『ELDEN RING』と他シリーズの繋がりを考えていく、いつものやつ。
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読まなくて大丈夫。要は前提条件として、「ああこいつは『ELDEN RING』は火の時代の後だと想定しているんだな」と思って頂ければいいです。じゃあやっていくかぁ。
黒炎。それは人間性の炎であり、深淵から生じるのだと言います。
- 黒炎 - 『DARK SOULS』
- 黒い炎はとても重く、物理的なダメージを伴う
- 黒炎 - 『DARK SOULS 3』
- 深淵より生じる黒い炎は 陰を生まず、何者も分かたないという
- それは人間性の火であると
- 黒炎 - 『ELDEN RING』
- 黒炎は、重い炎であり ダメージを与えた後、ごく短時間の間 HPを細かく削り続ける
人間性は重く、よってその炎も重い。『ELDEN RING』ではここに HP を削る効果が付与されてますが、何も後付けってわけではありません。
- 闇の霧 - 『DARK SOULS 2』
- 効果が似ていることから毒とされるが 実際はより本質的なものが蝕まれている
- 闇術が禁忌とされる所以はこうしたところにある
人間性とは、闇とは「蝕む」ものでした。だから深みには蟲が潜むし、火防女は今日もその魂を人間性に蝕まれる。だったら黒い炎が人を蝕んだっていいでしょうが。
しかし闇を恐れることはありません。なぜなら闇は人の本質なのだから。
- エリザベス
- 「騎士アルトリウスが、これを留めに向かいましたが 英雄とて、所詮は闇を持たぬ者。いずれは深淵に飲まれ、闇に食われてしまうでしょう」
闇とは、かつて狼騎士アルトリウスがそうであったように、それを持たぬ者にとってこそ真なる脅威となる。以てこれは「神狩り」の炎となるわけです。
- 薙ぎ払う黒炎
- 黒炎とは、すなわち神狩りの炎であった
「人ならざる者」への特効である人間性の炎、それを纏った剣であれば、何だって斬れる。どんな怪異だって、神様だって、竜胤の御子だって。
女王の黒炎 / 黒の不死斬り
運命の死 / 秘伝・不死斬り
『隻狼』の舞台、葦名。恐らく『ELDEN RING』において「葦の地」と称される場所、その遠い未来だと想像していますが、そこには「不死斬り」なる二振りの大太刀がありました。黒と赤の不死斬りは、同じ「不死を斬る大太刀」なれど、厳密には「黒炎」と「死のルーン」という、異なるメカニズムが働いていた……という話をしたいが為にこの記事は書かれているので、がんばってついてきてくれよな。
というわけでして、死なぬものすら斬り殺す、その黒と赤の秘は何か。後者に関しては以前ちょっと触れましたが、ご丁寧にもう片方まで揃っていましたね。赤い方は後述するとして、まずは黒い方に触れていきましょう。つまるところ、黒の不死斬りの由来とは人間性の炎だったのだろうと。
さて黒炎。それは闇の炎でありますが、闇には「重さ」や「蝕み」の他、正反対とも言える特性がありました。
- 『DARK SOULS』OP
- そして、闇より生まれた幾匹かが 火に惹かれ、王のソウルを見出した
- 輪の騎士の武器
- 古い人の武器は、深淵によって鍛えられ 僅かにだが生を帯びる
- そしてそれ故に、持ち主たちと同様に 神々に火の封を施されたという
原始、王たちを生み出したことから始まり、闇(深淵)とは「生」を与えもしました。そして黒の不死斬り「開門」。それは黄泉返りの大太刀でした。
黄泉返り
葦名一心。一度は死したはずの剣聖が弦一郎の中から再び現れたのは、この黒き炎が持つ「生を与える力」故でしょうか。しかし劇中で言っていたように、黄泉返りには竜胤が不可欠だったようです。
