前回のあらすじ。「康一君がまたひどい目にあった」
「ヘブンズ・ドア」は人間の記憶や行動を操ることができる。だから他人に助けを求めようとする意識すら無駄に終わってしまうのだ。だがそれは「運命を操る」という意味ではない。康一くんが意識せずに負った手の傷を見て、仗助と億康が助けに来てくれたッ。しかしかっこよく現れた億康だったが、露伴の術中に落ちてしまった。スーパー漫画家は一瞬にして原稿を書ける。それを目にすることはもう「詰み」なのだ。でも実際、「ヘブンズ・ドア」強すぎだよな。強制催眠能力みたいなもので、しかも「相手の肉体に紙の性質を与える」という副次的な効果が地味に痛い。行動力を制限する上に耐久力が極端に低下する。しかも「原稿を見せなければならない」という誓約が、今後外れちゃうからね。ほんと、漫画を描くことにしか興味がない人で良かった。いや、だからこそ目覚めた能力なのだろう。
さて、仗助と露伴のバトルは面白い。人間が対決する際の物語の動きを、キャラクターの露伴自身が意識しつつ戦うというある種のメタ・バトルになっているからだ。「この状況設定で相手はこういう行動に出るかもしれない」「それはさせないためにこうしよう」。この論理的思考は、実際の創作にも非常に役立つはずだ。そして決着の方法は、定番となった「仗助が髪型を馬鹿にされたから」な訳だが、これだけでも悪くない展開ではあるものの、ここで「仗助はなぜこんなにも髪型に拘るのか」という情報が開示されることで、割と力押しの展開をそう見せない工夫に繋げている。ただここの回想シーンが印象深いものであったためなのか、割とこのシーンを追求し過ぎて消化不良を起こしてしまう読者が多いように思う。「助けてくれた不良は、実は……」というやつだ。少年の存在に謎が多い上に、ラスト・バトルの敵能力があれだったのも手伝っているだろうが、ともかくこれを未消化の伏線だという人たちが多い。正解は荒木先生の心の中にしか無いから断言はしたくないが、この雪の中でのエピソードは、「ただの偶然の、意味の無い出会いが、少年の心に炎を灯した」という一点を描きたいだけのものだと考えている。だからたぶん、助けてくれた誰かは、どこの誰でもない方が良いのだ。
ところで今回から OP が変わった。 3 クールのあるから中盤で変わるのかなあと思っていたのだが、ずっと早かった。もしかして 1 クールずつの区切りなのかもしれない。