前回の続きです。この記事は『Demon's Souls』『DARK SOULS』『Bloodborne』の世界観には繋がりがあるという仮定に基づいた児戯幻想の類です。必然、該当作品のネタバレを扱いますのでご了承ください。そして今回をもってシリーズ最終回となりますが、ようやく『Demon's Souls』の話に移ります。
ちなみにこれを書いている時点で筆者はまだ PS5 を入手しておりませんので、当然リメイク版についても把握しておりません。そのような人間が書いているのだとご理解ください。
さて最終回とは申し上げましたが今後もクロスオーバー記事は続ける予定ですので、今回は肝心な部分だけを書きます。デーモンについて。
ちなみに『Demon's Souls』単体の記事は以前書いています。考察というよりは整理整頓に近い内容です。
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そしてすかさず OP を引用。『Demon's Souls』ってこんな話でした。
北の国、ボーレタリアの王、オーラントは人跡地の限界、氷山脈の奥地で、巨大な楔の神殿を見出し、ソウルの業を手にした。ソウルとは、人に隠された、新たな力であるようだった。だが、ボーレタリアの繁栄は長くは続かなかった。老境に至ったオーラントは、更なる力を求め楔の深奥に入り込み そこに眠る古の獣を目覚めさせ、色の無い濃霧と、デーモンたちが生じた。
色の無い濃霧はボーレタリアを覆い、デーモンたちは人々からソウルを奪い、喰らった。ボーレタリアは、瞬く間に、ソウルに飢えた亡者だけが彷徨う亡国と成り果て 霧の避け目から、多くの英雄たちを飲み込み、そして、誰も戻らなかった。
濃霧は、静かにボーレタリアから滲み出しつつあり 既に北の地の大半が、濃霧の中に消失していた。人々は、緩やかな滅びの予感に絶望していた。やがて濃霧が、世界のすべてを覆うだろう。そんな中、最後の希望が 霧の裂け目からボーレタリアに入り込む……
復活した古き獣と共に生じた、霧とデーモン。そしてデーモンは人々を襲いソウルを喰らうようなのですが、奪ったソウルはそのまま古き獣へと献上されていく仕組みのようです。まるで狩人と月の魔物の関係に似ますな。故に、プレイヤーがデーモンを狩りつくすことで、餌の供給が途絶え獣が腹を空かせて姿を現す……というのが本編の流れでした。ここで一つ控えておきたい事実が、火防女殺害エンド後に「獣のデモンズソウル」が手に入ること。そしてそこには「デーモン『古い獣』」と明記されています。デーモンの親玉たる獣もまた、デーモンであったわけです。
劇中で「デーモンとは何か」という正確なところは明示されてません。なりそこないのオーラント曰く、「獣とは神が残した毒」らしいですが、獣が「デーモンを生むデーモン」であるなら、あの個体だけが特別なのか、或いは全てのデーモンとは同じ能力を持ち、中でも極めて強力な力を有したデーモンこそが「獣」であったと、それだけのことなのでしょうか。
では改めてデーモンとは何か。不明ながらもその特性は以下の二つに大別できると思われます。
- 人のイメージを元に生まれる
- 人そのものがデーモンに変ずる
基本的に『Demon's Souls』に登場するデーモンとは前者が該当するように思いますが、象徴的なのはタカアシ鎧蜘蛛でしょうか。
- タカアシ鎧蜘蛛
- ストーンファング坑道地下に巣食うデーモン。細かな蜘蛛の群れにより、地中に張りめぐらされた蜘蛛の巣から、人びとが想像した蜘蛛の王の姿でもある。硬くとがった外殻に覆われ、粘質な糸の塊と溶岩を吐き出す。
ちなみに攻略 wiki でも確認できるこのテキストは電撃オンラインから引っ張ってきたものなんですが、元は公式サイトにあったもの、と記憶しております。サーチの仕方が悪いのかもしれませんが、今は見つかりませんね。たぶん旧版のオンライン終了か PS5 版に合わせて消滅したんでしょう。
