前回の続きです。この記事は『デモンズソウル』『ダークソウル』『ブラッドボーン』は全て同じ世界の物語である、という仮定に基づいた児戯幻想の類です。必然、該当作品のネタバレを扱いますのでご了承ください。闇と血と、穢された三つの「市街」について。
「人の淀みの根源」には虫が蠢いているといいます。その蠢きの正体こそ「人の澱み」であり、その古き名を「人間性」という。それが前回のお話。
人間性と、その「よどみ」
余談ですが「人の澱み」は海外版で「Human Dregs」、「虫」は「Vermin」になります。そして「Human Dregs」は「人から零れ落ちたくず」という意味になり、一方「Vermin」は「害虫」および「人間のクズ」。個別のニュアンスは違うものの、並列させて眺めると同じ意味になるトリックなのでした。
ちなみにその上で「淀み」のカレルを見てください。
カレル文字「淀み」
「淀み」、海外では「Impurity(不純物)」。人間から、何かが零れ落ちていく様を象った文字です。
では、これよりは全て、ここから始めます。
原始、「人間性」と呼ばれた力こそが「全て」の原因なのであり、その一点を介して、「全て」は繋がっているのだと。ここから先はそういう内容の記事になります。
『Bloodborne(ブラッドボーン)』とは、かつて「ソウル」と呼ばれた力が、今や人知の及ばぬ深みへと沈んだ時代の物語です。
そして我々が言うところの中世。ビルゲンワースという学び舎があり、彼らは地下遺跡の先で尋常ならざる神秘に見えます。かつて古き者たちが築いたという遺跡は上位者と呼ばれる存在の墓であるとされ、以来学び舎は墓暴きへと執心していくことになります。様々な先史文明の遺物、気が狂うほどの奇跡が掘り起こされる最中、彼らは「血」というものが秘める可能性に気づいてしまいました。
ここが神たる上位者の眠る墓地ならば、上位者やその眷属どもの血を用いることで、人は人を超えることが可能なのではないか。ですがビルゲンワースの学長ウィレームは血に依った手法を忌避します。なぜならローランという地には、同じように血を探求した痕跡が残されており、そしてその探求が呼び水となって、かの地は病と砂の中に消え失せたことが判明していたからです。しかしある時、墓暴きたちは地下深部にて古き者たち「トゥメル」の女王を発見してしまいます。女王が持つ劇的な血の効能、その誘惑に抗えなかった者たちは学び舎を離れ、独自の探求機関を立ち上げました。医療教会の誕生です。
血の医療という蜜は人々を誘因します。そして事実、聖血の効能は常軌を逸した生命力をもたらすことに成功しました。しかし時を同じくして奇妙な病が流行り始めます。「獣の病」と呼ばれるそれは、人間を獣の姿へと変え、そして獣は人間を襲うのでした。その対処療法として生まれたのが「狩人」です。教会による医療、そして狩人による狩猟。これらの行為が英雄視されていた時代もあったようですが、しかし幾多の夜を経て、人々は薄っすらと気づき始めます。獣化も狩人も、その根源が血の医療であることを。やがて街には病とともに不信と不穏が蔓延し、遂に明けない夜が訪れようとしていました。
そんな時に街を訪れたのが一人の異邦者です。「青ざめた血」を求めた異邦者は、引き換えにヤーナムの血の医療をその身に受け、そして目覚めた時には何もかも朧気でした。確かなことは、内に漲る狩人の力と、狩りの果てにしか夜が明けない実感だけ。そうして狩人は獣狩りの夜へと身を投じていきます。
時は深海。ですがこの時代にあって、人が神秘に触れる手段は、少なくも確かに存在したようです。内一つ、それが「血の医療」でした。
さて、ここで一つご確認いただきたいことがあります。
- 鎮静剤
- 神秘の研究者にとって、気の狂いはありふれた症状であり 濃厚な人血の類は、そうした気の乱れを鎮めてくれる
- それはやがて、血の医療へと繋がる萌芽であった
いやそんなわけないでしょ。
血の医療を巡る物語は、墓暴きたちが聖体から血を拝領したことで本格的に始動したのだと、一応は考えていいと思います。結果、その血を受け入れた人々は人ならぬ人となり、果ては本当に人でないものに変態してしまう訳ですが、それは「特別な血を使ったから」という理由付けで納得できます。しかし人が人血を摂取することで気の狂いを鎮めたというのは、どう考えてもおかしいでしょう。ただの人間の血にそんな効果があるはずもない。しかしこれは重大なヒントであり、そして『Bloodborne』という枠組みから離れることで簡単に答えがでます。
血には「遺志(ソウル)」が宿る。
血には遺志(人間性)が宿る。そうです。遠く昔、人間性を喪失した亡者がそれを補填することで理性を保っていた、その性質がそのまま受け継がれているのです。つまり気の乱れを沈めたのは人血それ自体ではなく、血を介して摂取した人間性だったんですね。逆を言えば深海の時代においても、人間には微量ながらも闇のソウルが名残ることの証明になるのではないでしょうか。
そして、とどのつまり「これ」なんです。
「これ」。
「これ」を、特別なソウル(遺志)が溶けた血を、輸血という経路で取り入れた時、何がもたらされるのか。この発想こそ『Bloodborne』という物語の根幹を成す「血の医療」の萌芽であり、全てここから生まれたんです。
