おてての話を聞いてって
2025.12.31
はじめに
あるところに、月光をこよなく愛する企業がありました。またあるところに、沼を毒で満たすことに余念の無い企業がありました。共に同じゲーム会社、名をフロム・ソフトウェアと言います。
セルフ・オマージュの話をします。フロムが多用する「お、これ過去作のアレじゃん」です。例として「月光」と「毒沼」を提示しましたが、今回はそのような有名どころの影に隠れた一品、フロムが愛した「手」についてお話していこうと思いますので、お付き合い頂ければ幸いです。
なお、当記事の主軸はあくまで『ELDEN RING NIGHTREIGN(エルデンリング ナイトレイン)』のつもりですが、セルフ・オマージュを取り扱う関係上、過去作(『DARK SOULS(ダークソウル)』シリーズ、『Bloodborne』、『隻狼』、『ELDEN RING(エルデンリング)』本編)にも触れていきます。
ラインナップからもお分かりの通り、一口にフロムゲーと括りはしても、現社長・宮崎英高氏の影響が特に強いものに限定します。月光と毒沼は古のフロムゲーにも登場しますが、「手」に関しては氏の作風の一つと判断した結果です。
『ナイトレイン』で初めてフロムゲーに触れ、過去作にも興味を持った方々もおられると思いますし、何ならこの記事がそういった動機を後押しするゲータウェイにもなって欲しい。その一心から該当作品について核心的なネタバレまではしないよう努めますが、気になる方は避けて頂いた方が宜しいかと存じ上げます。
では御照覧あれ。
この手と手の間にあるものが……心か
私を異界に連れてって
セルフ・オマージュの例として分かりやすいところから行くと、「手」とはしばしば、 DLC エリアへの入り口として機能しました。
『DARK SOULS』
「王の器」なる重要アイテムを入手した後、条件を揃えることで現れる黒いもや。このもやに触れると……。
ウーラシールにつれてって - 『DARK SOULS』
もやより現れた巨大な「手」に引きずり込まれた先は、物語本編の数百年前。名前のみ登場していた、かつて深淵に飲まれたという「ウーラシール」を舞台とした冒険が始まります。
沈みゆくウーラシールには、「手」を肥大化させた異形の市民たちが潜み、そして単眼の黒竜が飛び回っています。黄金の国は如何にして滅んだのでしょうか。
『Bloodborne』
ヤーナム聖堂街のある地点で突っ立っていると、宇宙悪夢的なエフェクトと共に狩人の身体は不思議に持ち上がり発狂するという現象が確認されています。この正体はアメンドーズと呼ばれる異形が持つ「手」でした。啓蒙が一定値を超えるか、ヤーナムの街が赤い月で照らされた後にその姿が認識できるようになるわけですが、「血に酔った狩人の瞳」を入手後にこの手に捕まれることで、狩人は DLC エリア「狩人の悪夢」へと移動することになります。そこは文字通り夢の中。現実では既に失われてしまったもの、存在するはずのないものが辿り着く曖昧な世界です。狩人は果たしてどれほどおぞましいものを見ることになるのでしょうか。
狩人の悪夢につれてって - 『Bloodborne』
ちなみに DLC を持ち出すまでもなく、本編中においても「手」は悪夢の辺境への入り口となりました。常ならぬ真実は、常に夢の中にある。
『ELDEN RING』
血の君主、モーグを撃破しました。そこには神人眠りの繭が鎮座します。繭の裂け目より飛び出した一本の不気味な「手」。神人ミケラのそれだという手は地の底で放置されるばかりでしたが、やはりここも DLC「影の地」に続く入り口となりました。
実際にはミケラは自らの肉体を影の地に棄てて回っていて、繭の中身は実はミケラではないのでは? という説もあるようですが、今は本題ではないので割愛。あくまで「手」がプレイヤーを異界に招くというお話でした。