ともかくタカアシ鎧蜘蛛とは人びとが想像した姿、「でもある」そうです。細かい言い回しについて考えてしまうとキリがありませんが、人間が坑道の中に「いる」と信じた姿が、その畏怖が獣の復活に呼応して具現化したのだと解釈してよさそうです。ちなみに pixiv 大百科には『小さな蜘蛛の群れが地下に張り巡らせた巨大な巣から人々が想像した「蜘蛛の王」の姿を、原生デーモンが模倣して誕生した存在とされる。』とあります。非常に面白い仮説ではあるのですが、劇中にそのような記述は存在しないはずなので、あくまで仮説の一つであると認識しておいた方が良さそうです。
さて、人のイメージがデーモンを生むのなら、それはストーンファング最奥の「竜の神」もまた同様でしょう。
- 竜の神の要石
- 地下神殿は、竜の神を奉り鎮めると同時に これを封じ込めるためのものであった
- 穴掘りの先人は、巨大な竜骨から神を想い これを敬い、また十分に備えていたのだ
ストーンファングの地下に横たわる竜骨から察するに、古の時代には実際に竜たる存在がいたのかもしれません。時代を経てその骨を見つけた穴掘りたちは、その骨より竜の神をイメージし、信仰し、そして「どうすれば対抗できるか」すら考えました。言わば穴掘りたちの作り出した「物語」に魂が吹き込まれた結果、生まれた存在であるわけです。竜の神は恐るべきデーモンたちの中でも突出して強力であった印象がありますが、神の根幹たる「物語」には、それを封じる手立てが最初から組み込まれていました。しかし裏を返せば、斃れる運命だったからこそ強力だったのだと、そう解釈しています。
他にもボーレタリア(城)一連のボスである「塔の騎士」「つらぬきの騎士」なども、かの国に実在した騎士の伝説や功績などを基に形作られたデーモンであって、「本人そのもの」ではありませんでした。「老王オーラント」も似たような経緯で生まれたのでしょう。このようにデーモンにはまず「元ネタ」があり、それを具現化する形で生まれてくる例が目立ちます。或いはそういった「元ネタ」を拾えず、具体的な形を得られない個体が「色のない」、原生デーモンになる……なんて考えでもいいでしょうか。
一方で「人がデーモンに変わった例」としてまず挙げられるのが「乙女アストラエア」です。彼女はガル・ヴィンランドと共に腐れ谷へ赴き、やがて最奥にて君臨しました。根本的には語られませんが、忌み嫌われ、追いやられた不浄の民の救いになろうとしたのでしょう。穢れを祓うのではなく、そこにあるものとして受け入れようとした結果、しかし彼女はデーモンとして区分されます。
理屈の部分を考えるなら、谷から滑り落ちていく汚らしいものには獣の出現と共に(もしかするとそれ以前から)ソウルが宿ったのだと思います。従って谷の底には、不浄と、そこに宿ったソウルが濃く溜まる。アストラエアは穢れ無き故にその不浄のソウルの器となり、谷の主と成り得たのでしょう。その器量故にデーモンとなったのか、それとも、谷の不浄を受け入れようとする「清らかさ」そのものが、はじめから人の範疇を超えていたのか。
- ソウルブランド
- ボーレタリア王家に伝わる、魂を切る剣
- デモンブランドと対となる黒の剣、レガリアのもう一方の影
- オーラントが即位して後、常に王の手にあり続けた
- この剣の力は、使用者のソウルがデーモンに近いほどに増す
- 故に、老王オーラントはこの剣を選んだ
- デモンブランド
- ボーレタリア王家に伝わる、デーモンを切る剣
- ソウルブランドと対となる白の剣。レガリアの一方の影
- デーモンに対し、特に高い効果を発揮する
- この剣の力は、使用者のソウルがデーモンから遠いほどに増す
- 故に、老王オーラントはこの剣を選ばなかった
- 北のレガリア
- 古いボーレタリア王の証
- この剣の影がソウルブランドであり、またデモンブランドである
- ボーレタリア王家の伝承にも、その由来は多く語られないが 古い獣と共に、悪意により世界に残されたとされている
本作特有の「(キャラクターの)ソウル傾向」という概念は、 プレイヤーキャラクターの行動に悪性があったか否かを判定します。だから NPC を殺害したり、黒ファントムとして他世界に侵入し他プレイヤーを害すれば黒く染まり、逆に黒ファントムを倒すことで白くなる。悪を斬るものは善であり、善を害するものが悪という非常に単純な二元論にも思えます。しかしながらその性質によって攻撃力を増す二振りの剣は、実は一本の剣を基としました。
