御存じですか? 世の中には『ELDEN RING』が『DARK SOULS』など他シリーズと繋がっているとほざく不心得者が存在しているそうです。許せないですよね。恥を知って欲しい。というわけでそんな危険思想が蔓延する世の中に警笛を鳴らすべく、あえて『ELDEN RING』と『DARK SOULS』が繋がっているという内容の記事を書いていきます。本当に許せねえよ。
はい。『ELDEN RING』については過去にこんな記事を書いております。
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読まなくていいです。内容を要約すると、太古の昔に「大いなる意志」が狭間の地に降らせたエルデの流星、これが言わば「種」であり、後々の黄金樹になった。そしてそんな規格外の超植物である黄金樹は、「坩堝」という原初の生命を栄養にして育ったのではないか。小黄金樹の周囲で割れた壺は、そこに詰め込まれた戦士の遺体が肥料とされていたことを示しており、即ち原初、黄金樹が坩堝から生命を吸い上げて育った、その有りようを示唆する為の似姿だったわけです。『ELDEN RING』とは黄金樹を巡る物語でしたが、そのはじまりには「るつぼ」なる巨大な「つぼ」がありました。
- 坩堝の諸相
- それは、黄金樹の原初たる生命の力 坩堝の諸相のひとつである
- かつて、生命は混じり合っていた
黄金樹の始まりには「坩堝」がありました。しかし少々引っかかるものもあります。そも「坩堝」とは何らかの物体を放り込み高温で融解、合成するための器を指します。かつて数多の生命が坩堝の中で混じり合い、尚も表出した諸相が、さながら高温の器の中の「溶け残り」だと解釈するなら、或いは坩堝へと放り込まれる以前の姿が、生命には存在していたのではないでしょうか。
かつて生命は混じり合っていた。では、その前は?
古い時代
世界はまだ分かたれず、霧に覆われ 灰色の岩と太陽と、朽ちぬ古竜ばかりがあった。
だが、いつかはじめての火がおこり 火と共に差異がもたらされた
熱と冷たさと、生と死と、そして光と闇と
古く、差異の無い灰の時代に「はじまりの火」が熾り、以降、世界には「違い」が生まれました。『DARK SOULS』とは、この火と、火によって切り分けられた「違い」を維持しようとする神々と人々の物語でした。しかし幾代続いたのか、火は火であるが故に不滅ではあり得ず、やがて消えていきます。そして闇が残る。
そんな火の時代の末期において奇妙な現象が世界を覆い尽くします。
「火の時代が終わるとき、すべての地は最果てに吹き溜まる」
DLC 2 の舞台、吹き溜まり。火の終わりに呼応し、世界は最果てへと流れ、寄り集まっていきます。なぜこんなことが起きたのかと言えば、闇に掛けられた「火の封」が解けかかっているからでしょう。
- 輪の騎士シリーズ
- 古い人の防具は、深淵によって鍛えられ 僅かにだが生を帯びる
- そしてそれ故に、持ち主たちと同様に 神々に火の封を施されたという
闇もまた火から切り分けられた「違い」の一種。本来であれば火と闇は相反さず、むしろ火の傍でその濃さをいや増しさえするであろう暗闇が、しかし火の最盛と共に鎮まるのは、そこに「火の封」が施されていたからなのだと思います。
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それが解けた。火の陰りに闇を阻むものはなく、その特性も遺憾なく発揮されます。
闇の特性。ここで重要になるのは「重さ」と「誘因性」でしょうか。
- 亡者の貴石
- 亡者の武器は人の本質を見るといい その攻撃力は運により高まる
- 黒炎
- ウーラシールに迷い込んだある呪術師が 深淵の闇に見出した呪術
- 黒い炎はとても重く、物理的なダメージを伴う
- 尋常な盾などは、弾きとばしてしまうだろう
