※ ラバー・ソウル 別館開設(2022.03.27)に際してこの記事は別館に移しました。
この記事はフロム・ソフトウェアの新作『ELDEN RING(エルデンリング)』に触れるものですが、現在まだ発売されておりません。「お、発売前の予想ってやつか? おまえ何者か知らんが態度がでかいな」とお思いでしょうが、本編の予想というよりは宮崎英高社長ひいては最近のフロム・ソフトウェアの作風に関しての雑感という感じ。たまにはこんな記事も風流でしょう。幾つかの作品(『デモンズ』『ダークソウル』『ブラッドボーン』『隻狼』『デラシネ』)についてのネタバレがあります。
宮崎英高ディレクション、その特徴を一つ挙げるなら、「ありきたりなものに深い意味を持たせる」のが格別に上手い事かなと認識しております。元々フロムのゲーム、特に『キングスフィールド』などは「光」や「闇」といったオーソドックスな要素で世界観を構築しつつ、しかし「フロムゲー」という印象を与える事に成功している。これは元々フロムが持つ作風でしょう。フロムと宮崎氏は出会うべくして出会ったのかもしれません。
「ありきたりな言葉に深い意味を持たせる方法」とは別にあるのが「新しい言葉を作る方法」だと思います。その世界にしか存在しない造語で受け手を引き込む方法です。どっちが良いとかいう話ではなく、また二つの手法は対立するものでもないので、その効果を吟味した上で双方取り入れているクリエイターも多い。しかしフロムゲー、特にソウルシリーズ以降はこの「ありきたりな言葉に深みを持たせる方法」に特別重きを置いている印象です。
「ありきたりな言葉」手法は、ありきたりであるが故に日常目にする機会が多く、そしてその言葉を目にする度に、原義ではなく「作品」の方を連想してしまうという、呪いにも似た効能を持ちます。色々あるとは思いますが、例えばソウルシリーズにおけるその最たるものが「人間性」という言葉かなと。人間性ですよ、人間性。どうなってんだ。全然関係ない文脈で「人間性」というワードを耳に入れただけで、(少なくとも自分は)『ダークソウル』を連想してしまう。その呪いはこの先もずっと解けないでしょう。解除困難な呪い。それが「特別でない言葉」に深みを持たせる強み、その最たるものなんじゃないかと思う訳です。
何の話がしたかったんだっけ? (記事を書きかけて間が空くとすぐ忘れる)
そう、宮崎社長は特に、という書き出しでしたが、元々フロムがそういう芸風でやってきたように思えます。個人的な宮崎社長最大の発明が「人間性」なら、フロム自体のそれは「月光」でしょうか。元々セルフパロディの例が豊富な作風なのでユーザーによって変わると思いますが、「月光」は今やフロムの代名詞と言っていいものの一つでしょう。「ありきたり」であり、「特別な言葉」ではないが故に使いまわしが効き、故に「伝統」に昇華されやすい。これも特別でない言葉の強みだと思います。
しかし今回話題としたいのは、少なくとも宮崎氏の構築した作品群は全て同一世界の物語であり、フロム得意の自社パロディという「伝統」を隠れ蓑にしているのではないかという疑惑です。
一応、これは書かなくても良い事なのでしょうが、あくまで個人的な想像だとご理解頂きたい。そしてそうした視点の記事は幾つか書かせて頂いています。
関連記事 : (本館の記事)
例えば上述した「人間性」。これは『ダークソウル 3』において「人の澱み」という言葉に置き換わります。それが火の時代に次ぐ深海の時代とやらの要になるようなのですが、一方『Bloodborne』には「人の淀み」なる概念が登場します。これらの材料が揃う事で、人間性が元々持っていた性質と、血の医療の共通点を読み解く遊びが出来る訳です。
また「淀み」と言えば『隻狼』にも同様の言葉が登場します。しかし「淀み」などという言葉は別に珍しいものではありません。ただそれだけで世界が繋がるはずもないのでしょうが、『隻狼』における「淀み」の傍らには「人が人として生きるための当たり前の力」というキーワードも鎮座しています。これもまた特別な言葉ではないですが、「人が人として生きるための当たり前の力」から「人の本質(人間性)」という言葉をうっすらと連想したなら、繋ぐべき点が徐々に増えていき、こちらとしてはまた遊びの材料が増えたと歓喜できる訳です。
そして「月」、「月光」も同様です。これに関しては記事で強く取り上げていないので軽く触れるだけに留めますが、ソウルシリーズにおいて「月」とは「信仰を魔力に変換する力」と言えました。そして『Bloodborne』の「月」のカレルには、「悪夢の上位者」という存在が取り上げられ、それは「感応する精神であり呼ぶ者の声に応える」と記載されています。この存在を「信仰から魔力を生む(≒呼ぶ者の声に応える)」月光、また月の魔物なんかと接続できれば、またも楽しい遊びに発展できる。
宮崎ワールドが繋がっているかという疑問に対しては、「NO」と答えるのが無難だと思います。そもそもそういった「世界観の繋がり」系の話題自体が口に合わない方もいますし、それ以前に販売元が異なる事情もあるので、それぞれの世界は独立していると答えておくべきでしょう。しかしそうした上で、諸々の事情や個人の好みに対して角を立てず、その裏でひっそりと世界を繋げる為に、宮崎社長は「淀み」や「月光」などの「ありきたり」かつ「フロム伝統」のキーワードを基点にする事で、上手く立ち回っているんじゃないでしょうか。……と、想像しています。
