちの、ほんのひとかけらなのかもしれない……そうして馳せる空想は、少しの供養となるでしょうか。

まだまだ寒さが続くこの頃、みなさまどうかお体に気を付けてお過ごしください。

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