影の地につれてって - 『ELDEN RING』
『隻狼』
この作品に関しては少し趣が異なる気もしますが、『隻狼』において主人公・狼を源の宮に導く存在として巨大な注連縄(しめなわ)人形が在り、この際には一応、巨大な手が狼を連れて行く形になります。
源の宮につれてって - 『隻狼』
こんなに大きくなっちゃって
というわけで手始めに「入り口」としての「手」でした。
次にご紹介するフロムの「手」は、「肥大化した左腕」。持ち主に不釣り合いなほどに膨れ上がったそれが意味するところを、ちょっと御覧になって頂きたい。
『DARK SOULS』
前述した「入り口」としての手ですが、その手法の元祖であるのは『DARK SOULS』に登場する「深淵の主マヌス」。ウーラシールを深淵に沈め、駆けつけた騎士アルトリウスをも迎撃したという、曰く「古い人の化け物」。捻れた角に赤い瞳、そしてその巨大な体躯に対し更に、歪なほどに肥大した禍々しい「手」の持ち主が、今後のフロムゲーに度々登場する「大きな左腕の怪物」のオリジンとなります。
ちなみに「マヌス(Manus)」とは「手」を意味するラテン語だそうです。「マニキュア」の語源と聞けば、なるほどと頷けるでしょうか。
さておき「大きな左腕の怪物」は、その凶暴性をそのまま武器とするかのように、振り上げた左腕を思い切り叩きつけます。痛い。これから先々に至るまでずっと見ることになる動作です。繰り返しますが、深淵の主マヌスとは、今後我々が目撃する「手」の、ある種の起源なのでした。
深淵の主 - 『DARK SOULS』
『DARK SOULS 3』
少し番外の話にはなってしまうのですが、「大きな左腕の怪物」はシリーズ最終作にも登場します。
人の膿 / グンダ - 『DARK SOULS 3』
灰の審判者グンダ、そして一般亡者の中からも現れるそれは、曰く「人の膿」だと言います。当然と言うべきか、この人の形をした膿も左腕を振り上げてビタンと叩きつけてきます。凄く痛い。そしてこの噴流する怪異は、ある種の深淵とやらが人中を膿で満たしたものだそうです。つまりマヌスと同様に深淵に纏わるもの。ならばこれら怪物たちが持つ「左腕」という特徴もまた、深淵に由来すると考えていいでしょう。
なぜ深淵と「手」が関わるのか。これに関しては後述。
『Bloodborne』
「大きな左腕の怪物」。『Bloodborne』においてそれは、聖職者の獣と言う名で登場します。元を聖職者とするであろう獣は劇中何体か登場しますが、ただ「聖職者の獣」と呼ばれる最初の個体と、狩人の悪夢に登場する炎の獣は同型であり、左腕という特徴を共有します。また NPC ブラドーがかつて獣化した友人から剥ぎ取ったと言われている装束にもその特徴が見て取れます。対して教区長エミーリアや醜い獣には同様の特徴が見られないあたり、左腕の肥大には何か条件があるのかもしれません。
言わずもがなですが、聖職者の獣もまた、肥大化した左腕を振り上げ、叩きつけてきます。痛ぇんだこれが。
聖職者の獣 - 『Bloodborne』
以前作った動画
『隻狼』
鬼刑部と斬り合った戦場跡にて、我々は本物の鬼と対峙することになります。怨嗟の鬼です。「大きな左腕の怪物」は、しかし戦いの記憶においては「隻腕の鬼」と綴られました。「肥大化した左腕」に見えるそれは、腕であって腕ではない、おぞましい何かであると言いたいのでしょうか。
怨嗟の鬼もまた、その肥大化した左腕を大きく振り上げて叩きつけます。熱いぜ。痛いぜ。
怨嗟の鬼 - 『隻狼』
以前作った動画
『NIGHTREIGN』
フロム・ソフトウェアはセルフオマージュ、自社の過去作からの引用を多用します。特に最新作『ナイトレイン』は『ダークソウル』のボスキャラをゲスト出演させたりなど嬉しいサプライズがあり、そして此度の DLC では、あの騎士アルトリウスが登場する運びとなりました。
