出来がいいと聞いていたので劇場版を見まして、まあ、ゾンビ描写は結構頑張ってたなって感想なんですが、そういえば原作は序盤までしか読んでないなと思い、スピンオフ含めて全巻読みました。えっれー面白かったです。えっれー。ただ終盤の駆け足っぷりだけが持ったいないなと、それだけが惜しかった。
終わり方は良かったんですよ。否定意見が目立つみたいですが、むしろあれしか無くない? って思いました。『アイアムアヒーロー』は最初から最後まで鈴木英雄の「独り相撲」のお話なので、ああやって蚊帳の外に放り投げられて孤独に終わるのは一貫性があって非常に読後感が良かった。振り返ってみると第一話の時点で英雄は孤独と戦っていました。「怖いもんは怖い」ので、その恐怖と、怪奇現象の妄想と必死に戦っていました。以降の展開は戦う相手が妄想から ZQN に切り替わっただけで、やってることは同じだったんです。だから一難が去れば、次の敵がサバイバル生活に切り替わって、英雄はまた勝手に戦うだけ。随所で現れる「ヒーロー」というキーワードは、「英雄(えいゆう)」という意味ではなく、実は戦いの中で主人公が「アイアムアヒーロー(俺はヒデオだ)」と呟いているだけに過ぎなかったわけです。徹底して孤独で、総てただの自己確認作業。一人で敵を見つけて、勝手に戦う、ヒーローごっこが趣味の孤独なおじさんの物語でした。ヘゲモニー(集合体)の中で比呂美が「この男は生きている方が勝手に苦しむから」と断ずるのはそういう意味だったんでしょう。だからびっくりするくらい、失ったもの、去っていったものを振り返って嘆かない。劇中でも矢島(自分)に指摘されているように、心底他人に興味がないんです。ただそういう諸々を自認した上で「もう逃げない」と言って見せた場面ではちょっと期待はできたんですよね。「英雄」という言葉が「ヒデオ」から「ヒーロー」になる目はあったはず。まあ結局駄目で、それも含めていいラストだったんじゃないかと思ってます。
でもさー、読者である我々は「蚊帳の中」の視点が与えられてるわけですから、 ZQN とはなんだったのかという根本的な部分の回答を明示して欲しかったんですよ。生死という仕組みそのものから外れようとしているのは何となく理解できましたが、じゃあその変革をもたらした何らかの存在がどこかにいたのかとか、一連の騒動の最初の原因はなんだったのかとか、やっぱりそういったものへの答えが欲しかった。誰かの仮説でも構わないから。そこが満たされてないわけですから、やっぱり消化不良という感想になっちゃいますわな。面白かった。面白かっただけに悔しかった。英雄にはなれないでしゅ。