他者に危害を加えるものはもはや人でなくデーモンと呼ぶに相応しい。これが解であるなら、貧者の救いになる為に自らをデーモンに堕としたアストラエアは「人でなし」なのか。そんな彼女のソウルに人の本質的な力の象徴たる剣が宿ったのはなぜなのか。アストラエアが健在である限り、獣にソウルが供給され続けるなら、これを殺さねばならない。この大義のもと、谷の忌み人たちから乙女を奪う行為は完璧に正しいと言えるのか。正しいはずです。なぜなら彼女の命を滅したプレイヤーキャラクターのソウルは黒く染まらず、むしろ白く変わるのですから。ですが、考えれば考えるほどに善悪の境界が曖昧になる。
デーモンとは伝承を基に生まれます。いたかもしれない竜の神。いるはずのない蜘蛛の王。そういった定かではないものへの「畏れ」を、時に人々は、同じ人々にさえ向けます。人の畏れが魔物を生むなら、人の敵とは、つまり人。北のレガリア曰くの「悪意」とは、そういった人間の愚かしさに向けられたものなのかもしれません。
と、ちょっと補足になりますが、伝承か人間か、どこから生まれたのか判定が微妙な奴らがいます。
- デーモン「炎に潜むもの」の残した要石
- 竜骨に満たされた地下神殿の牢獄には 古くから、炎の魔物が封じ込められていた
という伝承が基になった……とは書かれていません。つまり元から本当にいたっぽいんですよね。ただこいつが何者なのかと考えるのはそう難しくなく、たぶん、獣がかつて大暴れした古い時代のデーモン、言うなれば「前回のデーモンの生き残り」だとでも考えておけばいいでしょう。
また同じく判定し難いのが彼女です。
- 吸魂
- ソウルの力を操り、デーモンを殺すものを助けた火防女は かつて最も危険な古いデーモンのひとつであった
『Demon's Souls』のかぼたんもデーモンでした。しかし果たしてどちらなんでしょうか。「デーモンが人の形をとった」のか、「人がデーモンになった」のか。前者に関しては「王の化身」たるオーラントの例があるのであり得ない話ではないはず。ただ最終盤、賢者フレーキが「あの娘はデモンに侵されている」と口にする辺り、アストラエアと似た境遇なのかなと想像していますがどうなのでしょう。
では、古い獣は? デーモンを生むデーモン、その大本の獣はどうなんでしょう。人の畏れが時に人をデーモンに変えるなら、或いは……。
けものはいてものけものはいない。ただし古い獣、テメーはダメだ。
みんな大好き『DARK SOULS』。何も無かった灰の時代に突如灯った「火」の話。このはじまりの火から王のソウルを見出した内、イザリスという魔女が「混沌」という炎を生み出しまして、そして混沌より生じた魔物は「デーモン」と呼ばれました。
全ては同じ世界の出来事である、という内容の記事なのでそれを前提としていくわけですが、では『Demon's Souls』と『DARK SOULS』のデーモンとは同じ存在なのでしょうか。というかそもそも、どっちの時代が先なんでしょうね。明記されていないということは何とでも言えるわけですが、当サイトの解釈としては『Demon's Souls』とは『DARK SOULS』シリーズの後に位置すると考えています。なぜそう言えるのかに当たって提示できる要因は幾つかありますが、その内重要なものがデーモンと混沌の存在です。
というわけで『DARK SOULS』におけるデーモンの話題に移行するんですが、奴らは「混沌の炎の獣」なのだそうです。そう、「獣」です。だから『Demon's Souls』における「古い獣」とは、この「混沌の炎の獣」の生き残りだったんです! ……という雑な話で済めば楽なんですけどね。もうちょっとちゃんとやりましょうか。
- 混沌の嵐(『1』)
- 「最初の火」を作ろうとした魔女の野心は 異形の生命の苗床、混沌の炎を生み出した
- 混沌の嵐(『3』)
