上位者に力を与えているのが「虫」であるというのが前回の内容。彼らはそれ自体が精霊の「苗床」であり、そこへ「虫」が刺激を与えることで、上位者はその宇宙悪夢的な力を発揮しているのだろうと。しかしこの「虫」が人にとりつくことはどうやら無く、唯一作中でそれを可能としたのが「3 本目のへその緒」の効果です。これは上位者と人の間に生まれた混血児だけが持つ「寄生虫」、もしくはその媒介物質であるが故、人に宿らない「虫」を人へと宿らせることが叶います。つまり皆が欲しがっていた「瞳」とは、言わばこの「『虫』の宿主たる資格」のことだった訳です。
今回はこの観点から DLC の内容を紐解いていくとともに、本編の終幕について考え直していこうかなと。そんな感じでやっていこうかなと。また長くなりますが、どうぞお付き合いください。
さくさく行きましょう。まず実験棟に視点を移します。大聖堂からそこへと登るエレベーターは、患者の頭へと「瞳のペンダント」を組み込むことで動き出します。このことからも実験棟とは、人の脳へ瞳を宿らせる場所だったことが分かりますが、そこで待ち構えるボスの名は「失敗作たち」、上位者のなりそこないでした。教会は何を行い、何に失敗したのか。それらを語るのに欠かせないのが「脳液」というアイテムです。実験棟で一部の患者が獲得したこの脳液なるものは、「頭の中で瞳になろうとする最初の蠢き」だそうです。そして脳液を3つ収集しアデラインへと与えることで、頭部に精霊を住まわせるカレル「苗床」が見出される。……お気づきでしょうか。この脳液収集イベント、実は「3 本目のへその緒」を 3 本収集することで瞳を得るイベントの模倣になっているんです。 DLC エリアはヒントの苗床。比較要素として「脳液」が「へその緒」に対応しているのだとすれば、「へその緒」が与える「瞳」は、「脳液」が与える「苗床」に対応していることになります。これら符号の一致から、やはり「瞳」とは「苗床(卵)」の比喩だったのだと仮定して良さそうです。実験棟という場所で、彼らは人を苗床に、一体何を生み出そうとしていたのでしょうか。
「マリア様、私はコマドリ。ゆるゆると、私卵になるのかしら?」
さくさく行きたいところなんですが、本題に入る前に、まず実験棟についてちょっと考えてみます。悪夢は現実に存在する場所を生地(ベース)に「もう一つの世界」として生成されるケースと、現実空間ごと悪夢に飲まれてしまったケースに分けられるようです(前者は「狩人の夢」、後者は「教室棟」が該当)。「辺境」や「メンシスの悪夢」は詳細が不明であるためにどちらのケースか、またはどちらのケースでもないのか不明ですが、ともかく「実験棟」という場所は悪夢にしか存在しません(瞳のペンダント曰く、「狩人の悪夢には、大聖堂が2つある」、つまり現実には存在しない)。ヤーナムを生地に「狩人の悪夢」が生成された後、医療教会が建造したのだと思われます。夢の中でも建築とは! 何のためかと言えば無論実験を隠すためなのでしょうが、それよりも先にあったのは「狩人の悪夢」と「漁村」を繋ぐ道を作る目的だったのではないかと思います。友人から言われて気づいたのですが、漁村の海から直下を覗くと狩人の悪夢、つまりヤーナム市街が見えるんですね。逆に街から空を見上げても漁村は見えないのですが、「回転ノコギリ」が取得できる地点で、空から貝女(養殖人貝)が降ってくることを思い出してください。あれはつまり、漁村の海から落下してきたんですね。恐らくかつて教会も同じものを見たのではないでしょうか。夢の空に徴を見た教会は、天を貫く大聖堂を建造し、その先で悪夢の苗床、即ち呪いの根源に見えた……こんな流れではないかと推測しています。
さて、医療教会には二つの上位組織が存在しますが、実験棟は「聖歌隊」寄りの施設のようです。上層と実験棟の双方に設置された多眼の石像、実験棟露台からたどり着ける萎びた星倫草の庭、何より大聖堂から続くエレベーターにそびえる石像の中央に目隠し帽子を被った聖職者がいることから、この施設と「聖歌隊」を結びつけることは容易です。ではなぜ「寄り」という表現を用いたかというと、実験棟が稼働していた時期に「聖歌隊」が存在していたかどうかが怪しいからです。脳液の内一つのテキストにはこうあります。
「医療教会初期、上位者は海と紐付けられていた。故に頭の患者は、自らを水で満たし、海の声を聞く」
少し話がずれてしまうのですが、この一文、どう思います? 理解に時間をかけてしまったのですが、要するに「医療教会が上位者と海を紐付けていたのは、患者が自らを水で満たし、海の声を聞く様を見たからだ」ってこと、ですよね? そうでなければ、「故に」の意味が通らないんですよ。「教会は自らの考えのため、患者の頭を水で満たしてみた」 これなら通ります。でも患者は「自ら」そうしたと書いてある。まさか患者たちの症状が教会の考えに呼応する形でその都度変化する訳ではないと思うので、やはり教会は実験結果を鑑みて、上位者と海に繋がりを見たということなのでしょう。
で、上記のテキストから断定して良さそうなのは、実験棟が本格稼働していたであろう時期は医療教会「初期」であったという点です。「聖歌隊」は元々医療教会が抱える孤児たちが設立したもの(「孤児院の鍵」より)。そしてその礎には墓暴きの結実たる「大聖杯」の発見までも関わっています(「イズの大聖杯」より)。特殊な実験と教育を与えた成果たる天才児たちが、幼いままに教会の上位会派へと上り詰めたのか、はたまた大人になってからなのかは分かりませんが、どちらにせよ全ての出来事が医療教会の「初期」に収束しているというのは少し無理があるのではないかと思ったんですね。なにより教会の秘部だというこの場所に、「聖歌隊」 NPC の姿どころか一文のテキストさえ登場しない。唯一「聖歌隊」の武器だというロスマリヌスを使う Mob が登場しますが、ロスマリヌスのテキストにはこれが「聖歌隊」の設立後に作られたとは記載されていないので、決定的な根拠とするには心もとありません。なので、この実験棟での成果や思想を、後の「聖歌隊」が引き継いだとする方が自然なのではないでしょうか。もっとも本作品の年史は入り組んでいて難しく、「初期」という言葉のスパンもどれほどのものか分からない以上、断言できるものではないのですが。