- 黒の巻物
- 即ち、黒の不死斬り。その銘は「開門」
- 黄泉への門を開く刀なり
- 黒は転じて生を為す
- 竜胤を供物に乞い給え…
確か(たぶん)まだ記事にしていなかった癖に長くなるので端折りますが、竜胤の根っこには「月の力」があると考えています(その示唆の一端が、「胤」に込められた「月」の字)。そして月の力とは信仰から魔力を生み出すものであり、言い換えれば「別のものに変えてしまう」特性ともなるでしょうか。
「生まれ変わりの母」ロザリア、「満月の女王」レナラの産み直しにも通じるだろうと考えていますが、深淵の「生」と竜胤の「月」、双方が持つ特性が噛み合わさることで、葦名一心の「生まれ直し」は為されたのではないかと、現段階ではそのような仮説を立てています。
黒の不死斬り「開門」。死なずを死なせるその力も、死人を返す生なる力も、その根源には暗い闇が関与しました。ならばもう一振りの不死斬りはどうでしょうか。
死。それはかつて、はじまりの火と共に世界にもたらされた差異のひとつでした。
何度も言ってて恐縮ですが、「死」とはそれ自体が一つのエネルギー……ソウルの一種でした。「生を失った状態」とは、同時に「死を得た状態」とも言え、しかし尋常の方法ではそれを糧に活動することは叶いません。だから死者は動かず、何らかの方法で外部から律することで初めて動き出すわけです、普通であれば。
一つの肉体に生と死は同居できない。よってもし「死を与える」方法が存在するのならば、対象は問答無用で「生を失う」ことになる。極々当たり前の帰結として、死は「生きとし生けるもの」全てへの特効となります。神も人も関係ありません。この身も蓋も無い強制力こそが、死なぬものすら殺す「運命の死」。赤の不死斬りとは、この死のルーンを根本原理とする大太刀だったのでしょう。
秘伝・不死斬り
黒き剣
少し話は逸れますが、「最初の死者」ニトがかつて見出した、死。これが巡り巡ってゴッドウィンを殺したわけです。
- ストーリートレーラー
- 「死のルーンが盗まれ、黄金のゴッドウィンがデミゴッド最初の死者となったとき…女王マリカは、狂ったのだろう」
彼がデミゴッド「最初の死者」とされるのは、偶然の被りではなく、或いはセルフオマージュでもなく、古く本当の意味で最初に死んだ墓王への仄めかしではないかと思うのですが、どうなんでしょうね。
というわけで、なんと凶悪なり死の力。生きている限りは死ぬことから逃れられるはずもありません。しかし唯一、「死」に対する例外がありました。火の時代の不死人、その体には底なしの穴が開いていて、なんと古い人々は死を溜めこむことができたようです。「死を重ねられる」。これが人の不死たる所以でした。
- 王者の遺骨
- 不死の価値は、死の積み重ねにこそある
- 終わりなき闘いが必要なのだ
- 暗い穴 - 『DARK SOULS 3』
- 不死人の証にも似た暗い穴
- ぽっかりと体に開いている
- その暗い穴に底は無く、人間性の闇が徐々に漏れだし引き換えに呪いが溜まっていく
この場合の呪いとは、即ち死。或いは、通常一度きりの死が蓄積した結果、それは呪いとして作用するのか。とにかく幾度も死んだ不死は痩せさらばえ、亡者となっていきました。そしてその痩せた「亡者状態」を解除するには人間性が必要となります。死を得れば生が押し出され、死を押し出すには生を得なければならない。やはり人間性(生)と呪い(死)は相容れないのでしょう。更には呪死した不死は最大 HP が減少する。これは死のルーンの効果と重なりますね。
重要なのは細かい類似よりその本質的な部分をどう解釈するかだと思っているわけですが、最大 HP 減少が「死」の力に起因するならば、死のルーンが更に持つ「HPを細かく削り続ける」性質はどこから来たのでしょうか。たぶんこれ。
