エルメェスがいっぱい「なにィ――!」って言う回。
敵はリキエル。彼の「スカイ・ハイ」は、「ロッズ(スカイフィッシュ)」を操る能力という、なんともな変わり種です。炎や氷などのスタンドで作り出した現象でも、スタンド・パワーによって砂などの物質を操る能力でもなく、生物そのものに働きかけるタイプのスタンドでした。似たスタンドは……意外と思いつかない。スタンドによって他人の体を操ることができる「ジャスティス」などが、強いて言えば近いかも。とにかく「特殊な何か」を操るスタンドであって、スタンドそのものに戦闘能力は存在しない。そういう意味では、ロッズが生息しない土地では無力と言えます。
強力ではあっても極めて限定的な能力だと思いますが、それでもリキエルはその自覚を持って立ち直りました。例え限られた力とはいえ、自分は全くの無力ではない。そして孤独ではない……そんな認識こそ彼に力を与えたのでしょうか。
環境が悪を作るわけではない……とはかつてスピード・ワゴンが言った言葉ですが、それがこの世界の根幹をなしていると仮定して、DIO の息子たちは総じてロクな人生ではなく、そしてそれは恐らく「DIOの息子」だからという点に帰結します。なんとも哀れです。しかし『ジョジョ』とは同時に、変えようもない生まれや運命に、それでも抗おうとする人間への賛歌を描いてきました。だからこそ同じく DIO の血統であるジョルノは、しかし鮮烈な出会いによってその場所から立ち上がったのだし、黄金の意志さえも芽生えました。逆を言えば人間には無垢なエネルギーが眠っているとも言えます。生まれながらの定めによって人はその性質を決めますが、果たしてそれを変えようと、抗おうとした時に生まれる莫大なエネルギーに善悪の属性を与えるとすれば、やはりそれは出会った人間の性質なのかもしれません。プッチに出会わなければ、或いはリキエルには別の結論があったのかもしれませんが、どうでしょうね。ジョリーンたちに敵対する道でしか発揮されないエネルギーだった、そんな気もします。
リキエル。自らの中に地球をも超える精神を見出し、燃え尽きた男でした。