また実験棟は過去の再現イメージのようなもの、という考え方もできるかもしれません。しかし当サイトでは、あくまで教会が悪夢の中に建造したものであり、そこで稼働していた施設だったと考えます。根拠は 2 つありまして、一つは血の河の存在ですね。あれは大聖堂の死体溜まりから垂れ流されている訳ですが、元は実験棟から廃棄されたものが積み上げられたと考えて間違いないでしょう。現実のヤーナムにかつて血の河があったという記述が無い以上、その血の河を生んだ実験棟の惨状は悪夢の中のみの出来事だったと判断させて頂きました。もう一つの根拠は後述。
では、実験棟で医療教会は具体的に何をしていたのか。実験棟各部屋の入口に部屋の名が記載されていますが、そのプレートの下部に「拝領」のカレルが刻んであります。「拝領」は医療教会の象徴なので、それが刻まれていることが直接的な示唆には繋がらないとは思いますが、しかしこれほど大仰に「血」を意味するカレルが刻まれた場所で、何らかの拝領行為が関わっていなかったと考えるのも不自然な気もします。
では、何をしたのか。単純な話、患者たちに「ゴースの血」を輸血したのでしょう。異なる悪夢を大聖堂によって繋げた先、その最奥で発見した「聖体から拝領した」のです。これに関しては時計塔で秘密を守護っているマリア様が口にしておられます。
「死体漁りとは、感心しないな」
「秘密とは甘いものだ」と続く訳ですが、つまり教会が隠したがっていた秘密に、母なるゴースに対する拝領という名の「死体漁り」、こいつが関わっていることは間違いありません。そしてその結果、何の神秘か、患者は海と深く繋がり、内側から沸いた水で頭部を満たしたという訳ですね。そして一部の患者はついに「なりかけの瞳(脳液)」を宿すに至りました。ですが結果はご覧の通り無残なもの。むーざんむざん。血によって神秘は成せると睨んだ教会の目は惜しい線まで行っていたのですが、如何せん人間如きに適合するはずがない。なぜなら上位者の血、そこに蠢く「ゴースの寄生虫」が、人に宿るものではないからです。人に宿らないおぞましいものを、血という経路によって無理やり感染させればどうなるのか。「へその緒」に依らない進化を望んだ末路こそが、実験棟の真相なのです。
ちなみに実験棟には頭が肥大していない患者も見受けられ、そのどれもが絶命しています。椅子に縛り付けられている死体の横に輸血器具が設置されていることから、恐らく彼らは輸血中に命を落としたのでしょう。そういった者たちは死体溜まりにポイされて血の河の嵩を増し、適合したものだけがめでたくネクスト・ステージへ。このことからも、患者たちには段階があることが分かります。晴れて肥大に成功した者、彼らの殆どが人間性を暴走させるようですが、何らかの要因で認められた者は、ベッドに寝かされて頭と胴を切り離されるみたいです。よく見るとノコギリでやってますね。脳液が採取できる患者は皆「頭ばかりとなっている」そうですが、まさかの人力。もしくは自然に頭部だけになる患者を再現するべく、試験も兼ねて切断していたのでしょうか。アデラインがいつの間にか体を失っていた例からもあり得る話ではありますが、細部を考え出せばきりがない。ともかく、星輪樹の庭手前の NPC が嘆いていたように、研究を「先」に進めるには更に何らかの素養が求められたということなのでしょう。
しかし積み重ねた犠牲の集大成として出来上がったのは、「失敗作たち」と呼ばれる「なりそこない」でした。実験棟内部の様相と「失敗作たち」登場の間に飛躍があるので何が何だか分かりませんが、よく見ると星輪樹の庭には人骨が埋まっていることが分かります。本作の世界では「墓所カビ」や「死血花」など、死体のある場所でこそ芽吹くものが存在しますが、星輪の植物もまたその類なのでしょう。どうしても連想するのが「苗床」のカレルですね。空仰ぐ星輪は精霊の棲み処。脳液を啜ったアデラインが「苗床」を見出したのと同じく、脳液ある患者を埋葬することで星輪は芽吹き、この庭もまた精霊の苗床となったのです。生成された精霊は、なりそこないとはいえ上位者を出現させるに至りました。
気になることが一つ。あの場所に埋まっている人骨は首から下の部位も存在しているということ。頭ばかりの患者にしか脳液が宿らないというのなら、体から下は不要なはずです。そしてわざわざ首の切断を試みていた痕跡からも、教会はそのことを認知していたと考えていいでしょう。ちなみに人骨テクスチャは禁域の森にも使われています。単に使いまわしでしょうか。違う、と言いたいので論拠を一つ用意しました。実験棟露台から行ける星輪花(?)の庭には人骨の影がありません。後々触れますが、恐らくここは星輪樹の庭から花だけを移植したのです。しかしこちらの花は萎びています。人骨の有無が花の瑞々しさと関わっているのなら、考えられる可能性としては、別個用意した死体が肥料として用いられたのではないかということ。こう考えれば色々と解決します。だから上記を少し修正するなら、教会は頭ばかりの患者から脳液(アメーバ)を採取し、時計塔前へとぶちまけたのです。「脳液」というなりかけの精霊が欲しかったのであって、「外側」は必要ないのですから。 5 階患者寝室に山積みされた萎びた頭部は、その残骸なのです。
では、なんのために「頭が大きくなった患者の脳の中にあるプルプルしたものを庭に撒く」などというイカれたことをしたのか。どういう発想なのか。それを知るためにご覧いただきたいものがあります。
- 彼方への呼びかけ
- かつて医療教会は、精霊を媒介に高次元暗黒に接触し 遥か彼方の星界への交信を試み、しかしすべてが徒労に終わった
- すなわちこれは失敗作だが、儀式は星の小爆発を伴い 「聖歌隊」の特別な力となった。まこと失敗は成功の母である
