この記事では『DARK SOULS』と『Bloodborne』の二作品を扱いますが、二つの作品世界が「繋がっている」という意味ではなく、しかし、そういうつもりで読んで頂いても構いません。あと『ポケモン』の記事ではないし、『HUNTER × HUNTER』の記事でもありません。
ソラール。アンドレイや火防女アナスタシアと同じアストラを出身地とする人物です。一作目のみの登場に関わらず、シリーズ全般に渡りその存在感を維持し続けてきた名物キャラクターと言えるでしょう。その人柄は元より、マルチプレイの切欠を与えてくれる重要な役割に加え、特筆すべきは彼の代名詞でもある「太陽賛美」のジェスチャーでしょうか。
太陽賛美
このポーズ自体は『Demon's Souls』からの続投ですが、絵面のインパクトから『DARK SOULS』シリーズそのものを顕す、ある種の記号として扱われている印象があります。そして「賛美」の意味合いを持つこのジェスチャーは、それ故にあらゆる場面で使いやすく、ソラールというキャラクター性はこういった諸々の「気持ちのよさ」が支えているんじゃないでしょうか。
曰く、彼は「太陽のようにでっかく熱くなりたい」のだそうです。
「不死となり、大王グウィンの生まれた地に俺自身の太陽を探しにきた!」
ロードランが大王の生まれた地だというのを知りつつ「自分自身の太陽」と言っているので、ソラールの目的はグウィンとの邂逅ではなさそうです。もちろん推し神に会えたら嬉しいくらいは思ってるのかもしれませんが。
結局彼の言う「俺自身の太陽」とは何か、それが劇中で明言される事はありませんでした。
「アノール・ロンドでも、日陰の病み村でも俺の太陽は見つからなかった。後は廃都イザリスか、それとも死の王の墓場か…。そんなところに、俺の太陽があるんだろうか…」
もしソラールが主人公と同じ旅路を歩いているのなら、フラムトと出会い早々に「太陽の光の神の後継になれ」と言い渡されているはず。しかし彼が彼の世界においてアノール・ロンドを征し、その上で未だ「俺の太陽」を探し続けているのなら、その太陽とはグウィンでも、火継ぎの使命でも無いんでしょう。
ただもしかすると、ソラールは我々の行く先々に現れてくれてはいたものの、選ばれた不死として大いなる使命を言い渡された訳ではなかったんじゃないかとも少し思います。彼はただ闇雲に、彼が思い浮かべる「太陽」を求めて旅を続けていた。劇中で我々が受けた恩恵やヒントすら無く、要するに何も、大王の行末も火継ぎの意味も知らないままに歩き続けていたんじゃないかと。
- 太陽印の鎧
- 太陽の騎士、アストラのソラールの鎧
- 太陽のホーリーシンボルが大きく描かれているが 自画であり、特に聖なる力があるわけではない
- ソラールの戦士としての優秀さは ただ彼のみの鍛錬によるものであり その装備はごく普通のものだったようだ
ソラールが選ばれし者でなく、強くあろうとして強くなった戦士なら、こっちの解釈の方が「彼らしい」のかもしれません。
そして廃都イザリス。再会したソラールは、太陽虫なる生物に寄生されていました。
「俺が太陽だ」などと供述しており、
ちなみに「太陽虫」なる生物は実在するみたいです。寄生虫ではないみたいですが。
- 太陽虫
- 廃都イザリスに蠢く不気味な寄生虫
- まったく動かないが、完全に死んではいない
- 頭にかぶることができ、かぶるとまぶしい光を放つ
- 太陽虫の名はその光に由来するものだ
イザリスに巣食うこの寄生虫、一体何なんでしょう。個人的な解釈としては、太陽のメダルが混沌の炎で生物化したものだと思っています。
- 太陽のメダル
- 分かちあった勝利の、なによりの名誉の証だ
- シンボルの主、太陽の光の長子は すべての記録と共に神を追われて久しいが いまだ戦神として、戦士たちを見守っている
- 黒焦げた橙の指輪
- 生まれながらに溶岩に苛まれる「爛れ」のために 姉である魔女たちが贈った特別な指輪だが 愚かな彼は、それをすぐに落としてしまい 恐ろしい百足のデーモンが生まれたのだ
