早速だがお気づきだろうか。原作「オインゴ・ボインゴ・ブラザーズ編(全 4 話)」にはちょっとした遊びが仕込まれている。各話冒頭、上半分が見開きになっていて、「カーン」という効果音が飾られる(1 話目のみ「バーン」)ように統一されているのだ。不勉強なので何かの意図かオマージュが仕込まれているとしても理解できていないが、単純に遊びとして楽しいギミックである。
さて『ジョジョ SC』3 話目。予知能力と変身能力を持った敵が現れる話。結果から言ってしまうと、一行が襲われたことに気づかない内に敵が自滅するパティーンで終わる。さすがに予知は強すぎたか。強力過ぎるスタンドは自滅する。これテストに出ます。ところで「死神」は花京院が認知しているからベネとしても、こいつらの不在を一行はどう処理したのだろうか。「九栄神というがあと二体足りない……」という不安感を与えただけでも兄弟の犠牲に価値はあったのかもしれない。
ともかく兄弟は負けた。一度印刷された予知は覆らないにも関わらず、外れてしまった。なぜか。「主人候補生」やら「ギャグだから」で済ませてもいいが、ちょっぴり見方を変えてみよう。「トト神」は予知のスタンドだが、未来が必ず実行される訳ではない。漫画家は黙っていても勝手に死んでくれたが、都合の良い未来が自動的に引き寄せられることは、常時ありえる事ではないのだろう。「トト神」がそのような性質を持つのなら、そもそもオインゴの暗躍は不要なはず。当の彼自身も「運命に対して努力しなくては奴らには勝てない」と語っている。つまり「トト神」は未来を予知するスタンドかもしれないが、「勝利」を約束するスタンドではない。しかし「勝算」を確約するスタンドではあるのだ。目標が強大であれば、通常なら人は諦める。だが「勝ち目はある」と保証されればどうだろう。やってみようという気が起きるのではないだろうか。弟は気が弱く、明るい未来が提示されても、それを引き寄せる努力ができない。その欠落を補完するべく、兄の「クヌム神」は存在する。だが弟の不出来を補うという行動原理だけではここまでやれない。兄あっての弟である一方で、兄は自分が弟あっての存在だと知っているのだろう。だからこそ自らが敗北した時に「俺たちは負けたのだ」と口にするのである。自分の負けは弟の負け。二人は一つ、オインゴ・ボインゴ・ブラザーズ! この物語は、か細い可能性の糸をたぐり寄せんと立ち上がる、とある兄弟の挑戦と敗北の物語なのであるッ! 彼らはジョースターに敗れたのではない。運命という普遍的な大敵へと果敢に挑み、そして敗れたのだ。なるほど、人生とはそういうものである。
ボインゴが承太郎に変身してしまったことで、運命(オチ)は確定してしまった。だが本章の肝というか面白いところはここから。兄弟も読者と同じタイミングで悟るのだ。「あれ、これ爆発するのって……」 本章は「トト神」という漫画をなぞる形で進行する。漫画の印刷が成就しないように読者は見守るのだが、兄弟が自らの運命(オチ)に気づいた時点から一挙に構造が反転する。兄弟がただ自滅するのではない、自滅の未来に気づいた上で右往左往するという一手間が加えられていることで、出来事としては非常にシンプルな話が奇妙に捻れて面白くなる。ついでに言えば、兄弟の視点に読者が同調することにより、「漫画(トト)の展開から運命(オチ)を推察する」という入れ子構造にもなっている。他の戦いに比べて半分程度の長さで描かれる「オインゴ・ボインゴ編」ではあるが、詰め込まれているギミックはジャンボ大盛りだ。ここら辺の手の込みようが、本章を結構印象深くしている大きな要素だと勝手に思っている。
さてオインゴ・ボインゴの話も終わったし、来週はついに……し、「信じてるぜ」!? 「信じてるよ」!? 「オインゴ・ボインゴ・ブラザーズ」!? まさかのキャラソン! 『ジョジョ』でキャラソン! おいしすぎる……。