そも血は古来よりそのように用いられてきました。狼血の拝領によりファラン不死隊は生まれ、ロスリックは血の営みにより王を成し、奴隷騎士が自らの血を暗い魂の器としたように、血液とは上質の触媒として機能する。医療教会とは、そうした血の神秘に着目した者達の、精神的末裔だった訳ですね。ですが今や遺志(ソウル)とは、火より生じたかつての輝きではなく、人間性を由来とする暗く重いものに置き換わっています。
それを踏まえた上で、以下の警句を再びその身に刻んでください。
「我ら血によって人となり、人を超え、また人を失う。かねて血を恐れたまえ」
人は特別な血によって人を超え、時に怪物になってしまう、そのような意味であろうことは分かります。ですが「血によって人となる」とは一体? しかしこれも簡単なことでした。古来より血は人間性の器。人間性こそ人の本質ならば、人血とはそのまま人の証なのだと、ウィレームは理解していたのでしょう。故に、我々は血(人間性)によって人となるのだと。学長はすげーな。さすが学長だな。学長なだけあるな。
「連盟」と呼ばれる狩人集団がいます。彼らは「人の淀み」を根絶するために狩人であり続け、そして狩りの跡に百足を見出すようですが、個人的に「虫」とは半ば幻想だったと思っています。しかし真相に触れる認知でもあり、あまねく怪異の血、引いては人が誰しも秘める「人間性」の本質を、「虫(おぞみ)」という形で幻視したんじゃないでしょうか。
ということでですね、血が石や結晶となる現象については幾つかの記事にしたためました。「虫」、つまりその根源たる「遺志」にはそのような性質があると。これまでは「あるったらあるんだい!」っていう風に押し切っていたんですが、今であれば答えられます。「遺志」が「人間性」だからです。
闇の貴石 / 血の岩
- 血石の欠片
- 死血に生じる固形物の欠片
- 血中に溶けたある種の成分が、死後凝固したもので 結晶化していないものは血石と呼ばれる
人間性に限らずソウルとは結晶化するものでした。あの現象が血中で起こる事で、血石や血晶石が生まれるんですね。
ここで注目したいのが、メンシスの脳みそたちが行ってくる攻撃です。発狂ゲージの蓄積とともに狩人の体内から槍状のものが突き出して来るあれは、つまり体内の血液が強制的に血石化させられているのだと考えられますが、振り返ってその昔、呪いゲージの蓄積と共に石化した記憶が蘇りませんか。同じ現象です。
石化と血石化
と言っても体から突き出してくるのはどちらかと言えば血晶に似ているので、正確には血石化というよりは血晶化と表現した方が正しいかもしれません。
血晶と血晶化
余談ですが、この血石(血晶)化を自分の意志で引き起こし武器としたものが「瀉血の槌」でした。
ぼくのお宿り石。
そんな訳で「石化」と「血石(血晶)化」が同じ現象と言い切ってしまいましたが、そうなるとバジリスクがそうであるように、メンシスの脳みそもまた「呪い」によってこちらに血石化を引き起こしている理屈になります。で、呪いってなんだっけと考えてみると、正直『ダークソウル』でもきちんとは説明してくれてませんでした。
- 暗い穴
- 不死人の証にも似た暗い穴 ぽっかりと体に開いている
- その暗い穴に底は無く 人間性の闇が徐々に漏れ出し 引き替えに呪いが溜まっていく
これも何度か記事させて頂いてますが、「呪い」を定義するなら、その一側面に「死」という概念が該当するでしょうか。不死は死なないのではなく、幾度も死ねる。しかしその度に呪い(死)が溜まり、死者然とした見た目となり、次第に理性も薄れていく訳です。
呪死とは、過剰に注がれる呪い(死)に押し出される形で漏洩した人間性が、石に変わる現象と捉えています。だとすれば「発狂」と共に「血石化」をもたらす脳みその力は、バジリスクなどが放つ「呪い」と、本質的には同じものだと言えます。あの脳みそ女どもは、「死」を振りまいている訳です。許せねえ。
考えてみるとバジリスクは「死の瞳」を持ち、一方で脳みそ女(ほおずき)もまた瞳の怪物と言えます。ここら辺はまだ考えが進んでないので可能性を示唆するだけに留めますが、瞳持つ両者には何らかの関連性があるのでしょうか。
め組のひと
じゃあ「呪い」とは何なのか。
呪い、少なくともその一側面には「死」が該当すると申しました。そして「死」は、生物が「生」を失った状態……ではありません。なぜなら「死」とはかつて最初の死者ニトが見出した「王のソウル」の一つだからです。「死」とは「生」を喪失した状態を指すのではなく、いや、それも正しくはあるのでしょうが、生者は「生」の喪失と共に「死」のソウルを得るんです。死のソウルを得た者。それを「死者」と呼ぶのでしょう。
ソウルシリーズ恒例のスケルトンとは、故に「死者」であり、故に「死」を司るニトやネクロマンサーによって使役されていました。だからこそ術者を倒すか、活動できなくなるまで破壊するか(カーサスのスケルトンなどはここに該当すると思われる)、神聖武器を用いて「死」により駆動する仕組みそのものを断ち切るしかない。
つまり「死」とは通常、死者自身が力と出来る類のものではないんです。シリーズにおいて、スケルトンの傍に術者がいたケースが目立つのはその為だと思われます。ですが例外がいました。それが「不死人」です。
- 王者の遺骨
- 不死の価値は、死の積み重ねにこそある
死なないのではない。死を重ねることができる。これは幾ら殺されようとも立ち上がるというだけでなく、たぶん死ねば死ぬほど強くなるといいった性質を持っていたんだと思います。プレイヤーが諦めず戦いを挑み続ければ、上達し、やがて難所を突破できるのは、この設定に重ねられた部分なんでしょう。
しかしその「強さ」は、人間性と引き換え(上記「暗い穴」のテキスト参照)。その極致たるが、奴隷騎士ゲールでした。
