そんなわけで、大いなる意志はエルデンリングをもたらしました。そうして狭間にそそり立った黄金樹は豊穣をもたらしたのです。黄金律よ、永遠なれ――!
で、なんで? エルデなんで? 黄金樹がどこから来たのかは、なんとなく分かった気がしますが、しかし大いなる意志は、そもそもエルデンリングによって何がしたかったのか。今回はそこのところに一つ、仮説をオッ立ててみます。当たり前ですがネタバレありです。
じゃあ早速やっていきますが、未だ不明点の多い黄金樹について語る上で重要になるのは、例えば以下の 2 点でしょうか。
- 死王子の修復ルーン
- 黄金律は、運命の死を取り除くことで始まった
- 嵐の麓の地下墓の霊体 NPC
- 「正しい死とは、すなわち、黄金樹に還ることなり。待ちなさい。根が貴方を呼ぶ、その時まで…」
注意 : 御指摘して頂き気付きましたが、ここの「黄金樹」をなぜか「黄金郷」と読み間違えていました。別の場所のセリフや記述をここのセリフと勘違いしている……という線でも無い限り、『ELDEN RING』に黄金郷という場所はないです。『メイド・イン・アビス』を観よう。
そしてこれが地下墓最奥の御様子。
樹に還る
ご存じの通り、嵐の麓に関わらずどの地下墓であってもこの光景が待っています。要はこれが「還樹」なのでしょう。
- 失地騎士、オレグ
- かつて、嵐の王の双翼として知られた一方 失地騎士となったオレグは、祝福王に見出され 百の裏切り者を狩り、英雄として還樹を賜った
推測ですが、運命の死を取り除かれ、黄金律によって生死の在り方すら定められた世界においては、死ぬことすらも自由にならないのでしょう。功績を上げ、それに相応しきものは「樹に還ることを許可される」。根が迎えにくるというのがどういう状況かは分かりませんが、還樹(死)を許されたものは、画像のように根に抱かれるようにして、黄金樹へと吸収されていくみたいです。そしてその律に反した「死に生きるものたち」は、最大限の侮蔑を送られ、原理主義者による狩りの対象となる。
よって言い換えれば単純、黄金樹は生命を栄養にしている。
この視点の為にはもう一つ重要な描写があります。小黄金樹と生き壺です。生き壺とは『ELDEN RING』に登場する、文字通り生きた壺ですが、あれの中身は戦士たちだそうです。その遺体を詰め込み、遺志を継いでいるからこそ強い、とはアレキサンダーの言だったでしょうか。そんな壺たちと戦うのは良いとしても、その散り様、いや割れ様を毎回目の当たりにするのは、まぁ気分が良くない。なかなかの悪意が詰め込まれた造形だと思いましたね。ということで、そんな壺の中身を踏まえてこの光景。
黄金律の生んだウーバー・イーツ
戦士の遺体が詰め込まれた壺が歩き出すのは、これも黄金律の賜物でしょうか。では彼らは何の為に存在しているのか。その疑問の答えが、小黄金樹の周囲で割れた壺たちなのだと思います。黄金樹並びに小黄金樹とは、生命を糧としている。では壺が歩くのは、即ち栄養を小黄金樹へと送り届けるためなのだと。
ちなみに人の遺体、人の残り汁が植物の栄養ないし植物の種子そのものとなる可能性については前回お話させて頂きました。
人の汁から芽吹くもの
が、ここで疑問が生まれるわけです。小黄金樹とは生き壺によって運ばれた遺体、もしくは生命を糧に成長しているのでしょう。ならば原初の一本たる黄金樹そのものは、どういった過程を経てあそこまで大きくなったのでしょうか。黄金樹とてまず小さく生まれ、栄養を吸い上げながら大きく育っているはず。では何を糧に? まさかあの世界には、実は滅茶苦茶に巨大な壺でもあって、その中身を吸い上げることで黄金樹は巨大に育ったとでも言うのでしょうか。