多くのキャラクターが名前を失っている中、アルトリウスだけがアルトリウスとして夜闇を裂き、前座の影の貴人たちは原典のウーラシール市民のように、憐れ重厚な暴力の下敷きに。
フロムは夜という事象を深淵に見立てたのでしょうか。結果このような運びになったのだとすれば、夜の王もまた深淵の主への「なぞらえ」と言えるでしょう。そしてそんな令和最新型の深淵の主である夜の王たちの一角に、「大きな左腕の怪物」界の新進気鋭は存在しました。
夜光の騎士フルゴールです。
通常モードのフルゴールは隻腕の人馬として登場しますが、後半、戦いがヒートアップした際、なんと失った左腕が再生したではありませんか。幾度となく見覚えのある、禍々しいまでに膨れ上がった異形の左腕が。
夜光の騎士 - 『NIGHTREIGN』
そして恒例のビタン。なんだか代を重ねるごとに豪壮となっている気がしますが、こうでもしなければ性能を上げ続けるプレイヤー・キャラクターに対応できないから仕方が無いのです。
また、さすが令和最新型。我々は信じられない光景を目の当たりにします。常夜モードのフルゴールは戦闘のはじめから異形の左腕を振るっており、かと思えば後半戦、天へ駆け上った彼を祝福するかのような輝きの中で、何とフルゴールの左腕は、異形のそれから人のそれへと復元しました。
夜光の騎士(常夜) - 『NIGHTREIGN』
夜の王が持っていた資質
可能性を色濃く宿し 運命を変える力を持っているという
夜の気配 - 『NIGHTREIGN』
夜とは運命を変える力なのだと言います。左腕と共にあらゆるものを失ったフルゴールが、きっとそれを取り戻したいと願い、そして夜は応えたのでしょう。或いは夜の闇にあって、なお信仰を捨てなかった彼を、神々は御救いになられたとでも言うのでしょうか。
『The Duskbloods』
そして来たる次回作『ダスクブラッド』のデビュー・トレーラーにも、「大きな左腕の怪物」が出演する……かもしれません。
想像するに、右手で巨大な武器を振り回し、それを目くらましに肥大化した左腕で殴ってくるタイプの敵だろうなと踏んでいるのですが、実のところ全体図は把握できていません。用心しておいて損はないでしょう。
??? - 『The Duskbloods』
どうだろう、見えるだろうか。
ホントのあなたを見せたげて
ではそもそもの話、これら「肥大化した左腕」とは何なのか。このアイコンを繰り返し提示し、フロムは何を表現したかったのか。少なくとも『ダークソウル』においては分かりやすく提示されているように思えました。
『DARK SOULS』
禁忌とされる闇の魔術
人間性の闇に仮そめの意思を与え放つもの
その意思は人への羨望、あるいは愛であり
人々は目標を執拗に追い続ける
その最後が小さな悲劇でしかありえないとしても
追う者たち - 『DARK SOULS 3』
古く竜の学院が失った大魔術師
「ビッグハット」ローガンの独自魔術のひとつ
追尾性の高いソウルの塊を浮かべ、放つ
探求者たるローガンの一端が見える魔術だが
生命に惹かれるその性質において
後の研究では、むしろ闇に近いとされている
追尾するソウルの塊 - 『DARK SOULS 3』
人の本質は渇望であったようです。ご存じ、理性を無くした亡者はソウルを求めて生命を襲います。人だけが持つ人間性の闇、そこに纏わる魔術に追尾の性質が付与されるのは、「求める」事こそが人の本質だから。そして純粋な魔術であるはずのソウルの塊が追尾性を帯びてしまうのも、そもそも人のソウル(魂)が闇と切り離せない証左なのでしょう。