死ねば死ぬほど強くなる。
彼の強さは「暗い魂」を取り込んだというだけでなく、「死を重ね続けた結果」なのでしょう。理性など蒸発するほどに死に果てたゲールは、しかし、それ故に、強かった。思い出して欲しいのが、ゲールが第二段階めから纏うようになる濁った桜色のオーラ。第三段階目で放出する、人の顔に似たそのエネルギー、これが「呪い(死)」です。恐らく以下の画像と同質のものなのだと思います。
『1』では亡者の頭部を流用してますが、たぶんゲール爺が放つあれみたいな像が本来のビジュアルなんじゃないかと。
ちなみに『2』『3』では「死者の活性」という、死骸を爆破する魔法が登場しますが、きっと「死」のソウルを利用したものなのでしょう。
そしてもう一つ。『1』の篝火で生身に戻る際、キャラクターの肉体から「呪い(死)」が放出されている事にお気づきでしょうか。
「呪い(死)」の排出
という事で「呪い」に関するビジュアルはシリーズで一貫してるんですが、実は『Bloodborne』でも同様です。
怨念がおんねん(← 「怨念」と「おんねん」をかけたダジャレ)
- 処刑人の手袋
- 処刑人の家系に代々受け継がれ、夥しい血に塗れたであろうそれは いまや尽きぬ怨霊の住処であり、血の触媒がそれを召喚する
- ローゲリウスの車輪
- カインハーストの穢れた血族を叩き潰し 夥しい彼らの血に塗れ、いまやその怨念を色濃く纏っている
- 車輪仕掛けの起動により、怨念を解放すれば その素晴らしい本性が露わになるに違いない
- 呪詛溜まり
- 蹂躙された漁村の住人、その頭蓋骨
- おそらくは、頭蓋の内に瞳を探したのだろう 過酷な仕打ちの跡が、無数に存在する
- だからこそ、この頭蓋は呪詛の溜まりとなった
- 呪う者、呪う者。彼らと共に哭いておくれ
どちらも「死」、および「怨霊」に塗れています。「死」のソウルは深海の時代においても健在であるという証左なのでしょう。ちなみに「呪詛溜まり」のみ他の呪い、それどころか我々が知る火の時代の呪いとも色調が違います。「呪詛」とは「呪い」よりも深く、溜まったことで闇に近づいたのでしょうか。
ということで「死」は重ねられ、或いは負の感情と結びつくことで「呪い」や「呪詛」と化す。あくまで仮説ですがそんなところで如何でしょうか。そして火の時代においても、深海の時代においても「呪い」の効果が未だ健在であるなら、同じ方法で解くことも出来るのでしょうか。
解呪石
- 解呪石
- 小さな頭骨が溶け込んだ灰色の石。
- 呪いの蓄積を減らし、亡者状態を解除する。
スケルトンは「死者」であると前述しました。血肉に「ソウル(遺志)」が宿るなら、その余地のない「骨」にこそ「死のソウル」は宿るのでしょう。そして「解呪石」は「頭骨」が溶け込んでいるのだそうです。なぜそんなもので呪いが解除できるのかというと、「骨」は死の器となるので、つまりは別人のそれに「呪い(死)」を移し替えているのだと思います。呪いは消えないが、在処を変えることは出来るんです。
しかし器であるが故に、その容積には限界がありました。
「まあ、あれだ。ちっぽけな石じゃあ、もう何も思い出せないからな」
『3』DLC2 に登場する「記憶を亡くしたラップ」は亡者も極まり、その記憶は消失しかけていました。「ちっぽけな石」とは解呪石を指すのでしょう。そしてもう、それでは足りないと。そうして探し求めていたものが、輪の都の「解呪の碑」。つまり「石」と「碑」は同じく「呪い(死)」を受け入れる器という事になります。
解呪の碑
じゃあこれは夥しく積みあがった頭蓋骨なのかというとちょっと違うと思っていて、これはたぶん「呪い」そのものなんじゃないかと。「死」もまたソウルであり、ソウルとは石化するもの。ゲール爺が纏う呪いの像が、そのまま石になったものとイメージするのが良いかと思います。頭骨が呪いの器となるなら、呪いが凝結したものもまた器となるんじゃないでしょうか。
で、解呪の碑は『Bloodborne』にも登場します。
都と悪夢の解呪の碑
呪い(死)が石化したものが解呪の力を持つようになると言いましたが、具体的にどう出来上がるんでしょうか。それをひも解く為には「ちっぽけな石」、解呪石の製法に迫ってみると良いかもしれません。
解呪石
こいつらホタテの中見は頭骨で溢れています。解呪石がもっぱらここから取れる事から、見た通り「死」が溜まる事でその一部が特殊な頭蓋と化すのでしょうか。「呪い」そのものも同じ理屈なら、なるほど輪の都もメンシスの悪夢も大勢の人間が死んだ事と思います。
また「死」が溜まるというならこっちの方がイメージを捉えやすいかもしれません。
湿った場所に解呪あり
輪の都の沼。これは人間性が溜まる沼だといいます。そして狩人の悪夢、その血の河。血にソウル(遺志)が宿るなら、人間性の沼も血の河も同じものと言える訳です。遺志の他、当然「死」も溜まっているであろう「水場」に碑を置いた、このロケーションが意図的に似せたものであるなら、「死の溜まり」に碑が出来上がるという解釈はなかなか良い線いってるんじゃないかと思います。
ただ一つ、多量の人間性が澱んでいそうな輪の都はともかく、なぜ『Bloodborne』の場合は悪夢にのみ碑が出来上がるのかという疑問はあります。悪夢外にも該当しそうな場所はありそうです。ただ、これに関しては次回書くので、ほんのりと覚えておいてくれるとありがたい。