- 全てを飲み込んだ混沌の炎は、やがて苗床となり 異形の者たち、デーモンを生んだという
- 王のソウル(混沌の苗床)
- 魔女はソウルから「最初の火」を作ろうとし 歪んだ混沌の炎の獣を生み出した
- すべてのデーモンの苗床となったその力は 王の器を占めるに足るものだ
- 苗床の残滓
- デーモンを生んだ苗床の残滓
- 周囲を焼き尽くす、混沌の炎を投げつける
- 炎から生まれたデーモンたちは その燻りを宿し滅びゆく
- それは、火と人々の今でもある
ドジっ娘魔女イザリスがうっかり混沌の炎を生んでしまい、そこから生じた異形がデーモンという名で呼び表されているようです。では実際にデーモンがどういう形で混沌から生じるのかというと正直よく分かってないのですが、唯一取っ掛かりになりそうな描写がされているのが「百足のデーモン」と「楔のデーモン」でしょうか。
- 黒焦げた橙の指輪
- 魔女の魔力が込められた橙の指輪
- 生まれながらに溶岩に苛まれる「爛れ」のために 姉である魔女たちが贈った特別な指輪だが
- 愚かな彼は、それをすぐに落としてしまい 恐ろしい百足のデーモンが生まれたのだ
- くさびの刺又
- くさびの原盤から生まれた顔のない石の魔物
橙の指輪や楔の原盤に混沌が感応した結果、あれらのデーモンが生まれたと考えていいのでしょうか。楔のデーモンに関しては非混沌産という見方もあるようですが、廃都イザリスに無限湧きする辺り素直に混沌由来と考えていいと思っているので当サイトではそう扱います。またデーモン遺跡近辺に沸く太陽虫も、太陽のメダルが混沌の炎で生物化したものだとも。そうした上で、合わせて以下の画像もインスピレーションの一助になるでしょうか。
ラム肉と牛骨
祭祀場のコルニクス、そして大書庫にて「内なる大力」を持つ遺体の画像です。カラスはよくわからない(コルニクスの装飾に由来するものか、おやつ)として、周囲の遺骸が、それぞれ「羊」や「牛」に見えるんですよね。画像の両者が共に呪術師だとして、これ牛頭のデーモンと山羊頭のデーモンと何か関わりがあるとみていいんじゃないでしょうか。
- イザリスの杖
- 後に混沌の火を生み出した彼女たちは 魔術師であると同時に祈祷師でもあり 故にこの杖は信仰補正を持っている
呪術の祖、イザリスの魔女たち。彼女たちは魔術師であると同時に祈祷師でもあったそうです。これは想像ですが、もしかすると火への信仰があった彼女たちは、火を熾す触媒として動物を生贄ないし死骸などを火にくべる慣習があったのかもしれません。そして混沌が生まれた後、それらの慣習がデーモンの源泉となり、くべた動物たちが牛頭のデーモンや山羊頭のデーモンとして形を為したという想像です。呪術師たちが周囲に配置する動物の死骸は、魔女たちの信仰の名残なのだと。また百足を生んだ橙の指輪の宝石は「琥珀」であり、中には百足が封入されていたことが同型の魔物を生んだのではという意見を頂き、なるほどの一言。しかしデーモン化の触媒にモデルとなる生物が存在すると考えてしまうと、はぐれデーモンのように、元の生物が想像できない個体の説明がつきません。より根源的な働きかけが存在するのではないでしょうか。
思うにそれは、「信仰」そのものなのだと。祈祷師でもあったイザリスの魔女たちは、恐らく最初の火に焦がれ、それを信仰していました。だから生贄云々は直接的な原因ではなく、彼女たちが火に捧げ、思い描いた空想、祈り、物語、それらを混沌の炎が反映させた結果、生まれてしまった命。それが「デーモン」だったんです。
- 回復(『1』)
- 奇跡とは、神々の物語を学び その恩恵を祈り受ける業である
即ちデーモンとはそれ自体がある種の「奇跡」であり、神に纏わる「物語」をベースに形作られている。『3』に登場する天使についても似たような話をした覚えがありますね。太古、牛や羊を捧げた魔女たちの「物語」を、或いは彼女たちが炎の中に見出し空想した怪物を雛型として、デーモンとは形を得たのではないでしょうか。
