2024 年 10 月 の四週 - 「侍チャレンジ」
- 『ドラゴンボール DAIMA』のナメック人のおじいちゃん「ネバ」が十年以上お風呂に入って無くて臭い……というのが生々しくて嫌だ。それはそれとして、ネバはゴーマの要求を叶えるたびに寿命を伸ばして貰っているようなんですが、ここら辺、悟空達がドラゴンボールの力で「若返る」ことと物語の文脈上なにか掛かってくるんだろうかと考えている。ドラゴンボールの力で幾多の人間が不老不死を望んできましたが、「ドラゴンボールの力で生き永らえる」ということに本身で向き合ってきたとは言い難いので、そこらへんをやるんだろうか。個人的に『超』でブルマがドラゴンボールによるアンチエイジングに手を出したのが引っかかり続けているので、製作側も何も考えていないわけではないですよ、という態度くらいは取って欲しい。
- 『侍タイムスリッパー』を観てきました。結構良かった。ただ、ベタな脚本を演者の力で下支えするタイプの、言ってみれば「正統派」だと思うので、「第二のカメとめ」という評には頷けませんね。あれはどちらかと言えば変化球でしょう。まあ広告業界は神輿を担ぎたがるので、あまり深く考えなくて良いと思う。で、内容に関しては全編通してレベルが高かったと思うのですが、特に巧だなと感じたのが、高坂新左衛門がタイムスリッパ―だという事実が最後まで周囲に知られなかったこと。「侍」と「時代劇」が「かつて栄華を極め、今では無くなってしまった(無くなりつつあるもの)」という共通点を抱えるからこそ、共有される哀愁にどう向き合い、そして忘れ去られることへの抗いという「本質」にドラマ上の焦点が移るのであり、転じて主人公が「侍タイムスリッパー」であることは大して重要でなくなる。なので 2 時間越えの割かし長尺の映画なのに、高坂殿が「侍タイムスリッパ―」だった! どうする? 元の時代への影響は? どうやって帰る? とかそういうパートには一切尺を割かない。既に過ぎ去ったものではなく、いま目の前にある「本質」にひたすら向き合うのだ。また内容とは別に印象的だったことがある。当たり前ですが劇場で観て、周囲が 60 代から上の高齢者で固められている状況だったんですが、「ベタ」でいちいち新鮮に笑うんですよ。例えば高坂殿がテレビを初めて見て、「このような小さな箱の中で人間が……!」的なベッタベタなリアクションをするんですが、そこで高齢者が、まぁ大ウケ。別に何かしらを揶揄しているとかではなく、考えて見ると比較的若い世代である我々が「ベタ」と認識している展開も高齢者からするとフレッシュだったのかもしれないな、とか。もちろんベタをベタと認識した上で「待ってました!」とウケていた可能性もありますが、妙に感慨深かった、という話。
- # いらすとやチャレンジ。描いてみたはいいものの、行き場が無い。御供養、如何かね。
スポンサーリンク