このテキスト、実験棟の顛末を指していたのではないでしょうか。ゴースの血によって新たな上位者を生み出そうとしたが失敗し、しかし不完全とは言え精霊の苗床を成すことができた。精霊は上位者の先触れです。エーブリエタースのそれが一部とはいえ本体の召喚を可能とするように、ゴースの血から出来上がった精霊ならば、或いは途方もない神秘と接触できるかもしれない。何かを期待してどこぞへと交信を試みたものの、しかしこれも失敗に終わります。とはいえ、むせ返るほどの神秘。この失敗から教会は様々な「成功」を引き出したことでしょう。「失敗作たち」というボス名は、このテキストに触れるものであるように思えます。
また上記したように、その後星輪草は実験棟の別所へと植え替えられました。面白いのは、患者たちはこの萎びた「星輪花の庭(?)」でのみ秘儀を用いるということです。これは星輪花を触媒とすることで可能となった現象であり、脳液から生じた花が精霊に似た機能を有することの証左となります。そしてその神秘攻撃は「彼方への呼びかけ」によく似ている。「聖歌隊」はこれを原型とし、自らの特別な力としたのでしょう。
実験棟で行われていたこと、それは人間に瞳を植え付けるための拝領であり、そしてその結果萌芽したものを使った、彼方への呼びかけだったのです。
自分で言い出しといてなんですが、おかしな話ですね。血に潜む上位者の寄生虫は精霊に刺激を与える特性を持つ訳ですが、上述の仮説通りなら、同時に(なりかけとはいえ)人間に精霊を与える特性をも持つことになります。精霊に働きかける力と、精霊そのものを生成できる力、両者は似て非なるもの。これでは順序があべこべです。それらをひっくるめて上位者の血のしからしむるところなのだと言えばもっともらしく聞こえますが、ちょっと詭弁っぽく聞こえてしまうのも事実。であるのなら、こう考えてみましょう。
脳液を獲得した特別な患者には、最初から「精霊に似た何か」が宿っていた。
寄生虫が精霊に刺激を与えるなら、一部の患者の中には元々それに似た「何か」があって、その「何か」が「虫」から刺激を受けることにより、脳液へと変化した……こんな感じでどうでしょう。これで一応、あべこべはあべこべでなくなります。突拍子もないと思われるかもしれませんが、実は本編でこの仮説を仄めかすような言質が存在します。現実の大聖堂において、ローレンスの頭蓋に触れることで垣間見える回想、そこでウィレーム先生は色々言ってくれていますが、その一節に「知らぬ者よ」という言葉があります。この部分、英語では「Our eyes are yet to open(我らの瞳はまだ開いていない)」となっているんですね。つまり人間には元から、或いは一部の人間に限り既に「瞳」を持っているが、真価を発揮できずにいるのだと解釈できます。恐らくそれを口にしたウィレームとローレンスには、既に「瞳」と呼ばれる「何か」が宿っていたのでしょう。じゃあそれは一体何なのかという疑問が当然湧いてくる訳ですが、実に手頃なものが転がっていました。考えたことはありませんか? 「なぜ啓蒙のアイコンは瞳の形をしているのか」
色々と考えすぎていたのかもしれません。啓蒙はそれを持つものの世界観を変質させます。一切の啓蒙を持たない者にとって、動くはずの人形は動かないままであり、またそんな特別な智慧が蓄積していくに従って見えるものが増えていく。なぜ啓蒙のアイコンは瞳の形をしているのか。よく考えたつもりになって、最初から提示されていた解答が見えていませんでした。二つは異なる概念などではなく、つまり啓蒙こそ、素直に瞳だったのです。「我々は、思考の次元が低すぎる。もっと瞳が必要なのだ」とは「上位者の叡智」のテキストにあったウィレームの言ですが、啓蒙を取得するアイテムにこの一文が添えられていたことからも、彼は上位者の叡智、つまり啓蒙を求めていた訳です。
ややこしいのは、それだけでは 100 点満点の答えではないということです。「3 本目のへその緒」曰く、「使用により啓蒙を得るが、同時に、内に瞳を得る」、つまり両者は異なるものだと言われてしまっています。ややかしい、ややこしすぎる。「閉じた瞳」という新機軸が無ければ詰むところでした。啓蒙が世界の本質を見極める瞳であることに関しては間違いないのですが、それはウィレームが言うところの「閉じた瞳」でしかなく、上位者に至るために皆が欲した「瞳」とは、「開かれた瞳」のことだった訳です。
それらを踏まえて狂人の智慧と上位者の叡智のアイテムアイコンをご覧ください。頭蓋骨が割れて、光が漏れ出しています。しかしよく見ると、その光はナメクジの形をしていることに気づきます。ナメクジと言いましたが、エーブリエタースは関係ありません。これは精霊(軟体生物)の象徴なのです。どうでしょう、まるで頭蓋という卵から精霊が孵化しているかのようではありませんか。これはとてもストレートなメッセージです。「啓蒙が精霊になる」のです。実験棟で行われていたのは、人に宿った瞳を開く、まさしく「蒙(盲)」を「啓(開)く」行為。脳液を宿した患者は、啓蒙という「閉じた瞳」を、内に宿していたのです。
劇中における啓蒙とは、アイテムとの交換や、他世界から狩人を召喚する際に消費されます。前者はともかく、後者は啓蒙が「次元を超えるためのコスト」としての機能を有することを示しています。神秘由来のものとは言え、啓蒙をただの「知識」と捉えるには無理がある理由がこれです。そして上位者が有する精霊もまた、次元へ働きかける能力を持ちます。こうして並べて抜き出せば、啓蒙と精霊からは共通の性質が見出せます。「狂人の智慧」のテキストに記載されている通り、啓蒙とは元々人に宿っているものではなく、神秘に触れた末に生じたもの。そうしてある種の超次元的な力を脳に宿して狂った者、或いはそうみなされた者、それらを指して常人は「狂人」と呼ぶのです。恐らく教会はそのような狂人ばかりを実験棟に集めたのではないでしょうか。しかし彼らが啓蒙的真実を宿しているか否か、外形から判別できるものではありません。それが単なる狂人であったのか、それとも「閉じた瞳」を持つ者なのか、それを見極めるためにも、教会は「とりあえず血、ぶち込んでみっか!」の精神で実験を行った訳です。その結果があれです。しかし頭が肥大化した患者の中には、僅かばかり人間性を残した者がいました。我々狩人がそうであるように、啓蒙は脳へと蓄積されていきます。多量の啓蒙は、それだけで上位者の血へのキャパシティを拡張してくれるのでしょうか。