恐らくは、その通り。世界には根源となる壺が存在したはずです。「坩堝(るつぼ)」という名の壺が。
- 坩堝の諸相シリーズ
- それは、黄金樹の原初たる生命の力
- 坩堝の諸相のひとつである
- かつて、生命は混じり合っていた
坩堝。「炉壺」を語源とするという説もありますが、それは黄金樹の原初たる力だと言います。物質がその高温故に融解する、まさしく坩堝の如く、黄金樹以前の生命とは一つに熔け合い、混じり合っていた。かつて狭間の地に降り注いだ星の種が、そうした原初の生命たる坩堝へと根を張り、やがて育った大樹こそが黄金樹の成り立ちであるなら、「壺(つぼ)と小黄金樹」の関係性とは、そのまま原始の「坩堝(るつぼ)と黄金樹」の相似として存在しているのでしょう。全ての豊穣とは、黄金樹を通り道として、坩堝からやってきたわけです。
と、以上が黄金樹の成り立ちに関する推測です。ここからが後半戦。黄金樹により坩堝を吸い上げ、大いなる意志は何を目指したのか。
というわけで再び持ち出したいのが、運命の死を取り除くことで黄金律は成立しているということ。黄金樹から生み出された生命の死を律してしまうことで、生命たちは樹へと還り、皆その為に行動し、その為に生きていく。そうした「回帰」と「因果」を構築することこそが黄金律の役割だと考えます。
(運命の死を取り除くことで神やデミゴッドを不死とした、という考えもあるみたいですが、個人的にはどうかなと思ってます。だって倒せてたじゃんっていう。まあこれも思いついたらそのうち書きます)
- 回帰性原理
- 原理主義は、黄金律を二つの力で説明する
- それ即ち回帰と因果であり、回帰とは 万物が不易に収斂しようとする、意味の引力である
- 因果性原理
- 原理主義は、黄金律を二つの力で説明する
- それ即ち回帰と因果であり、因果とは 万物を関係性の連環となす、意味間の引力である
黄金律とは不易、つまり「いつまでも変わらない」ことを目指した律であり、その成立の為に万物とその意味が互いに影響を及ぼし合う、その仕組み。それこそが黄金律の役割なのだと、整理すればそんなところでしょうか。しかし知りたいのはその先です。「で、何がしたかった」のか。
これを考える上で重要になる要素が、「忌み」です。
- 忌み水子
- 呪われて生まれた赤子の像
- 忌み赤子は、その醜い角をすべて切られ 大抵はそのまま死んでしまう
- これは、その供養の像である
- どうか、私を恨み、呪わないでください
- 王家の忌み水子
- 黄金樹の王家に 呪われて生まれた赤子の像
- 王家の忌み水子は、角を切られることはない
- その替り、誰にも知られず、地下に捨てられ 永遠に幽閉される
- そしてひっそりと、供養の像が作られる
- 忌み王の追憶
- 祝福なき忌み子として生れ落ちてなお モーゴットは、黄金樹の守人であろうとした
- 愛されたから、愛したのではない
- 彼はただ愛したのだ
また抑えておきたい被差別層がこちら。
- しろがねの凝血
- しろがね人とは、人に創造された生命である
- それ故に、彼らは黄金樹に祝福されぬ 穢れた命であると考える人々がいる
- 翼の混種の遺灰
- 混種は、坩堝に触れた罰の存在であるとされ 生まれながらの奴隷、穢れ者である
- モーンの城 霊体 NPC
- 「…ああ、助けてくれ。俺は貴族なんだ。あいつらに、混ざり者どもに喰われたら、俺も永遠に… ああ、それだけは嫌だ、穢さないでくれ!」
人々の間で生まれる事があるらしい忌み子たち。呪われ、その証として全身から醜い角を生やすそれらは、捨てられるか、角を切られて死ぬか、よしんば生き延びても忌み潰しによって虐殺されてしまう。そんな忌み者たちと同じく「祝福されず」「穢れた」しろがね人や混種たちとは、即ち穢れているが故に死後、黄金樹に還れないのだと、モーンの城の霊体の台詞はそういうことではないでしょうか。そして糞喰いの所業とは、それを人為的に行うことでありました。
