オールスターズ祭り
本日の雑記事項
- 『プリキュアオールスターズ New Stage』観てきた。ッッごい良かった。映画版で新キャラなんて出して他プリキュアへのフォーカスがぼやけるんじゃないのだとか、総勢 28+1 名のプリキュアをどう処理するんだとか、杞憂にも程があった。失礼をお許し頂きたい。そんなもんは制作側が一番理解していた訳で、『NS』は、それを踏まえて作り出された物語だった。無論賛否は分かれるんだろうけど、ここに絶賛している人間が 1 人いる。
- 冒頭はオールスターズがフュージョンを倒すところから始まる。プリキュアに力を、敵「うぼぁー」。いつものやつ。で、これは「その後」の話。騒動の結果、どう撮影されたんだか知らないがメディアに露出してしまったプリキュア達に憧れる女の子が、プリキュアの標的であるフュージョンの欠片、フューちゃんと出会う。フューちゃんは微分されきっている所為か善悪の区別も無く、しかし「リセット」という本能は息づいている為、それが自分を拾ってくれた女の子の、自身を取り巻く環境への不満と結びついてしまう。全てを消し去る為に復活するフュージョン、当然駆けつけるプリキュア。ここまでくればもう結果は見えているけど、じゃあ、いつもの通り倒して終わり? プリキュアに憧れる女の子は、そして彼女と結びついたフューちゃんの中に少なからず芽生えた何かの落としどころは? 悪を倒して片付く問題では無いから、冒頭に「倒して終わったシーン」を持ってきたのだと思う。いやまあ、倒して終わるんだけど。多分この映画が描きたかったのは「倒して終わるその先(ニューステージ)」。伝説とは何だ。手の届かないものなのか。その一部に加わる意味とは? そんな大層なテーマなんて無いかもしれないけど、これはプリキュアを問う物語だった。ご存知の通りプリキュアだって普通の女の子だ。ならば逆説的に考えて、普通の女の子がプリキュアならばプリキュアになれるはず。だからこそ、これは「普通の女の子」を問う物語だった。
- 「プリキュアの敵になっちゃった……!」という台詞が印象深かった。そりゃ焦るよな。プリキュアに敵対したものは負ける。いやそんな意味で言ったんじゃなかっただろうけど。プリキュアに憧れていた筈が、いつのまにかプリキュアに仇を為す存在になってしまっていた。この造形は中々面白いんじゃないかと。
- プリキュアの人数の収集を付ける工夫。それは「比較的新しいプリキュアだけ拾って後は削る」です。英断だったと思う。まともに出番があるのは最新作の『スマイル』で、次点で前作『スイート』、さらにその前の『ハートキャッチ』『フレッシュ』は同列の助っ人役として。『Max Heart』『Splash Star』『5 go go』に至っては変身バンクはおろか声すら無い。しかしそれを残念と思う傍ら、不満に思う自分はいなかった。何が凄いって、こいつら旧時代のプリキュアは最早登場しただけで相手を詰ませる「凄み」があった。確かにファンとして声を聞きたかった。けど同時に確信した。伝説の戦士には声などいらないのだ。初代からの 3 作品にはそう思わせてくれるだけの確固たる風格が備わっていた。新世代がまだ「身近な存在」として人の域に留まっているのに対して、あいつらは最早伝説そのものとなっていた。
- 妨害があったからにせよ、スマイルとスイート勢でで受け止めきれなかった「カタパルト射出された 12,000t 級貨客船船」をたった 3 人で受け止めてみせる初代! 震えたわ! 制作陣が客に与えたかった印象をそのままぶつけられた感じ。もうこいつらはこれだけの描写で十分なんだ。「プリキュアとしての年季の違い」がそこにはあった。「声がある」という人間味、「普通の女の子」としての親しみをさらに排除して、旧 3 作は「伝説」に昇華されていた。丁度各作品で語られていた「プリキュアという伝説の存在」さながらに。今作のテーマ曲『プリキュア〜永遠のともだち〜』が賛美歌風のイントロなのも、それを旧 3 作登場に合わせてきたのも、「讃えられる伝説」としての演出だったと思わせてくれる。こんな言い方だと作品のテーマと矛盾するのかもしれないけど、そこには制作陣による、「尺の問題で声を与えてやれないなりの徹底したリスペクト」だと解釈したい。 1 人で盛り上がってるだけかもしれない。この大の大人の興奮を見よ。
- そしてミラクルスターに「力を与えるアイテム」としてだけでなく「プリキュアを導く灯台」としての機能も加わった。光を目指して駆ける後ろ姿。期待感を高める演出装置として見事と言う他無い。
- 冒頭のキャラ紹介は妙にかっこいい。ここだけの為にもう一度観てもいいと思うくらい。所々イケメン過ぎる人たちがいたし、特に「知性の青き泉」さんが振り切れてた。
- そしてエリカは相変わらずのエリカだった。スタッフはエリカの使い道を熟知している。だってこいつ 1 人だけ違うもん。おかしいもん。
- 「迷うよね〜道」じゃないから。意気投合しない方が良いところで意気投合するんじゃない。お前らがそんなだからお前ら以外がしっかりせざるをえんのだ。
- パッションの瞬間移動能力とかプリキュア界屈指のチートだけど、それでも口に出してはいけない。「お前がフューちゃんの所に連れて行ってやれよ」と。それは禁断の果実。
- 無限のメモリーさんの有用性は本作でも発揮された。
- フューちゃんこええええええ!! こいつ喰うんだよ! 犬とか! 人も! かつてこれほどまでダイレクトに有害な敵がいただろうか! 大体みんなエネルギー的な何かを吸い取ってただけだったのに!