ダークレイスがその左腕(ダークハンド)で吸精を行うのはなぜか。罪の都に手の形をした怪物が潜むのはなぜか。深淵によって人間性を暴走させたウーラシール市民の手が肥大化するのはなぜか。そして夥しい数の不死人を栄養に育った呪い腹の大樹が、終には腹から巨大な左腕を伸ばすのはなぜか。全て理由は同じ。「欲しい」。その根源的な欲求こそ人間性、即ち人の本質であり、剥き身となったそれは時に「手」という形で顕れるのです。深淵という、より深い闇によって強調され、暴走に導かれたのであれば、その特性は殊更凶悪なものになるのでしょう。だから深淵由来の怪異の左腕はあれほどまでに大きく、おぞましい。
ウーラシール市民
ダークレイス
罪の異形
そして事実、かつて人間性の保有数はアイテム発見力、ドロップ率に直結しました。まるで人間性の闇が「運命を変えて」、宿主の願いを叶えているかのように。
「欲しい」。それは間違いなく、人の本質でした。
『Bloodborne』
で、『DARK SOULS』の「手」にそういった含意があるのだとして、他のシリーズではどうでしょう。例えば『Bloodborne』の聖職者の獣は、元は人間でした。特に DLC に登場する、初めての聖職者の獣であるという「初代教区長」は、現実に存在するはずのない、自身の頭蓋骨に向かって左腕を伸ばします。まるで既に失われて久しい、自らの人間性を取り戻そうとするかのように。
「欲しい」。おぞましく膨れ上がった左腕は、作品を超え、やはり望むものに向かって伸ばされているように思えます。
『隻狼』
一方、『隻狼』の怨嗟の鬼もまた、人間がその姿を変えたものでした。その人はかつて強さを極める為に多くの人を斬ったのだと言います。「修羅」となりかけていたその人は、左腕を主により切断され、一時は復調したようですが、結局は怨嗟の炎に飲まれてしまいました。かくして彼は「左腕の怪物」……隻腕の鬼と化するところとなりました。
「…あんた、覚えておきな。怨嗟はもう、積もる先を失った。戦が続けば、世はもっと酷いことになるだろう。…だからって、あんたが替わりになることはないんだよ」
老婆 - 『隻狼』
曰く「怨嗟の積もり先」になって生まれたという鬼。それを狼に対して打ち明けるということは、狼にも同様の末路が用意されている可能性の示唆なのでしょう。
事実、劇中で狼が「主を裏切る」選択をした結果、彼の義手、存在しないはずの左腕からは異色の炎が立ち上ることになります。隻腕の狼は修羅となり、その後のことは不明であるものの、葦名という地には、後々まで鬼が潜んだそうです。
人を多く斬った者の歓びは修羅を呼び込むのでしょう。ですが腕の喪失などによりその手段を失い、しかし再び「求めて」しまった場合、心中のどこかに宿った修羅は、少しずつ炎を燻らせていくのかもしれません。そして火は人の身に鬼を降ろすのです。
『NIGHTREIGN』
戦いの後に遺された、フルゴールの夜
神々の僕であった勇敢な戦士は背後から左腕を切り落とされる
振り向いたフルゴールは絶望した
同じ死地を歩んだ仲間たちが 神々を信じられなくなっていたことに
狩人の夜 - 『NIGHTREIGN』
フルゴールは信仰を失った仲間によって腕を切断されたのだと言います。そして彼の絶望は夜と、運命を変える力と結びついてしまいました。未だ神を信奉するフルゴールは、夜の力によって、仲間の心に再び信仰の炎を取り戻したかったのでしょうか。神への不信と、自身に刃を振り下ろした仲間の罪を、無かったことにしたかったのでしょうか。
腕。フロムが、特に宮崎英高氏がずっと提示してきたそのアイコンは、ずっと欲望と願いの象徴でした。それはシンプルな人の強かさの証明でもあり、そして理を捻じ曲げてでも、失ったものを取り戻したいと望む悔恨の描写でもある。
「欲しい」。その強い意志に掻きたてられて、いつだって人は闇の中へと手を伸ばすのです。そして大抵、帰ってはこられない。