さてデーモンとは混沌からニョキリと生じるイメージのみで語れるものではなく、「触れた物質や生物を異形(デーモン)化させる」ことでも生まれてくるようです。それが先の百足のデーモンや楔のデーモンであるかもしれず、そしてその影響は混沌の魔女の一柱であるクラーグ自身にも及びました。『2』では元人間と思わしき「貪りデーモン」なんかも出てきます。唄うデーモンも人っぽい面影がありますがどうでしょうか。困ったことに『2』では「熔けた土」の概念や黒騎士武器のデーモン特効が消え失せてしまっているのも手伝い、何とも判断材料が乏しいのですが、それでも「人間であったものがデーモンへと変わった」かもしれないという点は控えておくべきでしょう。
ところで『2』と言えば呪術の仕様変更がなされました。『1』の呪術は触媒の強化依存でしたが、『2』以降からは信仰と理力も反映されるようになります。これはイザリスの魔女たちが「魔術師であり祈祷師だった」というバックボーンに由来すると思われますが、それは呪術の、そして混沌そのものの性質に通じるでしょう。理力だけでなく祈りが力になる。呪術とは魔術でありながら奇跡でもあり、だからこそ混沌は奇跡(物語)に感応しデーモンを生むんです。それは贄として捧げた牛や羊がデーモンとなって顕れたように、後世、巨大な骨を見た人々の畏れが竜の神の伝承を実現させたように、坑道に張り巡らされた巣が存在しない蜘蛛の王の物語を、そして高名な騎士たちの逸話が、それぞれをモデルとしたデーモンを生み出したように。そして混沌は人をもデーモンに変える。
古い獣がもたらした魔法と奇跡。その根源は同じものでした。
- 獣のタリスマン
- 古い獣の似姿となる、古木のお守り
- 奇跡、魔法の両方を使用できる
- 神の象徴は、古い獣の似姿にすぎなかった
神がデーモンに抗するべく授けたと、聖職者が信じる力もまた、獣がもたらしたものでした。北のレガリアが示すように同じ力の異なる側面でしかなかったわけです。それが「獣のタリスマン」によって統一されたことで魔法(奇跡)は真の力を発揮します。そしてそれは『DARK SOULS』における「魔術」「奇跡」「呪術」の関係に、似る。
結論を言います。古い獣とは混沌の力を宿していました。だから獣の復活と共に発生したソウルの力とは、紐解けば混沌に由来するものであり、そして混沌とはかつて「魔術師であり祈祷師であった」魔女が生んでしまった力。故にそれは魔術であり、奇跡として枝分かれするんです。後世の魔術師と聖職者は、その力の片面を修めたに過ぎず、必然、極めれば同じ場所に行き着くわけです。フレーキが獣の正体を察し、ソウルの深奥に迫りつつあったのは、彼が元々聖職者であるが故、混沌が持つ性質の両面を熟知できたからなんじゃないでしょうか。
「はじまりの火が、消えていきます すぐに暗闇が訪れるでしょう。…そして、いつかきっと暗闇に、小さな火たちが現れます。王たちの継いだ残り火が」
深海の時代に現れる「残り火」については幾つかの記事で言及してきました。その上で、楔の神殿の火防女が守る「火」が何だったかと言えば、古い獣が宿す「混沌」だったのかなと思います。それはイザリスが見出した王のソウルそのものではなく、どこか変質を遂げてしまったのかもしれませんが、それでも受け継がれ、再び灯ったかもしれない残り火なのでしょう。
- デーモンの王子のソウル
- ひとつの混沌から生じたデーモンたちは多くのものを共有する
- 王子の誇り、その消えかけた炎ですらも
- そして最後の一体が、それを再び灯したのだ
もしかすると、エサの供給源であるデーモン達が滅んだことで古い獣が蠢きだすのは、この性質に通じる部分があるんじゃないでしょうか。滅亡に瀕することで、しかし強く燃え盛る。デーモンとはどうしようもなく、そういう生き物なのかもしれません。
というわけで『DARK SOULS』と『Demon's Souls』が地続きであるなら、ふんわりとこのような形になるかなと考えます。そして『DARK SOULS』と『Bloodborne』の繋がりは、これまで散々考えてきました。では『Demon's Souls』と『Bloodborne』はどうでしょうか。ちなみに意外に思うかもしれませんが、「世界観の繋がり」を示唆する情報としては後者二作品の方が明確だったりします。というのも、『Bloodborne』α テスト版のガスコイン神父が「アンバサ」と口にするシーンがあるんですね。