人の本質、即ち人間性とは従来アイテム発見力(運)として顕れました。言い換えれば「欲しいものを手に入れる力」こそ人の、引いては闇が持つ特性の一つだったと言えます。そしてもう一つが「重さ」。スタミナ削り程度にしか認知されていなかったこの特性は、しかし火の陰りにおいてとてつもない効果を及ぼすことになるのでした。
「重さ」、重力と言い換えましょうか。これを考えるに、より大きな「重力」が他の物体を強く引き寄せるように、火の末期において世界はとても強い重力に支配されていたことが想像できます。小さな人間性ですらあれだけ重いのです。人間性の根源、はじまりの闇。吹き溜まりの核たる最果てにはそれがありました。「暗い魂」という、世界で最も重いものが。
故に火の陰り、火の封という蓋が開いたことで闇の誘因力は世界全土を引き寄せ始めます。恐らくですが、吹き溜まりの時代より少し前、ロスリックへと薪の王たちの故郷が流れ着いたのはこの漏れかけた誘因性の為だと推測します。闇は火を求めるもの。故に比較的誘因性が弱かった時代において、強い火の名残たる薪の王由来の土地をまず引き寄せたのではないでしょうか。「重さ」とは、人の本質たる「運」と強い関連性があるのでしょう。欲しいから引き寄せるのか、引き寄せてしまうから「欲しい」のか。闇の真意は不明ですが、とにもかくにも時代の終わり、陰った火の名残をかき集めるように、蛇が自分の尾を喰らうように、底なしの貪欲さを以って、闇は世界を丸のみにした……これが、当サイトが想像する「火継ぎの終わり」のその後です。
さて「その後」の、更に後を想像してみます。吹き溜まり続けた世界や生命は闇に飲み込まれていき、やがて一つになったのでしょうか。星が自分自身の重力によって収縮し、その密度と温度を高めていくように、闇と、闇が飲み込んだものもまたグツグツと煮立ち、解け合わさっていくのでしょうか。
坩堝のできあがりです。
諸相が坩堝の「溶け残り」であり、逆接的に坩堝以前の姿が存在していたことを示すなら、それは火の時代の追憶と呼べるでしょうか。
- ハイータ
- 「…すべては、大きなひとつから、分かたれた。分かたれ、産まれ、心を持った。けれどそれは、大いなる意志の過ちだった。苦痛、絶望、そして呪い。あらゆる罪と苦しみ。それらはみな、過ちにより生じた。だから、戻さなくてはならない。混沌の黄色い火で、何もかもを焼き溶かし、すべてを、大きなひとつに…」
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再度の引用になりますが、この記事では大いなる意志の目的について推測しました。黄金樹とは坩堝から生命を吸い上げ、新たな生命を実らせ、また実らせた生命を「還樹」という手段で回帰させる。この仕組みこそ黄金律です。そして黄金律の目的とは、この循環の中で生まれ出でる「忌み」をろ過することにあるのではないか。黄金樹とはある種のフィルターであり、繰り返される循環の先、「忌み」を取り除かれ続けた黄金は、よりその純度を上げていく。やがて訪れるであろう完全な黄金こそ、大いなる意志の欲するものではないか。そんな内容の記事でした。
というわけで坩堝とは闇と、闇により誘因された数多の生命が混ざり合ったものと考えます。ならば「忌み」とは、闇、ないし深淵にまつわるものではないかと。忌み子に見られる忌み角とは、そもそも深淵を由来するものの特徴の一つでした。
捻じれた角
深淵の武器、そして深淵の主マヌスなどに見られる「捻じれた角」。故に忌み子が深淵に類する者なら、黄金律とは、グツグツに溶け合わさった壺の中身から「闇」のみを選り分けるシステムなのだと考えてみます。闇と闇でないもののブレンドから闇だけを排出する。後に残る黄金とは何か。それは分かりやすく、「火」なのではないかと。
かつて灰の時代に火は熾りました。ならば大いなる意志の目的とは、それかもしれません。火の無き世界に、再びの火を。或いは、火と同等の黄金を。