太陽虫は百足のデーモンと違いデーモン特攻が入りませんが、無機物が混沌の影響で肉体を得るケースはあり得るようです。太陽虫が太陽のメダルをドロップする辺りそれなりに楽しめる解釈なんじゃないかと思っています。太陽の戦士たちを繋ぐ「協力」と「名誉」それ自体が、巡り巡ってソラールの旅を終わらせたのだとすると、何とも皮肉ではないですか。
ところで人様から指摘されて「確かに」と思ったんですが、この状態のソラールと無名の王は似ているように見えます。
ソラールと無名の王
『3』で満を持して登場した無名の王とは、太陽の光の長子その人でした。無名の王のデザインが太陽虫を参考にしたものなのか、太陽虫が無名の王を下敷きとしたデザインなのかは知りませんが、どちらにせよ髪型と王冠が似ていると見受けます。メダルのシンボルの主が長子であるという記述も、それを思えば感慨深いものがある。太陽の如くありたい、そう願った旅の末路は、哀しい事に太陽にとてもよく似ていた訳です。
余談ですが「ソラール」とはスペイン語で「太陽の(solar)」を意味するそうです。同じくスペイン語で太陽に関連する言葉に「コロナ」がありますが、こっちじゃなくて良かったね。
ルドウイーク。医療教会最初の狩人と説明がなされ、彼の名がつく仕掛け武器や僅かな記述から存在が仄めかされる他には何も分からない、言わばフロムお得意の「名前だけのキャラクター」でした。
- ヤーナムの狩〇〇
- 医療教会の最初の狩人、ルドウイークは かつてヤーナム民の中に狩人を募った
- ルドウイークの聖剣
- 教会の最初の狩人、ルドウイークが用いたことで知られ 銀の剣は、仕掛けにより重い鞘を伴い、大剣となる
- ルドウイークを端とする医療教会の工房は 狩人に、老ゲールマンとは別の流れを生み出した
- より恐ろしい獣、あるいは怪異を狩るために
- 輝く剣の狩人証
- それは聖剣の二つ名で知られる狩人たちであり 唯一、獣狩人が英雄たり得た時代の名残である
- もうずっと前のことだ
が、 DLC 最初のボスキャラとして、英雄ルドウイークは終に登場します。「醜い獣」として。
限度があるぜ。
馬を思わせるその姿は、悪夢の象徴たる魔物(ナイトメア)が馬の形を取るという伝承からでしょうか。「かつてヤーナム民の中に狩人を募った」というルドウイークは、反面、多くの民を血に酔わせ、悪夢に沈めてしまった事を意味します。故に、言わば「狩人の悪夢」を体現する存在として、醜く変態した、かつて「英雄」とさえ謳われた古狩人は、 DLC エリア最初の壁として立ちはだかります。
しかし死闘も中盤に差し掛かり、傷ついたルドウイークは幾ばくかの人間性を取り戻します。
「ああずっと、ずっと側にいてくれたのか。我が師 導きの月光よ…」
自らが背負っていた「月光」に目覚めさせられたように、「醜い獣、ルドウイーク」は「聖剣のルドウイーク」として名を変え、四足獣の如き形態は、二足にて大地を踏みしめる狩人としての姿へ移行します。
月光から覗く「人」の顔
一つの疑問に対するヒントが提示されたのだと思っています。なぜ人以上の存在であるはずの獣は、人以上に「ノコギリ」に弱いのか。それはノコギリが血を掻き出すのに適するからです。獣を獣たらしめる要因は血に宿るのであり、故に「失血」は獣化者へと深いダメージを与える。ルドウイークも例外ではなく、しかしそれ故に体力(血)を半分失った事で、彼の人間性は獣性から一時のみ解き放たれたんでしょう。
結局多くの謎を残したままルドウイークは果てるのですが、重要なキーワードとして、彼は「光」に導かれていたのだそうです。
- シモン
「不幸な男だった。だが、もう醜態をさらすこともないだろう。理想を抱いて死ぬぐらい、せめて英雄の権利だろうさ。ほら、これがルドウイークの導きの光だ。…英雄を導いた、目も眩む欺瞞の糸さ。…俺はゴメンだね…」
- 導き
- かつて月光の聖剣と共に、狩人ルドウイークが見出したカレル
- 目を閉じた暗闇に、あるいは虚空に、彼は光の小人を見出し いたずらに瞬き舞うそれに「導き」の意味を与えたという
- 故に、ルドウイークは心折れぬ。ただ狩りの中でならば
