セガールにふれたよ!
雑記
- 朝方寝て、眠れないよーうーんうーん唸ってたら、まあ人間横になればいずれは眠れるように出来ているのか、ストンと眠りに落ちた。と思ったら、糞ニートから電話で起こされた。 4 時間も寝てないぞぶっ殺すぞと思っていたら、「金がなさ過ぎるので DVD とかゲームを売ろうと思う」と。売る先に関して相談されている内に、金のない人間が資金繰りに喘ぐ様を傍でみたい欲求にかられたので、「面白そうだからそっちに行く」と答えた。ニート宅にてラインナップを眺めたら、見事なまでに鼻糞の集まりで、これは無理だろうと思っていたら、結果 20 本超の内半分ほど売れて、 4000 円くらいになったみたい。思ったよりというか思った通りというか。その後でガストに行って遅い昼飯を食べながら、『ドラえもん』とか『ドラゴンボール』の話でキャッキャ騒いだ。その後、売りラインナップから排斥した、未開封スティーブン・セガールの『斬撃 -ZANGEKI-』をニート宅で観た。
- 『斬撃 -ZANGEKI-』にふれたよ!
- この映画はねえ、うん、あのー、うん。
- セガールの欠片に名前をつけて保存するなら「糞映画」がピッタリだね。
- 良い意味での糞と悪い意味での糞の配分は 1 : 9 くらい。
- 本作は 4 つのパートに分かれている。「セガールパート」「一般人パート」「軍人パート」「ボスゾンビパート」である。
- 「セガールパート」はセガールがセガールするパートである。セガール班に属する準セガール級ハンターの準セガール級無双が副次的に楽しめるが、基本的にセガールがセガールするパートである。
- 「一般人パート」は一般人がゾンビに襲われたり襲われなかったりするパートである。ちなみに本作のゾンビは「走る」ことができて「知能がある」タイプのゾンビである。なので、ゾンビが人間に成り代わって勢力を増していき、いずれは少数派となるであろう(或いはすでになっている)人間こそが地球という星の害虫なのだ的なゾンビ映画において結構よく見られる荘厳なメインテーマが語られることになるのである。あと登場人物にトラウマがありそうだったりなさそうだったりするのだ。
- 「軍人パート」は軍人が拠点を構えてセガールや一般人たちの舞台を俯瞰し、爆撃で一掃しようぜでも現場にはまだ人間がいるぜでもやるしかないんだぜ的なことをやんややんややるパートである。
- 「ボスゾンビ」パートは、本作冒頭にて歯をヤスリで削る、なんか「お、こいつがいっぱい人殺して最後にセガールにブチ殺されるんだな」と期待させてくれる程度には風格のあるゾンビが出てくるパートである。途中でチラチラ出てくる度に「お、ついに……!?」と思わせてくれる。
- 「セガールパート」がいけないんだと思う。
- まずセガールは死なないという前提。絶対に死なず、ゾンビ映画におけるメイン役者であるゾンビを上回る存在がいるというだけでゾンビ映画としての緊張感は地に墜ちる。
- 次に、セガールは無駄な犠牲を出してはいけないという点。他のハンターや市民を死なせてしまうとセガールの格が落ちてしまうので、無理矢理にでもセガールの注意を逸らすか、グループを分断する必要がある。なので作中で犠牲が出る場合は「セガールと一緒にいない」「馬鹿」「偶然」という脚本上の都合に原因が集約されてしまって緊張感が無い。
- なにが凄いって、セガール班はゾンビを狩るから別ルートに行く。なので市民たちを先に出口へ向かわせるんだけど、向かった先でゾンビに襲われてさらにグループが割れて、そこにゾンビ掃除を終えたセガールが戻ってきて助けるという展開が何度かある。最初から一緒にいろや。
- あと、市民パートがそれなりに長いんだけど、根本的にセガール映画なので市民それぞれの思想やキャラ立てをしている暇がない。でも全くしないのも何なので中途半端にはやる。で、結局「どうでもいいキャラの犠牲や戦い」が繰り返されることになる。比較的メインと思わしき市民は思い出したように「ゾンビ襲来のトラウマ」をフラッシュバックしたりするんだけど、特に意味はないです。
- エレベーターが途中で止まった→床が開くからそこから行こう→ 1 人が様子を見るために先に行く→行った先でゾンビに食われる→そのゾンビをセガールが上から銃で殺す→エレベーターがなんだか知らないけど動きだすっていう展開とか逆にびっくりした。セガールが行けよ。そしてもうちょっと様子みろよ。
- 極めつけとして脚本の都合以上の凄まじさを感じたのは、なんか 1 人だけはぐれてしまった女の子が、死体のすぐ近くで毛布被って眠りだすところ。パニクって隠れてるんじゃないの! 寝るの! 多分疲れたから! もう度胸とか胆力じゃない。キチガイ。そして案の定寝てるところにゾンビがやってきて、「きゃー」ってなってセガールきて後は言わなくても分かる展開。やばい。
- ボスゾンビにおいては、ちらちら存在をアピールしておきながら、なんと、最終的に登場人物の誰の前にも立ちはだかりません。だってゾンビとしてどれだけ強かろうとセガールに勝てるはずがないんだから、たぶんスタッフもそれが分かってしまったんだと思う。なので……。
- で、そこで「軍人パート」です。あずにゃんがけいおん部に翼を与えるために天から遣わされたちっちゃくて可愛い天使だとすれば、この映画における軍人さんたちは「作中で色々やって結局セガールに飲まれてしまった何やかんやを全部爆弾で吹っ飛ばすために遣わされた Deus ex machina」です。「少数の犠牲を顧みない上司」とか死亡フラグの塊みたいな黒人とかいるのに、こいつら終始 1 体のゾンビとも戦わないからね! で、最後にその上司が言うんだ。「みんな、良くやった」。ほんとだよ。お前らがいなかったら収集つかなかったよ!
- しかし爆撃なんてチャチなもんでセガールが死ぬわけないので当然生きてるけど、爆撃されてセガールだけ生き延びました、という終わりではあまりにもなんなので、最終的にセガールに運良く同行できてた奴らだけ命からがら生き延びて終わり。
- どうすれば良かったか。
- 軍隊でも歯が立たないゾンビ 1000 体くらいをセガール単騎でセガールする映画にする。
- むしろセガールをゾンビにする。セガールの血に感染した奴がセガールになって、他の人間をセガールしだす。それをオリジナルのセガールがさらにセガール仕返すという、「セガール VS セガール(SVS)」。
- 観なければ良かった?
- 観て良かったに決まってんじゃん! 勢いでこれだけ書けたよ!
- っていうか、どんな映画だってゾンビが 1 体でも出てくれば「ゾンビ映画」になるのに、どれだけゾンビが出てくる映画でもセガールが 1 体でも出てくれば「セガール映画」になるんだなと思った。セガールって、すごい。
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