- 毎度の事ながらモブキャラが続々登場する。しかも何気なく配置し過ぎ。とてもじゃあないが拾いきれない。
- サソリーナ達だ! ウエスター達もいたのかな。見つけられなかった。
- どうでも良い話だけど、劇場に入るとたった 1 人おじさんがいた。仲間の存在を頼もしく感じつつ前の方の席に座ったんだけど、なんとライトをふるシーンで、後ろからライトが動く気配がした。なんという猛者! 終劇の余韻と共に是非とも猛者のご尊顔を確認したいと振り返ったら、おじさんは 1 人ではなく、子連れだった。見えていなかっただけだったのだ。こんな裏切りは初めてだ。
- の、後に『仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦』も観てきた。はしごである。内容は「仮面ライダーとスーパー戦隊がぶっ殺し合う」です。何という祭り。何という挑戦。感想と致しましては、「まあそうなるわな!」です。正義と正義がつぶし合うには理由が必要であり、その理由を用意した奴は悪であり、正義とはただ悪をぶっ潰せばいいだけなのだ。過程や方法なぞどうでも良いのだ。正義舐めてんじゃねえぞ糞が。スーパーヒーローの映画はこれで良いんだと思う。こうじゃなきゃいけない。
- 当然「最新世代」である『フォーゼ』と『ゴーオンジャー』が、まあ前には出てくるんだけど、ディケイドとゴーカイレッドの所為でそれも微妙に。おのれディケイドとゴーカイレッド……!
- というかあれなんだよ。この映画は不思議なもので、多分ディケイドとゴーカイレッドの人格に問題がある所為で色々問題が起こっていて、にも関わらず人格に問題があるおかげで収集がついているっていう。理由があるんならちゃんと説明しろよ! って思うかもしれないけど、多分そういう細かいところをちゃんとやってしまうと尺が足りないばかりかきっと勢いが無くなる。なんなのこいつら。
- 「ライダー対戦隊」というよりは悪役を担っているディケイドとゴーカイレッドが相手勢力をぶっ殺し無双する映画に仕上がっております。おのれディケイドとゴーカイレッド……! パワーバランスがおかしいというか設定上正しいのかもしれないけど、良いのか、過去の勇士がやられ役で。
- 戦隊側の細かい設定は把握してないんだけど、マジレッドのファイヤーフェニックスをフォーゼのファイヤーステイツで吸収できなかったのは納得できない。
- でも戦隊とライダー簡での共通項を上手いこと拾い上げてまとめる、という意味ではところどころ良い仕事をなさったんではなかろうか。ゴセイジャーのカードをカード系ライダーが使用したり。
- ナツミカンどこいったんだよ。
- 海藤、お前は本当にめんどくさい野郎だよ。何をやってんだお前は。だがお前には本作の MVP をくれてやりたい。
- 「盗んでいて良かった」と取り出すのは幸太郎のマグカップかと思ったけど違った。
- 鳴滝! お前は一体、何なんだ! 結局!
『氷菓』は良く分からんけど、ヒロインを暴走させると人生省エネ計画が崩れるから、適当な餌を与えるために主人公が奮闘する物語、ということでいいんだろうか。本末転倒では。「健康の為なら死んでもいい!」を思い出した。なんだきんにくんか……。
家の鍵落としたー。嘘だろー。
液晶モニターに青い縦線が……。しかもどんどん大きくなってる。これあれでしょ、モニターに配列されてる電極が部分的に逝くやつ、要するに故障だ。今現在そこまで気になる症状でもないけども……。なんか悪い事が重なるな。つまりここから吉良なるものしか集まってこないって事だ!
んー、耳鳴り。
本日の 4 月 29 日
本日の脅威
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