月光と共に見出された「光の糸」或いは「小人」とは何だったのか。ご覧いただきたいのが、「導き」の像が「ゴースの遺体」を表しているように見える点です。付け加えるなら「ゴースの寄生虫」そのものにも見えます。
ゴースの遺体
導き / 寄生虫
こんな記事を書きました。
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ざっくり言えば「血の遺志」が持つ多様な形態についての内容であり、「寄生虫」もまたその一種だったのではないかというものです。穢れた血が持つおぞましき性質を指し、連盟は「虫」と呼びました。ゴースやその寄生虫の似姿として「導き」のカレル文字があるなら、ルドウイークを導いた「光」とは、即ちゴースの遺志だったのではないか。
実験棟はゴースの血を拝領する場だったと過去に述べましたが、初期の医療教会はその探求の一環として、ルドウイークへと何かを施していたのかもしれません。そうして教会最初の狩人は生まれたのでしょうか。
- ルドウイーク
「…狩人よ、光の糸を見たことがあるかね? とても細く儚い。だがそれは、血と獣の香りの中で、ただ私のよすがだった。真実それが何ものかなど、決して知りたくはなかったのだよ。ヒイッ、ヒイッヒイッヒイッ…」
実験棟の最上層に一体のカラスがいました。劇中いたる所にいるそのカラスですが、しかしその個体はプレイヤーを「導く」ようにして高所から飛び降ります。そしてルドウイークが見出したものと同じ「導き」のカレルをドロップする。果たして両者に宿った「光」は、寄生虫であったのか、より根源的な「遺志」であったのか。ともかく、要はカラス程度にも宿るものだったと判明する瞬間なのでした。
余談ですが、「ルドウイーク」とは「Ludwig」を英語発音したものだそうです。ドイツ語圏であれば「ルートヴィヒ」。よって元ネタは「ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven)」だとされています。余りにも有名な作曲者である彼の作品の一つに『ピアノソナタ第 14 番』は存在します。通称「月光」です。
「太陽」と「月」に纏わる両名は、それぞれが「虫」に憑かれ、その末路を迎えたと言えます。この面のみ取り上げればルドウイークはソラールのセルフオマージュだった訳です。本記事で取り上げたかったのはそれだけなのですが、どうせなのでもう少し続けます。ルドウイークがソラールのリフレインであるなら、逆向きに深められる理解もあるのではないか。
『Bloodborne』とは狩人の物語であり、即ち血と遺志の「継承」の物語でした。
- 継承
- 「継承」とは、血の温もりに感傷を見出す様であり狩人の昏い一面、内臓攻撃により血の遺志を得る
- それは狩人の有り様である。すなわち血の遺志を継ぐ者だ
- 人形
「狩人様…あなたから、懐かしさを感じます…。やはり狩人とは、古い意志を継ぐものなのですね…」
狩りによって得る「血の遺志」。それは糧(経験値)としてだけではなく、殺した対象の、まさしく「遺志」であり、狩人はその継承者でした。振り返れば劇中で主人公は、幾人かの狩人からその意志(遺志)を継承していました。烏羽の狩人アイリーンからは「狩り」の契約と共に狩人狩りのお役目を。連盟の長ヴァルトールからは「長の鉄兜」と共に長の座を。そして最初の狩人ゲールマンから、夢の導き手としての仕事を。そして新たな月の魔物として上位者狩りを。
ブラドーが獣化した友の皮を被ったというのも、もしかするとある種の「継承」だったのかもしれません。アルフレートはどうだったでしょうか。ローゲリウスの意志を継ぐと口にし、もしかすれば果たし得たその後、しかし彼は自死を選びました。
ルドウイークは。
「…教会の狩人よ、教えてくれ。君たちは、光を見ているかね? 私がかつて願ったように、君たちこそ、教会の名誉ある剣なのかね?」
「そんなことはない」と答えると、ルドウイークは狂ったように嘶きます。
「…ああ、そうか。やはりそうだったのか。醜く歪んだ獣憑き。私を嘲り、罵倒した者たち、彼らの言うとおりだったということか。ヒッ、フヒッ ヒヒッ、ヒヒヒッ、ヒヒヒヒヒーッ すべて醒めぬ悪夢だったか…」