- 墓王の剣
- 最初の死者、墓王ニトの眷属のみ持つ 死者どもの骨でできた剣
- 剣のまとう濃い死の瘴気は あらゆる生命にとっての猛毒となる
かつてはじまりの火より「死」を見出した墓王の剣。この武器が持つ「死の瘴気」が、そのまま死のルーンの継続ダメージに通じているのではないかと思っています。死のルーンとは、即ちあらゆる生命にとっての猛毒でした。
そしてここが繋がってくれるなら、もう一つの疑問も解消されます。「なぜ死のルーンは赤いのか」。
墓王の剣 / 運命の死
黒いもやの中から突き出してくる赤い
運命の死とは墓王の剣舞だった……ではなく、そもそも墓王ニトが剣を振るう瞬間、その刀身が赤く発光していたのを思い出してください。
死は赤く輝く
「死は赤く輝く」のだと、それは火の時代から示されていて、そして遠い未来である狭間の地においても、そして更に未来の日ノ本、その戦国時代においてまでも、原則は変わらなかった。現状、この考えが自分の中では一番ロマンがあるかなと思っています。いっつもこんなことばかり考えてるんですよ。人生が楽しくて仕方ねえ。
面白いのが、人ならざる者への特効である「黒炎」が、しかし深淵の特性として時に「生」を生み出したこと。これを踏まえると、赤(死)と黒(生)の不死斬りは正しく対になっていたことが分かってきます。『ELDEN RING』とは答え合わせと見た。では「開門」が深淵の力故に死者を黄泉返り至らしめたのなら、「拝涙」とは、その死のルーンによって何を成すのでしょうか。
あらゆる生命にとっての猛毒、死。しかしこれが呪いとして劇的に作用し不死人と結びついた時、奇妙な挙動を見せる瞬間がありました。
人のみが石となる
「石化」するのです。人が呪死した結末でした。
さて「貴石」の話をします。貴石、特に闇のそれは、楔石というベースはあるようですが、それでも「主なき人間性」に生じるものだといいます。細かい経緯は不明であるものの、人間性の闇、その宿主が死んだことで(死と結びついたことで)生まれたと仮定してみましょう。更に想像してみるなら、あらゆる貴石は、その時々の場面、様々なソウルと死が結びつくことで、雷や炎、そして血の貴石といったものへと凝固・変質していくと考えてみます。
では「輝石」の話をしますが、魔術師セレンの言葉を借りるなら、輝石とは星の琥珀なのだと言います。輝石には星の生命の残滓、その力が宿っているのだと。
キセキ、つまり輝石を貴石とし、これを生命(ソウル)が石化したものと考えます。恐らくは死と結びつくことを切欠として。……正直なところ、ソウルの石化(結晶化)についてはもう少し細かい理屈が働いていると考えてますが、長くなるので別の機会にさせて頂くとして、ソウルなるものが原則的に「生」の力であるなら、本来であれば同居し得ない「死」と結びつくことで変質した結果、遺志とは石となるのではないか、くらいに捉えてください。
「死」は魂(ソウル)を石化させる。
さてセレン師匠ですが、肉体を乗り換える必要に駆られました。そして我々は託され、取り出したわけです。「原輝石」なるセレンの本質を。
- 魔女狩り、ジェーレン
- 「この女は、まるで魂の抜けた、抜け殻のようだった。セレンの本質は、まだどこかに生き延びていて いつか別の身体を得、また現れるのではないか」
原輝石(貴石)なるものが生命の本質的な部分であるなら、ある種、個人が持つボスソウル的なもの、その結晶と見ると分かりやすいでしょう。それを取り出して、移植したわけです。そしてこのイベントに似た出来事を、『隻狼』プレイヤーは体験済みであるはず。
- 桜竜の涙
