個人的に大好きなエピソードの一つだ。なぜこの回の康一君はかっこいいのか、それをちょっと語らせて頂きたいと思う。
まず、この回の主役は言うまでも無く由花子だ。ちょっぴりイカれた彼女だが、恋する乙女の奮闘は否応なく観る者を感情移入させる。渋いなぁと思うのが、辻彩が二度目の施術を行うシーンで、由花子が「ラブ・デラックス」を見せるくだり。ここの由花子に敵意はない。暴力で言うことを聞かせようだとか、そんなつもりは一切ない。「よく考えれば」と口にしている当たり、寸前までは害意もあったのだろうが、その上で能力を中止して身を任せている。この「ただされるがままにはならないぞ」という意思表示をいちいち挟んでくるあたりに彼女の強さが現れていると思う。だが由花子はもう一度同じ相手に「ラブ・デラックス」を使うことになる。「『シンデレラ』のルールを破った者は不幸になる」というルールに対して、由花子は暴力で対抗しようとした。「スタンドにはスタンドを」という、ある意味で『ジョジョ』の基本原則を全うしたのだ。だが辻彩は応じない。なぜなら彼女は、トニオや露伴と同じ、誰かを「幸福」にするためにスタンド能力を発現させたからだ。信念のある相手にシャバい暴力など取引材料にならない。この瞬間、物語の主導権を握っているのは、完全に辻彩だった。由花子は全て失ったのだ。そんなところへやってきてしまうのが、我らが康一君である。だがこの「駆けつける者」としてのヒーロー感は、実はこのシーンの本質ではない。凄いのはここから先、康一君は辻彩が作り出したルールに、自分が提示したルールでもって対抗してみせるところだ。「物語をコントロールする」という圧倒的「主人公力」こそが、この場面での康一君に痺れて止まない理由なのだ。
康一君は言う。「その性格が好きだ」と。聞くだけならば男としての度量が図れる良い台詞だが、辻彩にとっては見過ごせない。「シンデレラ」とは、顔と「運勢」を与える能力だ。ルールを破った者は顔を失う。それは彼女の能力の「対価」なのだ。だから由花子は失った者に相応しい運勢に従って生きていかなければならない。にも関わらず、康一君は由花子を見抜き、あまつさえ告白した。つまり由花子はまだ「失っていない」のだ。取り立てなければならない。そのせいなのか、辻彩が提示したチャンスとは、正解が存在するものではあるものの、かなり意地が悪い。顔が醜くなるとはいうが、実際は「運勢」の崩落こそ本命なのだろう。その結果として、康一くんとの繋がりさえも対価として支払わせるつもりでいるのだ。
そしてここから、彼らの逆転劇が展開される。由花子は自分の運命を康一君に委ねることにした。結果と責任を押し付けているのではない。勇気が湧いてくるのだと彼女は言う。失うどころか、彼女は康一君の判断から「得よう」としている。そして康一君の決断が凄まじい。エコーズを辻彩に差出し、結果次第では目を潰してくれ、と。
「ぼくが見なけりゃ済むことだろうと思うもので」
プロポーズじゃねえかッ! 結果がどうなろうとこれからも一緒に生きていくのだと、彼はもう決めてしまっていた。ここッ! ここが凄いし憧れる。仮に辻彩の方から「目を差し出せ」と言われて、それを康一君が承諾しただけなら、あまり格好良くは映らないと思う。それは単に、二つの物事を天秤にかけて、より重い方を選んだというだけの話だからだ。この場面の凄いところは、選択肢を康一君自身が作り出しているところ。物語を支配する魔法使いのルールを、自分の定めたルールで上書きしてみせたのだ。もう一度いうが、この「物語をコントロールする能力」こそが「主人公」の持つ最強の能力と言っていい。現にたったこれだけのことで、主導権は辻彩から離れた。この後辻彩は康一君を「無関係」だと言うが、むしろこの場で蚊帳の外に置かれているのは彼女だろう。そしてこの後、由花子が康一君の決断を受け入れたこともまた辻彩には「効いた」はずだ。二人が添い遂げる運命は、運勢がどうこうでは変わらない。「二人からは何も奪えない」と、彼女は気づいたのだ。色々言ったが何のことはない。二人の惚気に当てられて、魔法使いは折れたのだ。