ということで、呪いは時代を超えて作用し、それが解呪の碑として凝結する現象も未だ健在なのだという事が分かってきました。だとして、『Bloodborne』における解呪の碑、これを使って「呪い」を解くこともできるんでしょうか。使い方が忘れ去れている気もしますが、理屈としては多分、出来るんだと思います。しかしご安心ください。我ら狩人にとって、そもそも解呪は必要ないのです。
解呪石? 解呪の碑? はー、ふっる。古いんですよ、そんな方法。トレンドを追いかけなくなったらインフルエンサーとしておしまいね。
「発狂」。ある意味で『Bloodborne』の代名詞とも言えるこのステータス異常についても過去幾度かお話させて頂いております。これは「理解できないものを捉えてしまったから頭が破裂している」のではありません。
- 瀉血の槌
- それはまた、悪い血を外に出す唯一の方法だ
瀉血です。「狂いのもと」を外に吐き出しているんです。何が人を狂わせるのかに関しては別項で述べますが、真に発狂し取り返しがつかなくなる前に血液ごと排出しているのが、あの大ダメージの正体なのです。結果としては死ぬかもしれませんが、死を夢の如くやり直せる狩人に取って、それは狂うよりはマシであると。「瀉血の槌」には発狂を伴う範囲攻撃がありますが、あれは発狂「してしまう」のではなく、恐らく発狂の延長上にある「瀉血」こそが本領であり、攻撃効果こそ二の次なんじゃないかと思っています。
で、血には「遺志(人間性)」が宿ります。ならば「石(人間性)が不死から溢れ出す」呪死と、「遺志(人間性)が狩人から溢れ出す」発狂は類似の現象なんじゃないでしょうか。つまり上述と併せるなら、狩人は瀉血によって「呪死」を逃れている。これこそ火の時代の原始人どもには及びもつかなかった最新のバエる解呪方法、「瀉血」なんです。いいね!
- 青い秘薬
- それは脳を麻痺させる、精神麻酔の類である
- だが狩人は、遺志により意識を保ち、その副作用だけを利用する
「遺志により意識を保つ」のが狩人だそうですが、言葉を置き換えるなら、狩人の意識は遺志(ソウル / おぞみ)と結びついている状態にあると。つまり狩人の中の、狩人のものでない「遺志(おぞみ)」が、宿主自身の狂いを肩代わりしている訳です。
深海の時代において、人間性は「おぞみ」となりました。それは人の本質とも言えた闇のソウルが、ある種の生命を獲得し、実体を帯び、故に自意識のようなものすら芽生えさせてしまった。それをカアスは恐れた。しかしながらその結果として、人は「瀉血」という新たな解呪を得たとも言えるのですね。しかし、だとすれば、その防衛機構を突き抜けて血石化を強制してくる脳みその凶悪さが窺い知れるというものです。
「呪死」の延長に「発狂」があるんじゃないかと申し上げた訳ですが、じゃあ啓蒙を高めると発狂し易くなるのはなぜなんだとか、突き詰めて考え出すと訳が分からなくなります。しかしもしかすると謎解きのヒントになるかもしれないのが、「メンシスの檻」と、ロスリック書庫の「蝋」についてです。
頭になんか被った学者たち
ロスリック大書庫の本から伸びてくる青白い手に触れると呪いが蓄積しますが、賢者たちはこの呪いを、頭に「蝋」を被ることで回避していたようです。同じように被ってみると、なるほど、本当に呪いを無効化することができました。一方でメンシスの檻は内なる獣を閉じ込めるための道具でした。
「獣は呪い、呪いは軛」
流浪の狩人ヤマムラのつぶやきです。さて古来より「呪い(死)」は人間性と交換関係にありました。度を超えれば解呪しなければなりませんが、ある程度の「呪い(死)」であれば、人間性を補填する事で帳消しにできます。その効能が未だに残っているからこそ、人血(鎮静剤)によって「発狂」は抑えられた訳です。
ところで鎮静剤、発狂だけでなく獣性も 0 にできるそうです。つまりヤマムラ曰くの「獣は呪い」とは、言葉通りに「呪い(死)」が関与する現象である可能性が高い。不死の英雄は強靭な理性(人間性)によって完全な亡者化を抑制していましたが、メンシス学派は「檻」という補助を用いてそれを成していたんですね。やっぱミコはすげえよ。
そして、檻は「牢(ロウ)」と言い換えられる。
大書庫の「蝋」、そしてメンシスの「牢(檻)」。異なる時代の異なる呪いの在り方に対し、しかしそれぞれ「ロウ」を防護策として配置したのは、やはりその根源に存在する「呪い」は同じものだという示唆だと思っています。呪死、発狂、獣化、その全てに人間性が関わっているのなら、人は生まれながらにして呪われた生き物なのかもしれません。
ちなみに聖杯ダンジョンに「呪い」を付与することで狩人の最大 HP は半分になりますが、これも過去の呪死を彷彿とさせます。火陰れども呪いは絶えず。超迷惑。
医療教会の血の拝領は女王のみに留まらず、上位者にまで及んでいました。それが悪夢の海岸に打ち上げられていたゴースの死骸です。当時の教会の精神テンションは最高潮だったことが窺えますが、残念ながら上位者の血は人間には適合しません。なぜなら肝心の上位者の血に潜む寄生虫が、人には宿らないからです。元は人間性なのに。
上位者からの拝領はバチクソ難しい。それはビルゲンワース時代に分かっていたことなのか、或いは拝領したことで理解したのか、ともかくゴースの血を使った治験は失敗に終わりました。それが狩人の悪夢に建造された聖堂、その内部にある実験棟の惨状の理由です。しかし教会にしても勝算はあったようです。なぜならトゥメルの女王は上位者と交わることで身籠っていた、つまり上位者の血に適合していたからです。方法は存在する。諦めなければ夢は叶うんです!