- 神父シリーズ
- 古狩人ガスコインの〇〇
- なお神父とは、元々が異邦の聖職者であった故の呼び名であり 医療教会では、神父という敬称は使用されない
つまりヤーナムにとって異教に属するガスコイン神父とは、その実いわゆる「アンバサ教」の信徒だったわけです。ただこの考えは願望込みですし、実際には本編で削っている事実が存在します。そうでなくても唯のファンサービスだったのかもしれません。なのでもうちょっと別の角度からも掘り進んでみましょう。
というわけで、王や英雄たちの継いだ偉大なソウルは、消えたかに見えても、いずれ再び現れる。そんな話でした。深海の時代ではそれらを巡る物語が展開されていくのだとすれば、かつて最古の王たちが見出した業もまた、その限りなのでしょうか。
発火 / 火炎噴流 / 炎の嵐
- 骨炭の仮面
- 最古の番人たちの、骨炭の仮面
- 上位者たちの眠りを守る番人たちは その姿と魂を業火に焼かれ、灰として永き生を得たという
- 鋭く尖った大きな帽子は、古い番人のシンボルであり 彼らがある種の罪人であった証であると考えられている
- 骨灰シリーズ(他)
- 最古の番人たちの、骨炭の〇〇
- 故にその〇〇は、いまや白く筋張った脆い骨炭にすぎないが それでもなお、我々には理解できぬ遺失技術の神秘を残している
聖杯ダンジョンを練り歩く旧主の番人たち。その「業火に焼かれ灰となった」成り立ちは黒騎士を、「尖った帽子」は不死隊や黒魔女をそれぞれ彷彿とさせるのですが今は置いておき、着目すべきはその炎の業でしょう。その飽くほどに見た呪術の姿がただのオマージュでないのなら、ここから読み解けるものはなんでしょうか。
興味深いのは番人たちが扱う呪術に「発火」「炎の嵐」が含まれる点です。『Demon's Souls』において同魔法は、魔女ユーリアから習うものでした。そして魔女ユーリアの魔法は、フレーキ曰く「奇跡に近い」ものであり、つまり「魔術であり奇跡でもある」呪術の在り方により近い業であることが読み取れます。その魔女の魔法を、魔女に似た風貌の番人が扱うのは、何だか含みを感じてしまう次第。
もう一点気にしたいのは「触媒」の不在です。呪術をはじめ魔法の使用には触媒を必要としますが、番人たちはその手に何も所持していないように見えます。もちろん番人装備を身に着けた狩人が炎を扱えるようになるということもありません。それとも番人たちはその手に何らかの触媒を有しているのに、ある種の啓蒙に欠けたプレイヤーには認識できないだけなのでしょうか。
そこで注目したいのは、番人たちが宿す「燻り」です。
燻りの有無
分かりづらいですが、狩人が纏う装備と異なり、番人には「燻り」が確認できることがお分かりでしょうか。これはかつて滅びゆくデーモン遺跡に見られた「燻り」や、「残り火」としてのそれを彷彿とさせるものです。そして「燻り」が、即ち混沌の力を宿すことであるならば、これには実は前例があります。
- ローリアンの大剣
- 王子ロスリックの兄、ローリアンの特大剣
- 燻りを宿した溶鉄は、黒く染まっている
- それは弟の呪いを受ける前
- 騎士ローリアンは唯一人でデーモンの王子を殺し 以来その大剣は、炎に焼かれ続けているという
- 戦技は「ローリアンの炎」
- 踏み込みは、燻りを激しい炎に変え またその勢いのまま、強攻撃で炎を地に走らせる
混沌は焼いたものに炎を宿す性質があります。番人たちを焼いたという業火もまた混沌であったと仮定するならば、その燻りこそが彼らを後世の呪術師たらしめているんじゃないかと推測したわけです。
では旧主の番犬のこれはどうでしょう。
混沌どうでしょう
巻き散らかされるマグマは混沌の炎に見えます。だとして、この「混沌の炎を宿す獣」が何者であるか、と安易に結論づける前に気に留めておかないといけないことが二つあります。まず一つが、この番犬が獣化者である可能性です。人が獣になる幾つかの原因のうち、一つが「祈り」であるという仮説を以前に立てました。