しかし哀しいかな。そこまでやって尚、脳液を生成することが許されているのは、恐らく女性だけです。アデラインを含む、脳液を採取した三人。また 5 階の患者寝室で襲ってくる頭ばかりの患者たちは、声から察するに全員女性なのです。アデラインが「血の聖女」だったことを考えると、脳液の生成と「血の調整」は無関係ではない可能性があります。この「特別な女性と上位者の交わりが神秘を産み落とす」という辺りもまた、「へその緒」イベントのなぞりになっている訳ですが、実験棟の手当たり次第感を見る限り、少なくともこの時点での教会はこのような特殊な条件について理解が及んでいなかったということなのでしょうね。もしかすれば、上位学派のメンシスが自らの悪夢を眼球塗れにしていたことを見たまま受け取るなら、実は心底、「瞳」が一体何を指しているのか誰も理解できていなかったのかもしれません。「へその緒」にはこうもあります。「実際にそれが何をもたらすものか、皆忘れてしまった」のだと。みんな友達。みんな異常者。
ところで関係があるかは分かりませんが、コマドリという鳥は托卵の対象になったりします。啓蒙が上位者の智慧に触れることで生じた、または植えつけられたものだとすると、上位者とはこのような形でも子を成そうとするのでしょうか。
悪夢は現実ではありません。当たり前のことを言ったところで、「メンシスの悪夢」に触れておきます。メンシスの悪夢はメンシス学派が望んだ悪夢(「メンシスの檻」)だそうです。彼らはこの悪夢の中、瞳を得るために何らかの儀式を執り行っていました。しかしメンシスもまた医療教会の一派であり、「聖歌隊」とは異なる方法で神秘を探求していた痕跡があります。道中、犬と鴉の首を挿げ替えた冒涜的生物を見かけたと思われますが、あれはメンシスが行っていた試みの一つです。異なる生物の首を交換して尚も生きていられるのか。まあ、無理でしょうね、現実であれば。思うに、あれらがメンシス本拠地のヤハグルにいなかった辺り、あのような非現実的な検証は悪夢の中でしか実現しなかったのだと思われます。
ではメンシスはあのような実験の先に何をみたのか。恐らくその答えが、本作のパッチ(蜘蛛男)にあります。蜘蛛男、パッチ・ザ・スパイダーは、人間の首が蜘蛛に接続された形で成り立っています。で、あの蜘蛛というのはメンシスの悪夢の聖堂から先に現れる種と同じものなのですが、その名も「Nightmare Apostle (悪夢の使徒)」。色々含むところはありそうですが、要するにこいつら、悪夢にしか存在しない生き物なんですね。動物実験の応用により、悪夢産の生物に人の頭部を接続することで、メンシスは人を「神秘の側」に属する存在に仕立てたのです。パッチがメンシス学派だった、かどうかは推測になりますが、しかしパッチイベントを最後まで進めることで彼が言い放つ台詞、「君も早く、こちら側にきたまえよ」というのは、まさしくそのままの意味なのではないでしょうか。わざわざ蜘蛛を素材に選んだのは、それがロマの似姿だからなのか、或いはロマ自身が似たような経緯で誕生したからなのか、そのどちらかだとは思うのですが。
そしてですね、人を悪夢の生物にするという意味では一応の成功を収めている訳ですが、メンシスの目的はその先にこそあるのではないかと考えました。ミコラーシュは儀式によりメルゴーと交信し、瞳を授けて貰おうとしていたようですが、その実、自らの首を上位者へと移植することこそを最終目標としていたのではないでしょうか。動物では成功した。人と悪夢生物でも成功した。ならば、その先を考えるのは必然と言えます。赤子の上位者は他の上位者を誘因するようですが、メンシスはそれらを交信の対象というよりも、自らの首を挿げ替える検体として見ていたのかもしれません。神の肉体(ボディ)を我が未来(フューチャー)とするッ! 或いは、赤子であるメルゴーもその対象だったのでしょうか。だとすれば母である女王ヤーナムがすすり泣き、また自分の子供を殺害した狩人に一礼をしたのは、待ち構えていた最悪の結末を前にしてのものだったのかもしれません。
DLC は本編の描写を補完するものであり、そこにはヒントとなる対称性が描かれています。この観点から、上述した事柄と、メンシスの悪夢にある建物が「聖堂」である事実(「鉄扉の鍵」)を鑑みると、メンシスが望んだ悪夢、その聖堂は彼らにとっての「実験棟」であり、そして上位者から拝領するための「漁村」でもあったことが分かります。逆にメンシスの実験が悪夢の中でしか成立しなかったのならば、「実験棟」での研究もまた悪夢の中でしか成立しなかったと考える一助になりそうです。このことから、前述した「ヤーナムの大聖堂並びに実験棟は、悪夢にしか存在しない」という推論が補強できると思うのですが、如何でしょうか。ゴースからの拝領が現実では行えなかったのだと仮定すれば、それを秘匿したかったという以上に、必要であったからこそ教会は悪夢に実験施設を建造したのです。