「継承」とは何か。遺志を継ぐとは、ともすれば狩りという血生臭い行いへの都合の良い肯定に過ぎないのかもしれません。それを名目に、実は血に酔っているだけなのかも。そしてそれもまた狩人の一面なのでしょう。ルドウイークの問いに、今度は「そうだ」と応えます。
「おお、そうか…それは、よかった…。嘲りと罵倒、それでも私は成し得たのだな。ありがとう。これでゆっくりと眠れる。暗い夜に、しかし確かに、月光を見たのだと…」
結局のところ、ルドウイークが何を見たのかは分からないままだったと思います。しかし狩人は現れ、自身と同じものを見たと言う。かくして月光は受け継がれました。その光の正体は、きっとおぞましい何かだった。しかし、それでも、それを闇を切り裂く月明かりと信じ、夜を歩んだ意志に間違いはなかった。継ぐ者の存在は、少なくとも自身の遺志が「託すに値するもの」だと、ルドウイークに信じさせたはずです。狩人の業は、ただ狩りのみではない。これが「受け継ぐ」という行為が持つ本当の力なのでしょう。
醜い獣ルドウイーク、最後に立てる寝息は、狩人のものでした。
だからソラールも同じだったのかもしれない。『DARK SOULS』もまた火とソウルの「継承」の物語でした。
「すべて、嘘だったのか… 俺は、ずっと、ずっと、そのためだけに…」
「俺の太陽」は見つからず、失意のソラールはそう呟きます。発言の内容から、ソラールの冒険は何らかの伝承や伝聞に基づいたものだったのかもしれないと推測できます。こうなってくると、ソラールは伝聞の裏付けも誰からの助けも無く、自分だけを頼りに旅をしていたという解釈がしっくりくる気がしてきました。
プレイヤーの行動如何によっては虫に憑かれるソラールですが、巧くやればその展開を防ぐことが出来ます。しかし、それはソラールの失意が消えてなくなった訳ではありません。だから項垂れるソラールが、再び立ち上がり、そして如何にして最初の火の炉へと辿り着いたのか、プレイヤーには与り知らぬその空白こそが重要だと考えます。
グウィン前のサインの解釈も人それぞれ分かれると思いますが、多くの場合、ソラールの世界は主人公のそれとはずれていて、彼は彼の世界において火を継いだのだというのが定説になっています(というか、言ってしまうと過去のラジオ『ゲームの食卓』に御出演された際にそう仄めかしている)。
であれば、グウィンは彼にとっての太陽(グウィン)に邂逅できた、そう捉えていいのでしょうか。それも良いと思いますが、個人的にはもっと前向きに捉えたい気持ちがある。
「だが、あの空に太陽を見ると、思うことがあるんだ。実は俺は、皆が、笑って囃すように…目玉が見えない、とんでもない愚か者なんじゃあないかってな…。だとしたら、ひどく滑稽なことだなあ…。ウワッハッハ」
「啓蒙」という言葉は「盲(蒙)を啓(ひら)く」、つまり閉じた目を開かせるという意味に由来するそうです。だからソラールが口にした「目玉が見えない」とは、「啓蒙」に通じる表現になります。「啓蒙」という言葉自体は『Demon's Souls』のフレーキというキャラクターが「(蒙を)拓くもの」と呼び表されていた事から、宮崎社長が当時より掲げ続けているテーマの一つなんでしょう。それが後々の『Bloodborne』にまで及び、そして意味するところは恐らく一貫している。
- 脳液
- 内なるものを自覚せず、失ってそれに気付く
- 滑稽だが、それは啓蒙の本質でもある
- 自らの血を舐め、その甘さに驚くように
結局ソラールが求めるものは、ロードランのどこにも存在しなかったのだと思います。醜い獣が、かつて失った月光を、しかしずっと傍らに在ったと気付いたように、ソラールもまた最後の最後、失意の底でようやく啓蒙を得たんです。啓蒙とは、内なる解への気付き。虫に導かれるなくとも、彼は理解したわけです、「俺が太陽だ」と。
だからソラールにとって火継ぎとは答え合わせなんです。炉のサインは、同じ太陽の後継を志す仲間への、声なき声援なのだと思いたい。彼が彼の世界で火を継いだと信じる人の多くは、きっとソラールの中に王の器を見出したはずなのですから。
太陽に会いに行く
太陽の戦士ソラール、太陽のようにでっかく熱い男でした。