関連記事 : 獣の病、完全予防マニュアル
『Bloodborne』のボス級獣化者のうち殆ど、或いは全てが聖職者であること、そして哀れな NPC ギルバートの最期のセリフが「祈り」であることからの推察です。祈った者が獣になる。つまり信仰により多くのステータスを割り振ったものがより強力な獣になるのであり、必然、聖職者こそが恐ろしい獣になります。ついでに言えば、イルシールに潜む獣もまた「祈って」いました。ヤーナムとイルシールの双方に、願いに感応する「月」が昇っていたというのも共通項でしょうか。(これは余談ですが、トゥメル=イルの「イル」はイルシールの「イル」と同じものを指しているなんて考察もあります。つまり「月」。面白い)
番犬が獣化者であるなら、その正体は「祈りを知る者」であったのではないかと。
そして気に留めておかなければならない二つの内、もう一つ。以前から述べてきましたが、地下遺跡とは「悪夢」に至る道でした。悪夢に潜む敵が地下に出現することなどが根拠となるでしょうか。古く、人間性と呼ばれる小さな闇のソウルは、その重さ故にどこまでも沈んでいき、澱んだ場所には「深み」と呼ばれる領域が形成されました。そこは神秘が希薄となった時代において、未だそれが成立する世界であり、故に探索者はあらゆる経路で「悪夢」を追い求め、中でも物理的深度に目を向けた結果が「地下遺跡」でした。深い場所には神秘が澱んでいる。例えその本質が闇であったとしても、それは確かにソウルであり、つまりは「魔力」と呼ぶに差し支えのないものではないでしょうか。
そもそも不思議なもので、『Bloodborne』において炎とは少し特殊な位置にありました。光線や隕石を放ち、雷さえ招来できるにも関わらず、炎を起こす秘儀だけが手に入らない。それは獣狩りにとってこれ以上なく有用だというのに。何かが足りないのでしょうか。何が必要なのでしょうか。まず「信仰」と、そして「理力」或いは「魔力」なのだと思います。
炎の秘儀は一部を除き地表では叶わず、しかし地下遺跡の番人や獣はそれを自在に操る。理由としては、悪夢の世界においてのみ、炎の源、その片割れである「魔力」が潤沢であるからだと考えます。後は単純な連想です。かつて呪術がそうであったように、魔力と信仰がある種の炎を強めるのなら、非現実的なまでに魔力が豊富な場所で、獣と化すほどの祈りが揃ったならば、そこには再び灯り得るのではないでしょうか。
即ち混沌の炎が。
だからこそ地下遺跡の番犬がそうであったように、悪夢の中、最初の聖職者の獣であるローレンスもまた、同じ炎を宿したんです。
初代教区長ローレンス
連想ゲームです。デーモンが混沌より生じ、人が莫大な祈りと魔力によって体内に混沌を灯し得るのだとすれば、極大まで成熟した獣化者とは、「デーモンを生むデーモン」に成り得る。図らずもローレンスは、人が持つおぞましい可能性を体現してしまったのです。そして或いは、「獣の古い伝承」をも。
- 教会の杭
- 医療教会の古い「仕掛け武器」の1つ
- 獣の古い伝承にある、大型の杭を狩り武器に仕立てたもの
さらっと言ってますが、獣の古い伝承とはどんな内容でしょう。ヤーナムの前身として獣の病に沈んだローランを指すのか、或いは「獣の古い伝承」とは、「古い獣の伝承」と言い換えられるべきものなのか。あの話がどういう形で伝わったのかは分かりませんが、もしかすると古い獣を封じる「楔」そのものが杭として表されたものなのでしょうか。
強い祈りが人を獣とし、そこに魔力が加われることで人はデモンズソウルをも宿し得る。『Bloodborne』で描かれた「人の獣への変異」は、もしかすれば『Demon's Souls』の答え合わせであったのでしょうか。つまり大いなるデーモンたる「古い獣」もまた、いつかどこかで「神へと祈った人」だったのだと。
それは獣を超える獣にして、もしかすれば上位者にすら匹敵する異形。医療教会、初代教区長たるローレンスとは、血の医療が生んだデーモンだったんです。
「我ら血によって人となり、人を超え、また人を失う」