補足の補足ですが、「悪夢の辺境」入口から下方には船のマストが見えます。これは漁村の海辺だと思われます。そして同じく辺境から上方にはメンシスの悪夢が確認できます。つまりヤーナムの悪夢が漁村と繋がっていたように、メンシスの悪夢と漁村は同じ夢の中で並存していることが分かります。脳女(ほおずき)が辺境、メンシスの悪夢、漁村という 3 エリアに渡って存在していたというのは、それらの悪夢が地続きであるという事実を示しています。彼女は歩いて移動してきたのでしょう。またメンシスがあの悪夢を「望んだ」とあるように、悪夢と言ってもどこでもよかった訳ではないようです。恐らく、メンシスにとってゴースは、「どこにいるかも分からない相手」ではなかったのではないでしょうか。なぜメンシスがあの悪夢を望んで手に入れたのかと言えば、きっとゴースへと声が届くであろう場所だったからなのかもしれません。ですが残念ながら、母なるゴースは既に死亡していたので、彼女への呼びかけが届くことはありません。「メンシス」と「聖歌隊」は同じ教会の上位学派であったとはいえ、半ば敵対関係にありました。互いに自らの医療を秘匿し、しかし相手の秘密は暴き立てなければ気が済まない。メンシスの悪夢にいる聖剣使いの眼鏡男子エドガールは「聖歌の間者」であり、「メンシスのダミアーン」は、その名の通りメンシス側のエージェントです。教会は同じ組織でありながら、身内同士で間者の放ちあいをしている訳です。実験棟が今や聖歌隊の支配下にあるとすれば、その秘匿の対象はヤーナム民や狩人ではなく、同じ医療教会であるメンシスだったのかもしれません。だからこそメンシスはゴースの居場所を知りながら、その生死までは知り得なかったのだと考えられます。仲良くしようぜ。
確認事項になるのですが、我々がゲーム中対峙した上位者は以下の方々になります。
- 現実
- アメンドーズ
- 白痴の蜘蛛、ロマ
- 星界からの使者
- 星の娘、エーブリエタース
- (姿なきオドン)
- 悪夢
- アメンドーズ
- メンシスの脳みそ
- メルゴーの乳母
- メルゴー
- 月の魔物
- ゴース
- ゴースの遺子
ご覧の通り、対峙した場が「現実」であるか「悪夢」であるかで分類させて頂きました。これ、何が面白いかって、実は上位者にも「眷属」という分類があって、「現実」で戦った上位者は全て眷属なんですね。眷属に関してはきちんと別個で記事を作るつもりですが、ゲーム中でロマや星界からの使者(宇宙人)がそうであったと匂わせていたように、「人間が上位者を由来として上位者或いはそれに近い存在となったもの」及び「眷属の血を引くもの」を「眷属」と総称するのではないかと考えています。つまりこの定義からいけば、エーブリエタースもまた、ロマと同じく元人間ということになります。その上で、そういった眷属上位者とは現実で戦うことができたのに対して、眷属ではない「本物の(?)」上位者とは夢の中でしか戦えなかったという点から、一つの仮説が浮かび上がります。
上位者とは本来、悪夢の中にしか存在しないのではないか。
なぜ実験棟という研究の場が悪夢の中にあったのか。なぜメンシスは上位者誘因の場を悪夢の中に求めたのか。それはゴースなどの、眷属ではない「本物の」上位者が、悪夢の中でしか存在できないからではないのでしょうか。だとして、なぜ眷属の上位者だけが現実に存在することを許されているのか。両方を跨ぐアメンドーズはなんなのか。姿なきオドンとは? 一つの気づきを得れば、また次の疑問が湧いてくる。『ブラッドボーン』とは悪夢のようなゲームです。
ここまでの流れでいまいち整理しきれていないのが、「医療教会は自分たちの行いをどこまで理解していたのか」という部分です。ウィレーム学長が自身らに宿る啓蒙を「閉じた瞳」と呼んでいたことから、それが上位者が持つ「瞳」の原型になることは理解していたのだと思います。ビルゲンワースが把握していたことを医療教会が知らなかった筈もないので、後はそれをどう変質させるのか、という部分で 2 つの上位者になろう系組織は道を分かつ結果になったのでしょう。人血に鎮静効果が見込めることの発見が、血の医療の発端です。その流れを汲み、血にはそれを持つものの本質が宿る故、じゃあ上位者の血を輸血すれば上位者になれるんじゃね? という発想を得たのだと思います。対してウィレームは、血が持つ諸々の効果を理解してはいたけれども、それは人間が人間性を保てなくなる方法だよ、それじゃ意味なくね? と看破した訳です。ミコラーシュがゴースに対して「俺らをロマみたいにしてくんろー」と呼び掛けていたのを見るに、彼らは人の形を保つことに執着していなかったことが分かります。ウィレームの思想を受け継いでいたらしい聖歌隊は、自分たちが上位者になるというよりは、上位者と同じ視点に立とうという思想だったようですが、それも上手くいってたんだかいってなかったんだか。
前置きが長くなってしまいましたが、要するに実験棟での治験は失敗に終わったものの、そこで見出された「苗床」のカレル文字は事の本質にどこまで迫れていたのか、という話がしたいのでした。「苗床」のカレルは星輪樹の庭のスケールモデルだと認識しています。庭それ自体は失敗作を生むに終わりましたが、「苗床」のカレルはそれと異なる点が一つあります。「虫」の存在です。上位者の定義を仮に「精霊」と「虫」に集約させるのだとすると、それを一身に揃えた狩人は、果たして上位者になったと言えるのでしょうか。答えはノーです。狩人は上位者の虫をただ握りしめていたばかり。「開かれた瞳」が寄生虫の宿主たるを示すのだとすれば、「苗床」のカレルにその力はありません。そこに幾ら神秘を携えようとも、あの時点で狩人は依然として人間の範疇でしかないのです。脳液とへその緒は、ともに特別な血の交わりによって生まれました。しかし厳しい条件を潜り抜けたとはいえ、アデライン含む実験棟の、恐らくは「血の聖女」たちも、所詮は人工物であったためか、脳液は結局へその緒とはなれませんでした。
「虫」と「精霊」の関係は人智を超えた領域ではあるものの、分かることもあります。啓蒙が精霊の原型である以上、精霊が持つ「『虫』から刺激を受ける」という性質は、啓蒙から引き継がれたものだということです。「開かれた瞳」が「精霊の苗床」になることだという定義に間違いはありません。しかし改めて考えると、それはきっと副次的なものでしかないのです。常識では測れない悪夢のような現実に遭遇した時、普段見ている世界はちっぽけな表層に過ぎず、しかしこれまで自分は平然とそこに立っていたのだと知る。その気づきこそが「啓蒙」です。しかし幾ら神秘的真実に到達しようとも、それを「啓蒙」などと呼んでいる時点で人間の限界なのです。「瞳」の本質とは、啓蒙を当たり前の知識として認識する、その知覚能力にこそあります。瞳についてあれこれ考えてきましたが、なんだか一周回って元の位置に帰ってきた感じがしますね。