そも教会が女王の血を欲したのは、その素晴らしい効能以上に、上位者と人が交わる仕組みを解明し、再現するためだったと考えられます。結果は失敗に終わりましたが、しかしそう捨てたものでも無かったようです。一部の患者の中には「脳液」と呼ばれるものが生成されていました。これはビルゲンワース時代から存在していた、上位者を語る上で欠かせない定義の一つ、「瞳」と呼ばれる概念、その最初の蠢きです。宿したのは、どうやら全て女性。「血の聖女」アデラインがその一人であったことから、血の調整を受けた者、加えて高い啓蒙を有した者だけが脳液を宿すに至ったのではないかと推測できます(ここら辺も過去記事にしているので、宜しければどうぞ)。そして教会は遂に、無頭の赤子「失敗作たち」をも産み落とすに至ります。その名の通り失敗に他なりませんでしたが、しかし「女王」と「赤子」を再現しようとする目的に、限りなく肉薄したのではないでしょうか。恐るべし医療教会。
ちなみに啓蒙を条件に含めたのは、どうやら啓蒙こそ「瞳」の原材料ではないかという疑惑があるからです。漁村では瞳に似た卵から軟体生物が孵化しており、そして「狂人の智慧」「上位者の叡智」のアイコンが「頭蓋から孵化する軟体生物」に見えることから、劇中で「瞳」と呼ばれているものは、「軟体生物の苗床(卵)であること」を指すのではないかという仮説を以前立てました。上位者の寄生虫が「苗床」のカレルに反応する点とも繋がります。よって啓蒙は「瞳」の原材料であるという連想から、即ち脳液は啓蒙が変質したものではないかという推測に繋がった訳です。
と、ここまではおさらいであり、前振りです。
皆さま、実験棟の光景に既視感はありませんか。何よりも、頭が肥大化し理性を失った人間たちに見覚えはないでしょうか。あの場所こそ火の時代、深淵に飲まれた悲劇の国、ウーラシールの再来であることにお気づきでしょうか。
でっかくなっちゃった
- 肥大した頭部(ウーラシール)
- 深淵の主マヌスの闇に飲まれ 人間性を暴走させたウーラシール民の頭部
- 大きく肥大し、ギザギザとささくれており その間に無数の赤い眼球状の瘤がある
- 表面は硬質だが、中は乾かぬ体液で湿り 正気であればこれをかぶろうとは思うまい
- 肥大した頭部(実験棟)
- 聖堂の患者、その肥大した頭部の1つ
- その内に、丁度人が被れるほどの空洞があるが 正気であればこれを被ろうとは思うまい
- だが耳をすませば。湿った音が聞こえる気がする しとり、しとり。水の底からゆっくりと、滴るように
セルフパロディじゃないんです。「同じもの」なんです。「同じこと」が起こってしまったんです。実験棟の患者たちがウーラシール民と似た外見、似た動作で襲ってくるのも、彼らがウーラシール民と「同じもの」に憑かれているからです。
火が消えた後も人に人間性が宿っているのなら、それはやはり暴走し得るのでしょう。かつてはマヌスの闇により、未来ではゴースの血によって、そして奇しくも、ともに死者の眠りを暴いたことで同じ悲劇が繰り返されてしまったのです。
成体拝領、過去と未来
- 鷹の目ゴー
- 「彼らは自ら望み、あれを起こし、狂わせたのだ」
- 時計塔のマリア
- 「死体漁りとは、感心しないな」
人は業に抗えない。
獣化の原因、その一つは女王ヤーナムの血です。トゥメル文明でも克服できなかった病を、医療は恩恵とともに復元してしまいました。しかし輸血した者すべてが獣に変わった訳ではありません。赤い月が登った後も、獣となる者、最後まで人のまま狂った者、そして狩りに酔う者と、末路は様々です。
では最早当サイトにとって聖典の如く引用している宮崎英高氏のインタビュー抜粋をご覧ください。
このゲームのテーマの一つに獣型の敵に起こる「内的衝突」がありました。獣化への衝動は、私たちみんなが持っている、いわゆる人間性とせめぎ合っています。人間性はある種のカセとして働き、獣化を抑制しています。その枷によって獣化への衝動が強く抑えられていれば抑えられているほどその枷がいざ外れた際に、その反動は大きくなるのです。
「人間性(humanity)」という言葉をしれっと使っておられますが、これ、たぶん辞書通りの意味だけでなく、我々がよく知る意味で言ってるんじゃないかと。人間性はそれ自体が闇に属するものですが、同時に宿主の理性としても機能します。それが魂を蝕む外圧への枷になっていると。もしかすればこれは人間性本来の力というより、かつて神が人にはめたという「枷」の仕事なのかもしれません。しかし内的衝動に負けることで枷は外れ、人間性は暴走し、人は人であることを止めてしまいます。それがウーラシールや実験棟の末路であり、獣化の根本的な理由なのでしょう。
ですがやはり全てを説明できたとは思えません。心折れた結果、気が触れる者と獣化した者の間にはどのような差異があるのか。と言っても、実はこれも過去の記事で考察しているのですが、結論を言ってしまうと、獣化の引き金は「祈り」です。
- 月
- 悪夢の上位者とは、いわば感応する精神であり 故に呼ぶ者の声に応えることも多い
