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映画『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』へ行く

行ってきたわけなんですけど、そうねえ。率直に言ってしまうなら、「面白かったけど冗長」でした。そもそもドラマ版の六壁坂でも似た感想を挙げましたけど、このドラマって正直なところ岸部露伴が出てこないパートは退屈なんですよ。原作が「勢いで読ませている」と言うと表現は悪いんですが、荒木先生の作劇は絵面が持つ独特の激しさや迫力と相まってこそ成立している部分があると思っていて、ドラマ版は画が美しい反面、迫力に欠けているんですよね。なので露伴というメインが並んでないシーンは退屈で、そこに時間かけられてもな、と思いながらスクリーンを眺めていました。(「くしゃがら」が楽しめたのは、露伴不在でも成り立つ十五というキャラクターの激しさと、元が荒木原作でない分、ドラマの画作りと上手く噛み合った結果かなと思います)。同様の理由で最後の昔話パートが長すぎてエピローグとしては締まりが悪いと感じたし、もっと言ってしまえば高橋一生が演じていない若露伴のくだりも退屈だった。言ってて気付きましたが、高橋一生の「露伴力(ぢから)」以外に見所を感じていないのかもしれない。

更に言わせて頂くなら、荒木先生は『ジョジョ』の初期から「身に覚えのない祖先の因縁が襲い掛かってくる恐怖」を意識していて、それを描いたのが三部、だったはず(この発言の出典を失念しましたが、『ダ・ヴィンチ』だったかな)。

で、その恐怖を特に色濃く描いたものが『ルーヴル』なので、 Z-13 倉庫に向かうメンツの大半を犯罪者グループにしてしまったらその意味が消失するのではと思いつつ、まあこれも映画用の長尺に合わせて起伏を作る為には仕方のない判断だったんでしょうな。まあ、「黒い絵に関わるとヤバい」という大意が損なわれていなければ問題が無いと言えば問題が無いので、ここまでの話はただの原作既読者の不満でございます。

ともかく色々言いはしたものの、「岸辺露伴」がスクリーンデビューしたことは大変めでたい。なんだかシリーズに一区切りついた感がありますが、今後も続いてくれると良いなと思いました。

(追記 : 2023.06.09)

「岸辺露伴」ネタバレありで制作陣が語りまくり、「この先も期待していい?」への回答は

『まず「荒木先生ご本人から何か注文はあったか」と聞かれると、小林が「脚本作業に入る前、仁左右衛門と奈々瀬は悲恋にしてほしいとお話がありました。あと死んでしまう人たち、(ルーヴル美術館の)消防士などは悪人にしてほしいと。荒木先生はずっと少年マンガを描かれているので、きっと悪者を倒す爽快感みたいなものがほしかったのかなと思います」と荒木の意見を踏まえながら原作から脚本に起こしていったと話す。』

消防士たちへと明確に悪が付与されたの、元は荒木先生の発案だったみたい。「悪者を倒す爽快感」が欲しかったなら原作でやっている気がするので、助かる人間と犠牲になる人間を明確に区分することで「ドラマ版」ファンが入り込みやすくしたかったのかなと想像しますが、まあ外野がアレコレ推測することでも無いでしょう。

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