余談じみてしまうのですが、狩人が宿した「精霊」とは、一体なんだったのでしょうか。エーブリエタースがナメクジを、ゴースがナメクジに似た別の何かを生み出していたように、精霊はそれぞれがその上位者だけの固有種として顕現します。では「苗床」の狩人が宿す精霊とは、果たしてどのような軟体生物なのか。変形攻撃や変形時にナメクジに似た何かを飛び散らせる訳ですが、肉眼では正確に判別できません。「苗床」の元になったものがゴースの血であり、また握りしめているのが「ゴースの寄生虫」ですので、素直に「ゴースの精霊」なのだと考えて良さそうですが、ちょっと面白い仮説を思いつきました。 wikipedia 曰く、アメーバとはある種の原生生物の総称だそうです。リンク先を読んでみると楽しげなことが結構書いてあり、特にこの部分です。すっげえ雑に要約させていただきますが、『アメーバ類は外見が変わり続けるものだが、大きく三つの形に落ち着く。内一つがナメクジ状である』。はい。脳液(アメーバ)の着想の一つがこの辺りにあるのだと仮定して、つまり脳液とは脳液である時点では不定形であり、その後何らかのきっかけによって軟体生物へと変態するのだと考えられます。「きっかけ」が「虫」なのだとすると、或いはアメーバ状になった時点では、それは拝領した上位者に依らず、文字通り「不定形」の精霊なのでしょう。脳液が「瞳になろうとする最初の蠢き」というのはこう意味なのだと考えられます。ならば星輪樹の庭が恐らくそうであったように、「苗床」の狩人の頭部に住まう精霊とは、ただそれだけでは不定形なアメーバに過ぎず、しかし「ゴースの寄生虫」が改めて与える刺激により、ようやく「ゴースの精霊」へと形を変えたのではないでしょうか。もしも「エーブリエタースの寄生虫」なるものを装備したならば、脳液はナメクジへと変態していたのかもしれません。
この仮説が正しければ、「苗床」を刻んだ者は、拝領した「寄生虫」によって自らに宿す精霊がいちいち左右されてしまうのです。繰り返しになりますが、上位者とは各々が独自の精霊を宿しています。そうでなければならない。だから外形ばかりの条件を揃えただけでは、やはりそれは上位者とは呼べないのです。そして精霊の苗床になるということは、カレルで至った如き生半なレベルではありません。漁村で溢れかえっていたことからも分かる通り、本物の精霊は自発的に交わり、繁殖さえします。形なき智慧から力を引き出し、それらに一種の生態系すら与える。そこまでやるのが上位者が持つ「瞳」と「虫」の力なのです。医療教会が秘して達成していた奇跡は、しかしやはり失敗作でした。「精霊」も「虫」も、ただ既存のものを借り受けたのみ。「拝領」とは所詮、人の業でしかないのでしょう。
当記事最後の章になります。という訳で、エンディングの話をしましょう。「へその緒」を収集せず、瞳の宿らぬままに狩人は月の魔物と対峙します。最初の狩人、ゲールマンを倒し、恐らくは名実ともに最強の狩人となった主人公ですが、しかし所詮は人間。しかも相手が悪かった。夜を通して身を委ねてきた「狩人の夢」を生み出した張本人に対して、取るに足らない人間は成すすべもなく……気づけば、主人公は車いすに揺られていました。それを押す人形は言います。「また、獣狩りの夜が始まりますね」
主人公はゲールマンを継ぐ者として、来たる夜と狩人の助言者として永く永く囚われ続けることになります。このことを指して、このエンディングは「遺志を継ぐ者」と呼ばれている訳ですが、『ブラッドボーン』とは全編を通して「遺志を継ぐ物語」でした。敵を殺し、その血の遺志を己の力へと変えるのは、狩人のみに許された能力です。人形ちゃんは言います。
「やはり狩人とは、古い意志を継ぐものなのですね…」
また、カレル文字「継承」にはこうあります。
それは狩人の有り様である。すなわち血の遺志を継ぐ者だ
狩人とは文字通りの「狩りを行う者」である以上に、「遺志を継ぐ者」を示す言葉なのです。夜を行き、斬り倒した者たちの遺志を継ぎ、そして最後にはゲールマンの遺志を継ぐ。一つの見方を切り取ってしまえば、『ブラッドボーン』とはそんな継承の物語になります。
さて、では「継承」と対を成す要素を取り上げましょう。「拝領」です。
それは医療教会、あるいはその医療者たちの象徴である 血の医療とは、すなわち「拝領」の探求に他ならないのだ
「狩猟者」と「医療者」とは、地味に対を暗示する言葉遊びが含められており、従って「継承」と「拝領」もまた対を成す概念になっています。カレル文字の効果を見ても、「継承」が「獲得する血の遺志の増加」であるのに対して、「拝領」が「輸血液の所持数の増加」である点も興味深い。両者ともに同じ「血」に関連した秘文字であるのに、前者はそれを受け継ぐ「狩猟者」の業であり、後者はその効能を探求する「医療者」の業になっています。ここに肝があります。前章で「拝領は人の業に過ぎない」と述べましたが、では「継承」はどうなのでしょう。
そも月の魔物とは何だったのか。彼(彼女?)について詳しく述べようとするとまた分量が増えるので別記事に回しますが、言ってしまえば月の魔物の目的は「上位者狩り」です。獣狩りの夜の終了条件は、その原因を探り当てること。そして恐らくその原因には決まって他の上位者が関わっています。夢に囚われた狩人は、曖昧な記憶のまま、月の魔物が目的を果たすための手駒として活動させられているのでしょう。なぜ偉大なる上位者様がそんな面倒な手順を踏むかというと、上述したように、「本物の」上位者は悪夢の中にしか存在できない、つまり現実に干渉するために何らかの手段を構築する必要があるからです。ゲールマンはその導き手であり、仕事を終えた手駒を夜から解放する……というのは表向きで、多分夜を終えた狩人がそれまで集めてきた血の遺志をゲールマン自身へと継承させ、それをさらに月の魔物へと献上する手筈になっているのでしょう。では何の為に、というと話が難しくなってしまうのですが、理由の一端のみに触れるのであれば、月の魔物もまた「狩人」であるからです。狩人とは遺志を継ぐ者。故に上位者たる月の魔物は、他の上位者が持つ血の遺志を求めて止まないのでしょう。だから獣狩りの夜は上位者を討伐することでしか終わらないのです。手駒として動き、夜の最奥にいる上位者の血を得た狩人から、それを受け取る。獣狩りの夜はそういったサイクルで回っているのです。「遺志を継ぐ者」エンドではそのサイクルがやや崩れはしましたが、しかし中間管理職たるゲールマンが別の人間に代わっただけに過ぎず、また獣狩りの夜、いえ、上位者狩りの夜は始まる訳です。