ここで補足というか豆知識。検索すると複数のサイトで言及されていることですが、ローレンス(Laurence)の名には原形となる名前が存在するそうです。とっくにご存じだったら申し訳ありません。ラウレンティウス(Laurentius)、または、ラレンティウスです。
大沼の呪術師ラレンティウス
大沼の呪術師ラレンティウス、そして聖職者ローレンス。時代を超え、二人の男が同じ名を持つことは何を意味するのでしょうか。設定した側が意図していない可能性だってあるでしょう。しかしながら、同じ名の二人が、方や呪術に、方や混沌に飲まれた。その名を持つ者は、炎に沈む運命だと言わんばかりに。
では最後に、なぜオーラント王はなりそこなったのか。そもそも何になろうとしたのでしょうか。
「もとより、世界とは悲劇だ。故に、神は獣という毒を残した。ソウルを奪い、すべての悲劇を終わらせるためにな!」
「デーモンを殺す剣」と「デーモンの為の剣」がそれぞれ一振りの剣の影であったように、そして相反すると語られた魔法と奇跡が一つの力であったように、誰かが正しいと信じるものは、それを正しいと信じる者にとっての悪性と表裏の関係にありました。そういった世界の二面性をこそ「悲劇」と呼んだのだとすれば、オーラントは全て獣に食わせ、終わらせてしまいたかったのでしょうか。どうせ同じものなら、全てを一つに。炎にゴミを投げ入れて燃やし尽くすように。せめて自分の手で全て喰い尽くしてしまいたかったのかもしれません。
人は人でありながらデモンズソウルを獲得します。それは乙女アストラエアや黄衣の翁がそうであったように、或いは古い獣もまた、人としてデモンズソウルを宿しました。人とデーモンの境界が曖昧であるのなら、人は生まれながらにしてある種のデーモンと言えなくもない。
しかし全てのデーモンの中において、「なりそこないのオーラント」だけがデモンズソウルを落とさなかった。オーラントが「余のデーモン」と称した王の化身が、人々からの畏怖で作り上げられた似姿だったのだとして、その一方で本物の王はどこにも至ることが出来ませんでした。
信仰が、祈りが、物語こそがデーモンを生むのなら、オーラントに欠けていたものはそれだったのかもしれません。世界の悲劇を嘆き、獣と神の存在を紐づけておきながら、いや、だからこそ祈ることもできず、デーモンになりそこなってしまった。自身のソウルが人非ざると自覚していた老王は、しかしその実、蕩けた姿の人間として幕を下ろしたのです。(と、言いつつデモンブランドの対デーモン特攻は入るんですけどね)
ちなみに聖職者の獣と『DARK SOULS 3』に登場する「人の膿」は、動作や外見上の特徴を共有します。その理由は散々述べて来たので繰り返しませんが、この人の膿と、なりそこないのオーラントの外形は似ているように見えます。あくまでそう見えるという話なのでこの解釈はそこまで推そうと思わないのですが、もしも人の膿が獣化者の「なりそこない」であったなら、それが老王の有様と似せられた理由なのかもしれません。祈ったものが獣になるなら、祈りを知らないものは、獣にすらなれない。
「獣」と特徴を共有し、「なれなかった」もの
かくして、霧の裂け目よりボーレタリアに入り込んだ最後の希望は、終に獣と見えました。それが新たな要人の誕生を意味するにせよ、メチャ強なデーモンの生誕を意味するにせよ、既に失われたソウルが戻ることはありません。全て獣の腹の中です。さながら集めた薪が火にくべられ、二度と還らぬように。混沌もまた王のソウルの一面であるなら、その光景もまた、「火継ぎ」と呼べるでしょうか。
火と楔と血の話。連綿と続く、火と人々の物語でした。
火防女。人の歴史に寄りそう者。
以上です。まとまった……か……? ということで、これにて「火と楔と血の話」シリーズは終わりますが、冒頭でも述べた通り、「世界観の繋がり」に関する記事は今後もまだやります。長らくお付き合い頂いた方には今後もよろしくお願い致しまして、この記事から偶然入ったという方は、暇つぶしでもいいので他の記事も読んでやってください。
ではまた。