これも何度引用したか。「悪夢の上位者(赤子)」は精神に感応する力を持つため、人の祈りを拾い上げ、しかし与えられた力に人の器は耐えきれずに獣へと変態してしまうと書きました。それも並大抵の祈りではなく、絶望した者が放つ断末魔に似た祈りでなくては獣化は起こりません。「獣は呪い(死)」なんです。「聖職者こそ恐ろしい獣になる」のは、彼らがより強い祈りを知っているからでしょう。ということで検証も兼ね、一つこの仮説を引っ提げて時を遡ってみたいと思います。そこはローランやトゥメル文明より遥か以前に病んだ土地。
古い月の貴族の街、冷たい谷のイルシールです。
あくまで劇中に登場した限りですが、史上最初期に出現した獣化者は冷たい谷へと求めることが出来ます。冷たい谷で散見する「サリヴァーンの獣」や、この街を出身とする外征騎士たち、ボルドや踊り子。そして至る所で見かけるイルシール犬は、よく見ると人面であり、彼らがかつて人であったことに気づけます。「獣化」です。
このことからまず類推できるのは、獣化が人間性の暴走によって引き起こされる現象である以上、ボルドや踊り子でさえ人間であったのでは、という可能性です。踊り子などはアノール・ロンド王家の末裔だったようですが、神の血を引いていようが関係ないのでしょう。とにかくイルシールには何かを呼び水として獣の病が蔓延していたようなのですが、何と法王サリヴァーンはむしろ病を有効に活用する道を選んだようです。
- 法王の右眼
- 法王サリヴァーンが騎士たちに与えた魔性の指輪
- 攻撃が連続するほど、攻撃力が高まる。
- その黒い瞳は見つめる者を昂ぶらせ、死闘へと誘いやがて騎士を獣のような狂戦士に貶めてしまう
- 故に法王は、外征に際してのみこれを与えたという。
- 法王の左眼
- 法王サリヴァーンが騎士たちに与えた魔性の指輪
- 攻撃が連続すると、HPを回復する
- その黒い瞳は見つめる者を昂ぶらせ、死闘へと誘いやがて騎士を獣のような狂戦士に貶めてしまう
- 故に法王は、外征に際してのみこれを与えたという
- 外征騎士シリーズ
- 法王の目を与えられたという彼らは 例外なく、獣のような狂戦士となる
- そして番犬となり果てるのだ
お気づきかもしれませんが、両指輪の効果は後世における「獣性」と「リゲイン」という二大システムの先駆けになっています。獣化者の特性を理解したサリヴァーンは、この指輪を持たせた騎士を敵国に放ち、そこで獣化を発症させ暴れさせていた訳です。踊り子がそうであるように外征騎士が旧王家や敵国の捕虜によって構成されているなら、さぞコスパの良い爆弾だったことでしょう。
次にサリヴァーンの獣に注目します。
火の時代の獣化者
こいつらはイルシールの結界前の橋や貯水槽などに陣取っているおっかない獣です。外征騎士たちと比較して完全に獣化してしまっている彼らですが、みなさん、ご存知でしょうか。こいつらに致命攻撃を成功させた方なら見知った光景だと思われますが、この獣、致命攻撃後に特殊なモーションを行います。手足をばたつかせた後、両手を重ねて、
祈る獣
「祈る」んです。
またこの獣たちが総じて雷属性の攻撃を行ってきたことからも、元は聖職者だったんじゃないかという推測が可能です。彼らは祈りを知る者であるが故に、ひと際恐ろしい獣と成り果てたのでしょう。サリヴァーンの獣とは、火の時代における、聖職者の獣なのです。
なぜ戦いの最中、突然両手を合わせたのかと言えば、それは致命攻撃により大量の出血を強いられ断片的に理性を取り戻したからであり、裏を返せば彼らの血中に蠢いていたものこそが彼らの人間性を暴走せしめていた要因であったことの証左です。そしてそれは遠い未来、醜い獣と化したルドウイークが HP を半減させた時点でわずかな人間性を取り戻す描写とリンクします。
『Bloodborne』の獣はノコギリ武器や炎を弱点としました。ですがそれは獣という形態に対する特効なのではなく、ノコギリによってより多くの血を排出させる攻撃、そして炎が、獣血に潜む「虫」に対する有効手段となるからなのです。ちなみに有効手段と言えば『ダークソウル 3』での出血って、妙に強かったですよね。思うにこれも先の時代、「血」の重要性を予期させるフレーバーだったのかなと受け取っています。虫に塗れたエルドリッチや、暗い魂の血を宿したゲールに出血が有効だったことが、特に印象的ですね。
そういえば、ゲールもまた体力の現象と共に僅かばかり理性を取り戻しますが、あれは体から暗い魂を宿した血が抜けたことで「すっきり」したのでしょう。「瀉血」は古来より有効だったという話。
しかし獣化が祈りを引き金とする変態だとすれば、応えたのは何者なのでしょうか。祈りへと感応する精神、「悪夢の上位者」とやらがイルシールにもいたのでしょうか。それについては別項としますが、取り合えずは以下の引用がヒントになるかもしれません。
- 闇の貴石
- 主なき人間性に生じるもの
- 闇の武器は闇攻撃力を持ち信仰による補正も高くなる。
光と闇は火によって分かたれた、元を同一とする概念でした。ならば光がそうであるように、信仰によって闇は深まるのです。となるとイルシールの獣たちは、彼ら自身の信仰によって生まれたとも考えられます。かわいそう。