「青ざめた血」を求めよ。狩りを全うするために
これは主人公が書き残したとされる、記憶の無い手記です。主人公のバックボーンに関して想像の余地を残すのが『ソウルシリーズ』含むこのゲームの特徴だと思うので、そこはプレイヤーが各々想像するところだとは思うのですが、もしかしたらこの手記を書いた時点で、既に主人公は月の魔物の傀儡となっていたのかもしれませんね。獣狩りの夜の原因である上位者が迫る時、空は血の抜けたような青ざめた色を露わにします。「青ざめた血」が夜の原因たる上位者を指しているのだとすれば、それを求めていたのは……。もちろん輸血を受ける前にも「青ざめた血」を求めていたことは描写されていますが、もしかしたら月の魔物は、自分の手駒として、同じ目的を持った人間を探していたのではないかという想像もできますね。
さて、では「へその緒」を収集し、狩人は内に瞳を得ました。結果どうなったのか。月の魔物と対峙する主人公は、しかし今度は唯の人間ではありません。外形の変化こそ確認できませんが、今や狩人は上位者になりかけています。人間相手であれば好きに出来た月の魔物でしたが、今度はそうもいきません。そして主人公による上位者狩りが始まります。注目して欲しいのが、戦いの最中に月の魔物が繰り出してくる「HP 残量を 1 にする攻撃」です。さすがの狩人もビビりますが、見方を変えるなら、あれは「リゲインしろ」という合図です。『ダークソウル』のラスボス戦にパリィが有効だったことを思い出してしまいますが、最後の敵であるからこそ基本に立ち返られるようにしたご機嫌なギミックな訳です。ただしそれはゲームデザインという観点から見た場合であり、ストーリー的に俯瞰するなら、また話は変わります。そもそもリゲインとは何か。こちらの記事で語られているので引用します。
本作のHPを“意志の力”とイメージしていて、HPが減ることは“心が折れる”こと、HPがゼロになることは“心が完全に折れきってしまった”ことを意味するとのこと。ダメージを受けた直後は、まだ心が折れきっていないため、うまくやり返すことで心を奮起させることができ、それが一定時間たってしまうと、あきらめモードになってしまい、取り戻すことができないという。
これが嘘だとは言いません。ただ別の見方もできます。これもまた別記事の話題にしたいのですが、正直なところ狩人の体にも「虫」が蠢いています。獣化の原因も「虫」。なにもかも「虫」。「連盟」が狩人や強敵の討伐後に「虫」を見出すのはそういうことです。で、主人公含む狩人が発揮する超人的な戦闘能力も、リゲインという能力も、体内の「虫」からもたらされたものだという話です。血を失えば、能力の根源たる「虫」が排出されてしまう。「HP が減る」とは、実は体内の「虫」が減少している表現なんです。なぜ輸血液を体内に入れれば体力が戻るのか。それはリゲインの機能にも触れるものです。つまり「血」から「虫」を補填している、または血を入れ、浴びることで体内の虫を活性化させているんじゃないでしょうか。ということで話を戻しますが、月の魔物戦でこれ見よがしにリゲインをさせたのは、「月の魔物の血を浴びた」という描写を深めるためだったと思うのです。これまでも上位者を何体か倒し、血こそ浴びていました。しかしそれらは月の魔物の養分となるべく狩人に蓄積されていたのであり、真の意味で継承した訳ではなかったのでしょう。ですがへその緒から瞳を得た狩人にとって、今や上位者ですら狩りの対象となります。「開かれた瞳」により、上位の遺志でさえも、その意味を解することが可能となりました。かくして、狩人は月の魔物を討ち果たし……気づけば、主人公はナメクジに似た奇妙な軟体生物へと変態していました。
本記事で書いてきたこと、その全てがこの瞬間に集約されています。かつて医療教会は上位者の血を拝領しました。しかし瞳を持たない患者は、ただ深海の闇に飲まれ、人間性を暴走させるばかり。稀に芽生えた脳液も瞳には至りませんでした。「拝領」では「継承」は叶わず、医療では狩猟には至らないのです。人が人以上のものを狩り、遺志を継ぐためには、人を超えなければらない。そして瞳を得た主人公は、上位者狩りの権利を得ます。つまり「より上位の血の継承」が可能となった訳です。閉じた瞳たる啓蒙が、開かれた瞳へと変わるその時、アメーバを経由したそれは、主に宿った「虫」によってその形態を変えます。そして主人公は、月の魔物の血を浴びました。ならば最期、主人公が至ったその姿は、月の魔物から血の遺志を、そこに宿る「虫」を継承した結果なのです。
「遺志を継ぐ者」エンドで、主人公は新たなゲールマンとしてその遺志を継ぎました。しかし「幼年期のはじまり」エンドにおいて行われたこともまた、主人公が新たな月の魔物として君臨する、より上位の「遺志を継ぐ者」エンドと言えるのです。月の魔物が定めた狩りのサイクルは主人公の手で崩れ去りました。ですがあの姿になったとはいえ、主人公は変わらず狩人。そして月の魔物とは、悪夢にしか存在できない真正の上位者です。どうにかして狩りを行わなければならない。故に狩人は人形とともに、或いは「次のゲールマン」を定め、ヤーナムを訪れた異邦の誰かを新たな夜へと誘うのでしょう。狩りを全うするために。以上が『ブラッドボーン』という物語の顛末となります。