特別でない言葉や状況に深みを持たせる例。挙げればまだまだありそうですが、ここで一つピックアップしておきましょう。
「腕」です。
関連記事 : (本館の記事)
『ダークソウル』において「腕」は重要な意味を持ちます。人間性の話に戻りますが、それは闇が火を求める根源的欲求から端を発し、それこそが闇魔法が追尾性を有し、またソウルを求める亡者という在り方に繋がります。即ち人間性(闇)とは欲であり、「腕」はその象徴である訳です。
このように人間性(人のソウル)が何らかの形で暴れまわっている場合、それは「肥大化した腕」という形で顕れるのだというのは、シリーズ通して描かれてきました。
そしてシリーズを超えたところでも同様です。
腕を肥大化させた怪物たち。ついでに言えば「ねじくれた角」という共通点もある。結論を言うとこれらの怪異は「深淵を宿した人間」であり、それ故にマヌスの似姿として設計されている訳ですが、時を経ても、人間性の暴走は人を似た姿へと変異させてしまうようです。
そして暴走以前に、変わらず「欲の象徴」として「腕」は存在します。
壺の貴人たち
鱗を欲する壺の貴人たちです。「腕」は欲や執着の象徴であるが故、彼らは終に肉体らしい肉体を失ってしまったのでしょうか。ついでに言うと『ダークソウル 3』の遺灰は総じて「腕」でした。生前の執着、その名残を意味すると解釈できそうです。逆を言えば欲や執着に囚われた者達は、腕を失う事でそれらから解放されると言えるでしょうか。修羅に飲まれかけた仏師が一心に腕を切断され踏みとどまったのも、修羅に落ちた狼が、失ったはずの左腕から怨嗟の炎を生じさせるのも、根源的には同じ場所に行き着きそうではないですか。
「腕」です。何ら特別でないこのキーワード。しかしこうして並べてみると非常に重大な思惑が潜んでいる事が伺えます。
ちなみに『Deracine(デラシネ)』も地味に「腕」の際立つ物語だったりします。
吸精
半ば透過した姿を持つ妖精の中にあって、唯一くっきりと描かれた「腕」。そして時に妖精は「生命エネルギーを吸収」する。それは古い時代の「吸精」に似ますが……。
加えて言うと、腕を対象に差し込みソウルを吸収する業(吸魂)は『デモンズ』の頃から存在していたりします。
さてそんな訳で前振りはここでおしまいにして『ELDEN RING(エルデンリング)』の話になりますが、そもタイトル「エルデンリング」とは何か。
本作における「Ring」はそもそも「指輪」ではなく、「輪」を指しているとのこと。タイトル名を直訳すると「古の輪」になるだろう。
「『Elden Ring』はこの世界を定義する神秘的な要素、ルール、リズムですね。トレーラーを見てわかるように、それが砕けてしまったところから物語、あるいは世界が始まります」
だそうです。正直何も分からないに等しいのですが、最近、遅ればせながらこんな話を聞きました。「ELDEN(古)」なるこの言葉、トルコ語ではこんな意味になるそうです。
「腕」です。
正確には「EL」が「手(腕)」だと。言われてみると、確かに PV は「手(腕)」の印象が強い仕上がりです。
おてて
「エルデンリング」。力づくでの訳が赦されるなら「腕輪」でしょうか。それは特別な力を持った文字通りの腕輪なのか。もしくは「腕」が変わらず「欲(野心)」の象徴であるなら、それは人の願いを叶える特別な力、存在、或いはそれを巡る何らかの円環(リング)を指しているのか。
関連記事: 『ELDEN RING(エルデンリング)』注目のフロム・ソフトウェア完全新作、宮崎英高氏インタビュー翻訳版を全文公開!【E3 2019】
Q : コンセプトアートとして発表されたキャラクターについて教えてください。
A : あのキャラクターは、その一種の異様さのほかに、もうひとつのテーマの象徴でもあります。それは人の意志、あるいは野心です。
(C)BANDAI NAMCO Entertain ment Inc.
(C)2019 FromSoftware, Inc.
「エルデンリング」。火の時代が終わり、それが火に次ぐ新たな神秘であるなら、「エル(腕≠欲、野心)」が示す通り、それは闇に由来する力なのでしょうか。だとすれば「ダークリング」と何らかの関連性を望めるかもしれません。
『ダークソウル』は火の神秘を巡る物語でした。対し『隻狼』は水に、そして『Bloodborne』は血に宿る神秘を巡る物語でした。もしもその中間に、火に次ぐ巨大な神秘が渦巻いていたのだとすれば、もしかすればその空白を描く事こそが、『ELDEN RING』の目的なのかもしれないと推測し、本日は筆を置く事とします。
まったくの見当違いであったならば、それはそれで良しとしましょう。それもまた、読み解きの醍醐味であるが故に。
この記事を通して伝えたいことは二つあります。一つはフロムへの応援メッセ―ジであり、二つ目は目いっぱい新作ゲームを楽しむ為に「仕事を辞めてえな」という事です。