ここまで仮定した上で、火(黄金)を望むもの、「大いなる意志」とは何者なのでしょうか。黄金から闇(忌み)を排斥しようとしているのだから、シンプルに闇と敵対する者と考えられるかもしれません。しかし気になるのは「指」の存在です。元来「手」とは「捻じれた角」と並ぶ深淵(闇)が持つ特徴の一つでした。
「手」と「指」
肥大した腕
ラニイベントで辿り着くことになるマヌス・セリスの大教会ですが、最奥には指が横たわっていました。かの深淵の主も由来は同じ。マヌスとはラテン語で「手」を意味するようですが、深淵に属する者たちの手が肥大して見えるのは、それが欲の象徴だからでしょう。元来、人々は火(ソウル)を求めました。それは人の本質である闇がそれを求めたからです。前述したように人の本質とは「運」であり、その根幹には強大な「欲」がある。欲しい、喉から手が出るほどに。「手」とは欲と運の徴であり、転じて闇の証明とも言えます。指が文字通りの意味で大いなる意志の「手先」としてあるなら、黄金律とは闇なる者の意志の下に、黄金から闇を取り除こうとしているわけです。なぜか。
かつて闇と闇以外が混ぜこぜになった坩堝とは、つまるところ闇が望む形ではないからでしょう。というか深い所に沈んだソウルとは、即ち闇でしかないんです。
- 深みのソウル
- それは深みに沈み溜まったソウルであり 生命に惹かれ、対象を追尾するという
- 強い深みのソウル
- 魔術師でもあった大主教マクダネルは 聖堂に澱むソウルに歓喜したという
- 素晴らしい、ここが世界の底であると
出自がどうであろうと、闇と共に深みへ澱んだソウルとは、暗闇に染められ、穢されてしまう。言ってしまえば坩堝とは、途方もなく巨大な深みのソウルだったのでしょう。
人間性の闇をくべることで篝火が燃え盛るように、人の王を薪としてはじまりの火が燃え盛るように、ひょっとすると闇が火を欲する事とは、即ち己を火と一つとすることを意味するのではないでしょうか。そしてそれは火を穢し闇に堕とすことではない。
- デュナシャンドラ
- 「不死よ。試練を越えし不死よ。今こそ、闇とひとつに…」
黄金律とは、黄金樹とは、エルデンリングとは、暗闇を輝けるものへと転じる為に編み出されたシステムであると考えます。「忌み」とはその工程において浮かび上がってくる不純物のようなものであったのだと。
前置きが長くなりましたが、つまるところ指(手)を使役することから、大いなる意志とは闇に属するものだと考えます。それを一体何者と呼び表すべきなのでしょうか。火を望む意志が闇に由来するなら、世界で最も深く暗い闇こそが、最も強く火を望む道理でしょう。大いなる意志が、まさしくそのような巨大な闇そのものであるなら、きっとそれは火が熾り、世界に闇という概念が生まれた瞬間から、ずっとずっと「そこ」に在りました。遥かな超次元暗黒などではなく、今や星の中心、世界の底に。大いなる意志(ソウル)、「ダークソウル」として。
火とは消えるものであり、対して闇は永遠不滅。故に未来永劫に渡り、手を変え品を変え、闇は火を求め続ける宿業を背負っているのです。今回はその手品が黄金の律だったのだと、それだけの話だったのかもしれない。
「ダークソウル」のその後、それが「エルデンリング」でした。
関連記事 : 火と楔と血の話 01
- 火が消え、闇の力である「重さ」が究極に強まった果てに坩堝が生まれた
- 坩堝を肥料として黄金樹は育った
- 黄金樹とは深み(闇)のソウルである坩堝を、火か、火と同等の黄金へと変換する装置
- 大いなる意志とは、火が消えた後に尚も残る暗い魂(ダークソウル)である
今回はここまで。「01」とナンバリングする予定は無かったのですが、次回の内容を考えると同じタイトルにすべきかなと思い、唐突に決行しました。さほど時間はかけたくないですが、まあふんわりやっていきます。ではまたお会いしましょう。はー、『ELDEN RING』と他シリーズが繋がってるなんて記事書くのつれーわ。