- 桜竜から頂戴した涙
- 拝涙は、不死斬りでのみ叶う
- 桜竜のその身は常しえ
- 一度流れた涙もまた、形を保ち 常しえに乾くことはない
- この竜の涙を、竜胤の御子に飲ませれば、不死断ちは叶うであろう
生が死と結びつくことで、その魂は凝固する。常しえなる神の竜もまた、しかし運命の死の大太刀によって、その本質を涙しました。これが「拝涙」です。桜竜の涙とは、神なる竜の原輝石でした。本質さえ健在であれば器を変えて蘇る。桜竜イベントとセレンイベントは、原理的には同じことが行われていたのでしょう。
またこうして振り返ってみると、「本質を別の器に入れ替えて蘇らせる」という意味で、その細かい原理は違えども、葦名一心と桜竜は並べられて描写されていたんですな。前者は弦一郎という器に、そして後者は九郎という器で、新たに黄泉返る。
そして神なる竜の原輝石とは、竜胤の根源でもある。これを御子という器に宿すことで、竜胤の本質すらも譲渡され、かくして御子は竜となり、御子の忍びは竜の忍びとなりました。神なる竜の完全排除は難しくとも、或いはその器が人間のそれであるなら、殺しきれる。あの悲劇的な「不死断ち」エンドの意味とはそれであり、その結末が受け入れられないのであれば、小さな入れ物に詰めた竜胤の本質を、元いた場所へとお返し致そう……これが「竜の帰郷」でした。
赤の不死斬り「拝涙」。それは運命の死を宿す大太刀であり、マリケスの黒き剣の系譜とも言え、そして墓王の剣の末裔でした。
『DARK SOULS』と『ELDEN RING』から読み解く、『隻狼』のお話。
動画で比較。
と、言いましたことで、「拝涙」と「開門」の由来については何となく分かった気になれました。ああ良かった。分かって気になれて。
ではかつて運命の死に仕え、黒炎を振るったという者たちについてはどうでしょう。
- 黒炎の儀式
- 使徒たちを率いた、宵眼の女王
- 彼女は、指に選ばれた神人であったという
- 神肌の使徒フード
- 神狩りの黒炎を操る使徒たちは かつて、運命の死に仕えていたという
- しかし、黒き剣のマリケスに敗れ それを封印されてしまった
- 薙ぎ払う黒炎
- 黒炎とは、すなわち神狩りの炎であった
- しかし、マリケスが運命の死を封じた時 その力は失われた
これはわざわざ他作品を持ち出さずとも想像できる部分ですが、なぜ黒炎が封印されたかについては、運命の死が取り除かれ、「死」が正常に機能しなくなったからでしょうか。死の無き世界に不死も無し。如何な神狩りだろうと死の取り除かれた世界においては真価を発揮できなくなってしまったのだろうかと、現段階では推測しています。
宵眼の女王とは何だったか。彼女が使徒たちを率い、使徒たちは運命の死に仕えたと言います。だからといって宵眼の女王と運命の死をイコールで結んでしまっていいものか、ちょっと迷うところ。曰く黒炎とは元々彼女が振るう「神狩りの剣」がもたらしたものらしいですが、女王は黒炎にて神を焼く一方、ルーンの力で死を司りもしたといのでしょうか。分からん。ですがその一派と共にあったらしい運命の死と黒炎は、後に「拝涙」と「開門」と呼ばれる力でもあり、それは不死を斬る以上の効果を宿したわけです。
女王たちの「神狩り」。それはともすれば後世、「不死断ち」と呼ばれる所業に似た何かだったのかもしれません。
最後に、ある意味パッケージキャラクターでもあり、火山館イベントにおいて争うことになる戦鬼バルグラムは、かつて円卓を訪れた最初の褪せ人たちの一人だったと言います。そして曰く、神人の影、即ち「狼」たるを望んだそうです。
黒の神狩りを振るいながら神人の影たらんとした戦鬼。赤の不死斬りを背に戦国を忍んだ狼とは、或いはその似姿であったのでしょうか。