- 苗床の呪い
- 糞食いが殺し、穢した死体に生じる呪い
- 忌み角に侵された生乾きの宿痾
- 糞食いは、死体を苗床に呪いを育てる
- そうなれば、もはや死は黄金樹に還ることなく 永遠に呪われたままとなるだろう
- 狭間の地で、最も忌まわしいもののひとつである
- ギデオン・オーフニール
- 「凡愚の意志など、忌み角にも劣る害悪というのに」
ここまでお膳立てを整えて、大いなる意志は「忌み」の部分こそが欲しかった、なんてオチは無いでしょう。劇中での忌み人たちへの扱いを考えた場合、そしてモーゴッドにして自らを呪われていると称したことを加味すると少し考えにくい。また糞喰いのもたらした律とは黄金律を忌み呪い穢すもの。忌みも無忌みも平等に貶めるその末路は、きっと大いなる意志にとって最も回避すべきものでした。
- 忌みシリーズ
- 角を切られた忌み子を模した、異形の兜
- 糞食いの装備
- それは彼の心象風景の現れであり 姿見に見た、己の真の姿であるという
- 忌み子の心、そうでない姿 こんなにも苦しいことがあるものか
- だったら全て、呪われるがいい
これは余談ですが、糞喰いは忌み人の間に生まれた普通の人間だったのではないかとちょっと思ってます。
それはさておき以上のことから、大いなる意志はやはり黄金律により忌みを排出し、後に残ったものをこそ欲したのだと考えます。黄金律を構成する「回帰(意味の引力)」と「因果(意味間の引力)」、それら「意味」を以て「忌み」を祓う、これこそが黄金律に課せられた機能と目的であり、黄金樹とはそれを為すための巨大な「ろ過装置」なのだと、ここに提唱いたします。
- オルドビスの大剣
- 坩堝の騎士の筆頭とされる二名の一方 騎士オルドビスの大剣
- 原初の黄金は、より生命に近く 故に赤みを帯びていたという
赤みを帯びた黄金と言うと山吹色か金茶色あたりが当てはまるでしょうか。金色に赤、ではなく黒みを混ぜるとそんな色になるようですが、その黒色が「忌み」に相当するかもしれません。
黄金律とは「ろ過」システム。回帰と因果を繰り返し、原初の生命からは少しずつ忌みという不純物が抜けていく。そして生命は純粋で穢れなき黄金へと至る。言い換えてエルデンリングとは、ある種の錬金術のようなものだった……そんな仮説は如何でしょう。
そんなわけで「純粋な黄金」などという概念を持ち出しましたが、いや、だからそれでどうしたいの? という疑問には結局答えられていません。何も考えていないわけでもないですが、まあ現状こんなのを思いついたのでどうですかね、くらいのボールを放り投げておきます。
そしてここで話を畳むつもりなのですが、最後に一つ今気になっていることも書いておきます。現実でも植物は水分中の病原菌等をろ過する機能を備えているようですが、それを期待しての黄金樹であったとして、しかし対処しきれないものがありました。外なる神の干渉です。その一つである朱い腐敗に対し黄金律が無力であったことから、ミケラはそれを捨てたと言います。
- ラダゴンの光輪
- 父ラダゴンの、幼きミケラへの返礼
- しかし、幼きミケラは原理主義を捨てた
- それが、マレニアの宿痾に無力だったから
- 無垢なる黄金、そのはじまりである
ミケラの聖樹、そこは混種やしろがね人たちの居場所と成り得るように見受けます。黄金律が「忌み」を弾き出す為に在るなら、無垢なる黄金とは、弾き出された「忌み」をこそ受け入れる器たるべく在りました。ミケラの刃は、故にその器の主を待ち続けていました。しかしその帰還が叶うことは、終には。