思えば過去作からして聖職者ほど人間性(闇)を溜め込んでいたという描写がありましたが、あれは聖職者たちの信仰心に人間性(闇)が刺激を受けた結果であり、その設定の延長上にあるものが、「聖職者の獣」なのでしょう。すげえかわいそう。
では次に気にしなければならないのは、「なんで急に聖職者が獣化するようになったの?」というもの。『1』や『2』の時代には無かった現象だと思うのですが。
- 深みの貴石
- 深みの聖堂、その澱みに生じるもの。
- 深みの武器は闇攻撃力を持つが能力補正は消失してしまう。そこは人智の届かぬ暗闇なのだ。
深みもまた闇の一種。しかし闇に信仰は届いても、深みには届かないそうです。しかし「祈りを受信する」という、闇が元々有していた機能自体はそのまま残っているのか、一旦人から離れ、深みによっておぞみとなった「元人間性」が血などを介して人に宿ることで、宿主の願いを汲み取って変態をもたらすようになった……取り合えずはそんな理解をしています。
つまり獣化者が蔓延していたイルシールもまた、「かつて人間性であった」おぞみによって汚染されている事になる。出所は、どこだと思いますか? ここです。
冷たい谷の感染源
まずこの愛らしいファット・ボーイの解説をすると、彼は大主教マクダネル。深みの聖堂三大主教の一人です。彼は聖堂に形成された深みから「世界の底」を見ました。この時点で恐らくマクダネルはおぞみに感染しています。彼はエルドリッチとともにイルシールへと向かい、恐らく一人朽ち果てました。
そしてマクダネルが死んでいる場所、最高なことに「貯水槽」なんですよ。イルシール市民は、当然皆がこの水を飲んだことでしょう。もうご理解頂けたかと存じます。感染者マクダネルが貯水槽に身を浸したことで、おぞみはイルシール全域へと広がったのです。
と、ここでピックアップしたいのは、イルシールの結界を超えた矢先にある篝火「イルシール市街」です。この語感に聞き覚えがあるというのは当然で、この地は古く闇に侵された「ウーラシール市街」の再来であり、また後の「ヤーナム市街」の先触れであるという、ちょっとした遊び心なのでしょう。
闇に穢された 3 つの「市街」
余談として時系列を整理すると、薪の王として復活したエルドリッチが深みの聖堂に立ち寄り、マクダネルをお供にイルシールへ里帰りします。そしてマクダネルを貯水槽へドボン。街には「おぞみ」が蔓延しました。だとするとイルシールが獣化者を外征騎士として利用するようになったのは比較的最近っぽいですね。自分が治める街があのように汚染されてしまったサリヴァーンの胸中は計り知れませんが、人形を渡していたことからも、エルドリッチが彼にとって「惜しむ者」であったことは間違いなさそうですし、むしろ望むところだったのかもしれません。或いはああなって初めてサリヴァーンは、絵画世界に相応しく「失った」のでしょうか。
書いておかないといけないことを思い出しました。外征騎士は踊り子を除き全員が冷気を纏っています(踊り子には冷気が効かず、自身も白い霧のようなものを纏っていることから、冷気を帯びてはいる? 炎剣を所持していることで相殺されてしまっているのかも)。
- 青虫の丸薬
- イルシールの奴隷たちが作る秘薬 冷たい谷には、月の虫が蔓延っている
これも以前述べましたが、谷が冷たいのは、この月の虫が原因です。蟲(おぞみ)を召喚し、噛みつかせて出血させる奇跡に「蝕み」というものがありますが、冷気とは谷に蠢く月の虫による「蝕み」なのです。月の虫は生命力(HP)ではなく、体力(スタミナ)を奪っていく性質を持つのですね。
さて、外征騎士たちが一様に冷気を纏うのは、言い換えれば彼らが月の虫を纏っている(あるいは宿主となっている)ことに他ならない訳ですが、つまりこれは獣の病の発症者が「別の病」に侵されている状態な訳です。これに関して、ちょっと覚えがありませんか。
- 白い丸薬
- 毒を治療する小さな丸薬
- かつて旧市街を蝕んだ奇怪な病、灰血病の治療薬
- もっとも、その効果はごく一時的なものにすぎず 灰血病は、後の悲劇、獣の病蔓延の引き金になってしまった
先の時代、ヤーナム旧市街の獣をはじめ、「血に渇いた獣」が、獣化者でありながら毒性という「別の病」を患っていた状態と合致するのです。旧市街で何が起こったのかは未だ考察が足りていない状況ですが、しかし灰血病なるものが蔓延していた街で獣化した者たちが毒性を付与されていたことから、獣化者は生前の疾患を新しい特性として取り入れてしまうのではないかと推測できます。だからこそイルシールの外征騎士たちは、獣の病に冒されながらも、「冷たい蝕み」を攻撃へ転用していたのでしょう。
その上で併せて考えたいことがあります。意図的にイルシールとヤーナム(旧市街)の惨状を似せていたのだとするなら、「青虫の丸薬」と「白い丸薬」もまた対応しているのではないか、ということです。この記事のどこかで仄めかしてますが、白い丸薬というのはつまるところ「白虫の丸薬」なのかもしれません。青虫の丸薬が月の虫をすり潰したものと推測できるように(最もこちらは魔力カットを高める薬ですが)、ヤーナムでは白い虫をすり潰して作った飲み薬で、毒性へ対処しようとしたのではないでしょうか。
ウジウジやってるヒマはねェ!