おてての話を聞いてって
唐突ですが、ここで「王」の話を差し込みます。
『ダークソウル』における王とは端的に言えば「器」でした。世界から消えかけた火を再び強く燃え上がらせるための薪。その薪こそ王であり、王はそれに見合うソウルの器となって火に身を投じます。火がもたらしたソウルを、火へと還すのです。
劇中で「王の器」というキーワードないし道具が登場しますが、薪の王たる不死人こそが、正しく「王の器」であったというお話でした。
そして『エルデンリング』。「王となれ」とは本作のコピーですが、発表された当初は「また王か」「燃やされる」「嫌な予感しかしない」など散々な言われ方をされたものです。しかし実際のところ『エルデンリング』における「王」もまた器としての有り様を求められていたのだと思います。
本編ラストで対峙することになるエルデの王は、割れて砕けた身体の内部にエルデンリングを宿していたことが見て取れます。その上で黄金律の名を背負ったエルデの王が示すのは、まさしく、「王とは入れ物である」という事実なのではないでしょうか。絶大な力、絶大なルーンを宿し、尚も狂わない。その巨木のような雄大さ、強さこそ王に値し、そして強き王こそ、王として総てを律するに足る。「王になる」とはそういうことなのでしょう。
そしてそれは『ナイトレイン』における夜の王たちも同様であったと考えます。それぞれが夜を宿し、そして夜に望む願いがある。中でも原初の夜の王ナメレスとは、王の器として最も純粋な形態でした。
夜の輪郭。文字通りそれは、夜を象る者であり、夜を運ぶ輪郭、入れ物だったのでしょう。注目したいのは、裂けた輪郭の内側から、エルデンリングにも似た暗い輝きが覗く点です。これは前述した本編エルデの王もまた同様の状態であったところから、対比であり、再演であり、やはり「なぞり」なのだと考えます。両者は、共に偉大なルーンを宿す、王の器でした。
しかし言ってみれば中身をくり抜かれたようなナメレス。ただ夜のみを宿す「輪郭」となった彼に、どこまで自我が残留していたかは不明です。ナメレス(name-less)いう名が示す通り、もはや彼自身の本質的な部分は名前と共に失せてしまったのかもしれません。
しかし。
夜の王 - 『NIGHTREIGN』
硬質な鎧、輪郭のみで構成された王の身体のうち、ただ「左腕」だけは生身でした。
器としての機能だけが在り、他一切を排したかに見えるナメレスに唯一残ったその「左腕」は、かつて世界に夜を呼び込んだ彼の激情の残り火――名も知れぬ騎士の本質だったのでしょうか。
おわりに
「手」は人の本質、欲の象徴でした。
興味深いと言わざるを得ません。ある者は「腕の怪物」と化して尚、より強く望み、または失ってしまったものへと異形の手を伸ばしました。しかしある者は、虚ろな輪郭だけの存在となって尚、生身の腕だけは残している。全て棄てて、失い、だがそれだけは決して手放すまいと縋るように。
失った腕で何を求めたのか。残った腕は何を握りしめているのか。どちらも腕の物語。フロムはずっと「手」の話をしている。そして多分、これから先も「手」の話は続くのでしょう。
以上です。年明け前に急ぎ書きました。そんな事情もあって大分省きましたが、ここで扱った以外にも「手」の描写は散見します。それを踏まえて、既プレイヤー、あるいは未プレイヤーの皆様方に置かれましても、年末年始はフロムゲーと向き合い、「手」を探してみては如何でしょうか。
それではお別れといたしましょう。元気に手を振って、良いお年を。
関連記事
『ダークソウル』の人間性の闇や罪の火などについて書いた過去記事、ついでに『隻狼』の怨嗟の鬼や注連縄人形についての記事も貼っておきます。年末年始に関わらず、もしもお時間があるようでしたらどうぞ。他にも色々書いてるので御興味があれば読み散らかしてみてください。では。