「繋がってないとなると仮説が無効になってしまったが、裏を返せばこのネタはオリジナルじゃ。面白い話が描けるぞ!」
(『映像研には手を出すな!』 5 巻より)
主人公の浅草氏が気になるロケーションを発見する。この不思議な穴と、見上げれば佇む時計塔は、実は繋がっているのではないかと空想を膨らませるが……というシーン。このくだり好き。あ、この記事は『映像研には手を出すな!』の宣伝記事なので、以上で役目を終えました。終わり。以下は余談です。
古来よりフロム・ソフトウェアのゲームと「考察」という手遊びは抱き合わせみたいなところがあり、最近は特にお盛んなようで何よりだと思って眺めているのですが、中には「それはもうオリジナルでいいんじゃない?」というレベルのクオリティに達しているものがあります。こういう言い方をすると「『考察』としての精度が低い」という意味の揶揄として受け取られてしまうかもしれませんが、そうではなく、実際何が正解かフロムが公言していない以上、仮にそれが考察として構築されたものであっても、「オリジナル」として発表してしまうのはアリなんじゃないかと思ったわけです。
パクリ容認か!? と思われるかもしれませんが、世間の創作なんてそんなもんじゃないの、とも思います。ただ注意した方がいいかもしれない点があって(創作方面に関しては明るくないので知ったかぶりもいいところですが)、「元ネタは複数あった方が良い」とは聞きます。複数の元ネタが交じり合って元の形が分からなくなった時に、それは「オリジナリティ」と呼ばれるのだと。
「考察」は大雑把に二通りの方式に分けられると考えています。「ゲーム内の情報・用語のみで考える方法」と「ゲーム外から多くの文献を引っ張ってくる方法」です。一応言っておきますが、どっちのやり方が正しいと言っている訳ではありませんよ。で、当サイトも考察遊びをやっているんですが、基本的には前者の方式を取っています。「ゲーム外の文献」に理解が及ばないというのが大きな理由ですがそれは置いておいて、例えば当サイトの記事内容を一次創作に転用しようとしても、それは危険な結果になる可能性が高い。理由はシンプルで、「元ネタが一つしか無いから」です。どれだけ当サイトが的外れな考察を書いていて、二次創作に近い内容だとしても、扱っている素材が一つしかない以上は「ソウルシリーズのパクリ」として扱われるんじゃないかと思っています。
しかし片や、考察する上で多くの文献を紐解いて、劇中に名前が挙がっている訳でもない神話を参照するといったインテリジェンスなタイプな考察の場合、そしてその上で、残念ながら「考えすぎ」「考察というよりはファンフィクション」などの評価を受けてしまった場合、だったらそれはもう「オリジナル」として勝負できるでしょう。もちろんあくまで「考察」のつもりでやっておられる方にとっては不本意でしょうけども、少なくとも当サイトと違って「使い道のある空想」であることは間違いないです。
と言っても考察なんてたかがオタクのゲーム談義です。多くの人は楽しいからやってるわけで、オリジナルとか言われても困るかもしれません。でも所謂ソウルライクとも異なる、しかしフロムゲーの考察が原案となって産まれたオリジナル作品が存在するなら……なかなか面白そうじゃないですか?