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『映画大好きポンポさん』を観ったぞーっ!!

観てきました。面白くなかったです。原作はスピンオフ合わせて全部読んでいるんですが、映画はどうにも口に合いませんでした。予告を劇場で観た時から嫌な予感はしてたんですよ。余計なことしてくれているんじゃないかと。予感は正しかった。

なんと言えば良いのか。正しくニュアンスが伝えられている自信は無いんですが、この映画って「足し算の為に引き算をしてる」んですよ。本作は 90 分の映画だったんですけど、ベースである原作 1 巻の内容的にはそんな長尺には成り得ないんです。 60 分か、下手したら 45 分くらいに収まってしまう。しかし原作再現という意味でも「90 分」に仕立てる必要があり、だから原作に無い要素を付け足すことになるわけですが、よりにもよってその付け足したシナリオが「何を犠牲にしても削れ」なの、こんなチグハグなことあるか? と思いながら観てました。尺を埋める為に「尺を削る」という土を使う。哲学としてはアリです。しかし劇中の出来事と作劇の同期が取れていない時点で、同じ「90 分」でも原作と劇場版のそれは意味が真逆になってしまっている。それでいて「原作通り」だという顔をしているわけです。全く美しくない。

というかジーン君はあんなチンケなことで悩んだりしないんですよ。映画のクオリティの為なら自分の体はもちろん、他人の存在ですら結構なところまで差し出せてしまう狂人なので、その結果として編集で悩もうが、それは「嬉しい悲鳴」以外のものではないはずなんです。一応 3 巻では若干そんな素振りを見せるっちゃ見せるので、もしかするとあのシーンを膨らませた結果、ああなったのかもしれませんが。あと学生時代に充実していた人間が一転して……しかしそこから奮闘……とか、夢を叶えた者の影にいたはずの、叶えられなかった者たち……とか。いらない、いらない、そんなもの。そりゃ存在してもおかしくない要素でしょうけど、どれだけ「大事なもの」だろうと映画に必要がないなら削らないとねって話をしてたんじゃないんですか。じゃあ削りましょうよ、そういうものこそ率先して。そして極めつけはポンポさんの脚本ですよ。「この脚本には足りないものが」……なんて有り得ないんですよ。ポンポさん天才なんですから。これはキャラ設定というより、あの物語世界における「法則」であり「前提」と言っていい。天才ってね、天才なんですよ。だから不足など発生しないんです。原作に無いものを足したいがためにキャラクターが持っているはずの個性をキャラクターから取り上げるんだったら、それはあの原作でなくてもいい、ということになりませんか。

あと劇場によるのかもしれませんが、挿入歌がすげえ大音量でかき鳴らされるものだから後半のプレゼンシーンで登場人物のセリフが聞き取りにくくて、「こんなところでも点数下げてくるんだ」とびっくりしました。

ただジーンくんが『マイスター』の編集を何パターンか見せてくれたシーン。あそこは凄く面白かったです。カット如何で印象が変わる、まさに「仕事」という場面でした。個人的にはシナリオ部分を付け足すのではなく、もっと映画製作の「お仕事もの」としての側面を強調してくれていたら評価は変わっていた気がします。あんま説得力無いでしょうが、別に「原作そのまま」を期待しているわけではないんです。本質さえ、「その原作でやる意味」さえ汲んでくれれば、正直どれほどクラッシュされていても楽しめるタイプなので。しかし本作はどうにも。

総評として、劇場版は映像も綺麗だったし、シナリオも整合性が崩れていたわけではなく、「90 分」を作り出すためには最適な膨らまし方だったと思います。ただその結果「『ポンポさん』ではないもの」が出来上がるなら、ちょっと褒めたくないなあというのが正直なところでした。というかそもそも「90 分」に拘る必要なんてあったんですかね。ジーン監督が気に入っているのは「そこに収めたこと」であって、「膨らませたこと」ではない。「90 分」を「必要な尺」と捉えた時点で、もう色々と駄目だったんじゃないかな。

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