「白い虫」で連想できるのは銀獣から這い出して来る蛆虫や獣血の主から飛び出して来る巨大蛆虫、そして卵背負いから這い出し、寄生してくる蛆虫が思い当たります。こいつら、似てるとかじゃなくてたぶん同じ虫です。或いは、限りなく近縁種でしょう。方やヤーナムの血によって、方や混沌の娘の卵に揺られて、という違いはあれど、ともに人間性から生まれた蛆ですからね。こいつらをすり潰すことで解毒剤になるかは不明ですが、
- 闇の霧
- ウーラシールの魔術師が狂気の内に見出した深淵の魔術。闇の霧を発生させる
- 人間性に近しいはずの闇の霧は だが、人にとっては恐ろしい毒となる
- 多くの人が、よく人を蝕むがごとく
人間性は、場合によって毒となるようです。ならば転じて解毒を成すことも可能かもしれません。もしかしたら「遅行毒」や「灰血病」は、人間性が持つ毒素から端を発したものなのでしょうか。人間性万能説。
本ページ最後の項目です。最初期の獣をイルシールに求めるとして、次はルーツの話をしましょう。深淵の主マヌスの外見に関して思うところがあります。
画像だと分かりにくいかもしれませんが、「捻じれた角」「肥大化した左腕」というのが特徴として挙げられると思います。ちなみに「マヌス(manus)」とはラテン語で「手」を表します。「マニキュア」などの語源らしいですね。故にマヌスは「腕の怪物」と言えるのですが、これらの特徴と同じものを聖職者の獣も持っているんです。
この一致は何を意図しているのか。一言で言うなら「獣性の象徴」なんじゃないかと思います。
マヌスをはじめとして、アルトリウス、奴隷騎士ゲールと、闇にその魂を穢された者たちは、皆一様に獣の如き挙動と化していました。ダークソウル、深淵、おぞみ。「獣性」それ自体が闇に潜む怪物であるなら、即ちマヌスたちはあらゆる獣化者の原型と言えるんじゃないでしょうか。特にマヌスと聖職者の獣が特徴を共有するのは、獣化者それ自体がマヌスの再来であると示唆するフレーバーなのでしょう。実験棟がそうであるように、血の医療は深淵を呼び込んでしまった訳です。
そしてもう一つ。『3』に登場する「人の膿」なる怪異もまた、未成熟ではあるものの「角」「左腕の肥大」という特徴を有しているように思えます。
「捻じれた角」と「肥大化した左腕」を持つ膿
- 幽鬼のトーチ
- ある種の深淵は、人中を膿で満たすという
- 炎は、古くそれに対する有効な手段であった
火が陰りを迎えたことで澱みは生まれたと言っていいでしょう。そして「ある種の深淵」が深み、あるいはおぞみを指すなら、それによって引き起こされる人間性の変質の一種が「人の膿」なのだと思われます。それは暴走した人間性であり、獣性の権化であり、火の時代が終わる予兆にして、深海の時代の先触れなのでしょう。そして更には、
- 聖職者の青衣
- 青衣の旅人は使命を帯びたといわれ その不死が闇の苗床とならぬよう背中に大きな蓋を背負っていたという。
「闇の苗床」が「人の膿」を指すのだとして、聖職者がその対策を怠らなかったのは、「聖職者こそ恐ろしい獣になる」、つまり「祈りが人を獣に変える」という仮説に接続できます。言ってしまえば、この「人の膿」こそが獣の病のルーツなのです。マヌスたち闇のソウルに侵されたものを獣性の原型とみるなら、それがはっきりと肉感的な形で発現する、病理学的ルーツこそが「人の膿」なのだと考えます。
「膿」が信仰を感受し、不死を別の何かに変えてしまうことを知っていた聖職者は自らに蓋をし、一方で膿が火に弱いことを知る者もいた。皆、火に次ぐ深海を予感していたのです。という訳で「人の膿」とは、海(うみ)を思わせるダブルミーニングだと思っています。
ただ人の膿については以前、一つの仮説を述べてしまいました。『3』に登場する巡礼者たちもまた皆、蓋を背負っています。しかしこれは聖職者のそれとは理由が真逆であり、内なる闇を閉じ込めるためだと。無為に闇を漏らした不死が膿に振り回される一方、成熟させるに連れて人は蝶となり、或いは蛹となって天使を投影し、果てに古竜となるのではないかと。この仮説、今は改めているのですが、しかし膿(の先にある天使)と古竜が全くの無関係とも思っていません。なぜなら竜体もまた「捻じれた角」を持つからです。
「捻じれた角」を持つ竜体
即ち竜もまた、人間性(獣性)と無関係ではないんでしょう。だとすれば膿によって生まれる獣とは、人が蝶や竜となる進化の途上で枝分かれした形態なのかもしれません。では人が獣を克した先に到達するという上位者とは一体なんなのでしょうか。
という感じで、一旦区切ります。
- 人血には人間性が溶けてるよ。
- ウーラシール、イルシール、ヤーナム。これらは闇に穢された土地である。
- 人間性は遺志になったり石になったり虫になったり薬になったり毒になったり、なんにでも使えるんだ。
- 闇に穢され、引き起こされた暴走こそが獣性のルーツ。
- 獣と竜、その根源は同じ……?
続きます。