最後の章だと言ったな。あれは嘘だ。本当の本当に最後の最後に書いておきたいことを思い出しました。「赤子」についてです。それとともに、ここに至るまで婉曲した表現に終始してきたのですが、言ってしまいます。「虫」と「瞳」は、それぞれ精子と卵子(子宮)のメタファーです。メタファーというか、「瞳(卵)」に「虫」が結びつくという表現は、そのまんまと言えばそのまんまです。或いは隠してなどいなかったのかもしれません。ではなぜ女性ばかりが脳液を宿し、果ては赤子を生んだのか。「瞳」に求められた役割が、子宮だからです。故に女性が持つ子宮が、ある種「瞳」の代替物として機能した結果、女性ばかりが神秘の対象となったのでしょう。そりゃあ男には無理というもの。ウィレームが「へその緒」を求めたのは、もしかすればそのことに気づいていたからだったのかもしれませんね。
さて、人の身から上位者へと至った主人公ですが、気になることがあります。上位者の個体差がその身に宿す「虫」に影響されるというのであれば、月の魔物の「虫」を宿した狩人は月の魔物そのものになってしまったのでしょうか。そんなことはありません。トロフィーにも、「自ら上位者たる赤子となった」とあります。「虫」と「瞳」が結びつき赤子となる。そして赤子とは親のコピーではありません。それでは意味が無い。現実に則して言えば、ただコピーを増やすだけでは生物学的な脆弱性を克服できないからです。種としての多様性を確保するため、自らとは異なる遺伝子を取り込み、より強い「次世代」を遺す。これが生物としての本能です。上位者も同様なのでしょうか。宮崎社長のインタビューを引用します。
上位者はみな、その境遇のために彼らの子どもを失くしていて、結果としてそれらの特別な赤子に惹かれてしまうのです。
生物は強くなればなるほど、進歩すればするほど子孫を残すことがなくなります。
赤子という存在が「遺志を継承する者」と言えるのであれば、究極生命体に近い上位者でさえもその根源的な欲求から逃れられないようです。そして恐らくそれは、月の魔物であっても例外ではないのでしょう。狩人は限界のギリギリまで体力を減らされ、責め立てられるようにして月の魔物からリゲインを狙います。しかし果たしてそれは、狩人の意思だったのでしょうか。月の魔物でさえも赤子を遺したがっているのだとして、そしてそれが自分の命を犠牲にしてでも達成されなければならないのだとするなら、或いは月の魔物という上位者は、自らの遺志を継承する先に狩人を選んだということなのかもしれません。その結果生まれてくるのは先代のコピーなどではなく、主人公と月の魔物という 2 者の狩人が、それまで狩り続け、継承してきた血の遺志、それらすべての集積とも言える存在なのでしょう。そしてもしもの話、人から上位者へと至った狩人がその身に宿す全く新しい「虫」、それが他の上位者のものとは異なり、「へその緒」のように最初から人に宿る性質を獲得しているのだとすれば、事態はもう獣化どころではなく、規模はヤーナムに収まらず、最早何もかもおしまいです。いや、始まりという方が正しいのでしょうか。トロフィーにある「人の進化は、次の幼年期に入ったのだ」とは、まさしく人類の行く末を示しているのです。
さてもう一つ、実験棟について語り忘れてたことを埋めておきます。「瞳」「卵」、「へその緒」「脳液」と、本編と DLC には比較要素がありましたが、「赤子」に対応するものは何だったのでしょう。脳液イベントがへその緒イベントのなぞりになっているのなら、特別な女性と上位者の血の交わりが産んだ者、それは一つしかありません。「失敗作たち」が、恐らくはあの場所においての赤子だったのだと考えられます。しかしそれを自覚してしまうと、星輪樹の庭は何とも惨たらしい光景に代わります。教会によって無理やり生み出された赤子たちに「瞳」は宿らず、それどころか頭部が欠けてしまっていました。その有様は「無脳症(クリック注意)」と呼ばれる奇形症そのままです。酷い話ではありませんか。教会は医療という大義の下に身勝手な人体実験を行ったばかりか、生まれた赤子を指して「失敗作」と呼んだのです。まともな人間など、どこにいたのでしょう。
本当の本当に最後の最後だと言ったな。あれも嘘だ。真実はどこにある? 分かりませんが、書き忘れていたことがあったので書きます。上位者の赤子を生んだ女性はどうなるのでしょうか。本編中では全員殺……死んでしまっています。ただ偽ヨセフカが気になることを言っていました。
「私、ついにここまできたの、見えてるのよ… やっぱり私は、私だけは違う。獣じゃないのよ だから…ああ、気持ち悪いの…選ばれてるの… 分かる? 頭の中で蠢いてるの…」
マタニティブルーでしょうか。女性は大変です。それでなんですが、人と上位者が交わった結果赤子を授かり、そして赤子はへその緒を持つ訳です。そしてそのへその緒は人間に瞳を宿す「虫」、ないしその媒介者になります。そして偽ヨセフカは「頭の中で蠢いてる」と言ってますよね。どうしても思い出してしまうのが実験棟の脳液です。あれは「頭の中で瞳になろうとする最初の蠢き」でした。偽ヨセフカもマタニティブルーではなく、本当に彼女が脳の中に瞳を得ようとしているのだとしたら? 考えてもみれば、赤子を胎内に持つ彼女たちは皆へその緒も、いやそれどころか、人と上位者の混血児と直接繋がっている状態にあります。それは血を共有しているということ。ならばもし母体に高い啓蒙が宿っているのであれば、それが刺激されて瞳を形成しても不思議ではありません。そういう話をこの記事ではしてきたつもりです。つまり上位者の赤子を生む者は、同時に上位者になり得るのかもしれません。
正直なところ、疑問ではあったんです。劇中の「母親」は皆、人間が上位者の赤子を孕んでいたというのに、 DLC では急に上位者が上位者を孕んでいました。当然起こり得ることであると言えばそうなのかもしれませんが、もし前述の仮説が正しいとするなら、まさかゴースとは元々……。